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メディアの発生―聖と俗をむすぶもの/加藤秀俊

旅に出たくなる本です。 また、僕らにはすっかり馴染みのなくなってしまった浪花節や盆踊り、落語などの芸能にも触れたくなる一冊です。 実際にこの本に登場した、香川県にある旧金毘羅大芝居「金丸座」を訪れてみました。 日本最古の芝居小屋として国の重要文化財として指定されている芝居小屋で、いまも毎年春に、「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開催されている場所です。歌舞伎小屋の原型であるばかりでなく、客席などの作りは相撲が行われる国技館などの原型ともなっているそうです。 さいしょに建設されたのが天保6(1835)年だというから、ずいぶん古い。こんな歴史的建造物があるのか、とわたしは感心して見物した記憶がある。(中略)毎年4月に名だたる名優がそろってこの「四国こんぴら歌舞伎」公園をおこなうことが年中行事となった。かんがえてみると、歌舞伎が大都市の劇場で連日講演される、などというのはごくさいきんのことで、むかしはこうして巡業の旅にでかけていたのがふつうだったのであろう。 加藤秀俊『メディアの発生―聖と俗をむすぶもの』 地方を巡業して回る歌舞伎の一座。いまも4月の「四国こんぴら歌舞伎大芝居」では、東京から一座が大人数でこの地に来て2週間から20日程度の期間に芝居を行うのだそうだ。旅はこの本のひとつのキーワードです。 さて、正面と客席上の葡萄棚天井の写真も載せておきましょう。 実際に訪れてみて、一度はこの舞台で歌舞伎を見てみたいと思いました。

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日本芸能史六講/折口信夫

民俗学者の折口信夫さんは日本藝能の歴史を発生学的に論じた『日本芸能史六講』において、<藝能はおほよそ「祭り」から起つてゐるものゝやうに思はれます>と述べています。また、この「祭り」は饗宴といったほうが適当かもしれないとも言っている。かつては祭りそのものが宴会の形をなし、客人(マレビト)を饗応の御馳走で招くものだったからです。 このまれびとに対して対蹠の位置にある人があるじです。このあるじといふ語は、吾々は主人といふ風に考へ易いが、もとは饗応の御馳走のことを言うた語です。つまり来客の為に準備しておいた御馳走を、その客にすゝめることをばあるじすと言うてゐますが、御馳走をすゝめる役が、主人だつたのでせう。そしてこのことから、主人をあるじと言うやうになつたのです。 折口信夫「日本芸能史六講」『日本芸能史六講』 そして、このあるじとまれびとの間に介在するものとして「舞をまふもの」が、饗応の場=祭りの場に登場してくる。ここに折口さんは藝能の発生をみています。

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フラジャイル 弱さからの出発/松岡正剛

僕らは普段やたらとほとんど根拠もないままに、何かが役に立つとか立たないとか、勝ち組だとか負け組だとか、あれは間違ってるとか悪いとか、自分はダメだとか弱い人間だとか、そんなことばかりを気にして生きています。そして、いつでも役に立つほう、正しいほう、強いほう、勝ち残ったほうをほとんど無条件によいものだと信じています。知識を得るのにも、仕事をするのにも、量より質だとか信じているのか、ほとんど独断的ともいえる"選択と集中"とやらでみずからが関わる領域を狭めています。 一方、生物進化論の分野でも、自然淘汰を核とするダーウィニズムが幅を利かせ、変化する環境に適応した種が生き残りつづけることで進化が進んできたことを示唆しています。環境において強さをもつものが生き残ってきたとでもいうように。 そこで止めておけばいいものを、人間は自然淘汰のダーウィニズムを社会組織論にも拡張してしまいます。強い組織、環境に適応できた組織だけが持続可能性をもつかのように。 強いものが弱いものを虐げ、弱いものが強いものに反抗するという図式も一見あるように見えます。しかし、その強さと弱さは本物なのか。いや、それ以前に強いとか弱いとかというのはいったい何なのか。僕らがほとんど無条件に受け入れがちな強さ/弱さの上下関係は果たしてそのまま受け入れるのが正しいのか。 そんなことを考えさせる一冊が、この松岡正剛さんが"弱さ"に焦点をあてた『フラジャイル 弱さからの出発』。 「壊れ物注意!」を意味するステッカーに見られるこの言葉…

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