アイデアの私有と共有
アイデアは誰のものなのか?
この〈SHARE〉の時代にそれを問う意味とは何なのか、僕らはそのことを問い直さなくてはいけない段階に入ってきています。
僕らはいまなお「アイデアには所有者がいる」と考えることを当たり前のように思ってしまっています。
例えば、以前に比べて、僕らが日常的に行うようになったワークショップやブレインストーミングなどのグループワークによるアイデア出しの場などでも、いまだに「誰が出したアイデアが採用されたか」とか、「結局、声の大きな人のアイデアが採用されてしまう」とか、といった「アイデアの所有者は誰か?」にこだわる思考からなかなか離れられない人がすくなくありません。
けれど、そうしたグループワークによる共創の場において、アイデアの所有者探しをするのは賢明ではなく、むしろ、グループでより素晴らしい発想を生もうとする際の妨げにもなりえます。
なぜならグループワークでの共創の作業は、基本的に他者とのインタラクションのなかで次々に発想を生み、展開していく方法なのですから、あるアイデアが明確に誰が生み出したものと言えるような状況はありえません。
たとえば、ブレインストーミングは他人のアイデアにのっかりながら発想を膨らませていくことで、グループ全体でより良いアイデアを生み出していきましょうという方法です。
他人のアイデアを膨らませることが前提となっている時点で「アイデアの所有者が誰なのか?」という考え方とは根本的に無縁なはずです。
また、そもそも、こ…