官能の庭/マリオ・プラーツ
分厚い。
本がではない。本自体もそうだが、何よりここに描き出されたヨーロッパの歴史の厚みがだ。しかも、その厚みある歴史というものも、単なる一本道の直線的道のりではなく、マニエリスム芸術の蛇状曲線(フィギューラ・セルペンティナータ)のようにうねり錯綜しているし、そもそも、それが未知であるかどうかでさえ定かではない。むしろ、はっきりと刻まれた道ではないところにこそ、実は隠された厚みがある。
確かに本そのものの物理的な厚さも読み終えるのに苦労する程度には分厚いのだが、それよりもこの本を成す基盤としての知識の厚みに、まず唸る。ヨーロッパの積層した知識の厚みを、この1冊から感じずにはいられないのだ。
そして、何より、その分厚く積層した知識を、物理的にも分厚い1冊として編み上げ、展開するプラーツという人の編集的視点の凄さに驚く。
文学、芸術、音楽、工芸など、さまざまなカテゴリーに、あるいは国や地域ごとに分断された状態で堆く積まれた知識の断片、互いに無関係に見える諸事象を、その地下深く流れた根源的な水脈の同一性を発見することで結びつけ、誰も知らなかった流れを見事に綴り浮かび上がらせてみせる手腕はまさに「官能」的ですらある。
一見無関係なもの同士のあいだに類似を嗅ぎ取り、中世の神秘思想家のニコラス・クザーヌスであれば「反対物の一致( コインキデンティア・ポジトールム)」と呼んだであろう関係性を提示してみせる。本書に登場する人物の数の膨大さも圧巻だが、その無関係なもの同士を見事にひ…