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官能の庭/マリオ・プラーツ

分厚い。 本がではない。本自体もそうだが、何よりここに描き出されたヨーロッパの歴史の厚みがだ。しかも、その厚みある歴史というものも、単なる一本道の直線的道のりではなく、マニエリスム芸術の蛇状曲線(フィギューラ・セルペンティナータ)のようにうねり錯綜しているし、そもそも、それが未知であるかどうかでさえ定かではない。むしろ、はっきりと刻まれた道ではないところにこそ、実は隠された厚みがある。 確かに本そのものの物理的な厚さも読み終えるのに苦労する程度には分厚いのだが、それよりもこの本を成す基盤としての知識の厚みに、まず唸る。ヨーロッパの積層した知識の厚みを、この1冊から感じずにはいられないのだ。 そして、何より、その分厚く積層した知識を、物理的にも分厚い1冊として編み上げ、展開するプラーツという人の編集的視点の凄さに驚く。 文学、芸術、音楽、工芸など、さまざまなカテゴリーに、あるいは国や地域ごとに分断された状態で堆く積まれた知識の断片、互いに無関係に見える諸事象を、その地下深く流れた根源的な水脈の同一性を発見することで結びつけ、誰も知らなかった流れを見事に綴り浮かび上がらせてみせる手腕はまさに「官能」的ですらある。 一見無関係なもの同士のあいだに類似を嗅ぎ取り、中世の神秘思想家のニコラス・クザーヌスであれば「反対物の一致( コインキデンティア・ポジトールム)」と呼んだであろう関係性を提示してみせる。本書に登場する人物の数の膨大さも圧巻だが、その無関係なもの同士を見事にひ…

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イデア―美と芸術の理論のために/エルヴィン・パノフスキー

イデア。 強引に簡略化してしまえば、個別の事物の背後に潜む本質であるイデア。 プラトンの哲学に端をなすイデアは、17世紀の初頭のマニエリスムの時代において、芸術家の精神のなかに形成された内的素描として、実際の作品の原型と捉えられるようになる。芸術家は自身の精神のなかであらかじめ形成された内的素描としてのイデアを自身の技術を用いて絵画や彫刻などの外的素描へと移し変える。 このような理論化を最初に行ったのが、マニエリスムの画家であり芸術理論家でもあったフェデリコ・ツッカーリであり、それは1607年の『絵画、彫刻、建築のイデア』という書物のうちにおいてなされたものであることは、すでに「ディゼーニョ・インテルノ(デザインの誕生1)」で述べておいた。 ところが、本書の著者、パノフスキーによれば、そもそもイデアという哲学的概念を生み出したプラトンは決して「造形芸術に対する公正な審判者ではありえなかった」という。「プラトン哲学はやはり、芸術に敵対するとは言わないまでも、芸術に疎遠なものと呼ばれるのにふさわしいものであった」といいます。 その芸術に疎遠なはずのプラトン哲学のイデアがなぜ、マニエリスム期に至っては、芸術活動の根幹をなすものの地位を獲得するに至ったか? 古代から中世を介してルネサンス、マニエリスム、バロックの時代へと、イデアの歴史的変遷を辿ってみせるのが、このパノフスキーの『イデア―美と芸術の理論のために』という本です。 それは同時に、芸術の社会的地位や役割の変化を観察する試…

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アート・芸術でいいんじゃないの。

最近(といっても、そんなに最近のことでもないのですが)、デザインとアート・芸術をあえて分ける必要なんてないんじゃないのと思うようになりました。 よくデザインは他人の必要を満たすためのもので、アート・芸術はどちらかといえば作家自身の思想や哲学を反映したものという区別をしたりしますが、本当にそんな区別なんて必要なんじゃないでしょうか、と思うのです。 デザインだって、もっと徹底的にものや世界に対する自分の美意識にこだわっていいと思うのです。いや、むしろ、こだわらないといけないのではないかと感じます。

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