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青い花/ノヴァーリス

世界は夢。夢は世界。 世界は夢となり、夢はまた世界と変じ、 とうに起こったはずのものが、 今かなたからやってくる。 想像がはじめて自在にはばたき、 思うがままに糸を織り、 ここかしこヴェールをかけ帳を掲げ、 やがで魔法のもやに消えうせる。 ノヴァーリス『青い花』 18世紀末ドイツの初期ロマン主義の詩人ノヴァーリスによる未完の小説『青い花』。 先に読んだ『サイスの弟子たち』がとても気にいって、ノヴァーリスのことに夢中になり、この『青い花』を手に取ったのはおとといのこと。 ひさしぶりに本を読んで、気持ちが落ち着かない状態にさせられたのだが、そういう意味でとても魅力に満ちた一冊だ。未完なのが、なんとも惜しいが、未完でもなお読む価値がある。 『青い花』は、原題を『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』といい、主人公の名をそのままタイトルにした作品だが、引用した作品中の詩の一節同様に、どこまでが主人公が生きる現実なのか、どこからが他の登場人物が語る物語のなか、あるいは、夢の世界の話なのかが読んでいてわからなくなる作品だ。 しかし、この夢を詩と置き換えて、「世界は詩となり、詩はまた世界と変じ」と読み替えると、この作品における詩というもの、あるいは詩人というものの役割、ノヴァーリスが詩や詩人というものをどう見ているかが感じとれるようになる。 詩人が自分で奇跡におどろいているようでは、とても奇跡を行なうことはできない。 ノヴァーリス『青い花』 と語るのは、ハインリ…

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いやしくも生について正確に伝えようとするなら病的になる他ない

本を読んでいて興奮することの1つは、いままさに読んでいる本の言葉の1つによって、いろんな別の本に書かれた内容がつながり、なるほど!と思える1つのストーリーが自分のなかで編集的につくられることだったりします。 昨日もバーバラ・M. スタフォードの『ボディ・クリティシズム―啓蒙時代のアートと医学における見えざるもののイメージ化』を読んでいて、以下の一文に差し掛かったとき、別の本に書かれたさまざまなことが僕のなかでつながりました。 苦悶する肉体の許されぬものと官能ばかりを描く20世紀アイルランドの画家、フランシス・ベーコン(1909-1992)が、自らのおぞましい画像の数々を説明して、こう言っている。「いやしくも生について正確に伝えようとするなら病的になる他ない」、と。 バーバラ・M. スタフォード『ボディ・クリティシズム』 スタフォードのこの本は、そのサブタイトルどおり、18世紀の医学とアートの深い共犯関係を明らかにしながら、その過程での「イメージ化」に際しての新古典主義的なものとロマン主義的なものの対立に幾度となく言及しています。 その1つの言及が先の引用であり、時代的には2世紀ほど下った時代のベーコンの言葉を引きつつ、ロマン主義的なるものが何故、病的なるものや汚れたもの、そして、暴力や死などに美を認めるのかという点について言及しはじめるのですが、この文のすぐ先には「生とは気味悪いしるし付け、まず性交、そして暴力的死であるに他ならない」といったことも書かれていて、このあ…

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