これほど、先行き不透明で、かつ、不透明ではない既存の安定したシステムの寿命もそう長くはないと予測される現代で、特定の機能を果たしたり、特定の戦略の実行に最適化された組織の閉じた環境のなかだけで、何が起こるか分からない状況で突如現れ出てくるさまざまな未知の問題に対処することは理にかなっていません。
だからこそ、ゆるいネットワークのつながりによって、「さまざまな未知の問題」にも柔軟に対応できる、多様性を確保しておくことのほうが必要なのだと思います。
先行き不透明な未来を引き受け、従来の価値観に縛られない将来をつくりだす
僕らはいま、先行き不透明で予測不可能な未来を引き受け、むしろ、そこに積極的に飛び込んでいくことで、外から与えられた既存の価値観に縛られない自分たち自身の将来をつくりだす覚悟を決めるかどうかの選択に迫られているのではないでしょうか。前回の記事「「垂直」から「水平」へという変化のもう1つの意味」で書いた、閉じた会社組織内での垂直統合から組織の外との連携を積極的にはかる水平統合へという話もここにつながります。
オープンな水平統合のつながりを選択することは、この「先行き不透明な未来を引き受け、従来の価値観に縛られない将来をつくりだす」方向にシフトした人びとが、誰も歩んだことのない道なき道を自分たちの力で切り開いていくためにとる賢明な姿勢だと思うからです。
先に伸びている未来が現在からの線形的な変化の範囲におさまることが予測されるのであれば、専門性をもった人びとの知識や計算にもとづく導きによって進むやり方で問題ありません。
ただ、いまの状況は、これまでの右肩上がりの成長からベクトルが大きく変化した、右肩下がりの状況であり、かつ世界ではじめて経験する超少子高齢化社会を迎えようとしているなど、さまざまな問題が複雑に絡み合った、文字どおり予測不可能な未来に向かっている状況です。
この状況で、一神教的な専門的知識による導きを望むのは賢明ではなく、八百万の神々の声を集約しながら手探りに未来へと進むことのほうがはるかに賢いやり方はずです。
僕らは無条件に信じられるようなただひとりの優れたヒーローを求めるのではなく、たがいに意見を交わしながら最適な未来への道を模索するような、そんな共創的な場を必要としているのです。
それが水平統合のゆるいネットワークのつながりにより、さまざまな未知の問題にも柔軟に対応できる多様性を確保するということの意味でしょう。
いたれりつくせりのもてなしが人をお客さんに変えてしまう
ただし、そのためには、これまでは唯一神やヒーローに委ねてきた、未来を考える力をひとりひとりが自分の手元に取り戻すことが必要なのだと思います。外からの便利なサービスを受動的にうけとる存在ではなく、まわりの人びとといっしょになって、たがいに自分たちをもてなすような参加者になることが必要です。
そんなことをあらためて考えたのは、最近読んだ、山崎亮さんの『まちの幸福論―コミュニティデザインから考える』という本のなかで、昭和44年(1969年)に最初に千葉県松戸市にでき、その後、さまざまな自治体にできた「すぐやる課」が、その設立意図とは裏腹に、逆に住民たちの「それだけじゃなく、あれもこれもすぐやってよ」という受け身の姿勢をつくってしまったというような話を知ったからです。
ちなみに調べてみると、世田谷区にあった「すぐやる課」が今年の3月に廃止になったというニュースでもこんなことが書かれています。
この「すぐやる課廃止」のニュースに対し、世田谷区に10年以上住んでいる世田谷区民に話をうかがったところ、
「そんな課、ありましたねえ。世田谷区役所に行ったとき、よく見かけました。でもすぐやる課に相談したことはありません。何を相談すればいいのかよくわからなかったし……。っていうか、『ほかの課も最初からすぐにやれよ』って思ったりもしてました」
と語る。
記事中には“廃止の理由は「職員全体に『すぐやる』という意識が定着してきた」とのことであるらしい”とされていますが、なんでもかんでも区役所職員に「すぐやれよ」と当然の権利のように感じてしまう「お客様」体質の態度には、自分自身でもそういうところがあるだろうなと思いつつも、客観的にみると、ちょっとぞっとしてしまう傲慢さが感じられます。
自分たちでやれることの外部化が、人と人とのつながりを希薄化させる
山崎さんは、先の本のなかでこんな風に書いています。いたれりつくせりの環境ができてしまうと、そこに暮らす人はお客さんに変わってしまう。その結果として住民の主体性が失われていく。これが、住民同士のつながりを断ち切り、日本のまちを疲弊させてしまった大きな要因だと思えてならない。
住民がお客さんに変わり、主体性を失っていくというのは、まさにそのとおりでしょう。
そして、いま考え直さないといけないのは、さらにそれが住民同士のつながりを断ち切ってしまうという点でしょう。
それは水平統合を重視すべき、これからの社会においては致命的なことなのですから。
山崎さんはさらにこんな風にも書いています。
地域社会の歴史を振り返ってみると、本書の冒頭でも書いたように、暮らしを維持するための労力を生活者は他者に委ねてきた経緯がある。自分たちの活動が外部化していくことで、僕たちの暮らしは確かに楽になり、便利になった。ご近所同士で助け合い、支え合っていかなくても、生活していくことはできる。だからこそ、つながりは希薄になっていったのだ。
誰かと助け合って日々を過ごしていかなければいけないときに、これまでの僕らは、ご近所の人や仲間に頼るのではなく、自治体の「すぐやる課」の職員やお金を払えば黙ってやってくれるサービスマンや便利な機能をもった使い捨ての商品群の力を借りてきました。
電話やメール一本で自宅に来てくれて問題を解決してくれるサービスマンや、買ってくればすぐに使える商品があれば、何も家の近所で助けを求めるための関係性を築いておく必要はありません。テレビやインターネットがあれば、家の中だけで事は済むので、家の外の空間は単なる移動のための空間でしかなくなってしまい、「つながり」やコミュニケーションの場としての価値は失われました。
そうやって地域はコミュニティの意味を失っていったと山崎さんは考えているようです。
つながりの喪失は、人の賢明さも失わせる
以前に山口昌伴さんの『台所空間学』という本を紹介しました。明治以前の台所のおもかげを残す日本各地の民家をはじめ、ネパール、エジプト、韓国、中国、フランス、アメリカのキッチン/台所をフィールドワークして回った調査の結果から、著者自身の台所の固定観念が覆された結果生まれた新たな台所観、そしてさまざまな台所の問題や未来像を記録した一冊です。
台所空間とは、何なのであろうか。それはまず、空間であるより先に場である、と遺跡は教えてくれた。岩陰の現在の床面、その足下に一万年の食べる歴史を踏みしめて立ち、手近に光る川面を見よ。そこに魚介がいる。その貝殻や骨屑がこの遺跡には積もっている。峡谷の水面から崖までは、寄倉部落に限ってやや開けているのであるが、そこで穫れた籾の跡が、縄文晩期の土器に残されている。見晴るかす山々には猪や鹿がいた。そしてこの岩陰にその骨がある。岩陰にたむろする代々のひとにとっては、山・川・野が食べる場の圏域をなしているのであった。そして、その圏域を描くコンパスの穴のごとき位置に、狭義の食べる空間、台所があった。山口昌伴『台所空間学』
と、広島県北部にある帝釈峡と呼ばれる縄文晩期の遺跡に、台所の原型を上記の引用のように夢想しながら、明治期以降に西洋のキッチンが導入されて以降の「いまの台所にできないこと」として、「台所は野、山、海、土や自然とのつながりをなくした」ことや「台所は食糧備蓄基地としての役割をなくした」、「台所は大量処理の機能をなくした」などを指摘しています(詳しくは、書評記事を参照ください)。
ここであらためて注目しておきたいのは、著者が指摘している「いまの台所にできないこと」の1つに「台所は主婦の賢明さを失わせる」という項目があがっていることです。
なぜ、これが注目に値するかというと、主婦が賢明さを失う理由がまさにここで指摘しているのと同じで、西洋風のシステムキッチンが置かれた現在の台所がまさに主婦同士のつながりを断ち切り、主婦をキッチンのなかで孤立化させたという点だからです。
現在の主婦ひとりひとりが賢明でないと指摘されているのではなく、自然とのつながりや食糧備蓄基地としての役割、大量処理の機能をもっていた、明治時代以前のかつての台所は主婦同士をむすびつけることで賢明さを生み出すしくみとして機能していたことが指摘されるのです。
つまり、台所というコミュニティがかつての主婦を、現在の孤立してしまった主婦よりも賢くさせていたということなのです。
道具を選んだり、デザインする際にも何が「人と人とのつながり」の敵となりうるかを考えよう
"人間中心"という視点でデザインの仕事に関わっていると、実はこうした便利さが人から賢明さを奪ってしまうということは、ある種、常識であったりします。人が自分自身で苦労して課題を解決する力を外部化することで、便利さを創出しようというのですから、その代償として、それまでもっていた賢明さを人が忘れてしまうというのは、ある種、当然すぎるトレードオフな事柄です。
しかし、残念ながら従来のデザインというのは、以下に山崎さんも指摘しているように、そうしたトレードオフを知ってか知らずか無視して、ひたすら利用者の利便性を追求してきてしまったのだと思います。
それが長期的には人びとから「つながり」という大事な道具を奪ってしまうことも考えずに…。
デザインの領域にしても、住む人や使う人の利便性を考え抜いて、いたれりつくせりの完璧な施設や空間をつくろうとしすぎていたように思う。建物や公園はつくって終わりかもしれないが、それを使う人々の生活のあり方は、時間とともに移りゆく。長く使い続けるという前提で、人々が続ける過程で豊かさを見出す余地が残されているデザインこそ、幸せなまちのために寄与できると言えるのではないだろうか。
さすがにいまの時代、これだけ環境に関する配慮の意識が高まってもいるし、市場縮小の傾向もあるので、無闇にモノを生産すればいいという考え方には変化がみられるようになりました。
けれど、モノを無闇につくらないという考えには、さらに「いたれりつくせりは人間同士のつながりという大切なものを奪う」という意識が加わる必要があると思っています。
それはインターネットのように、一方では人と人とをつなげるきっかけをつくってくれるツールでもおなじだと思います。容易に「つながった!」と感じられてしまえるようにすることが、逆にそれ以上の「つながり」の可能性を奪ってしまったりすることもあるでしょうから。
人と人とをつなぐ道具であっても、過度にその利便性をあげすぎてしまうことはやはり、人と人とのつながりを断ち切る要因としても働いてしまうのです。
人と人とのつながりという水平統合が重要になってくる時代。
僕らはその社会で生き抜く道具を選んだり、デザインする際にも何が「人と人とのつながり」の敵となりうるかということをよくよく考えてみることが求められています。
逆に、頼りになる人と人とのつながりをもてないがゆえに、先行き不透明な未来に勇気をもって踏み出すことができず、いつまでも壊滅寸前の従来型システムに頼ることしかできないだとしたら、それはあまりに危険すぎるのではないでしょうか。
冒頭にも書いたとおり、いまの時代って、ひとりで悶々と悩んだり、企業などの閉じた世界のなかだけで問題を解決しようとしたりする時代ではなく、多様な人とのつながりのなかで、そのコミュニティ自体が求める未来をつくりあげていく時代なのですから。
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