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自然から切り離された視覚空間で

マーシャル・マクルーハンにとっての遺作、そして、子であるエリック・マクルーハンとの共作である『メディアの法則』がとてつもなく興味深い。 何が興味深いというと、ギリシアの時代のアルファベットの誕生が視覚による図の分離を生み出したという指摘、がだ。 まず、視覚のほかの感覚とは異なる機能として、次のようなことが指摘される。 ロバート・リブリンとカレン・グラヴェルが言っているように、われわれの視覚の第一の機能は、図をその地の上に孤立させることである(『感覚を解読する』)。これは視覚だけがもつ希有な特徴であることが文化の痕跡のなかにも見られる。視覚以外のどんな感覚も、高鮮鋭状態、すなわち強く作用するよう強いられた場合において、図を孤立させ切り離すことによって地を抑圧するというようなことはできないのである。 マーシャル・マクルーハン、エリック・マクルーハン『メディアの法則』 視覚においては、図をみるとき、地は消失することがありえる。アルファベットのような文字を読む時などは特にそうで、うしろの紙や画面が気になったら、文章などは読めない。 しかし、ほかの感覚、たとえば聴覚ではそのようなことは起きえず、ひとつの音が前景化して聞こえる時でも、うしろの騒音が聞こえなくなるということはない。触覚などはそもそもひとつの部分が図として前景化することなど起きないだろう。 さらに、視覚以外の感覚であれば、図と地は常に固定された関係にあるのではなく、感覚器をもつ人間の行動や注意の焦点の当て方によって、…

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グッド・ルッキング―イメージング新世紀へ/バーバラ・M・スタフォード

「去年、来てたあのワンピース。ほら、花柄のやつで・・・」といわれても、まったく思い出せないものでも、「ほら、あんな感じ」と指さされた実物のワンピースがあれば、それが実際にはほとんど似ていないということまで含めて思い出せたりする。百聞は一見に如かず、とは言うけれど、視覚の力はまさに直観を呼び覚まします。 これまでも「最初にパッと<映像がしっかり浮かばない>と」や「レオナルド・ダ・ヴィンチの絵のような緻密さで顧客のコンテキストを描く」なんてエントリーを書いてきましたけど、言葉で理解することと視覚的イメージで理解することはまるで違うことだと思っています。言葉の秩序には不可能な、領域を超えた秩序をいとも簡単に高速で感じさせることができる。計算ではどうにも解けないロジックを、視覚的イメージを扱える生物の脳は簡単に見抜いてしまいます。百聞は一見に如かずどころではなく、どんな膨大な計算でもかなわない直観を呼び覚ます力がイメージにはある。 元々、そういう考えがあったからでしょうか。 「電子の未来、知は片はしから曖昧になり教育は大混乱するだろうという声に抗って、イメージは良い形で介入することができることを示したい」とするバーバラ・M・スタフォードの『グッド・ルッキング―イメージング新世紀へ』を、amazonがしきりに「これ買えよ」っておすすめするので騙されて、同著者の『ヴィジュアル・アナロジー―つなぐ技術としての人間意識』といっしょに思わず買ってしまったのかもしれません。普段は「買えよ」と言われても買…

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