情報は本当に増えているのか?
人間の側からみると、情報というのは本当に深くおもしろいものだと思う。
一般的に思われているような固定された情報などは一切なくて、情報を自分のなかで認知したと感じる人の行動の文脈次第でいくらでも変化する。
だから、そこに情報があるかないかなどは客観的には判断できない。
それは常に感じとる人間との相互作用的な関係性のなかに置かれているから。
言語活動の本来の働きは世界を規定したり説明することではありません。自らに固有の世界をうまずたゆまず崩してはまた築き続けることです。
マリナ・ヤグェーロ『言語の夢想者―17世紀普遍言語から現代SFまで』
言語でさえ、それを用いて表現するものを「規定」したり「説明」したりするのではなく、たゆまぬ崩壊と構築を繰り返す変化のなかに、人間を配置するための道具なのだ。
情報を受け取るという受動的な存在であるというよりも、もうすこし能動的に、けれど、すべて自分のなかだけで行うというよりもまわりの環境と相互作用的に、自己の内部で情報を生成・発動させる人間。
情報というものを考えの対象にする際は、この情報を発動させる人間というものをしっかりと意識していたい。
確立された言葉やイメージなどだけを情報と見たのでは、人間の認識や行動というのは、まったくわからない。
そうした視覚的に固定された情報だけでなく、音や肌触りなども含めて人と情報の関係を見ることがいま大切なのではないだろうか。