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思考も感情も個々人の自由などではなく、社会・文化的な様式あってのこと

本を読むなら一度に1冊ずつ読むよりも、複数冊の本を同時に読み進めることが良いと思う。 その方が本に書かれたことから、気づきを得たり、自分の思考に落とし込むことがスムーズになりやすいからだ。 本を読むというのは、決して、そこに文章として書かれた内容をただ読むという行為ではない。それは書かれたことと自身の体験や既存の知識とを折り合わせながら、自分自身の思考を紡いでいく作業なのだと思う。書かれたことを純粋に読んでいるつもりでも、そこには読む人自身の経験や持っている知識の影響が織り込まれないということはない。だから、書かれたことの解釈は異なるのだし、そもそも解釈なるものが自身のもつ経験や知と切り離せない。 だとしたら、そのことをむしろ積極的に利用して、読書というものをより意識的に知の創造的行為に仕立て上げた方がよいと僕は思う。 その視点に立つ際、複数冊の本を同時に読むという方法は有効だ。 1冊の本が相手だと、本と自分の1対1の関係になって解釈の膨らむきっかけが限定されてしまう状況に陥りがちだが、それが複数冊同時の読書だと、本と自分という1対1の関係から、本と本との関係が加わり、本同士の共鳴が1冊の本との間では生まれ得なかった気づきをあたえてくれることがよくあるからだ。 もちろん、いま読んでる本と過去の本の記憶でもそういうことは起こりえるが、やはり長い空白期間のある過去の記憶をたよるよりはより身近な記憶のほうが共鳴が起こりやすい。 僕自身、ソファーで読む本、寝るときに布団の…

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肉体的で演劇的!面白まじめのスタンス考(2つのパルナッソスより)

ルーヴル美術館ドゥノン翼の2階、俗にイタリア回廊と呼ばれるギャラリーには、長いまっすぐな廊下の両側にルネサンス期以降のイタリア絵画の名作がずらりと並んでいる。アンドレア・マンテーニャなどの初期ルネサンスの作品をはじめ、レオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェリ、ラファエロ・サンティなどの盛期ルネサンスの画家の作品、そして、マニエリスム期に入ってのポントルモなど、どれもこれも日本の美術館での企画展なら主役級の作品ばかりで圧巻だ。 ただ、当然ながら、その時代の絵画は多くの作品が宗教画なので、キリスト教の物語に疎い日本人には解説なしだとどう見ていいかわからなくてちょっととっつきにくい部分があるだろう。 ルーブル美術館のイタリア回廊のポントルモの「聖母子と聖アンナ」などの作品がある付近 そんな中、異彩を放つのが綺想の画家アルチンボルドによる連作「四季」なのだが、それとは違う意味でまた他の作品とは異なる印象を与えてくれる絵がある。 最近、僕のお気に入りに加わった絵たち。 アンドレア・マンテーニャの「パルナッソス」と「美徳の勝利」という2枚の歴史画がそれだ。 歴史画といっても、僕らが想像するような意味での「歴史」を描いた絵ではない。それは古代の神々の様子を描いた絵である。寓意画。 「パルナッソス」ではウェヌスとマルスのカップルが、「美徳の勝利」ではミネルヴァとウェヌスがそれぞれ描かれる。神々を描いたといっても、まわりにある宗教画とは違い、2枚の絵とも滑稽な雰囲気に満ち溢れている。 …

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とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽/ポール・バロルスキー

「ヴィッラの庭園には、ユーモラスな彫刻や、お人好しの訪問客を冗談にずぶ濡れにする剽軽な隠し噴水や、ユーモア満点に彫刻や絵画を詰めこんだ奇矯でウィット満点の人工洞窟があった」。 これが『とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽』で著者のポール・バロルスキーが描くルネサンス文化のイメージだ。 ユーモラス、冗談、剽軽、奇矯、ウィット……。 ルネサンスと聞いて、すぐさまこれらの印象を思い浮かべる人がどれだけいるだろうか。 それくらい、バロルスキーが教えてくれるルネサンスのイメージは、通常のルネサンス像とは距離があるように思う。そして、この距離感こそが僕の興味をひいたものの正体だ。僕は違和感に興味をひかれる。 「この剽軽精神のすべてを一点に凝集した感のあるのが、シエナの裕福な銀行家アゴスティーノ・キージのヴィッラである」と、バロルスキーは続けている。 ここでいうアゴスティーノ・キージのヴィッラは、ローマにある「ヴィッラ・ファルネジーナ」だろう。 その邸宅には、ラファエッロ・サンティが「ガラテアの勝利」を描いた「ガラテアの間」や、建物そのものの設計も担ったバルダッサーレ・ペルッツィによる遠近法を使っただまし絵のみられる「遠近法の間」など、ウィットに富んだ数々の作品が描かれている。 僕が興味をそそられるのは、バロルスキーが続けて書く、こんな「キージの剽軽趣味」があまりに僕らの感覚とはかけ離れているからだ。 キージの剽軽趣味はたとえば、宴会で会食…

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理解を妨げるもの

何かを新しく理解するというのはむずかしい。 目の前に理解すべき新しいものが提示されたり、新しい情報を耳にしたりすれば、新たな理解を獲得できるというものではない。見たことがないものはそれが何かを理解できないことが多いし、聞いたことのない話は理解がむずかしくて、理解していないものに関する情報はいくら提供されても理解につながるわけではない。 それは何も僕らのような人に限ったことではない。 歴史に名を残しているような科学者であっても、例外ではない。 パリの国立自然史博物館の「進化の大ギャラリー」 ルネサンス期にはじまる博物学の分野での蒐集文化は18世紀には現在のような博物館へと発展する 例えば、16世紀のイタリア・ボローニャで活躍したウリッセ・アルドロヴァンディという著名な博物学者もそうだ。 アルドロヴァンディについては「秘密の動物誌/ジョアン・フォンクベルタ&ペレ・フォルミゲーラ」という記事でも紹介したが、イタリア各地に植物を中心とした採集旅行を行い、4000を超える植物標本を残したり、それを16巻からなるカタログ化して残したり、医学・薬学の実験のための植物園などを開設したりといった博物学の歴史に大きな貢献を残したことで知られる。 そんな人でも、その功績により理解の深まりという結果を得られたかというと、そうではなかったりする。 アルドロヴァンディを主人公の一人として16世紀、17世紀のイタリア博物学の歴史を研究した『自然の占有』の著者であるポーラ・フィンドレンはこう…

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モナリザの秘密/ダニエル・アラス

さて、2017年。今年はできるだけ小出しに自分が考えたことを外に向けて言葉で表現していく年にしようと思う。 というわけで、手はじめに年末年始にかけて読んだ、ダニエル・アラスの『モナリザの秘密』という本を紹介したい。 ダニエル・アラスはイタリア・ルネサンスを専門とするフランスの美術史家。惜しくも2003年に59歳で亡くなっている。この本が僕にとっては最初のアラス体験だったが、読んでみて、すでに亡くなっていることを惜しいと感じた。そのくらい、僕にとっては、このアラスという人の考え方は興味深く好感をもてた。 さて、そんな感想をもったこの本は、そのダラスが死の数ヶ月前まで担当していたラジオ番組が元になっている一冊だ。ダラスは不治の病を悟って、この番組を担当することにしたそうだ。 講演集や対談集などもそうだが、しゃべったものを文字にした文章というのは比較的読みやすいものが多いと思う。この一冊もまさにそう。平易な言葉選びと、それほど複雑でない論理構造が、理解をしやすくさせていると感じる。 また、ラジオ番組という時間の枠が決まった中で1つの話をはじめ、完結させる必要があることもあり、25の章ひとつひとつがとてもわかりやすい流れではじまり、まとまっていく。そんな25の小分けの話がたがいにつながったり、つながらなかったりしながら、展開されていく構成は、読む側も肩肘張らずに気軽に読める感じがまた良い。 もちろん、そんな読みやすさを抜きにしても、僕にとってはアラスの思考自体がとても面白か…

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サブジェクトからプロジェクトへ(デザインの誕生4)

ルネサンスが主観と客観を発見し、マニエリスムが両者の裂け目を発見した。 前回の「主観と客観の裂け目の発見」では、その主観と客観の裂け目に対する自覚とその裂け目を埋めるために、はじめて各々が芸術的規則の創造者であろうとする人間の精神的態度がマニエリスム期に芽生えたことを指摘しました。 僕はここに「デザインの誕生」の瞬間を見ます。 客観的な世界と自分との裂け目を超えて、自らの内的構図によって外的世界を変えようとする意思とその具体的な実践。そこに僕自身が『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』で「いま自分たちが置かれた状況をすこしでも良くしようと思って仕事をしているのなら、その仕事はデザインなのです。あえて定義するならデザインとは、人間自身の生活、生き方、そして、生命としてのあり方を提案する仕事です」と定義した「デザイン」につながる精神的態度がはじめて意識として生まれたのだろうと考えるのです。

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