デザイン思考という思考の方法
最近、「デザイン思考」というものを、「デザイン」ということより「思考」ということの方に着目して、果たして、それはどんな特徴をもつ思考なのか?という風に考え直していたりします。
ついつい「デザイン」の方に目は向きがちなんですが、「デザイン思考」って何より「思考」だと思うんです。「デザイン思考」と名指されるからには、なにかしらの傾向をもった思考なんだと思って、その傾向は何かをあらためて抽出したいなと思っています。
ところで、前々回あたりに書いた「記憶とサイン(あるいは、デザインされた内面のなかで生きるということ)」というエントリーで、マクルーハンのいう印刷がもたらした「記憶力の低下」という題材を扱ったのですが、どうも読んでくださった方の中には、明らかな読み間違いをしている方がいるようでした。
脳科学的に記憶力が下がったって言えるの?とか、中には本当に「頭が悪くなったのか?」という飛躍した読みをした方もいるようでした。
当然ながら、記憶力が低下することがそのまま頭が悪くなることにはつながらないでしょう。それが成り立つためには、頭がいいということを記憶力の良し悪しだけで判断していることになります。
「脳科学的には~」という話もずれていて、印刷によって「記憶力の低下」が起きたと書いているのですから、よく考えればそれは脳の絶対的な力の変化ではなく、単に、記憶に関連する手段が変化し、かつ、基本的には記憶する必要がないという意味で特別な手段を用いなくて済むようになったという変化です。
印刷以前…