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アーカイブされるものと流れて消えるもの

最近、TwitterのTLを眺めていて不思議に思うことがある。 Twitter上で語られる言葉というのは「書かれた言葉」というより「話された言葉」みたいだと感じるのだ。 内容がそうだというのではない。たわいのないおしゃべりのような内容だから「話された言葉」のように感じるのではない。 TL上を言葉が流れすぎていく、その様が「話された言葉」のように感じさせるのだ。 それと同時に、文字というのは目の前に残り続けるものだという当たり前のことにあらためて驚かされたりする。そこにある言葉。ずっと、そこにあるなんて、という驚きだ。 日常生活での会話のように、Twitter上の言葉は蓄積されることなく、僕の目の前を通り過ぎていく。文字という視覚的な表現を用いた言葉であるのに、それは音声という聴覚的表現による言葉のように、現れては消える。 もちろん、実際には、Twitter上の言葉はちゃんと保存され蓄積されている。蓄積されているのだから、あとで見返すことも当然できる。だが、何気なく使っている限りでは、Twitter上の言葉はTLの上に次々と現れては消える人びとの声のように感じられるのだ。

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古代研究―2.祝詞の発生/折口信夫

折口信夫さんの本がおもしろくてたまりません。 先日、このブログ上でも紹介した『古代研究―1.祭りの発生』に続けて、『古代研究―2.祝詞の発生』を読み終わりました。いまはさらに続けて、『古代研究―3.国文学の発生』を読んでいます。 折口さん自身が、この本に所収の「神道に現れた民族論理」に「日本人の物の考へ方が、永久性を持つ様になつたのは、勿論、文章が出来てからであるが、今日の処で、最も古い文章だ、と思はれるのは、祝詞の型をつくった、呪詞であつて、其が、日本人の思考の法則を、種々に展開させて来てゐるのである。私は此意味で、凡日本民族の古代生活を知らうと思ふ者は、文芸家でも、宗教家でも、又倫理学者・歴史家でも皆、呪詞の研究から出発せねばならぬ、と思ふ」書かれていますが、僕も折口さんの本を読み進めながら、まさにそのとおりだと感じます。日本人の思考というものについて考えようとすれば、呪詞に立ち還ってみる努力が求められるだろうという考えが強くなってきています。 さらに範囲を広げていうなら、日本人の思考のみならず、先日の「なぜ希望の実現が情報の編集行為と結び付いているのか」でも書いたように、ことばと信念・希望といったものの関係、あるいは、それにともなうい行為としてのコミュニケーションを考えていくうえでも、呪詞や祝詞に目を向けることは非常に大切なことだと思えるのです。それはいわゆる脳科学や認知科学では手の届かない人間の思考や認知、ことばとの関係を考える方法を与えてくれるものだと思うからです。 …

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コトバとモノ

ブログを書いてる場合ではないのですが、忘れないうちにメモ(まぁ、忘れませんが)。 いわゆる狭義の人間中心設計、ユーザビリティの分野では、"Context of Use"(利用状況)を大事にします。 でも、僕自身は利用状況というコンテキストだけ重視しても人間中心のデザインにはならないと思っています。

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ポストメディア論―結合知に向けて/デリック・ドゥ・ケルコフ

「音を表わす書記法はすべて水平に書かれ、形象を表わす書記法は、中国の表意文字やエジプトの象形文字も、垂直に書かれる。さらに形象に基づく文字体系では、縦行は右から左へ読み進むのが一般的である」。 本書『ポストメディア論』は、『グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成』や『グローバル・ヴィレッジ―21世紀の生とメディアの転換』などの著作で知られるメディア論の父、マーシャル・マクルーハンの後継者であり、トロント大学マクルーハン・プログラムのディレクターをつとめるデリック・ドゥ・ケルコフによって1995年に書かれたもの。マクルーハンの後継者というポジションを示すかのように『ポストメディア論』と題された、この本はテレビやインターネットなどのテクノロジーによって拡張された人間の知覚やそれらのメディアの上で形成された集団的な意識を論じています。 「初期万葉論/白川静」、「外は、良寛。/松岡正剛」と続けてことば-文字をテーマとして扱った本を続けて紹介してきましたが、冒頭に引用した文が示すとおり、この本も人類にとっては初歩的かつ根源的なメディアである言語-文字を扱っています。そして、その本のなかでケルコフは次のように述べています。 言語は、人間心理を起動させるソフトウェアである。したがって、言語に大きな作用をもたらすテクノロジーはなんであれ、身体・感情・心など、私たちの行動全般に影響をもたらす。 デリック・ドゥ・ケルコフ『ポストメディア論―結合知に向けて』 言語に関するテクノロジーがいかに人間に…

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外は、良寛。/松岡正剛

ひとつ前のエントリーでは、白川静さんの『初期万葉論』を紹介しました。そこでは、初期万葉の時代において文字を得た日本は、社会も、歌も大きく変容したことが示されていました。ことばは文字となり、ひとつのことばが終わった瞬間です。 一方、はるか時代が下った江戸時代、ちょうど琳派の酒井抱一(1761~1828)やその弟子の鈴木其一(1796~1858)が生きた時代に、良寛(1758~1831)という越後の寒い北の地で歌を書いた人がいました。 「良寛は書くことで、書くことを捨てている人です」と松岡正剛さんはいいます。 文字というものは、もちろん言葉を情報保存するためにつくられた記号でわるわけですが、文字がコミュニケーションの維持・強化・洗練から離れて、書としてリリースされていくときには、文字が犯してきたコミュニケーションの中での罪を捨てるためにあるようなところもあります。 松岡正剛『外は、良寛。』 とも書いている。言葉を固定して保存するはずの文字が、書として刻まれると同時に自ら文字を描く指先と筆記具によってマスキングされて消える。もちろん、痕跡としての線は残るのだけれど、文字を書いている瞬間、僕らは確実に文字を自らマスキングしている。松岡さんは良寛の書にそういう感覚を受けるのだといいます。

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