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未知を知へと変換する「生きた知識」のための劇場

わからないことって日常的な思考のフレームの外にあります。 ▲パトリック・モリエス『奇想の陳列部屋』より たとえば、身近な同僚や後輩が突如会社をやめるといった場合、いつもいっしょに働いていてよくがんばってるなと感じていたりして、その人のことはそれなりにわかっていたつもりでも、急に辞めると聞くと「なんで?」と理由がわからなくって、急にそれまでわかっていたつもりのことまでわからなくなる、そんなことってあったりします。 また、顧客のことならわかっているとかいう場合でも同じで、わかっていたつもりの顧客たちが突如自社製品から離れ、他社の製品へと移っていくと、突如としてわからない対象に変化するということもあったりします。 いずれも場合もわかることの範囲の外に出ると、途端にまったくわからなさが広がっている。 わからなさの世界はとても不安に感じられ、それまでの価値観からするとまるで筋が通っていないようにも見えたりもします。 つまり、物事をわからなくさせているのって、日常をわかりやすくするための思考のフレームであって、その枠組みに当てはまらないものが不気味でわからないように感じられるように見せてしまう。 目の前にある、わかろうとする対象は同じでも、理解につながる思考のフレームワークの背景となる環境が変化するとわかる/わからないは一瞬にして切り替わるということがあるのです。 わかるためにはわかるためのフレームワークを見つける必要がある。 だから、わからないことを知ろうとすれ…

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知らないのは名詞だけではない

普段読まないジャンル/カテゴリーの本を読んでいると、知らない固有名詞がたくさん登場して、なかなか読み進められないことがある。 特に海外の文化を扱ったものは、人名や地名に馴染みがなく、イメージがわかない。 それ以外にも馴染みのない分野の本を読むと、その分野の専門用語が登場して何を言ってるのかわからないこともある。かといって専門用語を使うのは、内容をわかりにくくするからよくないなどとは思わない。専門用語がわからなければ自分で調べればよいからだ。 例えば、そのわからない用語を調べるために、別の本の力を借りる。そのことで読む本が増える。 それが本来読書の楽しみのひとつだったのではないだろうか。 過度に平易なことばばかりを使った本や、簡単にわからない用語を調べられるインターネットはそうした読書の楽しみを奪っているように思う。

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小さな音に耳を澄ます

人は何を見て何を聞いているのか? 人それぞれで物事を見る目や、話を聞きとる耳にはだいぶ差があるなと感じています。 写真を撮るのでもあらかじめ自分でこう写したいというイメージがあって撮る人と、なんとなくシャッターを切ってできた写真をみて「きれいだ」「うまく撮れた」と判断する人では、そもそもの被写体がどのくらい見えているかに差があります。 あるいは、他人の話を聞くのにも、ちゃんと相手の話の構造を聞き取りながら、相手が何を言おうとしていて、実際に話す内容のなかに相手が口にしていないことを自分の側から質問して答えてもらうくらいの聞き方ができる人と、単に相手の口からでた言葉を追っていて、相手が何を言ってるかは理解できない聞き方ではまったく違います。 物を見るのでも話を聞くのでも、あるいは情報を収集し取捨選択をするにしても、その個人差というのは実はとてつもない格差があることをはっきりと感じるようになりました。

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自分がいまどこにいるのかわかるか?

自分がいまどこにいるのかを知ることはとても大切なことです。ふだんはそんなことは当たり前すぎて自分がどこにいるのかという情報が重要なものだということを僕らは忘れがちです。 しかし、自分がどこにいて、どこにいないかがわかっていなかったとしたら大変です。 自分がどこにいるのかわからなければ、よその地域のニュースや天気予報を見て慌てたり不安に思ったりするかもしれませんし、いま土足でいるべきか靴を脱ぐべきかにも困ってしまうでしょう。 何を言ってるのか?って。 カーソルっていうものは偉大だなと思ってるわけです。 マウスとカーソルコンピュータのマウスとカーソルによるユーザーインターフェイスっていまさらながらよくできているなって感じます。自分がモニターのどこにいるかがカーソルによってわかるというのはすごく大事です。自分の現在位置がわかることで、どの方向にどれだけの距離、カーソルを動かせば、自分が押したいボタンをクリックできるか、自分が消したい文字を削除できるかが直感的にわかります。 それがもしカーソルがなかったらどうでしょう。 たちまち自分がどんな行動をするべきか、マウスをどう動かせばいいのかがわからなくなります。 おなじ意味でどのウィンドウがアクティブなのかを示すユーザーインターフェイスの表現も大事です。ウィンドウが重なっていた場合、自分がいま直接操作可能なのはどのウィンドウなのかがわからなくては困ることは多いはずです。

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生物から見た世界/ユクスキュル

『生物から見た世界』は1934年に、動物比較生理学者であったドイツ人のヤーコブ・フォン・ユクスキュルによって書かれた、科学の古典的な一冊です。 この本で、ユクスキュルは、行動は生物にとって刺激に対する単なる反応ではなく、生物の主体的な知覚が生み出す「環世界」との相互作用であると主張しています。 生物をさまざまな「知覚道具」や「作業道具」のみが埋め込まれた機械のような構造体としてみるのではなく、すくなくともそれらの機械の操作系である主体性がともに埋め込まれたものであると見做すことで、ユクスキュルは独自の思想である「環世界」というものを生み出しました。 しかしそうなれば環世界に通じる門はすでに開かれていることになる。なぜなら、主体が知覚するものはすべてその知覚世界になり、作用するものはすべてその作用世界になるからである。知覚世界と作用世界が連れだって環世界という1つの完結した世界を作りあげているのだ。 ヤーコブ・フォン・ユクスキュル『生物から見た世界』 そして、この環世界は動物ごとに異なるのだということが、ユクスキュルが本書で提起しているもう1つの視点です。

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