「途中」を開放することをサービスとして捉える
昨日ふと、「作らない」デザインどころではないのだな、と気づきました。
むしろ、僕らには「作れない」んだと思いました。
作らないデザインといったことをよく耳にするようになっていますが、むしろ、作れないと認識したほうが常識的な誤解から抜け出しやすいんじゃないかと、そんな風に思ったんです。
僕らがこれまで当たり前のように感じ享受していたはずの、完成品としての製品を作るということが社会的にもかつてほどは輝きを失いつつあるなかで、僕らは、たとえば「街づくり」といったような作れないものを作り続けるという場に立ちあうことが求められていることを各自がはっきりと自覚しなくてはいけないんだ、と。