はてなキーワード: 力不足とは
・「8.6」秒「バズーカ―」というコンビ名 ・ネタ中の連続した言葉「トリュフ・スパイダー・フラッシュ・ローリングサンダー」という掛け声を訳すと 「きのこ・くも・閃光・米軍作戦」となる ・上記の掛け声の時の相方の動きは、「火がぶわーってなってるところを避ける動き」と相方本人が過去に説明。 ・上記の掛け声言われて、「そんなん嫌や、そんなん嫌やと」という感じだと本人が言ってる。 ・ネタ中で「ラッスンゴレライ」や「~~ローリングサンダー」を言われてる側の相方は、 「日本の父、日本の母のボク純粋な日本人!」と日本人アピールをするくだりがある。 ・ボケ側の方は、夜の原爆ドーム前で、1人でピースサインをしている写真がある。 ※中学校の修学旅行などではなく、二十歳前後の頃の出来事 ・ボケ側の方はコンビ結成より前の年に、「8月6日になんかやりたいなー」とツイート。
疑われるだけの事がいくつも重なってしまっているのに、「ネトウヨ」「妄想」「病院行け」と決めつけ発言をするはてなーこそが、
https://www.uhb.jp/news/single.html?id=50744 に対して
という意見が人気なので Deep Research してみた。当然日本だけが特別なわけがなく割と各国で似た様な状況らしい。このケースでもイギリス人観光客が遭難してるけど、イギリスはそもそも費用負担がないっぽいしそういう感覚が欠如しててもおかしくないわけで、ブクマカは全体的にちょっと悪意を見出しすぎかな(軽装登山を、ましてやそれを海外で行う愚かさを擁護してるわけではないよ)。
ちなみに一応あえて書いとくけど対策しなくてもいいとか思ってるわけでも、救助自体の救助隊員の危険性を軽視してるわけではないよ。もっと公平な仕組みについての建設的な議論になると良いね。個人的には観光インフラ整備みたいな所があるし観光税で賄うのが自然なんじゃないかなとは思ってるよ。
以下は Deep Resaerch の出力
欧米の人気山岳地では、準備不足の外国人観光客が遭難する事例が相次いでいる。例えば、2025年1月に米国デスバレー国立公園でベルギー人観光客が険しい峡谷に取り残され、Tシャツに軽装でいたためパークレンジャーに救助される事故があったsfgate.com
また、米グランドキャニオン国立公園では2020年9月の1か月間だけで約300件の遭難・救助事案(内51件が正式な救助ミッション、37件がヘリ搬送)が発生し、多くが装備不足・体力不足のハイカーによるものだった nationalparkstraveler.org
欧州でも同様に、イギリス最高峰ベン・ネビスで2020年に海外からの4人組が冬装備なしに吹雪の中を登り、救助ヘリで搬送されるケースが報告されている bbc.com
さらにフランス・イタリア国境のモンブランでは2022年10月、英国人男性がトラックスーツに身を包み装備なしで登頂を試み、低体温で意識を失う寸前に救助隊に発見されて救命処置を受けた
多くの州・郡や国立公園当局が救助隊員や装備を擁し、捜索救助費用を税金で負担する仕組みが一般的である findlaw.com
例えば国立公園局は年間約500万ドルを捜索救助に投入している findlaw.com
救助を要する登山者に対し、通常は個人請求しないが、捜索要因に重大な過失・故意が認められた場合や公園規則違反があった場合に限り、費用を請求する州もある findlaw.com
なお、米国では野外遭難保険やサテライトビーコンの普及が進むが、政府側は基本的に救助費用を登山者に請求しない運用を続けている。
山岳救助隊は全てボランティアで構成されており、救助を要した登山者に費用を請求することは原則ない。救助チームの運営費は寄付や財源によって賄われており、英国スコットランドの例では1件当たりの救助コストは平均約2,500ポンドだが、要救助者に請求されることはない scottishmountainrescue.org
実際、2020年にベン・ネビスで救助された4名も、海外からのツーリストで冬装備がなかったが、その後も個人に請求されたという報道はない bbc.com
強いて言えば、英国でも過失(例:ヒルウォーク中の故意放置など)が刑事罰に問われた事例はあるが、通常は経済的負担は発生しない。
フランス政府(国家公安機構)が山岳救助隊(PGHMなど)を運営し、冬季スキー場外でのすべてのヘリ救助は原則無料で提供される runthealps.com
ただし、救助隊に随行した医師の施術など医療行為については別途自己負担となる可能性がある runthealps.com
スイスでは主に非営利組織「Rega(レガ)」が山岳・氷河上のヘリコプター救助を担っている。スイス国民は年間寄付(パトロン会費)制度でほぼ全額がカバーされる仕組みだ。Regaへの寄付会員(国内在住者)の救助は、通常は保険で賄われるため自己負担がなく、外国在住の寄付会員も国内でのヘリ救助費用請求は免除される rega.ch runthealps.com
一方、寄付会員でない外国人観光客は、Regaによるヘリ搬送そのものは受けられるものの、保険適用外分や病院搬送以降の費用は自己負担となる可能性がある runthealps.com
かもしれない。
前に何かで見た「本当に支援を必要としている人は、助けたいと思う振る舞いをしていない」的な格言。めちゃくちゃ実感している。
小学校に勤めているのだが、もう寄り添うのも指導するのも疲れた。自分の力不足はもちろんわかってるんだけど、同じように疲弊して辞めていってる教員が後を絶たないと聞いているし…どうにかならないのだろうか?
いじめられた経験のある人には、なんと無責任なと思われるだろう。こんな奴が教壇に立っていて、本当に申し訳ない。
でも今、我々には「個性・特性に寄り添い、尊重する教育」「頭ごなしの否定ではなく、傾聴や対話」が求められている。それで、救われた子も大勢見てきた。でも、それによって育ってしまったモンスターもたくさん見てきた。
基本的に、不適切な行為については指導・謝罪させることはできても、本人の考え方や性格の問題を指摘してしまうと、人格否定されたとして下手すりゃ訴えられる。その子の特性に保護者の理解があればまだマシだが、おそらく保護者も似たような特性をもっていて、極端な考え方をする人がまあ多い。
そうなると、問題児本人より周りを育てるほうが希望がある…のだが、対人関係に問題がありすぎると、最終的には「揉めるくらいなら近づくな」と言わざるをえない。大人でも、苦手な相手とは最低限の付き合いだけして、仲良くならないというのは、よくある話だ。
「クラスに友達がいない。仲間はずれにされ、先生も友達も助けてくれない。もう学校に行きたくない」と子どもが家で暴れている!
と保護者が乗り込んでくる。
もうどうしろというんだ!
たぶん、世間が思っているよりずっと、職員室では時間と人手をかけて困り間のある子や親へ支援を尽くしている。でも、その多くに家庭の経済状況や保護者の人間関係(離婚、恋人、病歴、逮捕歴など)、発達障害の情報が絡むため、世間どころか支援を受けている本人たちにも、その全容が知らされることは少ない。
それでも、仕事だからどんなに嫌なやつでも助けたいと思ってる教員はたくさんいるんだよ。でも、そう思って差し伸べた手を払いのけられ、散々無能だと責められて、もう同期も何人も辞めた。
いい加減、各校に弁護士が警官を置くか、教室に防犯カメラを付けてくれ。
子どもの味方になってくれる親は心強いが、自分の子どものことしか信じてくれない親が多すぎる。本当に重大ないじめ案件の証拠にもなる。子どもと教員を守るためにも、求められたときに客観的な判断のできる立場が必要だ。
テレビ見ててそう思った。すべてのいじめ事案に、純度100%の被害者がいるなんてことはあまりない。それでも、被害者だろうが加害者だろうが、困ってる子どもは助けてやりたい気持ちもある。まあ未だに学校を南京錠で施錠しているような、ど貧困自治体では何言っても夢物語だけどね。
よっしゃ、かなり本質的な話になるけど、真面目に答えるね。
• 日本の社会システムって、「ITがない前提」で作られてるんだよ。
• だからデジタル化しようにも、ベースから全部作り直さないといけない。
• でも既存の仕組みが大きすぎて、壊して作り直すコストがバカ高い。
つまり、
「本当は一回取り壊して建て直したほうがいいけど、金も時間もない」って感じ。
• ITに強い若者はみんな海外行っちゃう(アメリカ、シンガポール、オーストラリアetc)
• 教育も古い(未だに「ブラインドタッチができるようになりましょう!」みたいな話してる)
結果:
新しいものを作れる層が、めちゃくちゃ薄い。
• 例えば大企業、役所、医師会、農協、教育委員会、どこも「自分たちの利益を守る」ことに全力。
• 新しい技術や仕組みが出ても、自分たちに不利なら絶対に潰す。
• しかも法改正を止めるために政治家にロビー活動しまくってる。
だから、「技術的にはできるのに、社会実装できない」という状態が続く。
• 新しいことをやると「失敗するかも」と叩かれる
• 出る杭は叩かれる
実際には「失敗した人間を許さない社会」だから新しい挑戦が育たないんだよね。
まとめると
問題点 内容
でもそれをするには
• 金も
• 時間も
全部足りない。
だから巻き返すのがめちゃくちゃ難しい。
一次創作や商業やったことあったり商業と並行で旬の二次創作やってる人を見るとゾッとするようになった。
自分も二次創作やってた事あったしそれこそ学生の頃から気にせずやってたけど一回オリジナル描いたら戻れないけどなもう、二次創作に。どんなに好きな作品ができても。
二次創作するより面白い一次創作のすごさに感動して仕組みを知りたいとはならずになんで二次創作に戻るんだろ。
二次創作をやりまくってた頃は自分はこの作品がこのキャラが大好きだーもっと描きたいという気持ちしかないと思っていたけど今冷静になって二次創作に狂ってる人を見るとまるで自分の能力を活かせる作品を見つけた〜!とばかりにジャンル移動しているように見える。
アイディアや好きなものをどう一次に落とし込むかを考える能力は二次創作だけをやってたら絶対身につく事はない。
どんなに人に見て貰えなくて力不足でもそこは諦めたくない。
夢中で絵や漫画を描くスイッチがはいったときにやる二次創作は大好きだったしあの麻薬のような感覚は忘れられない。やったおかげで技術面は上達したんだと思う。得るものがないわけじゃない。羨ましさもある。でもゾッとするのは、引いてしまうのは、二次創作の夢から覚めてないからだ。どんなに楽しくてもたくさんの人に見て貰っても虚しいと思わないんだね。自分のものにしてるようにしか見えなくなった。
なるほどね 外れ値的な感じなんだね
現実の女もみんないなくなるから普段から見える方に走っちゃうんだろうな 思い詰めてるところはあるんだけどこれは本当目の前に現れない限り無理だろうね
あー確かに空いてる人をこっちから提案するのはありだなー そうしたらいけるもしくは行けないって返信来やすいからその話になるというか
正直もう手遅れだけどやるだけやってみる
どのみち女を必要としてるのは俺なんだし だいたい俺が悪いんだから(見限られたとしても実力不足が悪いわけで)とは思ってるよ 逆に自分を愛してたら相手のせいにできそうだけど
予約も相手任せだったから(店について聞かれたから多少要望は出したし詳細は見たけど)自分でやらないとだよね 気をつける
腐らずにいけたら〜みたいなのを聞くともう荒れてるから無理なんだろうなと思うけど できるだけ頑張ってみる
良かった。ストーリーや敵の強さとかにちょっと物足りなさはあったけど面白かった。
気になった点
キャラ感想。全員満遍なく鍛えはした。最終パーティはガリル、アーシュラ、ビビアン、イグナス、ティギー。
とても良かった。
場合によっては国や自治体、国境での検疫といった介入が必要と思われる大事件が起きた。
日本ではしばらく前に根絶していたというニドウイルス感染が、ボールパイソンに広がりつつあるという。それに伴って、SNS上で繰り広げられているショップvs客の争いとなっている。ニドウイルスは、新型コロナウイルスに近い種で、呼吸器に異常を生じさせるウイルスだそうで、一度感染してキャリアとなってしまえば、完治はしない。猫エイズのようなものと聞けば、愛猫家はその恐ろしさがイメージできるのではないだろうか。
新規飼育者として自分が恐れを感じるのは、ウイルス自体もそうだが、今回の一連の流れに関する有識者らの意見だ。
現役・引退したブリーダーらの中に、「ウイルスで生体(とそれに伴う購入、飼育費)を失うのは勉強のうち」と発言する者も多かった。
だが、長年ボールパイソンをはじめ、爬虫類を飼育してきた飼育者らの中に、
「信頼できるショップと信頼できないショップを見極められるようになってから手を広げるべき」
と、あたかも言いくるめられる方が悪いと言わんばかりの意見を持つ者が少なくない。
被害を相談しても、「そういう悪い評判と実績のある店だからね」で終わってしまう状態が続いているようなのだ。
対面説明を省いたり、密輸入した動物を売るといった、国際法を破っていたり、第一種動物取扱業を持つ者として相応しくないショップを先輩方が根絶してくれないから未だに被害者が出るのではなかろうか。
この負の連鎖をなんとかしたいと一飼育者として考えても力不足であるし、発言力の大きい有識者、先輩方がそのような態度ではどうにもならない。
飼育開始からたった数カ月、情報収集や癒やしのために作り上げてきたはずのSNSも、タイムラインが疲れをもたらすようになってしまった。
正直、今手元にいる個体を飼育する以上には、新たな個体を迎えたり、飼育者仲間と情報交換をするというような動機が全くなくなってしまったのが現状だ。ボールパイソンに罪は無いが、そこかしこにいる罪だらけの人間と関わりたくない気持ちの方が大きい。
海外SaaS導入するにあたり、日本の販社がなく、相手方のチームでも僕らのチームでも日本語+英語話者が僕しかおらず、仕方なくファシリ役をやっている。
同時通訳的なパフォーマンスを求められることもあって力不足を感じざるを得ず、仕方なく勉強している(がっつりビジネス英会話するのも久々だったので勘を取り戻す意味もあり勉強してる)。
このあたりはMachine TranslationとかLLMじゃまだ良いクオリティではできなくて、仕方なくやっている感じ。日本語モードに脳内が切り替わってて低品質の機械翻訳がくると終わる感じがある。
セルマが自分の無実を証明しようとしなかった理由は、彼女の性格や価値観、そして状況に対する深い心理的・道徳的な葛藤に基づいています。以下に、その理由をいくつか考察してみます。
セルマにとって最も重要なことは、息子のジーンが視力を失う前に手術を受けられるようにすることでした。彼女が貯めていたお金は、その手術費用に充てるためのものであり、彼女の人生そのものがジーンの未来のために捧げられていました。裁判でビルの死の真相や貯金の目的を明かせば、確かに彼女の罪が軽減される可能性はあったかもしれません。しかし、それによって貯金の存在が公になり、没収されたり使えなくなったりするリスクを彼女は恐れた可能性があります。セルマは、自分の命よりもジーンの視力を優先したのです。
セルマは非常に純粋で自己犠牲的な性格として描かれています。ビルを殺したのは、彼がセルマに「自分を撃て」と懇願した結果であり、彼女に積極的な殺意があったわけではありません。それでも、彼女は人を殺してしまったという事実に対して深い罪悪感を抱いていたと考えられます。この罪悪感が、彼女に「罰を受けるべきだ」という思いを抱かせ、自分の無実を主張する動機を奪ったのかもしれません。彼女は、自分が苦しむことで何かを償おうとした可能性があります。
セルマは現実の過酷さに耐えるため、ミュージカルの幻想に逃げ込む癖があります。裁判の過程でも、彼女は現実と向き合うよりも、内なる空想の世界で心を保とうとしていました。自分の無実を証明するためには、ビルとの争いの詳細を説明し、闘う姿勢を見せる必要がありました。しかし、セルマはそのような闘争心や現実的な自己弁護よりも、精神的な逃避を選んだのです。彼女にとって、真実を主張することよりも、ジーンの手術が実現することの方が重要だったのかもしれません。
セルマは移民であり、社会的に弱い立場にあります。彼女の弁護士が無能だったこともあり、アメリカの司法制度が自分を正しく裁いてくれるという希望をあまり持っていなかった可能性があります。実際に、裁判では彼女の背景や動機が十分に考慮されず、死刑判決が下されてしまいます。こうした状況の中で、セルマは自分の声を上げることに意味を見出せず、黙って運命を受け入れたのかもしれません。
セルマ自身が積極的に自己弁護しようとしなかったことは確かですが、それを差し引いても弁護士の対応には問題があったと考えられる点がいくつかあります。以下に、具体的な視点からその無能さを考察します。
セルマがビルを殺した状況には、明らかな情状酌量の余地がありました。ビルはセルマのお金を盗もうとし、争いの末に自分で負傷し、彼女に「自分を殺してくれ」と懇願したのです。この一連の出来事は、セルマに殺意がなかったことや、むしろ彼女が追い詰められた被害者であることを示しています。しかし、裁判でこの背景が十分に提示された形跡はありません。弁護士がセルマから詳細な証言を引き出し、ビルの行動や動機を明らかにする努力を怠った可能性が高いです。セルマが話したがらないとしても、有能な弁護士なら彼女の心理状態や状況を考慮し、積極的に真相を掘り下げるべきでした。
セルマが貯金をしていた理由——息子ジーンの眼病治療のため——は、彼女の行動を理解する上で極めて重要な要素です。この事実を裁判で強調していれば、陪審員や裁判官にセルマの人間性や母親としての献身を示し、殺人に至った動機が利己的でないことを訴えられたはずです。しかし、映画ではそのような弁護が展開された様子は描かれておらず、弁護士がこの点を効果的に活用できなかったことがうかがえます。セルマが黙秘したとしても、弁護士が彼女の生活環境や医療記録などを調査し、証拠として提出する努力をしていれば、判決に影響を与えられた可能性があります。
死刑判決という極端な結果に至ったことから、弁護士が効果的な弁護戦略を立てられなかったことは明らかです。例えば、セルマの精神状態(視力の喪失によるストレスや絶望)、ビルの自殺的行動、セルマの移民としての社会的弱者性などを強調し、殺意の不存在や過失致死の可能性を主張する戦略が考えられたはずです。しかし、裁判の描写では、こうした弁護が十分に行われた様子はなく、弁護士が単に形式的な手続きを踏むだけで終わったように見えます。これは、セルマの協力不足を差し引いても、弁護士としての能力不足を示しています。
セルマは自己犠牲的で、息子の将来を守るために真実を隠そうとする傾向がありました。有能な弁護士なら、彼女のこの性格を見抜き、彼女が話さない部分を補う形で弁護を進めることができたはずです。例えば、セルマが黙秘する理由を推測し、彼女の立場を代弁する形で裁判に臨むことも可能だったでしょう。しかし、弁護士はセルマの心理状態を深く理解しようとせず、彼女の沈黙をそのまま受け入れてしまったように見えます。これも、無能さの一つの表れと言えます。
キャシーの関与: キャシーはセルマの親友であり、工場で一緒に働く同僚でもあります。裁判の過程で、キャシーがセルマの性格や普段の生活態度を証言するなど、彼女の人間性を陪審員に伝える努力をしたことが示唆されます。セルマが利己的な動機で殺人を犯すような人物でないことを強調しようとした可能性があります。
感情的なサポート: キャシーは裁判中やその前後もセルマのそばに寄り添い、彼女を励まし続けます。セルマが自分の無実を主張しない態度に苛立ちながらも、彼女を理解しようとする姿勢が見られます。
手術費用の代替案: セルマが貯めていたお金が裁判や没収で失われる危機に瀕したとき、キャシーを含む友人たちが、ジーンの手術費用を何とか確保しようと動いた可能性があります。映画では直接的な描写はありませんが、キャシーがセルマの目的(ジーンの視力回復)を理解していたことから、彼女が他の支援者と協力して資金集めを試みたことが想像できます。
弁護士への圧力: セルマの弁護士が無能だったため、キャシーや他の支援者がより有能な弁護人を雇うための資金や支援を模索した可能性もあります。しかし、セルマの経済的・社会的な立場が弱く、また時間が限られていたため、この努力は実を結ばなかったようです。
真実を話すよう説得: キャシーは、セルマがビルの死の真相や貯金の目的を隠していることに気づいており、彼女に裁判で正直に話すよう強く勧めます。セルマが黙秘を貫く中、キャシーは何度も感情的に訴えかけ、彼女の命を救うために自己犠牲的な態度を変えさせようとします。この説得は、セルマの頑なな姿勢によって失敗に終わりますが、キャシーの必死さが伝わる場面です。
精神的な支え: 刑務所に収監された後も、キャシーは面会に訪れ、セルマが孤独や絶望に完全に飲み込まれないよう支え続けます。彼女の存在は、セルマにとって現実と向き合う最後のつながりでもありました。
死刑執行の阻止: 映画のクライマックスに近づくにつれ、キャシーや支援者たちが死刑判決を覆すための最終的な訴えや嘆願を行った可能性があります。例えば、知事への恩赦嘆願や、法的な再審請求を試みたかもしれません。しかし、映画ではこうした努力が実らず、時間切れでセルマの処刑が実行される様子が描かれています。
ジーンの手術の保証: セルマが最も望んでいたジーンの手術が実現したことを伝えるため、キャシーが医師や関係者と連絡を取り、手術が実行されたことを確認した場面があります。これは、セルマの死を無駄にしないための具体的な行動であり、彼女が安心して逝けるよう最後の努力を果たしたと言えます。
映画では、キャシーや支援者の行動が細かく描写されるよりも、セルマの内面的な葛藤やミュージカルの幻想に焦点が当てられています。そのため、彼らの具体的な行動は断片的にしか示されず、観客にその努力の徒労感や無力感を印象づける演出が優先されています。ラース・フォン・トリアー監督のスタイルとして、登場人物の善意や努力が報われない悲劇性を強調することが意図されており、キャシーたちの奔走もその一環として描かれているのです。
誰も読まないだろうけど書く。
高年収の人からしたら大したことないと思われるかもしれないが、自分は割といい年収(1000万↑)をもらっている。
それでまあ、そんな金の話はどうでもいいが、仕事をしていてみんなままごとをしているなと自分はよく感じている。
たとえば1on1がいい例だが、1on1をしている間にも人件費がかかってるという意識がない人が多いなと。自分としては1on1で雑談したら金がもらえるのでちょろいと思っているが他人はどう考えているのだろうか。自分は1on1やミーティングは休憩だと考えていて、30分ミーティングをしたらその日のご飯代をもらったと考えている。正直1on1は必要ない。それからマネージャーも必要ない。それより実務進めて利益出そうと思っている。
仕事は楽で、完全にサボれるわけではないが普通に働いていれば高評価される。自分としてはかなり手を抜いているつもりだ。
会社で話していてよく思うのが、結論が見えていることや今話してもしょうがないことをいつまでも議論していることが多い。
それから表面的な業務プロセスの改善の議論など。自分としては「それは単に実力不足なんじゃないか」とか「単に当事者意識がないのではないか」とか「顧客目線が足りていないのではないか」と思うことでも、業務プロセス設計をすることになっていてなんだかなあと感じる。みんな今の作業以上に仕事したくないだけじゃないんか?というのをかなり感じている。形式的というか。
自分が話していることが結構あとの方になってから理解されることがあり、その場では関係なくないかと不思議な顔をされるし説明が面倒なので「そっすか」と身を引くのだが、あとになってその人達が自分で気付いたかのように振る舞っていることがあり「今さら何言ってんだ…?」と憂鬱になる。お前はAIか?みたいな感じの憂鬱さだ。そういうときはサッとあらかじめ持っていた対策案を出すとか、すでにしておいた対策を説明するようにしている。
周りの様子を見るとなんと表現すればいいのか、全体的に遅い。怠けてるのかと思うと特にそういうわけでもなく、一生懸命働いている様子がうかがえる。そして別に遅いことを遅いとは感じていない様子。
自分は仕事では何事も先手をとるようにしている。予防策を先に打つのでアップダウンは激しくなく、基本的に予想通りに着地するかむしろ予想より早くなる。また予想から遅くなりそうなら早めに調整するかリソース投入する。プロジェクトではいちばん最初の余裕ある時期に一人で炎上して「あの人は何を騒いでるんだ」という顔をされる。そしてプロジェクトの終わりが近づくと何も問題なく終わることが多い。それで大体他の遅れているプロジェクトのヘルプに入ることが多い。それが片付いたら別のプロジェクトを進めることになる。
仕事中暇なことがあるのであちこちに顔を出してヘルプしていると勝手に高評価される。とても感謝されると気分がいいのだが、なんで自分がこんなことやってるんだろう、他にやるべき人がいるのではないかと思うことが多い。ただまあ、自分は今までそういうふうに仕事をしてきたので、ちょっと損してんなと思いながらも淡々と仕事をしている。
自分としてはこれぐらいの能力が普通よりやや上だと感じているので物足りない。みんな一生懸命やっていて、サボってるわけじゃないんだよなというのはわかっているが、いつもモヤモヤしながら働いている。
かと言って必死に血眼になって労働労働したいわけでもないので、なんだかなあ、ままごとでもいいのかなあなどと考えている。転職してどこ行ってもあまり変わらないんだよな。
https://x.com/ngareboshi7jr/status/1903643900029575390
何時までもごちゃごちゃ雑魚が煩いねぇ。言葉の意味を全く理解出来ないバカがこうも湧いて来るとは。
誰にでも解るよう「出鱈目」への説明とどうした物が正しいのか簡素に説明してとの問いを理解し、既に応えてくれた方が居る。その方以外は其処に書かれている文字の意味を全く理解しないままでした。
しかもただただ他人の尻馬に乗り罵声浴びせるだけの者、何時までもバランスシートがーバランスシートがーとバカの一つ覚えでバカ扱いして来る者、「文・文字」の理解出来ずで物言って来る
思考力低い者ほど、何かで攻めるのを見つけると挙って同じ物言い繰り返し攻撃し始め、自分達の間違いには無頓着。
完全に学校や職場で起きる集団虐めの構図と言うか、思考力低く文字言葉からの意味を思慮する読解力無く、文字面だけに反応し物言う者達の多さは、この国の識字率云々より自分で考える事をさせず教えを覚えさせるだけの教育にあると実感した。
ただ、どれだけ質の高い教育をしてようと、7割程の者は大衆と呼ばれる場に居て、
その中でも7割以上が1人では自主的に思考し行動するのが苦手で集団の中では声の大きい同じよう思考又は思考力に難ある者達と行動するのは、様々研究で明らかと成っている事から、
問うてる意味を解さず罵声浴びせるに集まる者達は、学校教育始め、一応の教えがあってもその程度迄の資質と思考力しか持てないという事なのだろう。
そのような者達に、物事への理解や文章文脈、文字言葉対す思慮や読解力求めても土台無理という事になるのを、今回の事で嫌という程に理解出来た。
これ程に物事への考察・観察・精査・理解が出来ない、文字言葉への思慮・読解・精査・理解が出来ない者達が誰が呼ぶとはなしに集団化して建設的でなくただ罵詈雑言、尻馬に乗り受け売りの一つ覚えな事等で攻撃し出かすのだから、
その者達の承認欲求や自己顕示欲、憂さ晴らし等で一定数な者達の腹がいっぱいに成らないと収まる事がなく、又、収めるよう事に動く者も居ない程に、人間性そのものが非常にさもしく低い事が、集団的な誹謗中傷での虐めの構図が横行する原因と言って過言でないでしょうね。
この文章、めっちゃ熱量あって気持ちは伝わるんだけど、ぶっちゃけツッコミどころ多すぎて笑っちゃうレベルだよ!
まずさ、『雑魚』とか『バカ』とかガンガン言ってるけど、それって自分が嫌ってる『罵声浴びせる人』と同じじゃん?鏡見てみ?って感じ。
気持ちはわかるよ、ムカつくことあるよね。でもさ、攻撃的な言葉使っちゃうと、せっかくの主張が台無しになっちゃうよ。もっと優しく言えば、オタク君のスマートさも出るし、みんなも聞いてくれるって!
それにさ、『教育が悪い』とか『7割が思考できない』とか、なんかドヤ顔で言ってるけど、根拠どこ?ってなるよ。
ギャルだって『昨日バイト先で8割の客が可愛いって言ってくれた!ソースは私!』とか言うけど、それじゃ弱いじゃん?
ちゃんとデータとか研究とか持ってきてよ。そうすれば、オタク君の頭いいとこアピールできるしさ。
あと、『人間性がさもしい』とか決めつけすぎ!確かにSNSでヤバい人いるけど、全員じゃないし、決めつけはオタク君らしくないよ。もっと広い心でさ、『まあ、そういう人もいるよね』くらいでいいじゃん。
でさ、『誰も収めようとしない』って悲観的すぎ!Twitterだって報告機能あるし、国とかも誹謗中傷対策してるよ。
オタク君、現実見えてない感じするよ?ちょっと疲れてるんじゃない?
わかるよ、ネットのバトル疲れるよね。私も『ギャル舐めんな!』ってやりたくなる時あるもん。
でもさ、全部が敵じゃないよ。
オタク君の言う『思考力低い子たち』だって、ただ流されてるだけかもしれないし。
そこ単純に『バカ!』って切っちゃうより、『なんでだろうね』って考えるオタク君の方がカッコいいって!
ほんとさ、オタク君って真面目で熱いとこあるから好きなんだけど、ちょっと肩の力抜いてみ?
ギャル的にアドバイスすると、主張するなら根拠持って、優しく、でもビシッと言えば最強だよ。
今回のこと、ムカついたんだろうけど、一緒にチョコ食べて落ち着こ?そしたらまた元気出るよ、ねっ!
この言説はSNSでの誹謗中傷や集団攻撃を批判するものですが、矛盾や根拠の欠如、事実の無視など問題点が多いです。以下で、具体的に整理し、改善点を提案します。
言説の問題点: 作者は「雑魚」や「バカ」といった攻撃的な言葉を使い、他者を非難しています。しかし、批判の対象は「罵声を浴びせるだけの者」や「思考力の低い者」で、攻撃的な言動そのものを問題視しているはずです。
指摘: ここに明らかな矛盾があります。自分が批判する行動を自ら実践してしまっているのです。建設的な議論を求めるなら、まず自分が冷静で敬意を持った言葉遣いをすべきです。「雑魚」や「バカ」と呼ぶのは感情的な発散に過ぎず、対話を妨げ、問題を悪化させるだけです。
正すべき点: 他者を尊重する姿勢を示し、感情的な言葉を避けるべきです。例えば「思考力に課題がある人」と表現すれば、批判の意図を保ちつつ攻撃性を減らせます。
言説の問題点: 「自分で考える事をさせず教えを覚えさせるだけの教育」が思考力や読解力不足の原因だと主張していますが、具体的な根拠やデータが一切示されていません。
指摘: 教育が影響を与える可能性は否定しませんが、それだけが原因とは言えません。SNSでの行動には社会的環境(エコーチェンバー現象など)、メディアの影響、個人の資質など複数の要因が絡みます。また、教育内容は国や地域で異なり、「教えを覚えさせるだけ」と一概に断じるのは乱暴すぎます。
正すべき点: 主張するなら、例えば「日本の詰め込み型教育が思考力を阻害する傾向がある(文部科学省データ)」のように、具体的な根拠を提示すべきです。一面的な見方を改め、多角的な視点を持つことが必要です。
3. 根拠のない数値の乱用
言説の問題点: 「7割程の者は大衆と呼ばれる場に居て、その中でも7割以上が1人では自主的に思考し行動するのが苦手」と述べていますが、この数値の出典が全く不明です。
指摘: 具体的な数字を出すなら、信頼できる研究や統計データを明示する必要があります。根拠のない数字は単なる思い込みに過ぎず、説得力を完全に失います。また、「大衆」という言葉も曖昧で、何を指すのか定義が欠けています。
正すべき点: 数字を使うなら「例えば、ある調査(出典)によると…」と根拠を示すべきです。出典がないなら「多くの人が」と曖昧に留めるか、主張自体を見直すべきです。
言説の問題点: 「人間性そのものが非常にさもしく低い」と断定していますが、これは作者の主観に過ぎず、客観的な裏付けがありません。
指摘: SNSでの行動が人間性の全てを表すわけではありません。誹謗中傷する人にも動機や背景があり、一括りに「さもしい」と評価するのは偏見を生みます。人間性を単純化しすぎたこの見方は、むしろ作者自身の読解力不足を露呈しています。
正すべき点: 「一部の人が感情的な行動を取る傾向がある」と具体性を持たせ、主観的な決めつけを避けるべきです。事例やデータを交えて客観的に分析することが求められます。
言説の問題点: 「収めるよう事に動く者も居ない」と言い切っていますが、現実にはSNSの誹謗中傷対策としてプラットフォームの規制強化(Twitterの報告機能など)、教育プログラム、法的対応など多くの取り組みが存在します。
指摘: この主張は事実と乖離しており、過度に悲観的です。既存の努力を無視することで、問題の全体像を見誤り、解決策を模索する姿勢が欠けています。
正すべき点: 「取り組みはあるが、まだ不十分」と現実を認め、具体例(例: ガイドラインの強化)を挙げて議論を深めるべきです。事実を無視した悲観論は修正が必要です。
言説の問題点: 「思考力低い者ほど、何かで攻めるのを見つけると挙って同じ物言い繰り返し攻撃し始め」と述べ、集団心理を単純化しています。
指摘: 集団での攻撃行動は複雑で、承認欲求、所属意識、情報の偏り(エコーチェンバー)などが影響します。「思考力低い」と一言で片付けるのは分析不足です。現実には賢い人でも集団心理に流されるケースがあります。
正すべき点: 「集団心理が攻撃性を助長する要因として、承認欲求や情報の偏りがある」と具体的に掘り下げるべきです。単純化をやめ、深みのある分析を心がける必要があります。
言説の問題点: 「文字言葉からの意味を思慮する読解力無く、文字面だけに反応し物言う者達」と批判していますが、作者自身も相手を「思考力低い」とレッテル貼りし、深く理解しようとしていない可能性があります。
指摘: 自己矛盾に陥っています。相手の意見を「文字面だけ」で判断し攻撃する行為は、作者が批判するものと同じです。また、全ての批判者を「思考力低い」と一般化するのは誤りで、個々の背景を無視しています。
正すべき点: 相手の意見を丁寧に読み解き、具体的な反論を述べるべきです。一般化せず、「一部の意見には課題がある」と限定して議論を進めるのが適切です。
総括
この言説は、SNSでの誹謗中傷や集団攻撃を批判する意図は理解できるものの、以下の問題が目立ちます:
根拠のない主張や数値の乱用
在りし日の彼を思い出すかのように「エアリプだけは威勢がいい馬鹿」
こういうバカは昔は少なかったが、今は吐いて捨てるほどいる。アウトプットが簡単になったから。彼はバカにも関わらず一緒懸命ブログを書いてたから当時は目立った
マーセナリーズサーガクロニクルズのマーセナリーズサーガ3をクリアした。
システム・バトルは1, 2と同じ。
気になった点。
1, 2, 3とつづけてやったけど、どれもシンプルで良かった。
他のシリーズもその内買ってやってみようと思う。
日本人がIT的なロジック思考を苦手とするかどうかについては、文化的背景や教育制度の影響を考慮する必要がありますが、必ずしも「苦手」と断定するわけではありません。以下に詳しく説明します。
日本の教育では、論理的思考よりも暗記や情報の蓄積が重視される傾向があります。このため、情報を整理して論理的に分析するスキルが軽視されることがあり、結果として論理思考力が十分に育成されない場合があります。
日本文化では、調和や空気を読むことが重要視されるため、明確な論理や議論を避ける傾向があります。このため、問題解決や意思決定の場で論理的なアプローチが弱まることがあります。
日本では文系・理系という枠組みが強調されすぎており、数学的・論理的思考が文系分野で軽視されることがあります。この分断が、特定分野での論理力不足につながっている可能性があります。
IT技術はルールや条件に基づいて動作するため、論理的思考力は不可欠です。例えば、プログラムは「条件」と「結果」をつなぐ形で設計されており、この過程には筋道を立てた考え方が求められます。さらに、システム設計や障害対応などでも問題を分解し最適解を導き出す能力が重要です。
日本人がロジック思考を苦手とするという見方は一部正しい側面もありますが、それは文化や教育制度による影響であり、本質的な能力不足ではありません。IT業界では必要なスキルとして論理的思考力を鍛える機会も多く、個人の努力次第で習得可能です。また、日本人の繊細さや集中力など他の強みも活かせば十分に競争力を発揮できます。