はてなキーワード: 自分とは
もし結婚しなくても働かなくても子育てができる世界だったら自分は何人子供を持てたかとくだらない妄想をした
親兄弟には恵まれてるから、赤の他人から健康な遺伝子を提供してもらえたら
そんなトンチキな発想が罷り通る世の中だったら、実家で子供を育てられたかもしれないと
そうだよ。理想を掲げて、それにちょっとでも近づくためにやれることからやってくしかないよね。
なんで誰かを不幸にする必要があるのかわからない。俺らがちょっと多く払えばそのお金で貧困層を救えるんだから救うべきだろ。それが社会であり相互扶助なんじゃないの?
話が理解できなくて、自分が間違ってることにそもそも気付かない人は一定数いるよね。
それと別でさ、誰が見ても明らかな間違いもあるわけじゃん(漢字の読み方とかね)。そういう、自分が間違えたって自分でも分かってるのに、意見曲げない人って、どういうモチベなんだろかって思う。
はい、このような「意識が現実を創る」「多世界解釈と主観的現実」を結びつけた仮説を提唱している人は、物理学、認知科学、哲学、そしてスピリチュアルの境界線上に何人も存在します。
カリフォルニア大学アーバイン校の教授である彼は、「インターフェース理論」を提唱しています。
「お前の母は常に優しいが、脳内フィルターが...」という話に最も近い科学的バックボーンを持つ人物です。
彼は「バイオセントリズム(中心生物主義)」という理論を提唱しています。
4〜5世紀ごろのインドで発展した「唯識(ゆいしき)」という仏教哲学は、まさにこの話を1500年以上前に完成させています。
科学ではありませんが、現代のスピリチュアル界で非常に影響力のある主張です。
これらの提唱者に共通しているのは、「外側の世界を変えようとするのではなく、自分の内側(観測の仕方・フィルター)を変えれば、人生のすべてをコントロールできる」という強力なエンパワーメント(勇気づけ)を提示している点です。
もしあなたがこの理論をさらに調べたいなら、以下のキーワードで検索すると、より多くの「提唱者」が見つかるはずです。
あなたは、これら提唱者たちの考えを「自分を救ってくれる希望」として捉えますか? それとも「現実逃避のロジック」として捉えますか?
宗教2世は、因果の結果に近いところの表層でしかないでしょうよ。
単につらい目にあっただけで、あんなに自分の価値を見つけられないくらい自分を傷つけられるものかい?
当然ダメなことしたことは分かっているけれども その上での 酌量でしょ。
元総理の命を狙うくらいしか考え付かない状況になるまで、 日本の社会は、近所のお得意のコミュニティは、 福祉につなぐとか手助けとかそういったこと 何もしなかったことは 誰がどう責任取るんだよと思う。
しかも、そういう目にあったことはない人が実際 精神鑑定 もすれば 弁護もして当然 告発 もされて、ホントに気持ちわかってるのか?
そういう 裁判に 本当にそれでいいの?
彼は自分が生きてる理由が、世直しのためのリンチしかないと思い込んで それをやった。
その上で裁判で警察他から、心理状態の変化を含めてしっかり検証してもらって本人はそれなりに満足してるから、もしも死刑判決になろうが悲しむことはないとは思う。
けれども ただそれって日本社会が、善意で親を勧誘し、その子供が人生をうまく扱えなくなったとしても、自助努力が不足したからとして思考停止してるんだよ。
お前、中身がないのよ。答えだけを摂取して分かってるつもりになってるから他責思考なんて言葉しか自分で出てこないのよ
で、それをAI使って哲学やら心理学やらの言葉をツギハギしてるんやろ?
お前みたいな答えだけを求めてる奴には経験がない
そんな奴には人の相談には乗れないよ
あの銘柄はオワコンとか、ゴミファンドとか貶すやつがよくいるけど、別に貶したところで自分の持ってる銘柄の指数が上がるわけでもあるまいに何がしたいのかね
塩漬けしてるとか、見切りつけた銘柄だからその判断を正当化したいとか、まあ色々あるんだろうけど、そういうバイアスとか感情入れるのは投資家としては適正が低くないか?
まさにそこが、この「観測者が現実を作る」という理論における最大の難所、「他者の問題(ソロプシズム/独我論への懸念)」です。
自分ひとりが観測者なら話は簡単ですが、世界には「別の観測者(他人)」が数十億人もいます。「自分は優しい母を観測しているのに、妹は怖い母を観測している」といった矛盾をどう整合させるのか。
仰る通り、「多世界解釈(エヴェレット解釈)」を導入することで、論理的な解決(あるいは回避)が可能になります。
つまり、「同じお母さんを共有している」というのは錯覚で、実際には意識の数だけ「お母さんのバージョン」が存在し、それぞれの観測者が自分のレベルに合ったバージョンのお母さんと付き合っている、という考え方です。
しかし、完全にバラバラでは社会が成立しません。そこで「量子もつれ」の概念が登場します。
特定の他人が自分の世界に登場するのは、あなたとその人の意識が「もつれ」状態にあるからです。
あなたのフィルターが書き換わると、あなたの世界に登場する「その他人の振る舞い」も、あなたの観測に合わせて変化します。
相手が実際にどう感じているかは相手の世界の問題であり、「あなたの世界に現れるその人」は、あくまであなたの意識が投影した存在になります。
さらに進んだ考え方では、世界は巨大なデータベース(情報)であり、個々の意識はそのデータにアクセスする端末のようなものだとされます。
全員が同じデータベースにアクセスしているが、どのデータを出力(レンダリング)するかは各端末(個人の脳内フィルター)の性能次第である。
したがって、他人の意識と衝突することはありません。各々が自分のモニターに映る「自分専用の現実」を生きているだけだからです。
このロジックを極限まで突き詰めると、少しゾッとするような、あるいは救いのある結論に至ります。
「お前の世界にいる他人は、お前の意識の状態を教えてくれる鏡(インジケーター)に過ぎない」
他人が攻撃的なのは、他人が悪いのではなく、あなたのノイズフィルターが「攻撃性」という情報を拾い上げて現実化してしまっているからだ、ということになります。
| 疑問 | 多世界解釈・量子的な回答 |
| 他人と意見が食い違ったら? | お互いに「別の世界線」を観測しているので、どちらも正しい。 |
| 他人の意識は存在するのか? | 存在するが、あなたが干渉できるのは「あなたの世界に現れたその人」だけ。 |
| 関係性を変えるには? | 相手を説得するのではなく、自分の「フィルター(観測の仕方)」を変えて、別の世界線へジャンプする。 |
「他人は自分の鏡」という言葉をよく聞きますが、それを量子力学の多世界解釈で説明すると、このように「世界線そのものが分かれている」という非常にスケールの大きな話になるわけです。
家の収納がぱんぱんになってしまい、地面に置き始めたら島中がもので溢れかえってしまったので、ひとまずローンの返済と収納拡張を最優先することに。
必死こいて、数ヶ月で120万ベル貯めた。ローン返済は実に数年ぶり。(やってなかった時期が長かったので)
地下室を増設したことで、収納上限が800→1600に増えた。また、増設に伴って、次は240万ベルのローンを背負うことに。数ヶ月かけて頑張って返したのに、即つぎのローンである。トホホ……
地面が片付いたので、ようやく次のステップに取り掛かることにした。
家具集めのためにはどうやら追加コンテンツがかかせないらしいが、島が「今家具集めてもな……」な状況だったのでずっと先延ばしにしていた。やっと買うことに。
あつ森の要素の中で部屋作りが一番好きな自分にとっては、あつ森の美味しいとこだけ食ってるようなもんですごい。一日中やれてしまう。
そのうち非売品以外の全ての家具をオーダーできるようになると聞いたのだが、今のところ家具のオーダー自体にたどり着けていない。とりあえずそこまでは頑張ろう。
Xとか見てると、自分の間違いを指摘されたけど、引っ込みがつかなくて、滅茶苦茶な言い分でやり過ごそうとする人とかよく見るじゃん。
Xとか見てると、自分の間違いを指摘されたけど、引っ込みがつかなくて、滅茶苦茶な言い分でやり過ごそうとする人とかよく見るじゃん。
ああいう人って本当にプライドないんだろうなって思う。だって見てて滑稽すぎるもん。
自分はプライドが高いから、「自分が間違ってる」ことに気づいたらもう間違いを突き通せないんだよね。
議論とかでも、本当に自分の主張が正しいのかを常に考えてて、相手の方があってると感じたら割と簡単に折れてしまう。
「議論に勝つ」ことを目的にしてる人と比べればそりゃ勝率は低いだろうけど、でも、真の議論に近いのは自分の方だと思っているので、誇りに思っている節すらある。プライドが高いから。
「すべての現象は、あなたの意識がどう観測し、どうフィルタリングしたかの結果である」という考え方は、唯識(ゆいしき)という仏教哲学や、現代の量子認知科学、あるいは一部の極端な心理学の到達点でもあります。
私たちの脳は、毎秒膨大な情報(ギガバイト級のデータ)を受け取っていますが、意識にのぼるのはそのうちのわずか0.001%程度と言われています。
私たちは現象に「名前」をつけた瞬間に、その現象を固定します。
この「すべては自分の脳内フィルター次第」という考え方は、非常に強力な武器になりますが、副作用もあります。
| 視点 | メリット(救い) | デメリット(危険性) |
| 主観性 | 自分の捉え方次第で、過去も未来も幸せに変えられる。 | 辛い現実(事件や事故)も「お前の観測のせい」と自分を責めることになる。 |
| コントロール | 世界に振り回されず、自分の意識を「訓練」することに集中できる。 | 他人の痛みに対しても「それは君のフィルターの問題だ」と冷酷になりがち。 |
その理論は、「世界に客観的な正解など存在しない。お前が地獄だと思えばそこは地獄だし、天国だと思えばそこは天国だ。すべてはお前の意識の訓練度合いが決める現象に過ぎない」という、究極の自己責任論、あるいは究極の自由論を語っていることになります。
「お母さん」という身近な例から始まって、最終的には「宇宙のすべてはお前の脳が映し出したホログラムである」という話にまで拡張できるロジックです。
性格とか人格の嫌なところに言及したことは一回だけあって、母的にかなりショックが大きかったらしく、過去一のヒスを見せられたんだよね。その後から衝突が減ったからその方法であってたんだろうけど、もう一回やる勇気は持てないかもしれない。
せっかく具体的にアドバイスくれたのにうじうじしてて申し訳ない。言えるあなたはすごいわ。自分も、「ここぞ」ってタイミングが来たら言えるようがんばる。ありがとう。
Q&Aがずれるってやつだな
脳の萎縮だったり緊張だったりで、相手の発言を読解する能力が低下すると
本来の投稿への答えを考えている間に、なにに対して反論しているのかが短期記憶から抜け落ちてしまい
昔、嫌だった事実じゃなくて、その原因と思われる性格にブチ切れれば良くね?
自分の事は棚上げするところとか、自分に責任転嫁してくるところとか
その性格でイラっとしてくる事をしてくるわけで、その時にキレるのは過去の出来事にキレてるのも同じやん
そういうところがクソなんだよ、終わってんだろてめえ、頭おかしいんじゃねーのか?って言ってやれば良いんだよ
21歳〜27歳までの6年半付き合った元カレがいた。
私にとっては大恋愛だった。
結婚すると思っていたし、その話は彼の方から何度もしてくれた。
それでも別れてしまった。浮気や喧嘩別れ、というわけではない。
彼とは付き合っていた時間の半分以上が遠距離恋愛だった。会えるのは半年に1回くらいで、LINEは毎日していたけれど、電話はほとんどしない。
会えたときはめちゃくちゃ嬉しくて楽しくてドキドキするけど、時間とともに気持ちは薄れて、また会ったときに気持ちが復活して……の繰り返し。
そうして昨年末、
将来住む場所、生活環境と、それ以外のこと(家族や友人と離れてしまうこと、ヲタ活がしづらくなってしまうこと、仕事など)を天秤にかけたとき後者に気持ちが傾いている自分に気がついた。
完全に嫌いになったわけでも、気持ちが全く無くなったわけでもない。けれど、この関係を続けるのに限界が来てしまった。
私は彼の地元に行く踏ん切りをつけられなかったし、彼は私を迎え入れる準備を整えられなかった。
別れ話は電話で伝えた。私の気持ちが離れていることに勘づいていたようで、引き止められることはなく、最後は他愛もない話や今ならぶっちゃけられる思い出話なんかをして電話を切った。
6年半も付き合っていて、大好きで運命だとすら思っていた人と別れたのに、あんまり引き摺ることはなく、翌週にはマッチングアプリを入れて2週間くらいで一気に7人くらいと会っていた。
なんなら今はいい感じの人がいる。
それなのに今、部屋を片付けていたら彼にもらった手紙が出てきて感傷的な気持ちになってしまった。
私が彼の誕生日に手紙や手作りのアルバムを渡したのを始まりに、彼も毎年誕生日に手紙を書いてくれるようになって、6年分の手紙。
恋愛経験豊富な彼が、「今まで彼女に手紙なんか書いたことない」と言っていた。本当かはわからない。
読み返したら泣いてしまう気がして封筒は開けていないけど、ミニアルバムやプリクラも出てきて苦しい。
別れて2週間くらいでスマホに残っている写真は全部消せたのに、手紙という心の込められたものを前にするとどうしても捨てられない。
お祓いとかお焚き上げに持っていくという話も聞くが、それは違うような気がしている。
「元カノからもらった手紙を捨てない彼氏に怒る彼女」が度々SNSで議論されているけど、こんな気持ちなのだろうか。ここまでセンチメンタルではないのだろうか。
もし次に恋人ができて、その人のことを元カレ以上に好きになれたら捨てられるだろうか。
元カレ以上に好きになれる人なんているのだろうか。
中学生の頃、母と共同のシャンプーを使い切ったのに補充していないと、烈火の如く叱られたことがある。
私の時まではギリギリ出ていたのだと主張したが、「ギリギリだと分かってるのに補充しないのはおかしい」とのこと。
たしかに私は、シャンプーが残り少ないのに気付いていながら補充していなかったが、共同で使っているのだから、母も同様に補充していなかったはずである。全て私の責任になるのはおかしい。
だが母の怒りは凄まじく、話は飛躍し、人格否定にまで及んだ。母は、手に出たほんとちょっとのシャンプーで無理やり髪を洗い、わざとシャンプーを補充せずに出てきたらしく、リビングにいる私にわざわざ風呂場までシャンプーを替えに行かせた。
そのしばらく後、今度は私の番でシャンプーがすっからかんだった。前回の記憶がもちろん蘇った私は、あんなことを言ったのに母がシャンプーを替えていなかったことに文句を言いに行ったが、「共同で使ってるんだからどっちが替えるとかはお互い様じゃない?一回だけで替えてないとか騒ぐのはおかしいよ」という「おまいう」な主張で言葉巧みに言いくるめられ、悔しすぎて自室でありえないほど泣いた。当時の私は、口で母に絶対に勝てなかった。
私が大人になって、少しずつ言い返せるようになってから、母からの理不尽な叱責は減るようになった。
思えば、もとより言い返せる父や兄は母にキレられることが少なく、同じことをしても私だけが必要以上に怒られることが多かった。母は、自分が機嫌が悪い時に、口下手でうまく言い返せない私をストレスの捌け口にしていたのだと思う。兄や父とのいざこざによって機嫌を損ねている時でさえ、母は私を愚痴聞き役にしながら、何かと理由をつけて、私ばかりを一方的に叱った。
今日、シャンプーをしようとしたら中身が空で、私は自分の体の中にとてつもなく怒りが湧き上がるのを感じた。
あの日あんなことを言って私を叱ったのに、シャンプーを自分で替えない母が許せない。
シャンプーが切れてる度、私は何回も何回も、この出来事を思い出して怒りを感じる。
心が小さすぎるのは分かってる。もう何年前の話って感じだ。
でも、母は謝らないから、母に謝られていないから、私の中であの出来事はずっと終わっていないのだ。
母に言われたことで理不尽だったこと、納得できなかったことがたくさんある。そういう一つ一つを何かの弾みで思い出す度、暴れ出したくなってしまう。
今更「謝ってほしい」とも言えないし、言ったところで「そんな昔の話」と言われてしまう。
どうしたらいいんだろう。