はてなキーワード: 漫才コンビとは
VFXの凄み、掛け合いの楽しさはあるが作劇がどうにも雑で盛り上がり切れない41点。
怪物が見えるせいで母親に捨てられた主人公はある日、自身が働くスーパーに現れたおちこぼれ怪物ハンターのショーン・ユーと出会う。いろいろあって実は主人公は現世と怪物界を繋ぐ門の管理者になる存在であることが分かり、現管理者は自身の立場を守るために主人公を狙う。ショーンは主人公を守れるのか守れないのか。
みたいな話。
VFXに関してはまぁ、これ安っぽいなぁって思うところもありつつ、本作の特に見どころとなっている怪物たちのヴィジュアルは非常によくできていた。序盤の大アクションに登場する雪男は強大ながらもモフモフで可愛げがあるし、ヴィランが駆る炎に包まれた謎の生物はドチャクソカッコいい。境界のバランスが歪んだ結果、大量に発生する手足の生えたオタマジャクシのバケモノみたいなのもキモカワイイ。この辺の造形はめっちゃ頑張っててよかった。
あとはショーンが駆使する式神的な折り紙。折り紙であることを活かしたいろんなフォームでぴょんぴょこ跳ねまわったり、ショーンと漫才コンビよろしく楽しい掛け合いを見せてくれる。普段は折り紙系なんだけど雪男戦ではスーパーの巨大ポスターに憑依しパワーフォームに変型、顔の部分にポスターのイケメンタレントを充てるなど芸が細かいし、実際に戦ったら紙なので何の役に立たないのもよい。
ただ、それ以外の作劇がなんか超微妙でね。
主人公は怪物が見えることで幼少期からいろいろな目に合って母親からは疎まれるし精神病だと思われて治療を受けさせられたりするんだけど、ストーリーを見てると彼女が最もこだわっているのは母親との関係に見える。そして後半に母親は精神を病んで入院しており、主人公の本来の力(怪物界と現世を繋ぐ)によって母親に毎回負荷がかかっていてそれが引き起こされていたことがわかる。
でもこの件に関して作中で特に解決がないんよね。まぁ最終的に一緒に仲良く暮らしましたってなってるんやけど、そこへの接続が不明。たぶん理屈としては大ボスとのバトルを経て自分の力を制御できるようになりましたってことやとは思うんだけど、そもそもの軋轢は「わけわからんこという自分の子供が怖い」ってことだからそこへのアンサーにはなってない。まぁ一緒に楽しく暮らす場所が半妖が経営する店だから「そういう世界もあるのね~」ってなったとも受け取れるけど、メインテーマ?の解消として弱いと感じる。
同様にショーンがクライマックスっぽい感じで「お前を守らせてくれ」って言うんだけど、やっぱりそれも主人公が抱える孤独とはまた別の話だよなぁって思った。自分だけが怪物が見えることで孤独だったことと誰かに守られたいは厳密にはイコールじゃない気がする。
後は、結局主人公は人間界と怪物界を接続する門の管理者になったん?って話はうやむやのまま話は終わっちゃうし、大ボスが門の管理者の権利をはく奪されることを異様に恐れてたけど、そもそも門の管理者の権利があると何ができるん?っていうのも作中では不明なため、なんでこんな執拗に狙ってくるんやろなぁってなっちゃう。
冒頭の雪男戦では「怪物を封印するとクリスタルになる」って話だったのに、なんか途中からショーンの兄でエリート怪物ハンターだった男がクリスタルに封印されていてその力を得ると最強になれるみたいな話が出てきて、え?そういう話だっけ?ってなるし、大ボスの手下と兄スタル争奪戦になったときに一歩及ばず相手に奪われたと思ったら、実はギミックを使ってショーンのほうが先に手を振れていたので勝った!みたいな感じになるんだけど、あ、そんな設定なんだったっけ?ってなったかな。
世界観も広がりそうな感じだけ見せておいてほとんど触れられないからよくわかんねぇなってなるし。
原作があって結構人気な小説らしいので「その辺はみんな知ってるよね」て感じになってるのかもしれないけど、その辺知らない身としてはなんか雑な脚本だなぁって思っちゃった。
まぁVFXで表現された怪物はよくできてたし、やさぐれたイケオジと陰キャ少女のハートウォーミングストーリーという伝統的な骨子の強さはあるので見てめっちゃ損したって感じにならないとは思うので、まぁ100分以内でアジア映画で暇潰したいなぁってときにはギリギリオススメ。
#真相をお話しますが失敗したことをできていたがパワーはダウン。
いろいろ考慮して61点くらいはあった気がする。暇つぶしに見る分には問題なし。
まず最初に、俺の中での勝手な落胆があってやや点数が辛めについていることは明言しておきます。
「この動画は再生できません」漫才コンビかが屋主演の短編ドラマ。投稿ホラーOVAの編集部に勤務する編集マンのかが屋Aとディレクターのかが屋Bが持ち込まれる様々な曰く付き映像を編集室で見て、映像内の出来事の違和感などからその映像の裏側を検証する安楽椅子探偵系のミステリ作品。今作はその映画化。
いきなりドラマ版のネタバレをするとシーズン1でかが屋Bが実は死んでおり幽霊だったことが明かされ、シーズン2でそれが殺人でその犯人が判明する。そしてこの映画版、だったので俺はてっきり今作ではかが屋Bの殺害の謎が解決する話だと思って挑んだんだけど、別にそんな話では全然なかったのでな~んだってなっちゃった。
内容としてはドラマシリーズと同じく、映像の謎を検証していく話。今作ではカルト作品「冬の空」のDVDの謎、ホラー系Youtuberの炎上配信、町ブラロケの映像の3つを取り上げ実はその3つの映像はすべて昔のとある事件にまつわるものだったということが判明する。
まずよかったのは「一見関係なさそうな3つの短編が1つの物語に収束されていく」快感があったこと。これは俺が#真相をお話しますで批判したポイントだったけど、今作ではそれがちゃんとなされておりある程度納得性もあるような作りになっていた。この点に関しては(2時間SPでよかったのではという点はさておき)1本の長編映画にする意味をちゃんと感じられたのでよかった。
あとそれぞれの映像の謎が一回作中で解けた上で、さらに後程二回目のそれぞれ別の側面があったことが判明する展開もミステリとして頑張っていてよかった。ただ各映像の謎自体は大きな事件のためのつなぎ的な意味合いが強くて、ドラマ版より弱くなってたのは気になった。ミステリとしての強度は当たり前だけど#真相をお話しますのほうが上だったかな。まぁあっちはゴリゴリのパスラー小説が元ネタだからしゃーないけど。
もう一つは映画内での展開が登場人物の成長という作中のロジックに合致していたこと。前述したとおり、ドラマシリーズは安楽椅子探偵的に2人が編集室内で映像の謎を検証する話になっていて、その謎が解けても2人は別に何もしない。そういう映像だったのね、おしまい。という話だが、今作では2人は初めて編集室を飛び出して問題解決に動く。
同時に編集マンであるかが屋Aが「昔はディレクターになりたがってたけど才能がなかったから編集になった」という話が明かされ、実は今でもディレクターに興味はあるが編集の仕事が楽しいと理屈をつけてそちらを見ないようにしていたことが匂わされる。そんな彼が「編集室を飛び出し」問題を解決し、作品の最後には「ディレクターとして映像作品を発表」するという展開は映画的なダイナミズムと同時にロジックとして非常にエモく美しかった。
3つの無関係っぽい映像が実はつながっていたという展開自体の結合は強いのだが、その映像が出てくる展開がめちゃくちゃ雑。「冬の空」はオカルト系出版社からなんか変だから見てと持ち込まれる。これはいい。次のYoutuberの話はその検証に疲れたかが屋Aが寝る前にかが屋Bと雑談してる途中に「そういえばまたYoutuberが炎上してましたよ」と急に言い出してその配信を見るという流れになる。そして町ブラに関してはオカルト系出版社の人から唐突に何の連絡もなく編集間に合わないからやっといてくれと投げられる。
一見無関係の映像が繋がっていくという展開が必要なのはわかるけどすべてがあまりに唐突すぎてドラマ3本くっつけました感が強すぎて流石にちょっと萎える。なんかもうちょっとうまい接着はなかったのか。
ダイナミックネタバレすると「冬の空」の撮影中にヒロインの女優が自殺してそれを隠ぺいするために監督がDVDを編集したりYoutuberを脅かしたりしてたって話になる。でも、さすがにヒロインの登場シーン全部カットするの無理じゃないか?もはやそんなもん作品として成り立たないし「だからカルト的な作品になってたのね」ってフォローはあるけど、犯人の動機が「俺の作品を残したかった」ことだと考えるとこんな作品残したいと思うか?ってシンプルに疑問。あんなに作品の完璧さにこだわった人間が作中のテロップのフォントが2種類あるなんてミスを犯すとも思えない。
映像の些細な違和感から謎を解き明かす系の作品でこの辺の細かいところおざなりにしてるの気になっちゃう。
まぁ、この動画は再生できませんの映画版としてはしっかり仕事してると思うし1本の長編作品としても成立しているので孤独のグルメ劇場版とかと比べても全然見る価値ある。アマプラで無料で見られるからドラマ版ファン、後は謎解きミステリ系が好きな人には普通にオススメ。
キリン: よろしくお願いしまーす!なぁケンジ、俺の首って長いやろ?
キリン: いやいや、これな、「高い木の葉を食べるため」ちゃうで!
キリン: 売るで!俺、そう進化したんちゃうねん。高い葉っぱしか食べられへんくて、苦労してるんや!
ケンジ: 苦労してる?なんや、お前、進化ミスって自滅したんか?
キリン: ミスったわけちゃう!サバンナに低い草いっぱいあるやん。シマウマとかウマウマ食ってるけど、俺、首と足長すぎて「草、遠い…」って泣いてるねん。
ケンジ: 泣いてる!?お前、キリン界の悲劇王気取りか?「低い草、恋しいよー!」って。
キリン: 恋しいわ!で、首が長い本当の理由は「立ったまま水を飲むため、しゃがむの疲れるから」進化したんや!「首伸ばして立ったまま飲んだろ!」ってな。
ケンジ: じゃあ草も食べられるだろ!お前、首伸ばしたなら低い草もスッと届くはずやん!
キリン: いやいや、水は高いとこにないから仕方なく飲んでるだけやねん!草は高い木の方が楽やから、そっちにしたんや!
ケンジ: 水は仕方なく!?草は高い木が楽!?お前、首伸ばして「水はしゃあないけど、草は高い方がええわ…」って使い分けたんか?
キリン: 使い分けたわ!水は地面やからガニ股でまあまあ苦労してるけど、草は低いとこグネグネするより高い木スッと届く方が楽やねん。
ケンジ: なんやそれ!お前、進化の言い訳うまいな!「水は我慢やけど、草は高いとこでええわ…」って。
キリン: せや!低い草食べようとすると首グネグネやけど、高い木なら楽チンやから妥協したんや。
ケンジ: 妥協すんな!で、水はどうなん?立ったまま飲めてるんか?
キリン: まあまあ苦労してるわ!「あと10センチ足りん!」って計算ミスって、結局ガニ股で首グイーンやねん。ライオンに「今や!」って襲われるし、ヒヤヒヤもんや。
ケンジ: ヒヤヒヤもん!?お前、進化の設計者クビやろ!「水も中途半端やんけ!」って。
キリン: 中途半端や!でも、心臓キツいし、「この辺でええか…」って妥協したんや。
ケンジ: この辺でええかって、お前、進化のやる気なさすぎやろ!でも、人間も「背高くなりたいけど無理や」って似てるな。
キリン: せやろ?で、他の動物見てみ。馬とか鹿、首と足バランスええから立ったまま水飲める。俺だけ「ちょっと待って、ガニ股や…」って。
ケンジ: ほんまやな。ゾウは鼻でズルいし。お前、不器用すぎるやろ。
キリン: 不器用やねん。結論、俺の首は「立ったまま水を飲むため、しゃがむの疲れるから」進化したんや!高い葉っぱは草が遠いから高い木の方が楽やで!
ケンジ: なんや、楽チンの天才やん!でもガニ股でまあまあ苦労してる姿、応援したなるわ。
キリン: 応援してくれ!次見たら、「俺、首頑張ったけど水は仕方ないわ!でも愛してくれや!」って叫ぶわ。
歌舞伎役者とぼんちおさむは、日本の芸能界において異なる分野で活躍する存在であり、見た目や表現の面で共通する要素があるものの、その歴史的背景や芸のスタイル、活動の場には明確な違いがある。これらの違いを明らかにするために、それぞれの特徴を比較しながら考察する。
まず、歌舞伎役者とは、日本の伝統芸能である歌舞伎において役を演じる者を指す。歌舞伎は江戸時代初期に成立し、400年以上の歴史を持つ芸能である。歌舞伎役者は、代々の家系を継承する形で育成されることが多いが、近年では門下生として修行を積み、外部からも参入できるようになっている。彼らは特有の発声法や所作、立ち回りを習得し、舞台上で洗練された演技を披露する。また、女形と呼ばれる女性役専門の役者が存在し、優雅で美しい動きが求められる点も特徴の一つである。
一方で、ぼんちおさむは、日本のお笑い芸人であり、歌舞伎役者とは異なるジャンルの芸能活動を行っている。本名は長瀬修一で、吉本興業に所属し、漫才コンビ「ザ・ぼんち」のメンバーとして活躍した。特に1980年代の漫才ブームにおいて、「おさむちゃんで~す!」の決め台詞とともに人気を博し、テレビや劇場を中心に活躍した。ぼんちおさむの芸風は、テンポの良い掛け合いとユーモラスな動きが特徴であり、庶民に親しまれる笑いを提供することを目的としている。
このように、歌舞伎役者とぼんちおさむは、それぞれの分野で観客を楽しませるという共通点があるものの、その成り立ちや演技のスタイル、活動の場において大きな違いが見られる。歌舞伎役者は長い伝統の中で技を磨き、格式ある舞台芸術を継承する役割を担っているのに対し、ぼんちおさむは現代の大衆芸能としての漫才を通じて笑いを提供している。こうした違いを踏まえることで、それぞれの芸能文化が持つ独自の魅力を理解することができる。
一緒にバックレた奴と「たりぃず」って漫才コンビ組む
海原やすよ ともこっていう漫才コンビが、毎週ゲストと買い物するだけのローカル番組なんだけどさ。
考えてみると「ようやるよなあ」と。
買い物する場所は大阪市内が多くて、梅田のショッピングモールとか人が多い場所でもよくやってる。
一般人との絡みは全くといっていいほどなく、せいぜい店員に商品の説明を聞くくらい。
まあ人の入りが少ない日時に撮影したり、スタッフたちがある程度コントロールしたり、編集で何とかしているんだろうけど。
それでも毎週、番組として成立させてるのって、とんでもないなと。
いっとくけど、やすともってベテラン芸人だし、現在でもメディア露出が多くて有名だからね。
近年でも大阪市のプレミアム付商品券はこの二人がポスターになってて、それが市内の色んな店で貼られてんのよ。
性加害うんねんは当事者たちが法廷で決着を付ければいいと思うが、気になるのは松本人志の笑いがいじめを肯定する笑いだという意見だ。
正直、理解ができない。自分の知っている松本人志とは別の誰かの話しているかとすら思った。
まったく逆だろう。
ダウンタウンの笑いとは、いじめられている人間の放つ蟷螂の斧である。
個人的には、笑いを「いじめる側の愉悦」から「いじめられる側の反撃」に変えたのが松本人志の最大の功績だと思っているぐらいなのに。
おそらく、ダウンタウンをいじめの笑いと思っている人は若い人が多いのだと思われる。その人たちにとって、ダウンタウンは物心ついたときから大御所で、昔のダウンタウンを知らないんだろうなと思う。
私が若いころ、とんねるずは嫌いだったがダウンタウンは好きだった。それはとんねるずの笑いが「いじめる人間・人生の勝者」の笑いだったのに対して、ダウンタウンのそれは「いじめられる人間・世界に居場所のない人間」の笑いだったからだ。
ダウンタウンの笑いを構成する元素は「根暗、貧乏、田舎者、友達がいない、喧嘩が弱い、勉強ができない、ブランド品を知らない、ダサい、舌馬鹿」等である。これはとんねるずとは真逆の属性であった。
ダウンタウンの笑いは、虐げられた人、世間に馴染めない人間が世間を下から見ることによって生じる笑いである。
これは言い換えればオタクの笑いである。今でこそオタク系の笑いは珍しくないが、当時は画期的だったのである(それこそダウンタウンの影響で普通になった)。
ダウンタウンがあっという間に天下を取ったのはいじめ系の笑いに対するアンチテーゼとして世間を馴染めない人間に圧倒的な支持を受けたからだった。これは若い人には信じられないかもしれないが、当時の空気感を知っている人、特にダウンタウンが東京進出してきたころに学生だった人であれば首肯いただけるかと思う。
(「笑っていいとも」レギュラーだったころの松本は、東京に馴染めず、友達がいなくて、髪はズラ、というキャラだったのを不意に思い出した)
当時はとんねるずに限らず、「おれたちひょうきん族」や山田邦子、森脇健児など陽キャの笑い、いじめの笑いが普通だった。
「明るくノリのいい奴こそ偉い、正しい。いじめる側に回れる奴が成功者」という風潮への反抗の旗手がダウンタウンであった。
松本は「俺は根暗」「根暗のほうがお笑いに向いている」と言い続けた。
松本だけではない。浜田の傍若無人もただの暴力キャラではなく、あくまで「何も持っていない若者が権威に噛みつく」キャラだった。
甲本ヒロトのように「ダウンタウンに救われた」という人がいるのは、こういう背景によるものである。
甲本に限らず、現在40代~50代ぐらいの人の中には、ダウンタウンのおかげで勇気づけられた、元気が出たと言っている人間は多い。
ここらへんのことは若い世代にも、もうちょっと知られていいことだと思う。
実際、当時のダウンタウンの影響というのはすごいもんで、全国の男子学生が松本や浜田のノリを真似していた。
もちろん、そいつらのほとんどはただの劣化品で、ダウンタウンのエレジーは理解していなかったため、ダウンタウンへの誤解が生じる原因にもなっているのであるが、なにはともあれ凄いブームであった。
今や陰キャ系の笑いは芸能界に限らずエンタメ全般に進出している。M-1などを見ても間漫才コンビのネタ作り担当は根暗そうな人間が多い。こういった一連の流れに大きな影響を与えたのがダウンタウンであることは間違いない。
もし、ダウンタウンがいなかったら、今のお笑い界の形も、エンタメもまったく違ったものになっていただろう。
いじめ・いじり、内輪受け、体育会系の部活ノリ、のひょうきん族、とんねるず系統の笑いからの脱却は、むしろダウンタウンよってもたらされたものである。
そして、「世間を下から見る」松本のスタンスは年取ってからも、そんなに大きくは変わっていないと私は思う。
ただ、ダウンタウンというネームは大きくなりすぎた。松本も『遺書』で書いているが、権威を笑う側が権威になってしまった。正直、こうなってしまってはダウンタウンが何をやってもいじめに見えるという人が出てくるのも仕方ないところである。
松本も芸能界に長く居すぎたのかもしれない。彼自身が若いころに言っていたとおり、老いる前に引退すべきだったのかもしれない。そうすれば、「ダウンタウンの笑いはいじめの笑い」などという真逆の受け取り方をされることもなかっただろう。退き時というものは難しい。
さて、長々と松本人志の笑いについて書いてきたが、私の文章を読んでも若い人にはいまいち伝わらないと思うので、実際にダウンタウンの笑いを見てみてほしい。
違法視聴なので大っぴらには言えないけれど、Youtubeで「ごっつええ感じ」「松本人志 コント」などで検索してみるといろいろ出てくる。
お見舞い、思春期、ストリッパー物語、トムとマイク、おかんとマー君、ガタンゴトン、西日本番長地図、記者会見、挑戦者、豆、日本の匠を訪ねて、悪魔、あざみ、くさや団子虫、しょうた、いかがです、ザ・バイオハンター、サラリーマンツアーズなどがおすすめだ。
これらを見ているとうすた京介をはじめとする00年代に出てきたギャグ漫画家がダウンタウンから非常に大きな影響を受けていることがわかる。
また、ピー助というコントは島袋光年がもっともお気に入りのコントだと述べているものなので、見てほしい。
Youtubeにはないもので一例をあげると「荒城の月」というコントがある。
便所の底に住む夫婦の話である。便所の底から上にある便器の穴を見上げると、便器の形に切り取られて蛍光灯の光が月のように見えるという話。「世間を下から見る」松本の世界観がよく表れている。
これらを見れば、ダウンタウンの笑いがいじめの笑いというの違うというのはわかるだろう。ここにあるのは弱者のペーソスである。
ここで言う「ラーメンズは好き」っていうのはほんとにラーメンズが好きな人のことを指すんじゃなくて
YouTubeやニコニコ動画が無法地帯だった頃にDVDの無断転載動画を見まくっていたことを棚に上げて
自分は人格者だと雑にアピールするためにラーメンズを利用していて
「今時のテレビは~」と言いながらテレビはアニメと特撮と大河以外15~20年くらいまともに見ていないし
テレビの顔=島田紳助で認識が止まっていて芸人は全員紳助のように暴力的でモラハラ体質と決めつけて職業差別を行い
ゴールデン番組=金のかかった雛壇に芸人が何十人も並び若手の頃の品川やピース綾部がぎゃあぎゃあ騒いでいる光景からアップデートされておらず
今もどの局も常にそんな番組ばかり放送しているんだろうという偏見に塗れているおじさんおばさんのことね
前置き長くなったけどこういう人たちにおすすめする芸人って誰がいるかな
ラーメンズ好きなら言うまでもないけどバナナマンは欠かせないだろう
若手なら明確にラーメンズ憧れを公表している男性ブランコ、ダウ90000、
あとは真面目そうな雰囲気のかが屋、ハナコなんかもおすすめしていいと思う
ラーメンズは好きって言う人ってサンドウィッチマンのことも同じく人格者アピールのために雑に持ち上げがちだけど
コマーシャルや広告なんかでニコニコしていて人となりが良さそう、
その点で言うと幼馴染で仲良しのサルゴリラ、愛妻家のアルピー、
再ブレイク後もごみ問題について提起し続けているマシンガンズ、介護施設での営業を盛んに行っているレギュラーもよさそう
今挙げたのはほとんどがコント師だけど漫才コンビなら令和ロマンのくるまは顔と声と動きがどことなく片桐仁に似てて中身は小林賢太郎タイプっぽいからお気に召すんじゃないだろうか
映像を学んでいた学生時代、トレーニングとしてTVの演出や映像テクニックを真剣に見るということをやっていた。
試しにみんなも3分だけでもやってみたら良い。
映像を作る技術や手間の多さに気づいて、誰しもが頭がおかしくなる筈だ。
大学を出てからは、TVを観るときは必ず突っ込むようにしている。
昔、小学校の同窓会で、「私、家に居るときにTVに向かって話しかけているの」ってヤベー奴発言をしていた女子が居たけど、彼女は正解だったと思う。
多くのTV番組なんて、子供が言葉や所作を学んだり、老人がボケ予防のために観るものだと見下した方がいい。
いつの間にかステレオタイプに毒されて、面白くない奴がダウンタウン思想に染まるように、TVから流れる空気が正解だと盲信するようになる。
「アンタと観ていると気分が悪くなる」
YouTubeにはTVのような高度な演出技術が存在していない。
最近、そんなYouTubeのショート映像に「だが、情熱はある」というドラマの宣伝が頻繁に流れるようになって来た。
こういうマーケティングだな、というのは勿論、MCバトル動画を見ている人に紐づけているのかな?と考えた。
オードリーと南海キャンディーズがブレイクするきっかけとなったM-1は当然リアルタイムで観ていた。
爆笑オンエアバトル出演から存在を知っていた2組の異色漫才コンビが、今や芸能界で超売れっ子になっているのは世も末だなと思っていた。
この「世も末だな」という言葉は、僕自身の世が末になっているという意味だ。
そんな2組の喋り口調や漫才ネタを役者達が忠実に再現している所が興味深かった。
でも、オードリーや南海キャンディーズを支持するのは自分が負け組であると認めて傷を舐め合うような情けないような気がしていたので、「オードリー良いよね」「南海キャンディーズ良いよね」なんて言う人とは近づきたくないと思っていた。
そう、世も末だということを認めたくなかったのだ。
で、このドラマのキャスティングを調べてみた所、主演の二人は現役のジャニーズアイドルだったことを知る。
ジャニーズは嫌いだ。数多の実写化作品を強引なキャスティングで潰して来た恨みがある。
それにつけて、ジャニー喜多川の性加害問題が都市伝説から公然の事実となった。
でも、このドラマはなんか気になる。
すると今度は、YouTubeで「オードリーのオールナイトニッポン」の音源がおすすめに上がって来た。
オードリー春日がプロポーズ直前の浮気をフライデーされた回だった。
YouTubeとWikipediaでオードリーの背景を知ってしまったので、機会があれば「だが、情熱はある」を観てみようと思った。
何も予定の無い平日2連休。全話観れるhuluが2週間無料らしく、一気観をした。
20年前は邪道だと否定されてたけど、現代においてナレーションによる場面展開は正当な技法として認められている。
ドラマを見ながら、ネット検索をしてドラマの再現性に感心した。
YouTubeのショートではしずちゃん役の背の低さに難色があったものの、ドラマを視聴するにつれてあまり気にならなくなっていた。
脚光を浴びたM-1の舞台でのネタを劇中で全編放送していることによって、視聴者がカタルシスを感じることが出来ていた。
役者の演技力と、メロドラマに走らない制作側の真摯さによって成立していると思った。
「作品に罪はない」
例えジャニーズが気に入らないとしても、ジャニー喜多川が死んで影響力が無くなった今、ジャニーズ事務所が強引なキャスティングをする事は難しくなった。
日本はようやく作品のクオリティだけで評価される時代が来たのかも知れない。世も末である。
けど、若林と山里の「たりないふたり」ってユニットは正直、面白く無い気がする。Twitterが大好物のロックとお笑いが好きなサブカル俗物たちに支持されてるだけに過ぎない印象だ。
これもう半分漫才コンビだろ。