はてなキーワード: 玉井とは
35歳独身。この増田を見て興味を持ち、家系図を作成しようと決意する.
https://anond.hatelabo.jp/20240521221155
お盆に実家に帰るし、その時に話のタネになるかなと思い、作成し始めたが.
作成する過程及び作って共有したことがとても充実していたので、共有する.
2024年の春から、広域交付という制度が始まり、従来戸籍のある市町村でしか発行できなかった戸籍が.
どこの市民センター、市役所でも取得することができるようになった.
なので住んでいる近くの市民センターへ行き、家系図を作りたいので、遡れるだけ遡って戸籍を取得したいと相談した.
戸籍の知識がほぼない状態でいったので、相手の言っていることが最初はわからなかった。
知っておくべきは、「結婚するまでは親(筆頭者)の戸籍に入っている」こと。
なのでまずは自分の親の戸籍を請求して、次は親が結婚するまでに入っていた祖父母の戸籍を請求する、ということを繰り返す.
あとは広域交付では、戸籍係の人が戸籍データベースみたいのにアクセスして戸籍を探してくれるが、
1件1件電話するので、地味に時間がかかる。なので早い時間に市民センターに行くべし。
家系図は馬の血統図のように単純ではなかった。兄弟の存在もあるし、私の家系の場合は、養子縁組で家系が飛んでいることがとても多かった。
例えば、父方の祖母の家は富山の松本という家であった。しかし曽祖父の戸籍をとってみると、曽祖父は玉井という家から松本家に来た養子であり、
松本家の血筋はなかった。さらに高祖父(祖父の祖父)である松本さんは、同じく玉井家から養子で来ており、親子とも玉井家の養子であった。
また、母方の祖父は秋田県の佐藤という家であったが、曽祖父、曽祖母ともに佐藤家に来た養子と婿養子であり、佐藤家の血筋はなかった。
このように、昔は養子縁組が当たり前のように行われており、私の家系は割と旧家と呼ばれる家であったことから、
家の存続のために、養子を取って子供を残すということがかなりあったようだ。
養子を出す先の家も、1回養子に出して終わりというわけではなく、時が経ち、養子元に子供に恵まれなくなった場合、養子先の家から養子先の家に別の養子を出す、という
養子の交換のようなことが行われており、家同士が強い結びつきがあることがよくあった。
親戚と話して後ほど発覚するのだが、血のつながりがないと思っていた松本家は、実は昔の玉井家に養子を出しており、
のようなことが行われており、養子交換を通じて実は松本家の血筋が生きていることが判明した.
このように戸籍を追っていることは、推理小説を読んでいるかのように、事実関係を明らかにしていく行為のようであり、とても楽しい.
さらに当時の家の関係性などを想像することができるし、さらに年配の親戚と話すことで答え合わせができるので、想像だけで終わらず、
戸籍の年代をみると、古くは江戸時代後期(弘化3年、1846年生まれの人の戸籍があった)、明治、大正、昭和と.
これは歴史に相当する話であるが、自分の先祖であるので、歴史の中に自分ごとが入ってくる妙な感覚がある
お墓参りでは、自分が物心付く前に亡くなった人のお墓をなんとなくお参りするイベントだと思っていた。
しかし家系図を作ると、このお墓には○○さんが入っていて、家系図で言うとここの人物で、自分とどういう関係の人なのか、が解像度高く理解できる.
より先祖に思いを馳せて、お参りすることができる
祖母に家系図を見せてあげたところ、この人とよく遊んでもらった、結婚式で顔を見た!、まだ生きててどこそこに住んでる、という生きた情報が聞けた.
自分にとっては紙面上の文字だけの人ではあるが、年配の祖母にとっては、思い出の中にいる生きた人物なのだ.
年寄りは昔話が好きだとよく言われるが、 若者がそれを聞いても普通は面白く感じないだろう.
だけど自分が必死で戸籍を取って、明治時代の読みづらい文字を頑張って解読し、頑張って作った家系図を作った後には
その昔話がとても面白く感じるのである。これは端的に言えば、ご先祖に対する興味が格段に向上したからである.
さらには、祖母と一緒に、本家の跡を継いでいる松本家の親戚に家系図を見せてあげようということになり、本家に行ってきた.
本家の人に家系図を見せてあげると、実はウチも家系図を作ったことがあると言って、奥からパソコンで作成した家系図が出てきた.
その家系図は、自分のように戸籍を取得して作ったものではなく、親戚から聞き取り調査を地道に行なって作成したものであった.
自分が作成した家系図と比較すると、かなりの部分は一致しているが、片方には載っているがもう片方に載っていない関係などが多数あり、お互いに補完し合える家系図であった.
ある種、答え合わせもできたし、本家の人しか知らない、戸籍では分からない情報もたくさん話すことができた。
母は私が小さい頃離婚している.
私の場合は、成人した後に母と連絡を取り合い、たまに会うことがあるが、
もし離婚した親の行方がわからなくても、自分と血が繋がった人であれば、現在どこに住んでいて、今誰と結婚しているか、子供はいるのか、などが
親の戸籍を取得すると、離婚した際に除籍されて、その後どの市町村のどの戸籍に入ったのかが分かるのだが
それを追いかけていくと、何回引っ越していようが、現在の戸籍まで辿ることができる
私の場合、母は離婚して神奈川県藤沢市で新しい戸籍を作成して独り身になり、その後横浜市でとある人と結婚し、子供が一人いることが戸籍から分かる.
もちろん母の家系も、戸籍を遡って取得することで家系図を作成することができる。
母が亡くなった際には、離婚していても、子供に相続が発生するので.
相続管理人になる人物は、母の戸籍が存在した市町村全ての戸籍を取得して、前夫の子供として私の存在を知ることになるだろう.
今度母と会った時には、作成した家系図を持って行って、疎遠になっている母方の家族の話でもしてこようと思う
除籍謄本は1通750円です。私の場合、全部で20通取得したので、15000円かかった。
大抵、明治前半〜後半の戸籍まで遡ると、それ以前は廃棄しましたと伝えられた
戸籍に入っている人の生まれが江戸時代なことはありましたが、戸主の生まれは大体明治初期が限界だった。
中学生のいとこがいるので、自由研究として一緒にやろうかとも思いましたが、結構難しいかもしれない
まず本人が、家系図やご先祖に興味を持つか、やる気があるのか、という問題に直面する
さらには、未成年だと本人確認が難しいので、親権者が一緒に行く必要があるので、一人では戸籍の取得は難しい。
親がやる気でも、結局親が子供の代わりにやった自由研究、みたいな感じになりそう。
コロナ禍で街頭募金活動ができなくて、援助を必要とする対象も増えて困窮しているというニュース(https://www.ashinaga.org/media/news-media/5174/)を聞いて、ほんとうに少額だけど寄付をしたら、丁寧なお礼状が届いた。同封の資料を読んで、つくづく立派な活動だとお思いながら(そしてなぜ国がこれをやらないんだ、せめて控除対象にしないんだと憤りながら)、でもお礼状が達筆すぎて読めない。紙モノは捨ててしまうことにしているから、書き起こして残しておこうと思う。だれか同じものが届いて読めた人は是非教えて…。(■が不明箇所です)正直、整った文章ではないけれど、高齢の父親の手紙のようでホロリときてしまいました。会長85歳だって、スゴイ。校正せずに送った広報さんも素晴らしいな~。鳩居堂の桃色の便せんに両面でびっしり書かれていたよ。
コロナ不況の中で街頭募金を春秋2回8日間完全中止したにもかかわらず、募金額は最高額を記録しそうです。あしなが募金の中心は学生たちがやる街頭募金です。昨年暮れに■■(念願?)の「百回募金」をやる予定でしたが、コロナ禍で中止。全国の200箇所の募金■所に1人の学生も立てませんでした。その悔しさと遺児の奨学金の必要性をマスコミに訴えました。50年間唯一人からやり始め仲間を■の1回に全国で2万人以上で連帯して遺児の進学させる集団にまで仲間と共に闘ってきて、私はついに記者団に叫んでしまいました。「遺児たちの進学は私が守る。どうか私たちと遺児を守って欲しい、と。キザといえばキザ。ドンキ(ホーテ)といえばドンキ!とこがその雰囲気が新聞テレビにそのまま伝わり、大反響となり、SNSが情報を拡大増幅されました。あしながの子を今助けないととばかり、4月には奨学生6,500人に1人15万円の奨学支援金を贈りました(返還不用)。第2回目として12月には20万円を年越■■支援金として奨学生全員7,600人(春より1,000人増)に1人20万円を送金した。これが15億2000万円。2回の給付金は小計25億円でした。
私が50年間私1人から仲間を増やして該当募金から諸々の寄付集めをし、推定1,100億円を集め約11万人の遺児の高校・大学等への進学を進めてきました。もちろん私たちは親を亡くした■■■に上の学校へ進学できなくなるという「不幸」「不運」を取り除き、両親が健在なら大学へ行けるという”現実”を私たちあしながが用意するということにすぎません。それをご支援くださったのがみなさま「あしながさん」です。御礼が後になってしまいましたが、”人の世は情けの貸し借り”です。誰が偉くて誰が悪いということではありません。誰ができることをやりみんながそれぞれの人生を送れるのがいいんじゃないでしょうか。ご恩を■■■いるあなたさまへの御礼が遅くなってご免なさい。感謝です。
最後に朗報です。こんどの運動の主役はSNSを巧みにあやつる10代後半から30代の私とは50才も若い仲間です。ここに一番の喜びと、運動の未来を感じます。頼んだよ!!未来はいつも若者の手にあります。多くの若者の新たに参加されんことを願って‼
ご支援者とくに新たに参加された人々へ
1 斎藤 佑樹 投手 1988/06/06 32歳 11年 176cm 77kg A型 右右 群馬 1,250万円
2 杉谷 拳士 内野手 1991/02/04 30歳 13年 173cm 78kg B型 右両 東京 3,500万円
3 王 柏融 外野手 1993/09/09 27歳 3年 182cm 93kg 不明 右左 台湾 15,000万円
4 谷口 雄也 外野手 1992/06/01 28歳 11年 182cm 90kg B型 右左 三重 1,500万円
5 大田 泰示 外野手 1990/06/09 30歳 13年 188cm 93kg O型 右右 広島 13,000万円
6 中田 翔 内野手 1989/04/22 31歳 14年 184cm 106kg O型 右右 広島 34,000万円
7 西川 遥輝 外野手 1992/04/16 28歳 11年 181cm 79kg A型 右左 和歌山 24,000万円
8 近藤 健介 外野手 1993/08/09 27歳 10年 171cm 85kg O型 右左 千葉 19,500万円
9 中島 卓也 内野手 1991/01/11 30歳 13年 178cm 75kg A型 右左 福岡 8,000万円
10 清水 優心 捕手 1996/05/22 24歳 7年 185cm 89kg A型 右右 山口 2,400万円
12 松本 剛 外野手 1993/08/11 27歳 10年 180cm 82kg AB型 右右 埼玉 2,100万円
13 生田目 翼 投手 1995/02/19 26歳 3年 176cm 88kg A型 右右 茨城 920万円
14 加藤 貴之 投手 1992/06/03 28歳 6年 182cm 90kg AB型 左左 千葉 5,400万円
15 上沢 直之 投手 1994/02/06 27歳 10年 187cm 88kg A型 右右 千葉 8,500万円
17 伊藤 大海 投手 1997/08/31 23歳 1年 176cm 82kg O型 右左 北海道 1,500万円
18 吉田 輝星 投手 2001/01/12 20歳 3年 175cm 85kg AB型 右右 秋田 1,030万円
19 金子 弌大 投手 1983/11/08 37歳 17年 180cm 77kg O型 右左 新潟 3,500万円
20 上原 健太 投手 1994/03/29 26歳 6年 191cm 90kg A型 左左 沖縄 1,700万円
21 清宮 幸太郎 内野手 1999/05/25 21歳 4年 184cm 103kg O型 右左 東京 2,200万円
22 鶴岡 慎也 捕手 1981/04/11 39歳 19年 176cm 78kg A型 右右 鹿児島 3,000万円
23 渡邉 諒 内野手 1995/04/30 25歳 8年 178cm 84kg B型 右右 茨城 5,500万円
24 野村 佑希 内野手 2000/06/26 20歳 3年 187cm 91kg O型 右右 アメリカ 880万円
25 宮西 尚生 投手 1985/06/02 35歳 14年 180cm 80kg O型 左左 兵庫 25,000万円
26 淺間 大基 外野手 1996/06/21 24歳 7年 183cm 82kg B型 右左 東京 1,150万円
27 古川 裕大 捕手 1998/06/19 22歳 1年 182cm 88kg A型 右左 福岡 900万円
28 河野 竜生 投手 1998/05/30 22歳 2年 174cm 84kg O型 左左 徳島 1,750万円
29 井口 和朋 投手 1994/01/07 27歳 6年 175cm 78kg O型 右右 神奈川 2,600万円
30 宇佐見 真吾 捕手 1993/06/04 27歳 6年 181cm 94kg O型 右左 千葉 2,400万円
31 村田 透 投手 1985/05/20 35歳 8年 183cm 83kg O型 右左 大阪 1,600万円
32 谷内 亮太 内野手 1991/02/03 30歳 9年 177cm 82kg B型 右右 石川 1,300万円
33 立野 和明 投手 1998/04/03 22歳 2年 181cm 87kg O型 右右 愛知 1,000万円
34 堀 瑞輝 投手 1998/05/10 22歳 5年 177cm 80kg A型 左左 広島 2,800万円
35 西村 天裕 投手 1993/05/06 27歳 4年 177cm 94kg O型 右右 和歌山 1,900万円
36 バーヘイゲン 投手 1990/10/22 30歳 2年 199cm 106kg 不明 右右 アメリカ 13,000万円
37 柿木 蓮 投手 2000/06/25 20歳 3年 181cm 89kg A型 右右 佐賀 520万円
38 石井 一成 内野手 1994/05/06 26歳 5年 182cm 80kg O型 右左 栃木 1,800万円
39 秋吉 亮 投手 1989/03/21 31歳 8年 183cm 88kg A型 右右 東京 5,000万円
40 福田 俊 投手 1996/12/14 24歳 3年 171cm 73kg A型 左左 北海道 1,250万円
41 B.ロドリゲス 投手 1991/07/06 29歳 4年 196cm 111kg 不明 右右 ドミニカ共和国 3,500万円
43 長谷川 凌汰 投手 1995/11/08 25歳 2年 188cm 97kg A型 右左 福井 520万円
44 アーリン 投手 1990/10/08 30歳 1年 183cm 86kg 不明 左右 アメリカ 8,000万円
45 平沼 翔太 内野手 1997/08/16 23歳 6年 179cm 80kg A型 右左 福井 1,400万円
46 田中 瑛斗 投手 1999/07/13 21歳 4年 184cm 78kg A型 右左 大分 560万円
47 鈴木 健矢 投手 1997/12/11 23歳 2年 176cm 78kg O型 右左 千葉 880万円
48 上野 響平 内野手 2001/04/26 19歳 2年 172cm 73kg A型 右右 大阪 530万円
49 公文 克彦 投手 1992/03/04 29歳 9年 173cm 83kg A型 左左 高知 5,000万円
50 五十幡 亮汰 外野手 1998/11/27 22歳 1年 171cm 67kg B型 右左 埼玉 1,100万円
51 石川 直也 投手 1996/07/11 24歳 7年 192cm 90kg A型 右右 山形 4,500万円
52 池田 隆英 投手 1994/10/01 26歳 5年 181cm 85kg B型 右右 佐賀 650万円
53 R.ロドリゲス 内野手 1992/04/17 28歳 1年 183cm 81kg 不明 右右 ドミニカ共和国 4,000万円
54 玉井 大翔 投手 1992/06/16 28歳 5年 178cm 79kg A型 右右 北海道 5,600万円
55 難波 侑平 内野手 1999/05/06 21歳 4年 178cm 81kg B型 右左 岡山 520万円
56 細川 凌平 内野手 2002/04/25 18歳 1年 174cm 75kg A型 右左 京都 520万円
57 杉浦 稔大 投手 1992/02/25 29歳 8年 190cm 90kg A型 右右 北海道 3,700万円
59 根本 悠楓 投手 2003/03/31 17歳 1年 173cm 78kg O型 左左 北海道 520万円
60 郡 拓也 捕手 1998/04/25 22歳 5年 179cm 86kg B型 右右 東京 550万円
61 今川 優馬 外野手 1997/01/25 24歳 1年 177cm 87kg A型 右右 北海道 840万円
62 望月 大希 投手 1998/02/01 23歳 2年 187cm 88kg O型 右右 千葉 790万円
63 北浦 竜次 投手 2000/01/12 21歳 4年 184cm 96kg AB型 左左 栃木 720万円
64 田宮 裕涼 捕手 2000/06/13 20歳 3年 175cm 82kg A型 右左 千葉 530万円
65 梅林 優貴 捕手 1998/03/14 23歳 2年 173cm 82kg A型 右右 広島 700万円
66 万波 中正 外野手 2000/04/07 20歳 3年 192cm 97kg A型 右右 東京 530万円
67 片岡 奨人 外野手 1997/11/16 23歳 2年 184cm 81kg O型 右左 北海道 700万円
68 石川 亮 捕手 1995/07/20 25歳 8年 181cm 85kg O型 右右 神奈川 1,100万円
70 今井 順之助 内野手 1998/05/25 22歳 5年 176cm 91kg A型 右左 岐阜 510万円
91 髙濱 祐仁 内野手 1996/08/08 24歳 7年 185cm 90kg B型 右右 佐賀 550万円
93 樋口 龍之介 内野手 1994/07/04 26歳 2年 168cm 91kg A型 右右 神奈川 520万円
111 宮田 輝星 外野手 1997/12/02 23歳 2年 177cm 75kg A型 右両 鹿児島 300万円
114 松本 遼大 投手 2002/05/17 18歳 1年 187cm 96kg A型 右右 岩手 260万円
115 齊藤 伸治 投手 1998/06/13 22歳 1年 181cm 83kg B型 右右 千葉 260万円
144 海老原 一佳 外野手 1995/09/13 25歳 3年 189cm 97kg A型 右左 東京 360万円
148 高山 優希 投手 1998/05/17 22歳 5年 181cm 82kg O型 左左 大阪 440万円
また玉井さんのはなししてる(してない)
twitter+Instagram+Facebookのフォロー数を足した数を戦闘力とする(2018年1月時点の数字)
―(スーパーサイヤ人の2倍)―
―(フリーザフルパワー1億2000万)―
https://lab.syncer.jp/Document/Twitter/Follower/
http://www.talentfb.com/follower/12/
問題ある派
└圧力あった派:総理がお友達を優遇とか駄目に決まってるだろパククネかよ。
└黒派:文科省職員のメモが複数ある時点で明らかに黒だよ。でなけりゃ全員で嘘の文書を作ったとでも言うのか。
└グレー派:黒とは言い切れないけど面会の記録とか状況証拠は怪しいよ。刑事裁判じゃないし政治家として信用できるかの問題だよ。
└嘘つき派:口利き自体は問題ないよ。ただ知らぬ存ぜぬと嘘ついてるのが駄目だよ。
└真相究明派:どっちかは分からないからこそ逃げ回って真相究明に消極的に見えるのが駄目だよ。
└加計孝太郎嫌い派:逃げ回ってるし豪遊してるし印象悪いよ。政商の臭いがプンプンするよ。
問題ない派
└圧力なかった派
└白派:前川は性人だし文科省メモは怪しいしそっちこそ信用できないよ。
└疑わしきは罰せず派:白とは言い切れないけど叩いてる側が明確な証拠を出せない以上は無罪だよ。
└あったとしても無問題派
└合法派:別に違法じゃないよ。口利きは政治家として普通だよ。
└規制改革派:岩盤規制を突破するためやったんだから正しいことだよ。
└どっちもどっち派:民主党も今治で進めてたし玉井は獣医師会から献金もらってるよ。あと蓮舫。
└どうでもいい派:もっと重要な問題を議論すべきだよ。政治の停滞だよ。
└野党嫌い派:とにかく野党とマスコミが嫌いだから擁護するよ。
└諦念派:ぶっちゃけ怪しいけど経済や外交のために目をつぶるよ。
派生して、加計学園が今治に開校することが適格かどうかでも争ってる。
適格派:獣医師が足りてないよ。今治市の長年の悲願だよ。獣医師会が岩盤規制で邪魔してただけだよ。
不適格派:獣医師は足りてるよ。Fランの加計より京産大だよ。クソ大学を防ぐためにある程度の規制は必要だよ。銚子は加計のせいで大赤字だよ。
関係ない派:それと圧力とは別問題だよ。「結果的に適格だけど圧力は許されない」「不適格だけど圧力はなかったorあったけど問題ない」どちらもあり得るよ。
フィリピンで陸軍の航空特攻を指揮。マッカーサー軍が迫ってくると、司令部の許可なしに側近と芸者とウィスキー瓶のみを載せて台湾に逃亡。天寿を全うする。
陸軍特攻の中心だった第六航空軍の司令官。10代の少年を特攻隊を次々を送り出し、エンジン不調などで戻ってくると「卑怯者!俺も後で行く!」と殴り倒した。
敗戦で部下が自決をすすめたが「死ぬのだけが責任を取る事ではない」と逃げ回り、96歳で天寿を全うした。
菅原道大の部下で第六航空軍の参謀。特攻隊を次々と送り出し、機体不良で戻ってきた搭乗員を監禁して毎日毎日
「死ねないようないくじなしは特攻隊の面汚しだ。国賊だ!」と罵り殴りまくった。悔しさのあまり自殺したものもいる。
戦後は元特攻隊員の復讐を恐れてピストルを持ち歩き、寝る時は枕元に日本刀を置いて寝た。天寿を全うする。
「待て!お前は特攻隊で死んでもらう事になっている」と輸送機から引きずりおろし、自分が乗り込んで本土へ帰っていった。
残酷な人間魚雷「回天」を立案。「必ず脱出装置を付けます」と嘘をついて認可を得た。
戦後は会社社長として何不自由ない暮らしを送る。宇垣纒の戦争体験手記を遺族から借り出し、自身に都合の悪い部分を破棄した。天寿を全うする。
東大教授の玉井克哉が twitter で発言して、話題を呼んでいる。
「残業100時間は何が何でも悪いんじゃ?、ガー」という人が次から次へと沸いてきて驚いているんだけど、そういう人は、震災の後の自衛隊員が何時間働いたか、想像つかないのかな。あのときに「けしからん、長時間労働は止めさせよ」と言ったんなら、首尾一貫するとは言える。賛成はしないけどね。
これに対して、前後の発言を読め、という批判があったので、読んでみた。10月09日の発言。
http://twilog.org/tamai1961/date-161009/asc-nort
http://twilog.org/tamai1961/date-161010/asc-nort
要するに、「月 100時間の残業以外にも問題点はある」と言っている。それだけだ。
ま、それだけならば、めくじらをたてるほどのこともない。ただし、上記引用部のツイートは、たとえが悪い。「震災の後の自衛隊員が何時間働いたか」なんて、全然別の話だし、これを出せば、「月 100時間の残業は問題点はない」と言っているのも同然だ。当然、批判される。
本人がいくら、「月 100時間の残業以外にも問題点はある」というつもりだ、としても、その趣旨では受け取れない。単に上記ツイートだけを見て、「月 100時間の残業は問題点はない」と言っていると理解される。
ま、本人からすれば、「誤解された」というつもりなのだろうが、そのつもりだとしても、そういう趣旨の文章になっていない。自分の意図したとおりの文章を、自分で書けていない。文章力が低いせいで、意図が伝わらない文章になった、とも言える。
以上をまとめれば、こう言える。
「まともな論説を書きたければ、ツイッターなんかに書くな。ブログなどを使って、ちゃんと長文で書け」
学者ならば当然、そうするべきだ。140字の制約のある短文しか書けない媒体を使うなんて、根本的に狂っている。
その上で、表現未熟・推敲未熟な文章を書いて、「誤解された・誤読された」と勝手にわめいている。自分で自分の首を絞めていることに気づかない。
この人は基本的に、文章能力が低すぎる。だから、 twitter なんていう媒体を使っている。そのあとで、自分の文章能力の未熟さを、「短文しか書けない twitter のせいだ」と責任転嫁している。
バカを言え。そんな媒体を選んだのは、自分自身だろうが。すべては自分の責任だろうが。
この人に忠告しておこう。
と。
とはいえ、いくら忠告しても、それは実行されないだろう。なぜならこの人にはもともと長文を書く能力がないからだ。それがあるなら、とっくに実行している。
結論。
「まともに長文を書けないほど文章能力が低くても、東大教授になれる」
「一日中 ツイッターなんかをやっているような人間は、たとえ東大教授であっても、ニートと同類だよ」(まともな研究もできないし、まともな長文も書けない。)
ブコメに返信
あなたは誤読しているようだが、私は「玉井教授には業績がない」と言っているのではない。「 twitter をやっていると、仕事をする時間がなくなる」と言っている。当然ながら、それが影響するのは、 twitter をやり始めてからだ。上記のリンクページによると、
とあるから、この日以後についてのみ成立する。それ以前については関係ない。( twitter の影響はない。)
ここで書く内容は、単純に http://anond.hatelabo.jp/20130715205106 の続編として用意してきたものだ。
しかし、山本一郎氏と量子的重ね合わせ状態にある一国会議員による天皇直訴事件がおき、それに関連しての下村博文文部科学大臣のコメント http://sankei.jp.msn.com/life/news/131101/edc13110110070000-n1.htm を読んだときには、さすがに開いた口がふさがらなかった。
おまゆうううぅぅぅwwwwwwwwwwww
以下、『NEWあしながファミリー』第129号、2013年(平成25年)9月1日(9・10月号)あしなが育英会、の下村文科相へのインタビューより。聞き手は玉井義臣あしなが育英会会長(NEWあしながファミリー編集長)。太字強調は引用者=増田による。
確かに招致運動には汗をかきました。JOCを所管する文部科学省の大臣として、いわゆるロビー活動にはかなり精力的に動き、それが招致につながったと自負しています。
内外問わず直前のマスコミの下馬評では、東京は劣勢でした。そこで、高円宮妃殿下に開催都市が決まるIOC総会へのご出席をお願いしたのです。
開催都市投票権を持つIOC委員の多くは、日本の皇室への尊敬の念が高い。それに妃殿下は語学に堪能でいらっしゃる。どうしても招致スピーチにお願いしたかったのです。
玉井:それでご出席いただいたのですね。
いやいや、そう簡単な話ではなかった。宮内庁長官にお願いしたのですが、皇室の政治利用だと最初は断られました。そこで、私が宮内庁まで直接出向いて長官と押し問答を繰り返し、二度目にようやく内諾を得たのです。
玉井:よく了解が得られましたね。
いや、正確に言うとIOC総会ご出席に関しての了解ではなかったのです。ご存知のように妃殿下は日本サッカー協会名誉総裁でいらっしゃったので、南米サッカー連盟の招待を受けてアルゼンチンをご訪問いただく。その折、IOC委員に、東日本大震災に関する各国からの援助に対する返礼のご挨拶をしていただきたいとお願いしました。
玉井:で、ようやくブエノスアイレスでのIOC総会を迎え一安心でしたか。
それが、そうでもなかったのです。最後まで宮内庁は妃殿下の招致スピーチは駄目だと言う。最後の最後、妃殿下のスピーチ直前に電話をかけても了解はとれなかったのです。
玉井:ほう、それでどうなさったのですか。
最後は私自身が決断しました。妃殿下ご自身からは了解を得ていましたから、御礼のスピーチをしていただいた後もその場に残っていただきました。また、妃殿下は一人を除くIOC委員全員と、親しくお話されたのです。
以上。私はこれが法に触れるかどうかは全くわからないが、すくなくとも、普通の日本語で言う「皇族の政治利用」にあたるのは間違いないと判断する。また、モラル的にもどうかと思う。ウヨではないけど、下村文科相の発言から皇族に対する深い敬意を感じ取ることは到底できない。さらに、こんなことを得意満面にべらべら喋って、国務大臣としての自覚はあるのだろうか?
そして何より情けないのは、これが「汗をかいたロビー活動」の内容、ということだ。外国のIOC委員に対する働きかけというのは、お前が中心になってやらなきゃいけないことだろ? お前は、外向けにいったい何をしたんだ? こんな人間が文部科学大臣、というのが今の日本の政治の水準をあらわしている。
前の増田では、鈴木宗男氏に似てると書いたが、鈴木氏はそれでも佐藤優氏というブレーンのおかげもあってロシアに対して実際にいろいろ働きかけることはできた。下村氏のこの徹底的に内向きな志向は、早大雄弁会の先輩森喜朗氏から正統な後継者として伝えられたものだろう。