はてなキーワード: 水上勉とは
最近、昭和のドラマや映画を観るようになった。解像度の高い映像で当時の作品をじっくり楽しめる環境が整ったこともあり、作品の細部にある仕掛けや意図が見えるようになり、改めて面白さを感じている。そんな中で観た「はなれ瞽女おりん」(1977年)は、篠田正浩監督の名作といわれる一本だ。
正直、この年齢になるまで篠田監督の作品を観たことがなかったが、この映画は素晴らしかった。明治から大正にかけての日本の「原風景」を映し出すという監督の意図は、見事に画面に現れていた。しかし、単に美しい風景を描くにとどまらず、登場人物の人間性や時代の矛盾を深く掘り下げた内容に感銘を受けた。おそらく20代の若いころにみていたら、おりんカワイソス以外の感想が残らず、忘れさられてしまっていただろう。年齢を重ねて初めてわかる名作というのがある。
映画の中心となるのは、瞽女であるおりん(岩下志麻)と脱走兵の鶴川(原田芳雄)の物語だ。二人とも社会から周縁化された存在だが、その中でもおりんの「はなれ瞽女」という立場は二重の周縁性を持っている。彼女が瞽女共同体である高田の一座から追放された理由は、禁制の「男との関係」があったためだが、それは彼女自身の選択ではなく、レイプによるものだった。
そんなおりんに寄り添い、導き手となる鶴川は、物語が進むにつれてその人物像の不整合が明らかになっていく。「天涯孤独」と語りながらも、家族の存在がほのめかされ、ついには母親の存在を告白するシーンは映画のクライマックスとなる。この告白が、おりんにさらなる絶望をもたらす。
この物語が描かれる背景には、明治維新に始まる天皇を頂点としたイエ制度による国民統合の矛盾がある。家父長制のもと、人々は家や国家という枠組みに縛られていた。おりんと鶴川に共通するのは、このイエからの周縁性だ。
天皇を頂点としたイエ制度は、乱暴にいってしまえばそもそも江戸時代の「家中=藩」にならって編み出された。江戸時代においては「家中」が人を従わせ、結束させる機構だった。幕末の志士たちが思いつくことのできた次の時代の国民統合の在り方は、やはりイエだったということだ。この点が王を承認する倫理的な神を持つヨーロッパの統治と異なっている点だ。国の危機を前にしても藩同士がいがみ合うならば、ということで、もっと大きな家中=イエにしてしまえばよい、という発想が明治維新だ。天皇を頂点として、家父長制に結合させ、国、地域共同体、世帯すべてのレベルで上から下まで論理的に整合する入れ子構造にするために、寺子から氏子へと転換する廃仏毀釈という荒業まで行った。イエの主従関係は、現代にいたるまで日本人のDNAとまでいえるほど根深い。嫁姑、上司部下、先輩後輩など。どんなに言っていることがおかしくても絶対である、という点で共通の倫理だ。この「家」の概念は、主君への忠誠のもと、等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠すことになった。
大正デモクラシーはそうした不条理を解決する機運として盛り上がりを見せたが、やがて不況が日本を襲い、財閥と大地主の利害を代弁した立憲政友会に幻滅し、人々の失望とともに大正デモクラシーは終焉を迎えるのだ。当時、腐敗した政治が毎日新聞をにぎわせた。
脱走兵であることが官憲についにバレて拷問されたときの鶴川の叫び「何が、国民皆兵だ。金持ちの徴兵逃れで、俺が引き受けただけだ」というセリフは、その矛盾を端的に表している。明治維新で構築された家制度の矛盾を背景に、映画は鶴川の叫びやおりんの境遇を通じてその時代の不条理を描いている。
また、瞽女たちが社会の中で次第に居場所を失っていく様子もこの映画は巧に表現している。鉄道の普及が、農村部を含め人々の娯楽へのニーズの変化をもたらし、ひいては彼女たちの文化を衰退させたことや、彼女たちが生き残りをかけて変化を迫られた様子は、急速な近代化による価値観や生活の変化を象徴している。
そうした社会状況のなか、おりんは一座から破門され、「はなれ瞽女」となってからは一人で生きてゆく覚悟を決めた女性だった。旅の途中で長岡のはなれ瞽女(若いころの樹木希林)と出会うシーンでは、斜陽化する瞽女文化のなかで自立を模索する様子がうかがえた。またおりんも同じ境遇のはなれ瞽女と出会いを通じて、自立して生きてゆく勇気と自信を得ていたように見えた。しかしやがて愛する男との別れを契機に、おりんは猛烈な不安に襲われる。それは周縁であるがゆえの存在論的な不安だ。
この映画で特に印象的だったのは、男女の「帰る場所」の非対称性だ。
鶴川が官憲に連行される直前、おりんは鶴川から思わぬ告白を受ける。
鶴川の、ごめん実は家族がいるんだ、という告白に、留置所の小窓にかけたおりんの手が崩れ落ちるような衝撃を受ける。このときの岩下志麻の演技すごい。
このシーンに二重写しで思い出した映画がある。それは「駅station」降旗康男監督(1981年)。大晦日に一人飲み屋のおかみさんと熱燗を飲むシーンでおかみさん役の倍賞千恵子がいうセリフだ。
水商売やってる子には暮れから正月にかけて自殺する子が多いの。なぜだかわかる? 男が家庭に帰るからよ。どんな遊び人もこの時期は家庭に帰っちゃうからね。
好きな男には帰る場所が別にある、迎え入れてくれるホームグラウンドがある、という、この同じ寂しさがおりんを襲う。
おりんは、そのさみしさを押し殺して、よかったじゃないか、あんたにお母さんがいても不思議はないと思っていた、自分もいるんだ、と幼少期に記憶の残る唄を口ずさむ。エンタメ的には、涙腺崩壊のシーンだ。
鶴川がなぜうそをついていたのか。おりんを深く愛しながらもなぜ夫婦になるのを鶴川は拒んでいたのか。これは推測だが、おそらく母親が瞽女を娶ることを認めないことを鶴川はよくわかっていたからだろう。失恋でつきつけられる差別社会の現実、瞽女文化の衰退、はなれ瞽女であるおりんの存在論的な不安定はここに極まってゆく。
鶴川には母親という寄る辺があり、天皇を頂点としたイエ制度の中で一定の救いが残されている。しかし、おりんにはそのような場所がない。かつての瞽女共同体も失われ、彼女はどこにも属することができない存在だ。この非対称は、映画終盤の「親不知の岬」で息絶えるという結末に象徴されている。
女はひたすらアウエイを強いられ帰る場所はない。これは同時代の歌でいうと、中島みゆきの「生きていてもいいですか」「エレーン」や山崎ハコの「望郷」と同じ世界線だ。対照的に、同時代の男性歌手では、何気に、上京してもふるさと愛にあふれている、という世界線の歌が多い。男には、失敗してもいざとなったらふるさとに抱かれる、というまなざしだ。「母に捧げるバラード」の海援隊や松山千春の「旅立ち」が典型。
この男女の人生の非対称は、先日来観ていたドラマ「おしん」でも同様にみることができた。
おしんの物語では、農民運動に熱を入れていた浩太は官憲に拷問され転向を余儀なくされる。夢破れ傷ついた浩太は傷をいやしに実家の世話になる。浩太の実家は父親が貴族院で太かったのだ。事業に失敗したおしんの夫・竜三を救うのも佐賀の実家だ。一方、おしんにはセーフティネットとしての故郷はない。振り返るという選択肢は存在せず、ただただ前を向いて歩く以外に救いはなかった。
「はなれ瞽女おりん」の映像表現は見事で、セリフに頼らず映像で感情や状況を語る部分が多い。例えば、鶴川が告白した後のおりんの行動や、瞽女屋敷を訪れるシーンの演出は、彼女の焦燥や絶望を鮮烈に伝えている。
男の告白ですべてを悟ったおりんは、まず瞽女屋敷に向かい、自分の育った場所を確かめに行く。しかし、時がたち、すでに瞽女の時代は終わりを告げていた。屋敷がもぬけの殻だとわかると、男を待つことも探すこともせず、心身ボロボロになって、一人はなれ瞽女として宿場町を回る日々。おりんの着物がボロキレ状態になっていることから、はなれ瞽女としての暮らしが何年も経過していることがうかがえる。この映画終盤のテンポが絶妙だ。
また、ラストシーンの親不知隧道での描写は、観る者の解釈に委ねる余韻があり、深い感動を呼び起こした。私の解釈になるが、ズームアップされるトンネルの測量機器と遠くの岬に見えるおりんの着物の切れ端の遠近感は、鉄道の普及と瞽女文化の終焉を見事に演出している。さすがだわ、この演出家、そしてカメラワークに感嘆ぜざるを得なかった。映像を学ぶ人にはぜひみてもらいたい作品。
おりんの物語は、単なる一人の女性の悲劇ではない。社会の中で周縁化される女性たちの象徴であり、家制度という枠組みの中で矛盾を抱える日本近代そのものを映し出している。家父長制のもと、妻には銀行口座を持つ権利すらない時代、周縁化された存在であるはなれ瞽女の自立と恋、その挫折を通じて、その背景に潜む不平等や抑圧を丹念に描いた篠田監督の手腕に心から感服した。
篠田正浩監督が描きたかった「日本の原風景」とは、単なる美しい日本の風景ではなく、矛盾や悲哀に満ちた人々の生き様そのものだったのではないか。この映画を観て、初めて彼の作品に触れたが、もっと多くの作品を観てみたいと思った。そして、昭和のドラマや映画が描く時代背景の奥深さに、改めて心を動かされた。
また、ドラマ「おしん」と時代が重なるところでは、国民統合や周縁性に関して、もう少し思うところがあるので、またそのうち増田で。
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おしんの物語の根底を流れているのが、「恩」であり「仁義」であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語のハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。
おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしんは1901年、昭和天皇と同年に生まれた設定である。
そしておしんが生きた少女の時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治の回想シーンに時代を一気に2世代くらい遡るときのタイムトリップ感が半端ない。
1983年、おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的に大手スーパーへの並木の土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店の隠居の大旦那・並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである。
それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。
おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年、17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである。
おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどい。しかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語の類型のひとつで、一宿一飯の義理・人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人・やくざなどが主人公である。股旅物の元祖・長谷川伸は、その後の日本の小説や戯曲、そして映画やテレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である。明治が遠く過ぎさり、大衆が大正デモクラシーの自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である。
おしんは回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことなき股旅物である。しかし、おしんの物語の面白いところは、浪花節が陳腐化し、古臭いものになってしまった現代(1980年代)と交差している点である。
並木浩太とおしんの最初の出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋・加賀屋へ奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売のイロハから茶道・裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときくにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしんの人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命にうんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動の活動家・浩太と出会った。酒田に訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初の出会いである。おしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシーの時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動を先進的だと中身もわからず憧れていたのである。農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動にロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしんも小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋へ奉公へ行く決心をしたのである。いかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである。
ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京へ家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心は最初からおしんが好きだったのである。
おしんは加代の家出の理由を加賀屋に伝えることが忍びなく、おしんは加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしんを女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さらに実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働で健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠・長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。
一方、加代は、浩太の心がおしんにしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。
こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしんは東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結いの師匠・たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質な職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。
しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京で流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである。
大衆は身分から解放され、より自由な髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業や身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかはおしんに独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんがたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚の挨拶にたかを訪れたときの言葉である。その時、5人いたたかの弟子はついにたった一人だけになっていた。
田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんはたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代におしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である。
一方、田倉商店は開店休業状態に陥るほど経営が悪化していたが、おしんが髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たかに相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店の再生が進んで、おしんの洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災がおしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである。工場を火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀でゆっくり休みたか。おしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄の佐賀編がスタートすることになった。
さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしんは佐賀地獄からの脱出を心ひそかに誓い、東京の師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのである。たかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしんを絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。
こうしておしんの流転の人生が始まる。屋台出店から始まり、故郷の山形、酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重の伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである。佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである。
【キーワード:浩太の恩】
浩太の実家は貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢の実家、網元のひさの家であった。浩太は、流浪の人生を送るおしんを見かねて、伊勢で網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋、子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄、酒田の飯屋をやってきたおしん。めし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。
伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしんと魚屋をやる決意をしてくれ、おしんの人生は好転し始めていた。
一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代の苗字も変えなかった。
一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈な拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。
田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望は兄弟のように母おしんの魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望は商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。
屈折10年、陶芸の師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんがセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。
さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ(1983年の場面)に戻りたい。
仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである。初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。
ここには、自ら築き上げてきたスーパーの廃業も辞さないおしんの思いは、長谷川伸の「夜もすがら検校」で大切な琵琶を燃やしてまで恩に報いたい思いと通じるものがある。
ドラマの構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしんが戦後~現代にいたる高度経済成長でおしん自身が義理人情を忘れてしまったことに気が付く、というメタで重層的な構成である。おしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢で戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパーを事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしんは問題の17号店開店当日、失踪する。この世話物と時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である。
https://anond.hatelabo.jp/20210215101500
・しょうもない犯人、しょうもない気付き、しょうもないミステリの元祖。
ウィルキー・コリンズ「月長石」
・長さのわりにミステリを期待して読むと徒労に終わる。ドラマ観れば十分。
・ミステリか? 別にいいんだけど。主人公の臭い自意識に長時間堪えられるのなら。手塚治虫の漫画版で十分。
コンラッド「闇の奥」
・「闇の奥」そのものより、「闇の奥」をもとにした無数のコンテンツのほうがおもしろい。『地獄の黙示録』とか。
F.W.クロフツ「樽」
・『樽』はタルい。これミステリ界の常識アルよ。クロフツはもっと薄くておもしろいのがいっぱいある。
・ヴァン・ダインとか今更読むやつおる??
・これもルールタビ―ユくんのキャラ小説なんだよな。意外にミステリしてる点は評価できなくもない。
・別のトラバの人も言ってたけど、悲劇四部作は通しで読めよ。おまえはスター・ウォーズをEP5から観るのか?
・オカルト〜〜〜〜〜〜wwwwww すいません、ふつうに好きです。
・クリスティならなんぼでもこれよりおもしろいのがある。まあ、ある種のパターンを確立したという意味で必読ではある。
イーデン・フィルポッツ「赤毛のレドメイン家」
・いいかげん昔の人が評価してたからって理由だけでレドメイン家をこういうリストに入れるのやめない?
・アイルズ入れるのは当然として、バークリーも入れないのは理解に苦しむ。
ウィリアム・アイリッシュ「幻の女」
・惰性でオールタイム・ベスト入ってる系の古典としては意外なほどエキサイティング。アイリッシュはもっと評価されてもいい。
・ハッタリのきかせ方は歴史に残るけど、わりに印象に残りにくいんだよな。
・これも型を確立したという点で必読ではある。
・出たよホッグ。20年くらい前ならおもしろかったのかもしれんけどさ。
・知名度の割に、ブクオフに行ったらかならず置いてあるだけの理由はあるものだ。
・出来不出来が激しい作家の一人。奇妙な味勉強したいんなら異色作家短編集読めば。
・そういえば映画版が最近リメイクされてましたね。つまんなかったなあ。ヒッチコック版と原作はいいです。
レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」
・御三家のなかで一番キツい。春樹訳はさらにキツい。ロバート・アルトマンくらいの諧謔が加わって初めて鑑賞に堪えうる。
・ハードボイルドの先鋭性をもっともよく表した作家ではある。本篇より諏訪部浩一の『「マルタの鷹」講義』のほうがおもしろい。
・ロスマクの一冊を選ぶとなると戦争が起きる。法月綸太郎みたいなものさ。ここでもな。
・めちゃめちゃエキサイティングなんだけど、分厚いし今手に入りにくいし……。
・ル・カレのなかでは読みやすい部類だし、正解だと思う。
・ボアナルほんとに読んだことある?俺はない。映画は傑作だった。
・ルポルタージュミステリとしては先駆的だったのかもしれないが、今読むと長いしタルいし冗長。カポーティの美点がほとんど失われてしまっている。
・ポップでしょ。
・たかだかミステリ読みごときにエーコの真価が理解できるとはおもわない。
ローレンス・ブロック「八百万の死にざま」
・一発ネタで長編まるまるひとつ持たせた奇跡のような書物。とはいえレンデルはもっと濃ゆいのがある。
ジェイムズ・クラムリー「酔いどれの誇り」
・ネオハードボイルド作家たちは再評価されるべきだと思うが、中途半端に古くなってしまった感もあり、難しい。
・反面エルロイは古びない。ただLA四部作は何も知らない人が「ブラック・ダリア」だけ読んでもわからん気がする。
ジャック・ヒギンズ「鷲は舞い降りた」
・冒険小説も進化してるので、いつまでもヒギンズを引きずるのは不幸というか、グリーニーとか読ませたほうがいいのでは。俺は嫌いだが。
・マクリーンなんかよりイアン・フレミングのほうがよほどリストに入れる意味あるよ。
・作者がキモい。
・このリストのなかでは比較的新しい作品で、オールタイム・ベスト的なリストでみかけるのは珍しい。個人的な思い入れがあるのか? たしかに発売当時からそこそこ評判高かったけれど、薄い記憶を掘る限りそこまで評価する理由が見当たらない。気になる。
・ライスはたまに読むと心温まってよいが、それはスレた読者の愉しみなのであって、入門者が読んでも伝わりにくい。
・たしかに仕掛けはミステリなしおもしろい小説なのだが、別にこのリストに入れる必要はない。なんでミステリの人は文学にコンプレックスを抱くのだろう。
・うーん。
リチャード・二ーリィ「心ひき裂かれて」
・オールタイムベストでも陰が薄い存在なので、入っていると嬉しい。まあでも数合わせだよね。
ケン・フォレット「針の眼」
・フォレットもそろそろ再評価されるべきだと思うのだが、ダン・ブラウンみたいなものと思われているのだろうか。
・北欧系の元祖ではあるのだろうが、だったらよりエポックなミレニアム入れたほうが誠実な気がする。
・はあ。
江戸川乱歩「孤島の鬼」
・え?
・変格って今読むとふつうにつまんないの多いよね。
・そりゃ読んでも損はないとは思うが。
・当時としてはアベレージはある作家だろうが、そこで鉄鎖を選ぶ理由がよくわからない。
・うーん……いいんじゃないんですか。
・どう読むかによる。単純な出来でいったら虫太郎にはもっといいのがいくらでもある。すまん、いくらでも、はない。
・横正の作品をチョイス理由を添えずにポンと出されても困るんだよな。高校生も困ると思うよ。こんなんだけ読まされても。しょうがない。
・本格ベタな安吾のなかでもなんでよりによって一二を争うほど不出来な作品を選ぶのか。嫌いなのか?
・高木彬光でこれがあがってしまうのは、消去法の結果なのだと思う。
・通っぽいセクレトだが、そこは素直に「天狗」にしとけ。コケまくったサンドマンが唯一正位置になってしまった作品なのだから。
・映画の印象は強いが、清張であえてピックアップするほどかといえばどうか。
・変化球狙いすぎて外しとる。
・流れ的にはわからないでもない。
仁木悦子「猫は知っていた」
・と思ったらいきなり脳死みたいな。
・今あえて読むほどのものではない。
・同上。長いだけ。
笹沢左保「暗い傾斜」
・飛鳥高の長編ってそんな良いイメージないのだが。賞とったってだけで入れてない?
・今選ぶとなると難しい作家だが、針の誘いとかでいいのでは。
陳舜臣「玉嶺よふたたび」
・パッションだけで突っ走った奇跡であることは間違いないが、三大奇書にならべて語るほどかといわれれば疑問符がつく。竹本健治は”今”が面白い現役の作家だ。
・不可欠だとは思うが、真剣に読んでる人は少数派だろう。
・そうね。
・またひねくれたもん入れてくるな。
・ごめん、森村あんま興味ない。
西村寿行「滅びの笛」
・戸川昌子の話をすることはあるかもしれないな。
・マスト。
・鉄板。
・入れても良いとは思うが、そういえば結城昌治がおらんな。
・エッ? そこ?
栗本薫「絃の聖域」
・読んでない。そろそろ疲れてきた。
連城三紀彦「宵待草夜情」
船戸与一「猛き方舟」
・このへんはね。
・入るよね。
・急に九十年代っぽくなったけど、2000年代にもインスタントクラシックな作品はたくさんあると思うよ。
皆川博子「死の泉」
・皆川博子がミステリ的に評価できるかといえば微妙なんだけど、ミステリ界以外で評価される土壌がさほどないようなので、不運な作家だと思う。偉大な人です。
https://anond.hatelabo.jp/20210210225201
重複を削除して、ゴールディングの「蝿の王」を入れた。ご指摘感謝。
間違い探しみたいで申し訳ないが、35は「トルーマン・カポーティ」かな。ノンフィクションをミステリに入れるのは、ちょっと抵抗がある。
http://anond.hatelabo.jp/20160715120436
貴様の好き嫌いから増田に伝わる独自の推理小説検索アルゴリズムによって、
完璧かつスウィートに貴様の趣味嗜好にそって完全オリジナルのベストミステリリストを生成したぞ。
ありがたくよむべし。
【国内】
5 宮部みゆき 火車 1992
12 連城三紀彦 戻り川心中 1980
16 泡坂妻夫 亜愛一郎の狼狽 1978
17 北村薫 空飛ぶ馬 1989
21 島田荘司 斜め屋敷の犯罪 1982
22 有栖川有栖 双頭の悪魔 1992
26 原尞 私が殺した少女 1989
27 江戸川乱歩 孤島の鬼 1929
28 高木彬光 人形はなぜ殺される 1955
29 髙村薫 レディ・ジョーカー 1997
33 鮎川哲也 りら荘事件 1968
35 江戸川乱歩 陰獣 1928
36 歌野晶午 葉桜の季節に君を想うということ 2003
38 泡坂妻夫 11枚のとらんぷ 1976
42 岡本綺堂 半七捕物帳 1917
43 桐野夏生 OUT 1997
44 皆川博子 死の泉 1997
45 大沢在昌 毒猿 新宿鮫II 1991
46 船戸与一 山猫の夏 1984
49 京極夏彦 絡新婦の理 1996
50 馳星周 不夜城 1996
51 島田荘司 奇想、天を動かす 1989
53 髙村薫 マークスの山 1993
56 島田荘司 異邦の騎士 1988
58 船戸与一 猛き箱舟 1987
59 小泉喜美子 弁護側の証人 1963
60 宮部みゆき 理由 1996
61 真保裕一 奪取 1994
62 三津田信三 首無の如き祟るもの 2007
63 麻耶雄嵩 夏と冬の奏鳴曲 1993
64 森博嗣 すべてがFになる 1996
65 大沢在昌 新宿鮫 1990
66 貴志祐介 黒い家 1997
68 泡坂妻夫 しあわせの書 1987
69 久生十蘭 魔都 1948
70 西澤保彦 七回死んだ男 1995
73 伊坂幸太郎 アヒルと鴨のコインロッカー 2003
74 乾くるみ イニシエーション・ラブ 2004
77 仁木悦子 猫は知っていた 1957
79 土屋隆夫 危険な童話 1961
80 我孫子武丸 殺戮にいたる病 1992
85 逢坂剛 カディスの赤い星 1986
86 連城三紀彦 夜よ鼠たちのために 1983
88 高木彬光 白昼の死角 1959
89 志水辰夫 背いて故郷 1985
90 山田風太郎 明治断頭台 1979
92 赤江瀑 オイディプスの刃 1974
93 貫井徳郎 慟哭 1993
95 有栖川有栖 孤島パズル 1989
96 都筑道夫 なめくじに聞いてみろ 1968
97 逢坂剛 百舌の叫ぶ夜 1986
98 岡嶋二人 99%の誘拐 1988
99 宮部みゆき 龍は眠る 1991
100 鮎川哲也 黒い白鳥 1959
【国外】
1 アガサ・クリスティ そして誰もいなくなった 1939
2 エラリー・クイーン Yの悲劇 1933
3 アーサー・コナン・ドイル シャーロック・ホームズの冒険 1892
4 ウィリアム・アイリッシュ 幻の女 1942
6 レイモンド・チャンドラー 長いお別れ / ロング・グッドバイ 1954
10 ジョン・ディクスン・カー 火刑法廷 1937
12 スティーグ・ラーソン 〈ミレニアム〉三部作 2005
13 アイラ・レヴィン 死の接吻 1953
14 エラリー・クイーン Xの悲劇 1932
15 ロス・マクドナルド さむけ 1964
16 ジョン・ディクスン・カー 三つの棺 1935
17 フレデリック・フォーサイス ジャッカルの日 1971
19 ジャック・ヒギンズ 鷲は舞い降りた 1975
20 アントニイ・バークリー 毒入りチョコレート事件 1929
21 ローレンス・ブロック 八百万の死にざま 1982
22 ジェフリー・ディーヴァー ボーン・コレクター 1998
24 クリスチアナ・ブランド ジェゼベルの死 1949
26 ジェイムズ・P・ホーガン 星を継ぐもの 1977
27 ジェイムズ・エルロイ ホワイト・ジャズ 1992
28 ガストン・ルルー 黄色い部屋の謎 1907
31 アントニイ・バークリー 試行錯誤 1937
33 F・W・クロフツ 樽 1920
34 エドガー・アラン・ポー モルグ街の殺人 1841
35 ディック・フランシス 興奮 1965
37 ジョン・ディクスン・カー 皇帝のかぎ煙草入れ 1942
38 ダシール・ハメット 血の収穫 / 赤い収穫 1929
39 ジョセフィン・テイ 時の娘 1951
41 セバスチアン・ジャプリゾ シンデレラの罠 1962
43 R・D・ウィングフィールド クリスマスのフロスト 1984
44 カーター・ディクスン ユダの窓 1938
45 ドロシー・L・セイヤーズ ナイン・テイラーズ 1934
46 ディック・フランシス 利腕 1979
47 アーサー・コナン・ドイル バスカヴィル家の犬 1902
48 イーデン・フィルポッツ 赤毛のレドメイン家 1922
49 アントニイ・バークリー ジャンピング・ジェニイ 1933
53 カトリーヌ・アルレー わらの女 1956
54 スティーヴン・ハンター 極大射程 1993
55 ジェイムズ・エルロイ ブラック・ダリア 1987
57 ロス・マクドナルド ウィチャリー家の女 1961
58 キャロル・オコンネル クリスマスに少女は還る 1998
59 アントニイ・バークリー 第二の銃声 1930
60 ジェイムズ・エルロイ ビッグ・ノーウェア 1988
61 スティーヴン・キング ミザリー 1987
63 ウィリアム・L・デアンドリア(英語版) ホッグ連続殺人 1979
64 ロアルド・ダール あなたに似た人 1953
65 R・D・ウィングフィールド フロスト日和 1987
66 アイザック・アシモフ 黒後家蜘蛛の会 1980
67 ウィルキー・コリンズ 月長石 1868
68 ハリイ・ケメルマン(英語版) 九マイルは遠すぎる 1947
69 ダン・ブラウン ダ・ヴィンチ・コード 2003
70 アリステア・マクリーン 女王陛下のユリシーズ号 1955
71 トレヴェニアン シブミ 1979
72 ロバート・ゴダード 千尋の闇 1986
73 ジェフリー・ディーヴァー ウォッチメイカー 2006
75 ロバート・R・マキャモン 少年時代 1991
76 シャーロット・アームストロング(英語版) 毒薬の小壜 1956
78 エラリー・クイーン 九尾の猫 1949
79 レイモンド・チャンドラー さらば愛しき女よ / さよなら、愛しい人 1940
80 コリン・デクスター キドリントンから消えた娘 1976
81 セオドア・ローザック フリッカー、あるいは映画の魔 1991
82 サラ・ウォーターズ 荊の城 2002
83 ジョージ・P・ペレケーノス 俺たちの日 1996
86 G・K・チェスタトン 詩人と狂人たち 1929
87 ドン・ウィンズロウ 犬の力 2005
88 サラ・ウォーターズ 半身 1999
90 エラリー・クイーン 災厄の町 1942
91 デズモンド・バグリィ 高い砦 1965
92 モーリス・ルブラン 奇岩城 1909
93 ロバート・B・パーカー 初秋 1980
94 トマス・H・クック 緋色の記憶 1996
95 ジェフリー・アーチャー 百万ドルをとり返せ! 1976
96 アーサー・コナン・ドイル 緋色の研究 1887
97 ドナルド・E・ウェストレイク ホット・ロック 1970
98 リチャード・ニーリィ 心ひき裂かれて 1976
99 アガサ・クリスティ ナイルに死す 1937
100 アイザック・アシモフ 鋼鉄都市
――閉幕(カーテンフォール)。