はてなキーワード: うまいとは
人生を楽しむには絶対に性格が良い方がいいと思うのだが、成人して十余年、私の性格はすっかり悪くなってしまった。
私は小さい頃から勉強がよくできて、日本で一番と言われる大学に入った。日本の教育システムは偏差値でランク付けされる傾向が強いため、受験競争を勝ち抜いた私には「自分は頭がよい」というアイデンティティが自然と形成された。
社会に出るまでは、そのことで悩むことはなかった。同級生も自分と同じくらいか、それ以上に勉強ができる人ばかりだったからだ。しかし社会人になると、それまで出会わなかったような人と仕事をする機会が増えた。私が一流企業ではなく、微妙な会社にしか入れなかったというのが直接の原因ではあるが。
「自分は頭が良い」と思うことは「他人の頭が悪い」と思うことの裏返しであり、その時点で性格が悪い。周囲からは常に過小評価されるように感じてしまうし、認識の浅さにイラッとしてしまう。ソフトウェアエンジニアなら、営業畑の人間から「SQLでサクッとやっちゃって」みたいなことを言われ、侮蔑にも似た感情を抱いたことが一度はあるのではないか。
自分の話していることの前提が理解されないことも多い。「本当に頭が良い人は説明もうまい」なんて言うが、あんなの嘘っぱちだ。どうしたって説明できないことは存在する。プログラミングのプの字も知らない人間に、素人がAIで作ったソースコードの問題をどうやって伝えるのか。本当に「頭が良い」ことと、頭の悪い人から見て頭がよく見えることは別物だ。このことが一定真実であるからこそ、始末に負えない。
他人を「頭が悪い」と思ってしまう背景には、知能を数直線上に捉え、優劣をジャッジする価値観が埋め込まれている。現代において、頭が良いことは武器になる。そのことが分かってなければ、知識労働者として頑張ろうなどとは思わないだろう。多くの人は自分の知的能力を中の上だと認識している、という話もあるが。
とにかく私は性格が悪い。頭の良し悪しが全てじゃないことは重々承知しているつもりだが、どうしても同僚のトンチンカンなコメントに苛立ってしまう。自分で物事を進めた方が早いと感じてしまう。そんな自分が嫌になるが、変えられない。そうやって私は、社会から精神的に孤立していく。本当に馬鹿なのは自分自身なのだろうなという虚しさを感じながら。
こいつがファーストブクマだとげんなりして後続が絶たれる現象が起きてない?
(少しでもインプレが上がるようにか草だのなんだのと
無内容なりに挑発的・うまいこと言ってる風な文調になってて一人称はワイ)
俺は少しも相いれない、アホかこいつと思ってるはてサとかも沢山いるけど、
俺は彼等の誰一人としてブロックだの非表示だのしたことがない。
俺は全然意見合わない彼等に対して人間としての敬意は持ってる。
けどこのグエンは限界。
グエンさあ、
その為にみんなが使ってる場にごみを撒き散らしたり
果ては場の衰退を招いたり
そういうことは気にしないのか?
残念な気持ちでいっぱいだよ。
自分が良ければ他の奴なんかどうでもいい。
心では周りの人の迷惑や苦情についてなんも感じてない。
喋ってることは注意を引くためだけの言葉の羅列で無意味・無人格。
有利になるために顔に貼り付けただけの爆笑してる表情や涙目の表情。
なんかフリーレンに出てくるアレみてーだよなこいつら。
エロ漫画雑誌の読者投稿見てると絵が下手な人も多いなーっていう当たり前だがつい忘れそうになる現実を思い出す
dorawiiより
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とはなんとなく知っているものの、実際に入れる勇気もなければ適量を調べる意欲もない、加えなくてもいい一工夫に挑戦するよりも約束された安牌を取りたいと思ってしまう
だが仕事でもなんでもそういう一工夫を惜しまない人間が重宝されるし、そういう奴は不味くならない量に調節しながら最適解を目指すのがうまい
その理論でいくと、歴史上の偉人はきっとカレーにコーヒーを入れるのが抜群にうまかったのかもしれない
コンビニでも比較的コスパよくてどこにでもあるのはちくわかなあ
あとファミマは今思い出したけどファミマルスイーツ(PB)のこだわりフィナンシェ(139円の方)が満足度高いので甘い物好きなら食べてみてほしい
(高い方の贅沢なんちゃらフィナンシェはそうでもない)
セブンも今思い出したけど、弁当として売ってるやつじゃなく、セブンプレミアムのパック入りのポテサラやマカロニサラダはコスパ良いと思う
カロリーもほどほどよ
返事の方が長くなってすまんね
とあるインフルエンサーが運営しているオンラインコミュニティ内で仲良くしていたメンバーが立ち上げたコミュニティで(いわば、スピンオフコミュニティ)。
メンバーは70人くらい。アクティブ10人くらいで、話の合うやつばかりだったんだが、自分の主観ではたった一人のメンバーがそれをぶち壊しにしたのではないかと思っている。
・他人を下げまくる。
・俺はすごい、俺を褒めろアピールが凄い(直接的には言わないが
・絶対に謝らない
・正論で指摘すると黙る、逃げる。
・外面は良い。自分もオフ会で会った時は、ただのイケメン陽キャだと思っていた
・コミュニティ内での実力者(某界隈でちょっとした有名人)にとにかく取り入ろうとする(実力者の投稿にも、我先にレスし彼との会話を独占する)
・言うことがコロコロ変わる。変わることを全くいとわない。
彼とはコミュニティ内で知り合い数年の付き合いになるが、最初は「素敵だな~。こんな人がいるのか。頭の回転も速いし陽キャだし、天性の陽キャってこういう奴のことを言うんだな」と思っていた。
オフ会でそれはより確実になったのだが、ただオンライン(テキストチャットなど)では、上記の特性がモロに出まくるから「あれ? あれ? なんだこいつ?」と思っていた。
でも、口もうまいし、屁理屈もうまいから、いつもやり込められていた。
世の中にはこういう人もいるのか。俺には勝てないや。世の中にはいろんな人がいるよなと思いながらも、コミュニティの投稿で時間を溶かし、そして彼のある種暴走を止める人はいないのか・・と思いながらも1年、また1年と過ぎていた毎日だった。
そして諸処の事情により、スピンオフコミュニティが立ち上がることになった。
その時、彼はそれまで、我々の派閥をさんざんに叩いていたくせに、突然「よろしくなっ!」とコロっと態度を変えてやってきた。
思えば、そこで彼をブロックしておくべきだったのだが、コミュニティの主は彼を入れてしまったんだな。仕方ない。俺だって当時はわからなかった。
そこからは、2chの無自覚な荒らし(詳しくは調べてくれ)よろしく、冒頭にあげた行為のオンパレード。メンバーが一人またひとりと疲弊していった。その時も自分は「どうしたらこいつを止められるのか」ハッキリとした解決策はわかっていなかった。
ただ、一人また一人と彼に対して声を上げ、その都度一瞬黙るものの、またすぐ復活する。
テキストチャットメインということもあるが、彼はどうしても会話の整合性が取れない。片手間で文字を打っているかのように、会話に心がこもっていないし、冒頭にも言ったように会話がコロコロ変わるから、どう対応していいかわからないことが何度も何度もあった。
自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の存在を知ったのはこの頃である。
「まんま、こいつじゃん!」と驚いてしまった。それから、NPDについて調べ、精神科医の動画なども見てからは、彼を今までとは違う形で見ることができ、怖くもなくなったのだが・・・
もう時すでにお寿司という感じで。
コミュニティでアクティブに発言する人間は減っていき、彼だけが、昔と変わらず焼け野原となったコミュニティ内でよくわからない鳴き声を出し続けている。
今日も。
彼はおそらくこの状況に気付いてないんだろうな。
youtubeのコメントに「NPDはやばい、小中レベルの企業コミュニティなら破壊される」いうものがあったが、あれは同意である。
「相手のことを思って長文の感想を送ったけど相手にされなかった」
「自分も感想を送ってほしいのに受け取るだけで返してくれない」
こういう感情を向けられる側の視点が抜けているので書いておこう。
まず、私はそんな重たい感想がほしいとは一度も言ったことはない。
むしろ自分の無理のない範囲で推してくれよ、責任取れないからな! と伝えるタイプである。
つまり私の主張を読まずに激重感想を送ってくるのは向こうの方なのだ。
悪意がないのはわかっているのでスルーすることにしているが、スルーしていることに対して「冷たい」「何もしてくれない」とか思われるのはホラーである。
それに、こういう人間はえてして自分は感想を書くのがうまいと思っているのだが、実際のところそんなことなかったりする。
人間の価値観は多様なので誤読が発生するのはしょうがないが、長文でズレた感想が送られてきたらなんとも答えづらい。
それでも「そんなつもりはなかったが、楽しんでくれたのならいいか」と思うようにはしているが、そういう人が「どうしてちゃんと私の感想に返信してくれないんですか?」と言い出したらそりゃ困るだろう。
作品を通して自分に好意を持たれるのが嫌なわけじゃない。出会ってよかったなと思える人もいる。
ただ、勝手に期待して勝手に自滅する人間については責任が負えない。人に好かれたいのであれば相手が何をされてうれしいのか、ちゃんと調べるべきだ。
「私はこんな重いメッセージしか送れないんです。こんな私を愛してください」と言われても知らん! 私は創作活動の上でされてうれしいことはプロフィール欄に書いてるのに、それを参考にせずにいきなり癖が強すぎる愛情表現してくる方も悪いだろ!
私があんまり空気読めないのは認めるけど、この人たちそれ以前に人の話聞いてないんだよね。
私のことが好きって言うならどうしてしてほしいこと、してほしくないことを知ろうとしないんだ? あんたらよりはただひと言「面白いです」って言ってくれる読み専の人のほうがよほど理解があるからな。
まあ激重感想うれしいかどうかってわからないだろうし、激重感想も一度二度なら不幸な行き違いぐらいに思っているし、そこまで怒らないんだけど⋯⋯。
ただ激重感想は放っておいたらどんどんエスカレートする人がいるんだよね。
うっかり甘いもの苦手な人にケーキあげちゃって喜んでもらえなかったら、普通は次はケーキあげるのやめるじゃん。でも「もっとすごいケーキなら喜んでもらえるのかも!」と思う人がいるんだよな。
そうじゃない、そもそもケーキがいらないんだわ。どうしてもケーキしかあげるものがないんならその人と仲良くなるのは諦めろ。
こっちはいらないのにケーキが二倍三倍に増えてくの怖いでしょ?
同じものが好きじゃなくても押し付けられなければ「そういう人がいるのはしょうがない」と思えるけど、どうしても自分のケーキで喜んでもらいたい、と思われたら、こっちもいつかは拒否しなきゃいけないのがなぜわからない。
それで「私が素晴らしいケーキを作れないから愛してもらえないんだ」と泣いてるの見るとそこじゃねえんだよ、となる。何度も言うが人の話を聞け。お前がケーキを作るのが上手いかどうかは私は正直どうでもいい。食べないし。
自分が特別なことをすれば特別に愛してもらえると思ってるけど、そうじゃないんだよな。
私の仲のいい友達も突然巨大感情を押し付けてきたから仲良くなったわけではなく、何気ない話をしたり共に時間を過ごした中で、ウマが合ったから一緒にいるだけだ。
友達は創作をしているが、やらなくなったとしても私は友達のことが好きである。
人を愛するということは特別なドラマではなく、何気ない日常を共有した先にあるものだということがなぜわからない。漫画の読みすぎではなかろうか。
駅に向かって早歩きしても間に合わないのは分かっていたけど、もう何かを判断するのが面倒でとりあえず駅に向かった。
改札の前で電光掲示板を見上げる。
知ってた。
タクシーで帰るほどの金銭的余裕はない。漫画喫茶に泊まるか、始発まで時間を潰すか。どちらにしても明日も仕事だ。
体が重い。肩が凝り固まっていて、首を回すとゴリゴリ音がする。
正直、何も食べたくなかった。
胃が縮んでいる感覚。空腹なのかどうかも分からない。最後にまともなものを口にしたのはいつだったか。昼はカロリーメイト。朝は食べてない。その前は覚えてない。
そんなことを考えながら駅前の通りをふらふら歩いていると、雑居ビルの隙間から煙が漂ってきた。
ニンニク。
鼻腔の奥をガツンと殴ってくるような、暴力的な香り。食欲がないはずなのに、足が勝手にそっちへ向かっていた。
狭い店だった。カウンターだけ。中年の店主がひとりで切り盛りしている。壁のメニューは手書きで、半分読めない。とりあえず「スタミナ定食」と書いてあるものを指差した。
待っている間、厨房から聞こえてくる音だけがやけに鮮明だった。油が跳ねる音。何かを炒める音。そしてまた、あの匂い。
出てきたのは、豚バラとキャベツをニンニクと一緒に炒めただけのシンプルなやつ。茶色い。見た目に華やかさは一切ない。でも湯気の向こうに、刻んだニンニクの欠片がゴロゴロ見えた。
一口食べた。舌が痺れた。ニンニクの辛味が口の中に広がって、その後から旨味が追いかけてくる。噛むたびに豚の脂がじゅわっと出てきて、それがまたニンニクと混ざる。
うまい…。
その三文字が、枯れた脳みそから絞り出された。何週間ぶりだろう、食べ物に対してそう思ったのは。気づいたら白米をかき込んでいた。
口の中がニンニクでいっぱいになる。もうどうでもよかった。明日会う人の目とか、口臭とか。
疲れすぎると味覚が死ぬ。経験上、分かっていた。何を食べても砂を噛んでいるような感覚。美味しいものを食べても「美味しいはずだ」と頭で理解するだけで、心が動かない。
でもニンニクは違う。
あれは味覚が死んでいても、無理やりこじ開けてくる。繊細さの欠片もない。上品さもない。ただひたすらに強い。鈍った舌を叩き起こして「お前まだ生きてるぞ」と言ってくる。
世の中には「体に優しい料理」というものがある。出汁が効いた薄味の和食。消化にいいお粥。それはそれで必要なんだろう。でも本当に削られているときに必要なのは、優しさじゃない気がする。
殴られたいのだ。味覚を。
「もうダメかも」と思っているときに、そっと寄り添われても困る。それより「まだいけるだろ」とガツンとやられたほうが、なぜか立ち上がれる。ニンニクはそういう食材だと思う。
定食を食べ終えて、店を出た。外の空気が少し冷たい。口の中はまだニンニクの余韻が残っていて、たぶん半径2メートルくらいは匂いを撒き散らしながら歩いていたと思う。
終電を逃したことも、明日も仕事なことも、何も変わっていない。状況は1ミリも好転していない。なのに「まあなんとかなるか」と思えている自分がいる。
でも腹が満たされて、舌が「うまい」と感じて、体が少し温まる。それだけで人間は意外となんとかなる。高尚な趣味も、誰かの励ましも、その瞬間には必要なかった。
チューブじゃない。ちゃんと一欠片ずつバラして冷凍したやつ。疲れて何もしたくない夜でも、これさえあればなんとかなる。適当な肉と一緒に炒めれば、それだけで「今日も生き延びた」という気持ちになれる。
ニンニクは臭いと言われる。翌日人に会う予定があるなら控えろと言われる。まあ、全部その通りだと思う。
でもなぁ。
あの夜、体も心も擦り切れていたときに救ってくれたのは、誰かの優しい言葉でも、上品な料理でもなくて、雑居ビルの隙間から漂ってきた、あの暴力的な匂いだったんだよ。