はてなキーワード: 庇護とは
もっと面白くてもいいと思うんだけど思ったより普通のアクション映画で62点。
病気の子供を抱えるド底辺労働者の主人公はうっかり仕事をクビになってしまう。人生逆転のために30日間生き延びれば莫大な金が得られるリアリティショーである「ランニング・マン」に参加することを決める。出場者を狩るために追いかけてくるハンターたちに加え、出場者を殺した人間には賞金が出るため市井の人たちも味方ではない。死の逃避行が今幕を開ける。
みたいな話。
う~~~~~~~ん。なんか脇が甘い感じがしてイマイチのめりこめなかったかな。
普通の逃避行アクション映画としてみれば普通に面白い。どうやって逃げるんだろう、身分証を偽造するのかな、変装するのかな云々という逃避行ギミックに関してはきちんと提示されて納得力は高いし、行く先々でのチェイスアクションもよい。ぼろホテルに泊まって風呂入った後、窓から外見てたらハンターがいて戻ろうとしたらドアが開かなくて半裸で逃げる展開とかの面白みも深いし、ド派手なカーチェイスもあれば、アンチランニング・マン連合のナード君の家に逃げ込んでそこで彼が家中に仕掛けた罠を作動させながらハンターを撃退しながら逃げるホームアローン展開もよい。
最後にはちゃんとハンターの大ボスとの飛行機の中での肉弾アクションも用意されていて、アクションと映画してカーチェイス、銃撃、罠、肉弾、爆発とおいしいところは全部用意されているのでなんも考えんと見るんだったら普通に満足できると思う。
一方で、なんか主人公にはあんま感情移入できないっていうか。徹頭徹尾、こいつプッツン野郎なんだよ。冒頭、自分をクビにした上司に怒鳴りこみに行く場面から一貫してなんかすぐキレる。そのことによって常に状況が悪くなっていくの、なんていうかエンタメとしては食い合わせがあんまよくないなって思う。社会派のサスペンスとかだったらいいと思うんだけどさ。怒りこそ貧乏人に残された最後のエンタメとは言うけど、こういう意味ではないじゃん?
最終盤でルールで保護されているはずの妻子をハンターたちが殺していた、だからハンターたちを殺してお前がハンターになることで金も名誉も立場も手に入れられる!って番組プロデューサーにそそのかされる場面があるんだけど、これまで再三、番組は情報を改ざんし俺たちを操ろうとしている!と警鐘を鳴らしてきた主人公はプッツン、ハンターたちに襲い掛かり、ハンターの大ボスから彼も元はランニング・マンで主人公と同じトラップを仕掛けられハンター堕ち。実は妻子は生きていたけど拷問されて殺されたと種明かしをされるも信じずに殺害。その後、飛行機ごと無事爆殺される(脱出するけど)。
たぶん、そうなるのわかってたと思うんだけどなぜか殺してそのまま殺されかかるの正直よくわからない。徹頭徹尾「金を得るため」だったという冷徹な目的意識のためとかだったら理解できるんだけど、結局彼は何も得られずに終了する。
俺が見落としてただけだったら申し訳ないけど、あの飛行機に脱出ポッドがあるのを知るシーンってなかったよね?もしそれまで考慮に入れて「自分は死んだこと」にすることでこのゲームから脱出することを目的としていたんだったら理解できるんだけど、そんな感じでもなかったし。
その後、アンチランニング・マン連合が主人公が生きてることを言いふらして番組の裏側を暴露。アンチランニング・マン陣営は規模を拡大する。そして主人公はしっかり顔をさらして妻子に会いに行く。いや、番組側からしたら妻子には絶対見張り付けとくやろ。主人公なんか何回殺してもええんやから。
ランニング・マンの収録の客席はアンチで埋め尽くされ、司会は契約を盾にとっとと離脱。いや、セキュリティどうなってんねん。少なくとも主人公がオーディションするときはセキュリティしっかりしてたやろ。客の身辺調査や持ち検は当然するやろと思うのに、みんな手に手にアンチの看板もって火炎瓶を投げまくる。そんなわけある?そしてプロデューサーを主人公が撃ち殺して終了。いや、こいつも素通りかい。もうめちゃくちゃだよ!
あとはどう考えても30日は長すぎるよね。アメリカ中を逃げ回ってもいいとしても逆に考えれば30日は短すぎるし、映画として考えるなら30日は長すぎる。映画としてはどっか州を指定して2週間とかのほうがよかった気がせんでもない。なんか妙な生活感が出てて中だるみを感じた。
あとはこれどこまで意識して書かれているのかわからんのだけど、女の扱いがなんか微妙なんよね。別に活躍させる必要はないとは思うんだけど、主人公に庇護されるだけの妻、なんかバカみたいな死に方する逃亡者も女だし、テレビを一方的に信じて主人公を含む逃亡者を悪人だとののしり続けるナードの母親のババア、そして終盤に出てきて人質になる裕福層の女。裕福層の女は「貧困をエンタメとして搾取する市民」として描かれていて、主人公に「そのスカーフ一枚で俺の子供は助かるのにお前は気にも留めない」みたいに責められたときに「私は悪人じゃない」って言わせるのはちょっとあからさますぎるかな。最後飛行機で撃たれた主人公に止血のためにそのスカーフを差し出すのは皮肉がきいててよかったんだけど。
あとこの辺の社会的メッセージに関してはどう評価すべきかかなりむつかしいと思ってる。知らんけど、この映画作ってる人はわりとノンポリっぽい感じだと思うんだよな。なんかその、マスメディアを操る存在とそれに対するアンチだったり、白人のデブの子供2人が逃亡者を焼き殺したり、貧乏人たちが主人公を無条件に応援していたり、裕福層は殺せと言っていたりとかそういう社会的メッセージがめちゃくちゃ露骨に出てくるんだけど、それをどこまで信じてるかはかなり怪しく感じる。俺の感想としてめちゃくちゃ冷笑的に”ネタ”として消費しているように感じたかな。
まぁそんな感じかな。ベイビードライバーのエドガー・ライト作品らしくBGM使いも悪くないし、ポップなアクション映画としては一定以上の強度はあると思うんだけどなんか意外にがばがばというかがたがたな感じがして今一つのめり込めなかったな。まぁ、なんも考えんとみられるアクション映画見たいなって夜にはまぁまぁオススメ。
人間は勝手に親近感を覚えたり勝手に親密になった気になったり庇護欲を掻き立てられたり頼られたり尊重したりなどを経て、相手を尊重したり愛情を注いだりする。対象に人間性を認める時に必要なのはただひとつ、個を尊重しようとするお気持ちである。
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私は1年前に、クラゲを飼っていました。
ある日、いつものようにクーちゃんを眺めていると、私の方へ泳いで来ていることに気づいたんです。
水槽の壁にぶつかりながら、一生懸命こちらへ向かってこようとしていました。
(……もしかして、こっちに来たがってる……?)
クーちゃんは壁に体をこすりつけ、行ったり来たりしはじめました。
(わあ!喜んでる!)
「かわいいね、よしよし」
(……どうしたのかな?)
しばらくの間、流されているクーちゃんを見ていましたが、ふと思い出しました。
だけど、死ぬ寸前に最後の力を振り絞って、別れの挨拶をしてくれたんですね。
私は泣きながら亡骸をすくいあげ、庭に埋めてあげました。
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…
……
………
すべては、私の幻想です。
クラゲに脳はありません。すべては反射、偶然の積み重ねです。
クーちゃんは、死の直前まで、何も考えていません。
もちろん、挨拶もしていません。
ただただ、そういう動きになっていただけです。
そういう動きをしていたかも分かりません。
私には、そう見えた。そんな気がした。それだけです。
でも、かわいがっているペットが別れの挨拶をしてくれたら、嬉しいですよね。
名前は、何にしようかな。
クラゲがこのような動きをすることも、通常ではありえないと思います。
すべては、私の幻想です。
人間は、身勝手に物事を捻じ曲げ、存在しないエピソードや感情を作り出せる生き物なんです。
対象がなんであれ、心があるかのように接することが可能なこの共感能力こそが、人間を人間たらしめている、強力な武器と言えます。
ですが、相手の本当の心ではなく、自分の中にある感情の投影を愛しているのだとしたら……
騙されたと思った時の怒りや悲しみ、切なさ、そして、幻想の中で確かに感じられた愛情の正体は、一体なんなのでしょうか……
BGM: https://www.youtube.com/watch?v=eUn9jNB0FCk
ナナナナナナナナ ナマモノ~
昭和後期までの日本では、夫は家計の大黒柱、家の対外代表、防犯上の庇護者、老後保障への接続点として非常に重い役割を負っていました。
1990年代以降、夫の機能が女性本人の就業能力と国家の制度へ分散されたことで、「生きるために夫が必要」という度合いが下がり、
結婚は生存に必須の生活装置から相対化された選択肢へ変わり、その結果として結婚制度の需要も弱まりました。
戦後に法制度上の「家」制度は廃止されても、昭和後期までの生活実態では、夫が稼得・対外折衝・生活保障の中心を担い、妻は家事育児と扶養内の位置に置かれる性別役割分業がなお強く残っていました。
この時代の結婚は、情緒の問題である以前に、生活を安定させる制度的な仕組みでもありました。
夫が正社員として長期安定雇用に乗り、妻はその配偶者として扶養・年金・税制上の利益に接続できたため、夫の役割は重い一方で、妻にとっての結婚の実利ははっきりしていたのです。
女性の生涯未婚率が3%だった時代は、そのような背景により実現していました。
この構図は1970年代以降ゆっくり揺らぎ、1990年代以降に決定的に変わります。
女性政策の進展と価値観の変化により、「男は仕事、女は家庭」への賛成は1972年の80%から1984年には36%へ低下しており、性別役割分業の正統性自体が弱まっていきました。
同時に、女性の就業拡大、自立支援を掲げる福祉再編、保育・福祉・相談支援の制度整備によって、以前は夫が私的に担っていた機能が、本人と国家へ移り始めました。
とくに生活保障の面では、第3号被保険者制度のような「夫を通じて守られる妻」を前提とする仕組みが残りつつも、
近年は短時間労働者への社会保険適用拡大などを通じて、本人が働き本人名義で保障につながる方向へ誘導されています。
1980年には専業主婦世帯1,114万世帯に対し共働き世帯は614万世帯でしたが、1990年代後半以降は共働き世帯が逆転して上回り続けています。
女性の労働力率も上昇し、かつて特徴的だったM字カーブは改善傾向にあり、女性が未婚のままでも所得を得て生活基盤を築く可能性は、昭和後期より明らかに高まっています。
昔のように「夫の稼得がなければ生活が立ちにくい」構図が相対的に弱まったことは確かであり、この点で夫の必要性は量的に低下したといえます。
生活困窮時には生活保護や母子福祉系制度が最後の安全網となり、保育所整備は女性の就業継続を支え、警察や相談機関は暴力や犯罪からの保護を担うようになりました。
つまり、かつて夫が一括して供給していた「食べていく手段」「守られる手段」「困窮時の逃げ道」のうち、かなりの部分が国家システムへ移ったのです。
この変化は、夫の役割を軽くしたのと同時に、結婚そのものに内蔵されていた制度的なうまみを薄くし、「結婚しなくても最低限は生きられる」社会条件を広げたため、結婚の需要を押し下げる方向にも働きました。
国立社会保障・人口問題研究所の研究でも、未婚人口における結婚の需給要因として「結婚の需要の低下」、すなわち若者の間で結婚が以前ほど望まれなくなったことが論じられています。
また政策研究でも、社会保障の充実により結婚は「将来の安心のための必須条件」から「人生の選択肢の一つ」へ変わり、それが結婚意欲の低下につながったと整理されています。
要するに、夫がいなければ成り立たなかった生活が、本人の稼得と国家の制度である程度成り立つようになるほど、結婚は必要財から選択財へ近づき、需要が下がりやすくなったのです。
結婚が生存や生活保障のための必需品ではなく選択財になった社会では、「とりあえず結婚しておく」合理性は弱まり、好きでもない相手と制度目当てで結婚する意味も薄れます。
その結果、結婚はますます「この人と一緒にいたい」「この人となら生活の質が上がる」と思える相手に限って成立しやすくなります。
結論は明快です。好きな人としか結婚する意味が薄れ、好きになってもらえない人は、制度や世間体に背中を押されて結婚できる時代ではなくなりました。
結婚需要が残るとしても、それは「結婚という制度」への需要ではなく、「この相手との関係」への需要へと変わっており、その変化が未婚化の一因になっていると整理できます。
男にとって「女の自由意思」なんてものは手放しで受け入れがたいものだからな
女とは社会みんなで使う共有物であり、「女が自分の体に主体的意思を持つ」などということは許しがたい思い上がりでしかない
つまりここでいう「社会」には厳密には女の権利いうものは含まれていない
歴史のどこを見ても男女を軸にすれば男は女の支配権をめぐって男同士で争いあるいは支配権を前提とした社会を構築するために手を取り合ってきた
これから逃れるためには男の庇護下に入るしかないが、庇護下にいる女は「自立する能力すら持たない劣等な存在」であるので男と同等の権利は持ちえないと言ってまた攻撃する
(日本でも専業主婦を気でも〇ったのかというほど寄生虫呼ばわりするムーブがあったことをご記憶の諸兄も多いはずである、
専業主婦だからといって激昂してぶったたき、共働きの女を男を立てないといって憎々しげにぶったたき、子どもを産むと会社のお荷物といって逆恨みでぶったたき、子どもを産まないといってさげすみながらぶったたく)
少子化を、実際の要因を無視して「女が社会進出したから」だけでひとくくりにしようとするのも同じ
この手の話題ではほぼ必ず「少子化を解消するためには女から人権を取り上げるしかない」という言説が紛れ込むが、逆である
女から人権を取り上げれば完全に男に都合よく女体を使えるようになるはずだという思い込みがあまりにも魅力なのでその口実を探しているだけである
https://x.com/masaking0728/status/2045026362604630213
国に申請して許可貰って秩序を持って御行儀よく行進するだけの反体制デモなんて
まだ気付いてないかもしれないけど
君達はガス抜きをさせられてるんだよ
https://x.com/hananinakuguis7/status/2045006176153382934
【国に文句を言うのは反抗期の中学生=親の庇護下にあるのに家を文句を言ってるから】民主主義0点でスゴイ。日本が虐待親の元に生まれたら詰む国なのは、こういう洗脳が社会の隅々まで行き届いてるからだよね
https://x.com/Hackyou_Shiteta/status/2044939554986287588
国家のことを「親」とか「家」などと自然に見紛ってしまうの衆愚政治の至りすぎてガチでエグいぞ
https://x.com/mipoko611/status/2045003666646856053
@mipoko611
この認識差って右派と左派の分水嶺なんですよね。右派は国家・政府を親と思い自分を庇護される子だと思ってるけど、左派は国家・政府を不動産管理を任せてる不動産屋のように思ってて、民主主義的には左派の認識が正しいのですが、右派は分かりたくない。分かった時には「孤児」になりますからね。
今回のピックアップは、オーナーのこだわりを満たす「素材」と「スタイリング」の可能性に満ちた3体です。無垢なお嬢様フェイスに超特大バストを備えた二次元ロマン機体、トレンドの甘辛ファッションを完璧に着こなす等身大のリアル美人、そして顔は美しく、体は柔らかくを実現したハイブリッド構造の人気モデル。それぞれの個性を引き立てる魅力と、お迎え後の運用イメージについて徹底解説します。
公式ストア:https://www.karendoll.com/
1. ElsaBabe RAD001 小泉娜娜 (L-Cup / お嬢様キャラ)
1体目は、ElsaBabeの記念すべきナンバリングRAD001を冠する「小泉娜娜(コイズミ ナナ)」です。宝石のように輝く大きな青い瞳と、少し開いた口元が非常に愛らしい、王道の「お嬢様キャラ」として造形されています。
しかし、その純真無垢な顔立ちとは裏腹に、ボディは総シリコン製の「Lカップ」という超特大サイズを採用しているのが最大のポイントです。画像のように上品なパールアクセサリーや純白のレース衣装を着せると、清純さと規格外のグラマーさが見事なギャップを生み出します。手を差し伸べるようなポージングも得意としており、オーナーの庇護欲と独占欲を同時に満たしてくれる極上の一体です。
https://www.karendoll.com/product/elsababe-rad001-koizumi-nana/
2. MD DOLL M56 Heather (166cm / F-Cup / 甘辛ミックス)
2体目は、息を呑むようなリアリティを誇るMD DOLLの「Heather(ヘザー)」です。166cmというモデル級の長身に、美しいFカップのバストを備えた等身大のリアル人形です。ヘッドフォンを首にかけ、どこか気怠げでクールな視線を向ける表情が、現代的で洗練された空気感を醸し出しています。
彼女の魅力は、画像のような「甘辛ミックス」のスタイリングが抜群に似合う点にあります。セクシーなビキニトップに、ハードなレザージャケットとカジュアルなデニムショートパンツを合わせるなど、ストリートライクなファッション誌の1ページのような撮影が楽しめます。総シリコンの重厚感とリアルな肌の質感が、どんな服を着せても「生きた女性」の説得力を持たせてくれます。
https://www.karendoll.com/product/md-dooll-m56-heather/
3. Bezlya Doll 風鈴 2.0系列 (155cm / F-Cup / ハイブリッド構造)
最後は、絶大な人気を誇るBezlya Dollの「風鈴 2.0系列」です。涼しげな水色の髪と、吸い込まれるような瞳が特徴的な美少女モデル。155cmという小柄な身長に対して、Fカップの巨乳を合わせた「トランジスタグラマー」な体型が二次元ファンの心を掴んで離しません。
このモデルの最大の特徴は「シリコンヘッド&TPEボディ」のハイブリッド仕様であることです。繊細なメイクの劣化を防ぎ、リアルな表情を長期間維持できるシリコン製の頭部と、マシュマロのように柔らかく抱き心地の良いTPE製のボディ、両者の「いいとこ取り」を実現しています。画像のようなカーディガンやタイトスカートといった日常的な衣装から、フリルの多いコスプレ衣装まで、柔らかなボディを活かした自然なポージングで幅広く着こなしてくれます。
https://www.karendoll.com/miss-doll-fengling-p-6262.html
最大のメリットは、耐久性が求められる顔(メイク落ちや変色がしにくい)にはシリコンを、人肌のような極上の柔らかさが求められるボディにはTPEを配置することで、コストパフォーマンスと満足度を両立させている点です。デメリットとしては、首のジョイント部分で素材の質感や色味にわずかな違いが生じることがあるため、チョーカーやハイネックの衣装で境界をカバーするなどの工夫をするとより自然に見えます。
ストリート系ファッション(甘辛ミックスなど)をドールに着せるコツは?
リアル系のドールに現代的なファッションを着せる際は、「抜け感」を作るのがポイントです。ジャケットを肩から少しずらして着せたり、オーバーサイズのトップスを合わせてシルエットにメリハリをつけたりすることで、人間と同じようにこなれた雰囲気を演出できます。関節の動きに合わせて服のシワを整えることも重要です。
166cmなどの大型シリコンドールの着替えの負担を減らしたいです。
大型の総シリコンドールは重量が30kg〜40kg近くになることもあり、着替えは重労働です。負担を減らすには、ドールをベッドやソファに寝かせた状態で「下から上に」衣装を引き上げるように着せるのが基本です。また、着せる前にベビーパウダーをドールの肌と衣装の裏側に軽くはたいておくと、摩擦が減ってスムーズに袖や脚を通すことができます。
僕は焦って色々な曲がり角を確認するのだけど、おばあちゃんの姿はない。
通路でホテルマンをみつけ、場所を尋ねて、ようやく会場にたどり着いた。
ただ、そこには煌びやかな招待者たちが楽しそうに談笑しているのみで、おばあちゃんの姿はなかった。
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アンソロピックのAI商品が戦争でどれだけ役に立ったか宣伝してたのアメリカの大統領や国軍自身じゃん
倫理で衝突するほど素晴らしく役に立つ軍事商品だと日本の新聞も巻き込んでAIの宣伝してた
アンソロピックvs米国防総省 AI兵器めぐる倫理で衝突 - 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC27C7Y0X20C26A2000000/
今から思えばこの宣伝でIT企業の天才らはイランの敵対対象になるから
つまりAI技術者はアメリカ政府と軍に協力して庇護下で生きていくしかないぞという流れにしたいのだろう
政府や軍が安く使える
田舎町でJKの主人公は母の死後過保護になった父親や優しいだけの幼馴染に囲まれた退屈な日常にウンザリ。都会の大学に進学する野望を胸に鬱屈とした日々を送っていたが、ある日、彼女らの街でゾンビ・パンデミックが発生。学校の愉快仲間達やジョックスとのサバイバルが今始まる。
みたいな話。
何も知らんとティーンズゾンビ映画と思って見始めたら学校に行くや否やいきなり歌い出して、こういうギャグなのかな?と思って見ていたら、食堂で2発目も発動して「ゴリゴリのミュージカルやないか!」となった。で、その楽曲とパフォーマンスがよくてねぇ。昨今のティーンズミュージカルらしく、ポップで耳当たりのいい楽曲と歌詞で登場人物の人物紹介と現状の心境を手際よく紹介する手腕。
特に白髪のレズの子の歌がめっちゃよくて驚いた。ちなみに主人公のビジュがどちゃくそよくてすごい。
そして2曲披露しておおよそすべての登場人物を紹介し終わって、翌日、ちょっと寝坊した主人公が、でも「なんか今日はいつもと違う気がする!」とイヤホンで音楽を聴きながら「Brand New Day!」と高らかに歌い上げる後ろでドーン・オブ・ザ・デッド(ってかショーンオブザデッド)の冒頭よろしく、世界がゾンビパンデミックで阿鼻叫喚になっているという、たしかにBrand New Dayだけどさぁ!っていう展開は「いや流石に気付くだろ」と思いつつも皮肉が効いててよい。
そしてまぁそこからは友人たちとボウリング場に立てこもるもゾンビがやってきて戦ったり、家族に会いに学校に行く途中にジョックスと合流し、ジョックスたちは軽薄な若者らしくゾンビ狩りを楽しんでいたり、その道中でわざわざ危険なルートを選んだ結果、ジョックスの仲間を失ったりとゾンビ映画あるあるを陽気な楽曲とともにこなしていき、学校で家族と合流と思いきや、嫌味な校長が暴走していて「やっぱり一番怖いのは人間だよね」といういつものやつになって最終的にはそいつを倒して生き残った仲間と車でどこかに走り出して終了。という、ゾンビ映画で100万回みたやつでおわる。
個人的にえぇ~と思いつつ、そうなるよなぁと思ったのは、主人公の学校での仲間は主人公に思いを寄せる優しい幼馴染とラブラブカップルの3人、それとは別に嫌味なジョックスがいて、銀髪でレズだけど心根が優しい不良少女がいるが、生き残るのはジョックスと不良少女と主人公。仲間たちは次々とある意味無意味な死を遂げていく。
そして途中で主人公とジョックスは実は肉体関係があるも、そこから何となくすれ違っていたことがわかる。
ジャパニーズ・オタク・カルチャー的に考えればゾンビ・パンデミックという非日常の中で優しい幼馴染の気持ちを主人公が知り思いが通じるということになりそうだがそうはならない。死ぬ。ついでに最後には父親も死ぬ。まぁそこかしこでキスしまくってたバカップルが文法的に死ぬのはしょうがないけどさ。
でもこれが鬱屈した日常に飽き飽きしていたJKが非日常の中で道を切り開く物語だとすれば理屈が通じる。死んでしまった幼馴染みもバカップルも清掃員の父も、嫌味な校長も町の人たちも。みんな境遇に不満はあってもある意味で現状に固執する人間であり、主人公を庇護するものとして描かれている。
しかしジョックスは反発しつつも主人公を変えてくれる存在であり、必要であれば父親も殺す現状を変える人間として描かれているし、不良少女も現体制に反抗し日常ではなく世界を良くしようと活動している人物。つまり社会の庇護の中にあった子供だった主人公がそれらを失って新しい世界へと歩み出していく物語として、仲のいい人ばかりが死んでヘンな奴ばっかりが残るのはある意味で正しい。
でも優しいだけの幼馴染が恋愛競争に敗れて、暴力的なジョックスが生き残るのは青春のリアルな残酷さが描かれていて正直、ちょっとしょんぼりしてしまった。
ゾンビ映画としてのゴア描写はしっかりしているし悪ふざけみたいなゾンビ虐殺シーンもちゃんとあるし、悲劇的な別れも、バカみたいな別れもちゃんとある。ミュージカルにしてしまったことで正直、緊迫感は薄れてしまったなとは思うんだけどゾンビ映画のパロディ、コメディとしては十分な点を挙げられると思う。
ゾンビ映画とミュージカル映画の両方が好きって層には普通にオススメ。ガチのゾンビ映画が好きな層にはもしかしたら微妙かもしれない。
○ご飯
朝:カシューナッツ。昼:おにぎり。味噌汁。サラダ。夜:人参、ピーマン、わかめのスープ。カレーうどん。たまぎやき。バナナ。ヨーグルト。間食:なし。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、面倒なことが多く疲れている。
・イチ
面白かったー。
仲間キャラのエピソードたっぷりでどれも良かったけど、イチとデスカラスの関係値で終わるのがとても好みだ。
最強のデスカラスがますます強くなったわけだけど、この安全安心な庇護関係は少年漫画的には前触れで怖いなあ。
・キナト
谷間見せつけ系新キャラ登場。
おっぱいキャラの入れ替わりでお尻キャラを出したばかりなのに、お色気路線まっしぐらだ。
丁寧な前振りがされてるので、剥かれるシーンが待ち遠しいですな。
投石が武器ってのはハッタリきいてて好きだ。
・イチ
「最強」が最強たる所以とその成果が発揮されて大満足。
まだまだ底が見えない圧倒具合も良かった。
いろんなエピソードが混ざってた今回のお話もこれでひと段落かな、どれも面白かったな。
諸々色々整理がつきあとは暴れるだけ。
ゾロが楽しそうにしてるの、ここからはもう理屈なく暴れますの宣言感があって好きなんだ。
・ロボコ
マコラ弄り回。
びっくりするくらいすがすがしいほどの2で草。ただ偉大な1は超えられなかったかな。70点。
前作で燃やしたロシアンマフィアの年金の返済をかつて自分が所属していた組織に肩代わりしてもらった結果、殺し屋に逆戻りした主人公は忙しさのあまり家族と再び距離ができてしまう。そんな彼は一念発起、夏休みに家族みんなでバカンスに行く計画を立てる。そしてたどり着いたアドベンチャーパークのゲームセンターで地元のチンピラとうっかり息子が喧嘩をしてしまい、店員に娘の頭をはたかれたことから主人公はブチ切れてゲームセンターに戻り大暴れ。ちゃっかり逮捕され保安官に死ぬほど脅され釈放。なぜか保安官がチンピラを引き連れ襲い掛かってくることに。なんとそのパークは裏組織の物流拠点だったのだ。そこを仕切る極悪シャロン・ストーンとの戦いが幕を開ける。
もう冒頭から取調室に傷だらけの主人公が座っていて目の前には男女コンビの捜査官。そして主人公の隣には今度はクソデカ狼犬とかいう完璧な1のオマージュ(1では子猫だった)で草。そして庇護されるものだった猫から狼犬にパワーアップしていて、これ以降、同じように少しずつ1より進んだ1の繰り返し演出が次々と登場する。
前作でも印象的に使われていたジャンプカットでボロボロになりながら殺し屋の仕事を続ける主人公と主人公に会えずに寂しがってる妻という現在の日常。そして1では毎日「家のドアを開けるところ」の繰り返しだったのが、今作では車が出発するところの繰り返しに代わっており、ついに主人公が休みを取ることを決意したシーンではゴミ捨てについに成功する。
前作では強盗に果敢にとびかかり顔面パンチされて目の周りにあざを作っていた息子はバスケの試合で同じようにあざを作っているし、同じように妹のためにチンピラガキにとびかかりそれが火種に発展する。そして最後には今度こそ侵入してきた敵にチョークネックを成功させる。ゲームセンターからうまく脱出できた主人公はやっぱり自分の足で中に戻って暴力の世界に足を踏み入れるし、ロシアンマフィアと同じようにシャロン・ストーンの楽しい楽しいお仕事パートも用意されてる。今作では保安官が中間管理職役を担っており、その上にストーンがいるというのもちょっとパワーアップ要素。今作でもストーンの金を燃やします。
バスでのアクションが今回は水上バスになってるし、バスでのアクションと同じように水上バスでも主人公はバーに頭をぶつける。最終決戦は前回は工場内だったけど、今回はパーク全部を使っていて尚且つ、ジジイとRAZに加えて改心した方の保安官が加わって1人増えてるし、最後の最後で守られるだけだった妻が戦力に加わる。
上記のように徹底的に1を下敷きにしたうえで、それをちょっとずつ上回る形に変換しているのは何気にすごい。
あと前作ではスナイパーだったRZAが今作は大阪での仕事帰りでニンジャ+サムライにかぶれててブレードアクションを披露。こいつ好き放題やってるな。
そして前作ではミドルエイジクライシスがテーマになっていたけど今作ではワーカーホリック、仕事と家庭がテーマになっている。
ウキウキで暴力の世界に戻った主人公だが今度は毎日のように殺しの仕事漬けになって家族と疎遠ですぐに仕事が嫌になっちゃう。趣味を仕事にすべきではないな。ウン。となんだか切なくなってしまう。妻は自分をもう愛してないかしらと思い詰めてるし子供のバスケの試合も見に行けないし嫌になって休みを取るも、趣味を仕事にしたもんだから、旅先でもついつい仕事に精を出して家族を危険にさらしてしまう。
一方で主人公の息子と喧嘩したチンピラガキの親の保安官はパワハラ上司のストーンに嫌気がさしていて「もう借金返せたやろ」とたてついた結果、息子を殺されそうになりそれを主人公に救われ仲間に加わる。彼も息子も嫌な奴として登場するけど、互いに絆は感じていて非常に人間臭い親子として描かれているし、その借金も親から引き継いだものだったんだよなぁ。
一方でクソパワハラ上司のストーンはどう見てもひとり身で周囲を女性ボディガードで固めていて他人との絆なんて一切信じていない非常に対照的な悪役として描かれている、ちなみにその下っ端の保安官もどう見てもひとり身。
そして追い詰められた主人公を妻が仕事(野生動物の保全活動)で培った麻酔銃スキルで救出するという展開の美しさ。そして1と同じようにドタバタの後に再び取調室に戻るんだけど1では主人公と猫だけだったのが、今回は主人公、狼犬、そして妻が一緒に座っているのもよいし、エンドロール前には家族みんなで娘が撮ったチェキをプロジェクターで流すのを眺めているシーンからシームレスで「あんなこともあったけど楽しいバカンスだったね」という家族の物語の〆として完璧だと思いましたよ。
ただ、この手の作品で最も大事な「普通のおっさんがキレて殺人マシーンになる瞬間」が今作では当然ないので、そのカタルシスの薄さはどうしても出てしまう。そういう意味で今作では冒頭から暴力全開なのでメリハリに欠ける部分は否めないのは正直マイナス。そして前作で主人公はやりたい放題やる奴だってわかってるので、今作での金焼きも「前作をなぞってるなぁ」感はあっても「そこまでやっちゃうの~」感はなくてやっぱ盛り上がりに欠ける。
そしてアクションだけど今作でもきっちり長回しでアクションを見せてくれるし、前作にはあんまなかったアクションでやられた被写体にカメラを固定してぐりっと回転させるダイナミックなカメラワークが追加されていて楽しませてくれる。でも、前作がかなりもう上位まで行っちゃってたのでそこを超えるほどの衝撃はあんまなかったのも残念。
最終アクションが工場からパークに規模が上がったのはいいけど、結果的により荒唐無稽でド派手方向に振れちゃっててそこを良しとするか悪しとするかは人によって評価は分かれそう。俺は正直ちょっと微妙だった。
そんなわけで1を見た人には大満足だとは思うんだけど1を見てると逆にちょっとやりに行き過ぎてるなぁって感じもするし、1の偉大さを再確認させられる結果になりそう。とはいえアクション映画として十二分な強度はあるし、90分しかない上質なアクション映画を見たいならオススメ。
あのさ、ネットの底辺で「男女平等」とか「対等なパートナーシップ」とか喚いてる弱者男性の諸君、いい加減に気づいたら?
お前らがいつまで経ってもモテないし、女から「キモい」の一言で切り捨てられる理由。それは、お前らが女性を「人間扱い」してないからだよ。
あ、勘違いしないでね。お前らが思ってる「人間扱い」って、どうせ「男と同じように接する」とかいう意味でしょ? 割り勘にするとか、論理的に詰めるとか、同じ土俵で競い合うとか。
「男女平等」とか言って女に男と同じ苦労をさせるのが正しいと思ってるでしょ?それ、ただの虐待だから。
お前らが思う「人間扱い」は、割り勘したり論理的に詰めたりすること。でも本当の「人間扱い」っていうのは、女を「男とは違う、守られるべき尊い存在」として特別扱いすることなんだよ。
女性は繊細で不完全な生き物なの。重い荷物を持たせない、支払いは全部持つ、ワガママを「可愛い」と許す。これが正しい敬意。お前らが「自立」とか「論理」を求めるのは、エスコートする甲斐性がない自分の無能を隠してるだけでしょ?
女は「一人の自立した個体」なんて扱われたくないの。そんな厳しい生き方は似合わない。彼女たちが求めてるのは、自分の弱さを全肯定して甘やかしてくれる騎士なんだよね。
結局、女を男と同じ泥臭い土俵に引きずり下ろそうとするお前らこそが、一番女性を人間扱いしてないんだよ。彼女たちを「思考力は劣るけど愛らしい庇護対象」として特別席に座らせてあげなよ。それができないから、いつまでもモテないんだよ。
私自身も男性という当事者性を有するがゆえに、当該の発言に対しては幾ばくかの憤りを禁じ得ない。
しかしながら、その指摘が蓋然性の高い事実であることもまた、認めざるを得ないだろう。
現状、男性側が何ら事前の合意や報酬の担保がない状態で、一方的に女性へ配慮を供与し、過剰な庇護を与えるケースが散見される。
その上で、期待した反応が得られない場合に「配慮に対する報いがないのは不当である」「礼節に欠ける」と独善的な義憤を露わにするのは、いささか筋違いと言わざるを得ない。
したがって、男性はこうした自己完結的な配慮を峻別し、是正すべきである。主観的な期待に基づき、独りよがりに配慮行動を先行させることは控えるべきだ。
報賞(リターン)を付与する対象は、既に社会や組織、あるいは個人に対して実質的な利益をもたらした者に限定すべきである。
何ら貢献の認められない女性に対して、一方的に配慮を先行投資する行為は、結果として双方に不幸な結末を招く。
結論として、配慮とは後発的な報酬として実行されるか、あるいは明確な契約・合意に基づき実行されるべき性質のものなのである。
増田はある漫画が好きで、ネットでの連載が打ち切られ、自費出版になったあとも買って読み、タイミングがあれば友人にも勧めていた。
ところがある日、その漫画家が性犯罪者だと知らされた。しかも客観的に見て漫画家に完全に非があり、行った行動は到底擁護できるものではなく、出ている状況から確認できる限り反省していない。
しかも漫画家を担当していた編集も二次被害的な言動を行ったと言われている。
そのためネット言説は一気に漫画家と編集、及び監督責任を所属会社に問う方向へ走り始めた。
なのでこれはネット言説への一部反論であり、それでもまだ漫画自体を面白いと思っている自分への自己擁護である。
増田という匿名性を借りて語るが、当然被害者の感情は最優先して庇護するものであり、加害者の加害行動を擁護することもない。
どれだけ漫画が面白くても、もう面白がれない。増田はまだ漫画を面白いと思ってるが、二度と言及することはないだろう。それは、社会の要請や人から向けられる目以上に、増田自身も作者の行動が許せないからだ。応援出来ないと思う。
ただ、同時に万が一新刊が発売されたら買ってしまうとも思う。自費出版で特定流通会社を介して住所も名前もバレずに買えるなら買いたい。
あるいは刑事事件となって賠償などを行うことが決定し、そのうえで死刑囚の書いた本を出すような出版社が権利を整理して流通網に載せるなら買いたい。
なぜなら少なくとも増田にとってその漫画はそれだけ面白いし、続きが気になるからだ。
(と、同時に買えないだろうなぁとも思う。)
なので、ほんの少しだけ名義を変えさせてまで連載させた編集の気持ちも分かる。
才能が埋もれるのを勿体なく感じてしまったのだろうと思うのだ。
という気持ちと、自分が編集の立場なら同じようなことをしてしまった可能性があることへの自己擁護をしたい。
まず、叩かれること覚悟で明言しておくが、この増田は犯罪だとしても被害者と加害者の間で示談が成立したなら、その取り決めは守るべきだし、犯罪は全てが刑事事件になる必要もないと思っている。
今回は示談の際に被害者の意見が無視されているというのが主題のようなので全く擁護ができないが、なにかの事故で車に撥ねられた際に撥ねた相手が一億円積んできたから刑事事件にはしない人がいてもいいと思うし、逆に一億円貰っておいてあとからごにゃごにゃ言い出すのは約束が違うのでは?とも思ってしまう。
そのうえで最初。少なくとも作者を追いかけていた分少し早く増田はこの疑惑を知り、被害者が、あるいは被害者に近しいところからこの告発が出てきているようだというところまで確認していたのだが、そこからかなり早い段階で編集についてもスポットが当たり、被害者の射程はここなんだな。と感じた。
加害者本人と、被害者の感情に配慮できなかった示談交渉を行った編集
加害者には刑法及び民事上の責任が課されるべきだし、編集にも民事上、および社会通念上の責任が貸されるべきだと思う。
ただ、ここで編集が示談交渉すること自体を増田は責められない。
夢物語なのは承知の上で、なにかの落とし所を探して被害者に対して漫画だけは書き続けられるよう、そしてそれが被害者にとってつらいものではないように示談金額、あるいは示談内容を調節してしまったかもしれない。
②犯罪者が作品を作ってはいけないとは思えないこと(そして、反省は目に見えないものである以上お金を稼いだほうが被害者救済になるだろうこと)
もうひとつ、これは世にいるネット言説が嫌いだから言及しておくが、増田は犯罪者は陽の当たる場所にいてはいけないとか、作品を作るべきではないという話には疑義を持っている。
被害者の意思が最優先であるのは間違いないし、ステークホルダーに含まれる出版社や編集、そこから派生して関係機関、個人の意思も重要だ。
ただ同時に犯罪者の居場所を奪うだけの言論を正論として振りかざす第三者を好きになれない。
今回の加害者には反省の色が現状確認できないため全く擁護できる余地はないが、それはそうとして出所後の人、示談済みの人、その全てを犯罪者として社会から排斥すればこの社会は再起のできない社会になると思う。
そうすれば犯罪者は更生できずに、また犯罪を犯すか死ぬしかない。
極端な意見を持つ人もいる話だと思う。
増田も、漫画家の犯罪内容を知った時はどうしようもねえ人間だな……と思った。
だからこそ、少なくとも漫画家として応援する気のある編集がいたのは悪くないのかもしれないと思うのだ。
もしかしたらこれから余罪が見つかり全てのネット言説が正論を振りかざすかもしれないが、少なくとも漫画家として活動していた間に余罪が無いなら、最低限の擁護を増田はできる。
増田と同じ読者の中には、自らが犯罪の一端を担ったが如く思い息苦しくなっている人もいるかもしれない。
正直増田にもその意識がある。まだ漫画が好きだと言えてしまう自己に嫌悪感があるし、この日記も被害者に寄り添えてない自己擁護に過ぎない最低なものである。
でもこの状況をもっと軟着陸できるような振る舞いを編集と会社は出来なかった。
知りえなかった情報を知らなかったことであなたを責めることができる人は存在しない。もしも、いたとしても増田はそれに反論したいし、あなたとそして増田自身を擁護したいと思う。
おい、弱者男性ども。
毎日毎日「女はズルい」「俺たちは救われない」ってネットの隅っこでボソボソ呟いてるお前らさ、鏡見てから言ってる?
いいか、よく聞け。
女っていうのはな、本質的に弱くて、儚くて、守られるべき「守護対象」なんだよ。
知能も、判断力も、腕力も、全部男より一段劣ってる。それは差別じゃなくて「事実」だ。だからこそ、俺たち責任感のある「本物の男」が、彼女たちが道を踏み外さないようにリードしてやり、重い荷物を持ってやり、泥を被って守ってやる義務があるんだわ。女は、男の庇護があって初めて輝けるマスコットみたいなもんなんだよ。
「女は金を持ってる男しか選ばない」? 当たり前だろ。
自分の力じゃ何もできない、生存能力の低い生き物が、強い個体に保護を求めるのは生存本能だよ。それを「汚い」とか叩くのは、子供が親に甘えるのを叩いてるのと一緒。器が小さすぎるんだよ。
お前ら、子供相手に本気で短距離走して「ハンデずるいぞ!」ってキレてるのか? 恥ずかしくないの?
女は構造的に弱者なんだから、多少下駄を履かせてやるのは強者の余裕だろ。それを奪い合おうとする時点で、お前らの精神性は「女以下」なんだよ。
一番ヘドが出るのがこれ。「俺たち弱者男性にもケアを!」とかいう甘え。
男として生まれたからには、誰かを守って、支えて、背中を見せて死ぬのが役割だろうが。
守るべき対象であるはずの女に「理解してほしい」とか「愛してほしい」とか、尻尾振って媚びてんじゃねえよ。
「守る力のない男」なんて、この世で一番価値がないんだわ。
お前らがネットで叩いてるフェミニスト様の方が、まだ自分の権利を主張するバイタリティがある分、お前らより「オス」としてマシに見えるレベルだぞ。
女を叩く暇があったら、自分が「女を一人養って守れるだけの強さ」を持てない無能さを呪え。
「対等な権利」なんて寝言言ってないで、早く自分の弱さを認めて、強者の靴でも磨いてろ。
それができないなら、一生地下室で、自分よりさらに弱い(と思いたい)存在を探してろよ。
まあ、そんな存在、この世にはもういないけどな。
明日ちゃんのセーラー服、前回は髪を結ぶシーンで燃えてて今回はリップクリームを塗るシーンで燃えてるけど、確かになんか言葉にできない気持ち悪さがあるんだよな…
同じくエロ売りしてるTo Loveるは不思議とそこまで気持ち悪いと感じない。
何が違うんだろうと考えたときに、真っ先に思い浮かんだのがこれだった。
何というか、明日ちゃんのセーラー服の読者は現実の女子中学生も性的な目で見てそうだし、作者も「女子中学生のここがエロいよね!」と自身のフェティシズムを作品に落とし込んでそう。
あとTo Loveるは性に目覚めた少年とか若い男子が好きそうだなって思うんだけど、明日ちゃんのセーラー服はどことなくおっさんが好きそうな感じがする。
精力は衰えたけど若い女体への執着を捨てきれないおっさんが「こんな可愛い娘がいたらなぁ」と性欲と庇護欲をごっちゃにした願望を抱いてそうというか。
エロ漫画みたいに抜いてスッキリして終わりじゃなくて、明日ちゃんという作品を読むことによって理想化した女子中学生像をさらに強固なものにしてそうなのだ。
このキモさを例えるなら『めしぬま。』がそれに近いかもしれない。一つの動作をやたらネッチョリと描写してて不自然なうえに性的なニュアンスが込められてる感じ。あれは主人公が成人男性だから別に問題ないけどさ。