はてなキーワード: 発達障害とは
長い!一行で:元増田、無理は禁物
とても興味深く読んだ。というのも、私自身も増田言うところの、「魂のない」ように見える人たちの存在を強く感じながら生きてきたので。
彼らはその瞬間の不快や怒られを回避するためなら嘘もごまかしも無理筋の言い訳も躊躇わない。その場しのぎの言い訳は短期間のうちにコロコロ内容が変わり、事に当たる際に仁徳やら規範やらの、自らの内にある判断基準を経由しているようには全く見えなかった。というかあまりに脊髄反射だけで生きているので、なんだか虫みたいだな……と思っていた。
「虫みたいな人たち」は、不思議と皆、行動原理の最上位に性欲を置いているらしかったので、それがまた、命尽きるまで鳴くのをやめないセミのようで、どうにも理解しがたかった。
また、もう一つ共通した特徴として、彼らは「関わらないでくれ」という言葉が通じなかった。
どんなに誠実に断ったつもりでも、女は「お前が私を寂しくさせた」「お前のせいで傷ついた」と泣き叫んだし、男は「俺にセックスさせないお前は極悪人だ」と喚き散らし、驚くほど必死に私を攻撃した。
ストーカー被害にも遭ったが、30代も半ばを過ぎた今では「私を特別な存在にしろ」という人からのオファーがぐんぐん減り、人生一番の安息を味わっている。
ここまででピンとくる人もいるだろうが、つい先日私は発達障害と診断された。どまんなかの孤立型ASD、知的に問題がなく擬態もそこそこ上手かったので診断が遅れたとのこと。
それについては特に驚きもない。それはそうだろう、「虫みたいな人たち」の方こそ動物としては正統の存在で、話の通じない障害者に傷つけられていたのであれば、申し訳ないことをした。というようなことを思ったぐらいだ。これから先も、「理解ある彼くん」という名の虫には現れてほしくない。
そのような立場から元増田の話を見ると、妹御とそのお子さんが困難な状況にあるのは間違いないが、それよりも増田の方に同情と共感を覚えた。
自分の経験を通して何か言うなら、妹さんとは、あまり正面から向き合わない方がいいかもしれない。絶対に理解できない相手を理解しようとしすぎると、人間は壊れる。
前述のストーカー被害に遭った大学生の頃、私は虫のように感じられる相手を対話を通して理解しようと努めた。努めて努めて適応障害を発症し、その結果2年留年した。分かり合えない相手が肉親であるという苦悩は察するに余りあるが、半身で向き合い、ある程度は受け流すことをお勧めして、この長文を終えたい。
何度も書いてるやつ
ほっぺにチューもそれが性的な意味合いを持つなら世界的に該当なの
『わたしもう16歳なのに保守的な親がキスシーンで目を隠す』とか投稿されて
『車を運転出来る年なら問題ない。両親は隠すのではなくセックスについて話し合うべき』
倫理観が死んでる日本のコンテンツ業界は『BL』と『少女マンガ』は良いエロとして平然と垂れ流してるけどな
しかもエロは垂れ流すが意識高い親のみが性教育するだけで子どもの性教育は社会や成り行きにぶん投げ
あとパブリッシャーパワーでゴリ押ししてAppleのレーティングをガン無視してるけど
海外じゃ17+でもそのままじゃ配信出来ない日本のAppたくさんあるぞ
というか、海外を例に出すまでもなく、まともなご家庭は、子供も発達状態に合わせて性教育をします
お前ら子どもが出来る過程をいつ知った?(https://anond.hatelabo.jp/20210630183036#)
> 小学校の道徳で精子が雌の体内に入って受精すると子どもが出来ると学んだ。じゃあ、どうやって体内に入るのか。疑問になって先生に聞いたが適当にはぐらかされた。なので俺はずっと> 精子というのは汗のように分泌されて、共同生活してると偶発的に雌の体内に入るのだと思った。
> 高学年のクリスマスに親から人体について解説した本をもらった。そこに子どもが出来る過程が描かれていた。勃起した男根を女性器に挿入し前後することで受精すると、イラスト付きで解説されていた。
それを明示的に説明し教える義務を負うのは、どう考えてもオタクコミュニティーではなく親のはずだが、何故か日本の親は社会に丸投げ(ネグレクト)なのである。
親も子と同じ特性持っていてツッコミ不在(違和感に気付かない)だったの???みたいな
残念ながら日本語では女性に重点を置いた発達障害(特にASD)の性にまつわる書籍しか見つからなかったが、
Sex Education for Teens With Autism とかで検索するといろんな資料が出てくると思うよ。
下記は、ORCという団体が運営するアスペルガー向けの性学習きっかけのためのサイト。
交際をはじめる前に伝えるべきこと、ときめきや片想いをどうしたら良いか、デートの最中やセックスの最中にすべきこと・してはいけないこと、
セックスをいつするのかなどが説明され、簡易な学習理解テストも付いている。よろしければ参考にどうぞ。
性的に露骨な素材とポルノ
性的に露骨な内容には、芸術的または教育的ではなく、エロティック(興奮)を目的としたセクシュアリティを説明または描写するものが含まれます。
これには、ビデオ、写真、または書かれた物語が含まれる場合があります。
性行為に従事している実在の人物が含まれる場合もあれば、性的要素を含む漫画やアニメの場合もあります。
プライベートな事柄をプライベートに保つ(非公開にする)
多くの人は、ポルノや性的に露骨な内容について非常に不快に感じます。それは物議を醸す私的な活動であるため、多くの人が口にしないテーマです。
多くの人が性的に露骨な素材を見たり使用したりしないことを選択していますが、現実には、自慰行為などを容易にするために利用する人もいます。
あなたが性的に露骨な素材を使用することを選択した場合、そのような資料は非公開にする(プライベートに保つ)ことが重要です。
- 公共の場所(たとえば、学校の携帯電話、映画館、公共図書館のコンピューター)で、性的に露骨な内容の資料を閲覧しないでください。
- 自分のものではないデバイス(学校のコンピューターなど)で性的に露骨な内容を表示しないでください。
- ポルノのウェブサイトを見終わったら、コンピューターで開いたままにしないでください。
- ポルノを見た後、共有コンピューターの検索履歴をクリアすることを検討してください。
注: 性的に露骨な内容は一般的に非公開にする必要がありますが、不快な思いをした場合は、質問したり、サポートを求めたりすることができます。
混乱したり不快になったりした場合は、信頼できる人(家族、セラピストなど)と話すことはいつでも大丈夫です。
例:
自閉症スペクトラムの18歳のアダムは、自宅のバスルームで性的な写真を見るのを楽しむことがあります。これは個人的なことなので(プライベートが保たれているので)大丈夫です。
ただし、アダムはポルノ写真を背景画像として携帯電話に保存することがあります。
アダムの家族や彼の知人がこれらの写真を見たとき、彼らは恥ずかしくて不快に感じたそうです。
ポルノと実生活
一部の人々は、セックスがどのようなものかを理解するためにポルノに目を向けます。
ただし、ポルノで描写されているセックスは自然でも本物でもないため、混乱や欲求不満を引き起こす可能性があることを理解することが非常に重要です。
例:
24歳の自閉症スペクトラムのゲイリー
ある日ゲイリーが年上のいとこのリックと遊んでいた時、リックはどんな仕事がしたいのかと聞いてきました。ゲイリーはネットで見た動画を思い出します。
その中には、ピザの配達人が女性の家に食べ物を届け、女性と性行為をするという内容のものがありました。
ゲイリーは「ピザの配達人になりたい」と答え、その理由をポルノビデオの描写を交えて説明しました。
リックは最初は笑っていましたが、ゲイリーが本気で言っていることに気づくと、気まずそうにゲイリーを見つました。
ゲイリーは、彼のいとこがポルノビデオが偽物であったことを明示的に彼に説明するまで、何が間違っているかを何が悪いのかを理解していませんでした。
それ以来、ゲイリーはポルノビデオで発生するシナリオは偽物であることが多いと想定し、他のリソースからセックスについてもっと学ぶべきだと判断しました。
ロマンチックまたは性的愛情の公開展示
ロマンチックな愛情や性的な愛情を公に示すことは、それが予期されていなかった場合に、多くの人々を不快にさせます。
たとえば、キスはセックスではありませんが、他の人がキスするのを見ると、不快に感じる人もいます。
これは、学校、職場、家族など、性的ではない状況から知っている誰かが、予期していなかったときに
ロマンチックな方法で誰かにキスしたり触れたりするのを見た場合に特に当てはまります。
「メイクアウト」(いちゃつく)したり、連続して何度も相手にキスしたりすると、見物人を不快にさせる可能性があります。
同様に、頬にしかキスをしていなくても、二人がとても近くに座っていたり、どちらかが相手の膝の上に座っていたりすると、
例:
ダニエルと彼のガールフレンドのナオミは、ある夜、友達と夕食に行きました。
夕食時、ダニエルとナオミはとても近くに座って、頬と唇に何度もキスをしました。
ダニエルとナオミの友達はこれを見てとても不快で恥ずかしい思いをしました。
彼らはその夜ダニエルとナオミと過ごす時間を楽しんでおらず、次に夕食に行くときに彼らを招待しませんでした。
[OCR]SEX ED. FOR SELF-ADVOCATES:
社会に丸投げする前にそれぞれのご家庭でセックスについて話し合おう
(自宅で寛ぐ母親の元にポルノ女優と男優が訪ねて来る。困惑する母親)
女優「あなたの息子さんが色々なデバイスでわたし達のことを観てるの」
女優「わたし達のビデオは大人向けなんだけど、あなたの息子さんはまだ子どもでしょ?」
女優「わたしたち(ポルノの中では)性同意の話とかしないものね。いきなり始めちゃうから」
女優「そう!」
ガシャン!
突然のポルノ俳優の来訪に気づいた少年は驚きのあまり皿を床に落とす
女優「はーい!マット」
母親「(落ち着いて、サンドラ) (どうしたらいいかわかっているでしょ)」
母親「(固まっている少年に向き直って)じゃあマットそろそろ話をしましょうか」
母親「ネットで見るものと現実のお付き合いがどう違うか。良いとか悪いとかではなくて (“No Judgement”) 」
ナレーション:ニュージーランドでは多くの若者がポルノでセックスを学んでいます。
ナレーション:“リアルが大事” 相談は政府のこちらのサイトまで
Keep It Real Online - Pornography
https://www.youtube.com/watch?v=6c3Edm8NdGs
https://www.keepitrealonline.govt.nz/
テレビ全盛期だった気がする。
私は人の顔が覚えられないため、三次元の人間が何かをすることにまっったく興味が持てず、
当時は小学校高学年になってアニメ見てる人間は少なく、まだコナンとか見てんのwという空気があったように思う。
コナンも見てたし、世代ではないがレンタルショップで幽遊白書のアニメを借りて大喜びしていたし、ヒカルの碁が載ってるジャンプを大興奮で読んでいた。
学校でみんながSPEEDやKinKiの話をしていた気がする。
KinKiが2人組らしい、くらいのぼんやりした認識しかなかった。
ツヨシとコーイチがどうのこうのという単語を聞いても、みんなが何を言ってるのかよくわからなかった。
ヒカルの碁の話をしたけど、周りの女子はアニメ化されてない漫画のことなど誰も知らなかった。
中学生に上がる頃、やっとオタクというものがいかにヤバいか、認識した。
小学生の私はなぜそれに気付けなかったのだろう。
みんな笑う犬というお笑いの話をしてたから見てみたけど、面白さはよく分からなかった。
学校へ行こうは楽しかった。V6も好きだった。メンバーのうち2人くらいは顔を覚えることができた。
水曜日、学校へ行こうの話をするととても盛り上がったし、楽しかった。
モー娘。はたくさんいてついに1人も顔と名前は一致しなかったけど、音楽番組を見ることで曲についての理解はだいぶ深まった。
セクシービームをやれと友達に強要されて、恥ずかしかったことを何となく覚えている。
トリビアの泉は大好きになって、高校受験の前日も勉強を放り出してテレビに齧り付くようにして見ていた。
司会の2人の顔を覚えていた。
小学生のうちに、もう少しテレビを見ていたら小学校生活もう少し違ったかなと思う。
さっき、バラエティを見ていたら小学生がインタビューされていて
あの歳でMCというものが何かを理解している。もちろん顔も名前も一致している上で、MCの技量について語っている。
驚愕。
小学生の頃の私は芸能人の顔や名前も、 MCというものが何かも、その役割についても何一つ知らなかったと思う。
あの頃の私があの場にいたってそりゃ誰とも話せないよ。
今でも人の顔を覚えるのはとても苦手。
人に興味を持ちにくい特性もあると思う。
そういう人って小さい頃テレビ見てたのかな。見てなかったんじゃないかな。
人生、つまづかなかった?
平均を±SDとすると下位15% 7人に1人は切り捨てて考えないといけないから
はてな民が5000人いるとして、嘘増田に引っかかるやつが750人以下なら平均以上の集団と言えるしそんなもんじゃね
増田見てるだけでもニート無職発達障害うつ統失を自称する奴結構目にするし完全な高リテラシー高知能集団なんてネットで作りようがないだろ
女がイージーモードというのは人と仲良くなったり、営業をしたり、助けを求めるときだけだ。
自分であえて縛りプレイをしているような人はハードモードだし、人と仲良くならず、自分だけの手で何とかしようと思う人にとっては何の意味もない。
特に何かを勉強しようとする人にとっては誰かの助けを借りても意味はほぼないし、最終的には自分で何とかしないといけないんで、誰かの助け自体が邪魔な時もある。
ただ、ホームレスなった時は誰かの助けを借りないといけないので、そういう時は男よりははるかに楽ではある。
もっとも、女は年を取ればとるほどKKOに近づくので、イージーモードなのは最初のうちだけだけどな。
ま、それでもゲームの理想的な進行になってはいるんで、発達障害を持ってる男よりは生きやすいよ。
発達障害を持ってる男はチュートリアルをすっ飛ばして、いきなり戦えで、発達障害を持ってる女も同じ傾向があるけど、仲間ができるだけまだまし。
発達障害が増えたのは高齢出産が増えたせいって主張する人達って
相変わらず初産以外はカウントしてないな
例えば20歳で結婚して1年後に第1子を産み、2年毎に1人産んで計10人産むとしたら、末っ子を産む時には41歳になる
25歳で結婚して1年後に第1子を産み、3年毎に1人産んで計5人産むとしても、末っ子を産む時には41歳になる
だけど30歳で結婚して1年後に第1子を産み、3年後に1人産んで計2人産むとしたら、末っ子を産む時でも34歳だし
返答になってないんだけど 発達障害かな?
小さな会社で事務兼専門職の仕事をしている。私は5年ほど働いており、先輩的な立場なので仕事を教えたりするがその新入社員が物事や人の話を理解せず、勝手な解釈や不可解な受け答えをし困り果てている。
その新入社員は大卒でこの会社で3社目。(1社目、大企業の営業、単純ミスから1年で辞めざるをえなくなったようだった。2社目、いまと同じ職種の小さな会社に半年ほど)
日常の単純業務は進捗状況やできたかを再三尋ねると何とか時間内にできるが、考えることが必要な業務や知識(内容の理解)を組み合わせて仕上げる仕事は時間内にやり遂げられることはない。
また、仕事内容で質問してくることがあるが質問の意味や意図が外れている。(経験上、業務上何が聞きたいかある程度先読みできるので)こちらが聞かれた質問にだけ答えると、質問内容が本題にマッチしていないので誤った内容で仕事をこなしている。本人はそれに一切気付かず仕事ができているつもりでいる。結局、毎回こちらが指摘と見直しの注意を繰り返してやっと完成する。このときも指摘された内容は理解せずにただ訂正するという業務をするだけ。
だから、ミスをしたり同じ失敗を繰り返している。その点を話しても、ミスをしているという感覚や意識が薄く「あぁ‥はぃ‥」と言って焦点が定まらずに表情からしてもボーっと聞くだけ。現に入社1年で単純ミスから大きな失敗をすでに犯している(この時は経営者がなんとか収めてくれた)。
お客様との応対業務では、目の前でお客様がつい先ほどまで話していた内容を私が数分後に尋ねると「‥わかりません‥‥」「‥‥覚えていません‥」と言葉を濁して返答。挙句の果てには自分で(本人が)話していたことでも「‥わかりません‥」といった具合。
小さな会社で専門職の職種なので他の部署はなく、その新入社員と同じ空間で業務を分担したり任せたりをして仕事をしていくしかない。クビはいまのところなさそう。重大なミスを再度したり今後ミスが続けば可能性はあるが小さな会社だから法律の雇用上クビにすること自体を経営者が避けている。
理解力のあまりの無さや言動の不可解さは挙げるとキリがなく、他の方からも言われている。
そのよう言動を見たことがある人(同じ会社の人ではない第三者)から、発達障害の一種ではないか?と私は教えられた。当てはまるように思うが、確定ではない。
ある意味、そうであれば理解のないその不可解な言動は納得できるところもある。
私はこんな人とどの接して仕事をしていけばいいのか。
最初は魂?と思っていたがなんかわかる。その場の感情で言ってることがコロコロ変わるし、その全てが自己弁護なんだよな。
最初はちゃんと躾をしようとしていたのならまあ今は精神を病んでるってことなんだと思うけど、ベースにADHDとかなにか見過ごされてきた発達障害があって、自覚がないからその特性がゲーム依存とかだらしない生活といった悪いほうに出ているのではないだろうか。なんにでもムキになって反論してくるなら自己肯定感も低いのかもしれないし…。
ある日のことだった。私は仕事帰りに最寄りの駅から自宅へと向かっていた。疲れた体を引きずりながら、早く家で休みたいという一心で足を進めていた。その日は特に長い会議が続き、頭も体もクタクタだった。
駅の改札を出ると、前方に小さな子どもとその母親らしき女性が見えた。子どもは興奮気味に大声を出しながら、周囲を走り回っていた。母親は必死に子どもを追いかけ、「〇〇ちゃん、危ないからやめなさい!」と声をかけていたが、なかなか言うことを聞かない様子だった。
その子どもは私の方へと一直線に走ってきた。避けようとしたが間に合わず、ぶつかってしまった。「痛っ!」と思わず声を上げると、子どもは笑いながらまた走り去っていった。母親が駆け寄ってきて、「すみません、本当にごめんなさい」と何度も頭を下げた。私は苛立ちを隠せず、「ちゃんと子どもを見ていてください」と少し厳しい口調で返した。
家に帰ってもその出来事が頭から離れなかった。疲れているところにあのようなことが起き、ますます気分が沈んだ。なぜあの母親は子どもをしっかり見ていないのか、なぜ子どもはあんなに騒ぐのかと、もやもやと考えていた。
数日後、同じ時間帯に駅を利用すると、またあの親子に遭遇した。今度は子どもが駅のベンチに座り、大声で歌を歌っていた。周囲の人々は少し距離を置きながら、その様子をちらちらと見ていた。母親は優しく子どもに話しかけていたが、子どもは夢中で歌い続けていた。
その時、私はふと立ち止まり、その母親の顔をよく見た。疲れと困惑が混じった表情であったが、どこか愛おしげに子どもを見つめていた。その姿を見て、何か胸に引っかかるものを感じた。
帰宅後、発達障害についてインターネットで調べてみることにした。子どもの中には、周囲の状況を認識するのが難しかったり、自分の感情をコントロールするのが難しい子がいることを知った。また、親も日々大変な思いをしながら子育てをしていることが書かれていた。
私は自分の無知を恥じた。あの日、私は自分の苛立ちをあの母親にぶつけてしまったが、きっと彼女も毎日懸命に頑張っているのだと気づいた。
それからは、駅であの親子を見かけるたびに、少し離れた場所から見守るようになった。子どもが楽しそうに歌っているとき、母親がほっとした表情を浮かべる瞬間を何度も目にした。
ある日、子どもが私の方に駆け寄ってきた。前回のこともあり、一瞬身構えたが、子どもは手に持っていた小さな花を私に差し出した。「これ、あげる!」と無邪気な笑顔で言った。驚きとともに、「ありがとう」と受け取ると、子どもは満足げに母親の元へ戻っていった。
母親は少し戸惑いながらも、「すみません、この子が急に…」と声をかけてきた。私は微笑んで、「いえ、素敵な贈り物をいただきました」と答えた。母親はほっとした様子で、「ありがとうございます」と頭を下げた。
その瞬間、私は自分の心の中にあった偏見や誤解が解けていくのを感じた。人はそれぞれ違う背景や事情を抱えて生きている。自分の知らない世界があり、そこには自分が想像もしない苦労や喜びがあるのだと実感した。
それ以来、私は周囲の人々に対して少しだけ優しくなれた気がする。迷惑だと思っていた出来事も、見方を変えれば新たな気づきや学びに繋がるのだと感じた。
当時の界隈が天才または何らかの発達障害を持った人で構成されており、医療に繋げなかったことが何よりの問題である。
2025 年になっても反省は無く、個人の問題として捉えている。これを書いた人もまた問題のある人で、老害となっているであろう。
許せない。こんな人間が生きて若者と接してはならない。お前が治療を受けろ。生き残ってしまった人間の責務だ。
これだけ読んで特に問題があった人だったと思って欲しくない。多くの人が大差なく問題であったし、それなりに優れた価値を持っていた。確かな貢献もあった。
発達障害の薬
できれば精神安定剤も
このあたりを飲んでる奴らすぐやめろ
これを飲むと一時的に症状が和らぐかもしれないが、副反応として思考(脳)が変わる
1つでも当てはまったらもうその薬は飲むのをやめてくれ
軽く汗をかく程度の運動
やめる気がある人は
なにか質問があれば受け付ける。
ADHDの診断を受け服薬を始め10ヶ月ほど、暮らしが上手く回るようになってきた。実家から一人暮らしの家に戻り強く実感している。コンサータでなくストラテラ(正確にはストラテラのジェネリック)を飲んでいて、ぼんやりとした思考がくっきりしたように思える。何とか病院に通い服薬を続け整った現状や気づきを大まかに記録しておく。
主な変化
服薬前の自分はライブのために2桁万円のチケットを買う人間だった。そこに好きなアイドルがいるから。今この瞬間が楽しければ良く、一時期消費者金融数社にお世話になったこともある。それに対して罪の意識も無かったし(最終的に本当に首が回らなくなり夜職を始め何とか完済できた)仕方ないくらいに思っていたはずだ。けれどもアトモキセチンを飲み始めてからこの行為は異常だと言うことに気がついた。チケットを買う頻度が明らかに減り、行けたら行く、のスタンスになった。いままで恋だと思っていた行動が発達障害による衝動性から来てたの思うと少し悲しい。濁流のように感情が溢れてその全てをツイートすることも減った。
担当医とカウンセリングをする中でやらなければいけないことを生活に組み込む事が大切と言われ、暮らしのシステムを変えることにした。手始めに
・所持しているものを減らす
・連続して通わなければいけないものは必ずその日のうちに予約を取る
など自分内のルールを決め生活の中のエネルギー消費を限りなく減らすようにした。加えて諦めが大事になることも学んだ。自分は人より弱く、ルーズで、浪費癖があり、信用されにくい人間だと言うことを自覚しアルバイトにしろ交友関係にしろ無理な予定を入れないようにした。できる!と思ったものは8割方できないのだから。また、見た目だけでなく使いやすさを優先した物選びをするようになった。本当はおしゃれな家具や棚が欲しい。けれども今の自分にはまだ早い。弱さを受け入れ欲と上手く付き合っていくことが自分なりの発達障害との共存の仕方なのだと感じている。
金銭のルーズさだけは未だにどうにもなっておらず自転車操業ではあるのだが、気の迷いで夜の仕事をやっていた時よりは明らかに生活リズムも精神も安定している。服薬し衝動と向き合い、これまで以上に全てを何とかしていきたいと思う。