「(Gレコは)ユートピアニズムに陥った大人たちはリアリズムの欺瞞性を持ち込むから問題点を挙げておいた。」
「(Gレコの問題点は)リアリズムとテーマを優先させるためドラマを無視してしまったこと」
「科学者が自分達の研究が進歩だと疑いがないと思っているようだが、そんなことはない。彼らはマッドサイエンティストだ」
世間では「小田原嫌い」とも言われている富野監督。本人も認めるところだが、それは郷土に対する想いがあればこそ。「小田原は本来、風光明媚で素晴らしいところ。それを活かせない『今の小田原』が嫌いなんだよ」と感情をあらわにする。
出典:ガンダムの原点は小田原!? 富野監督が「地元嫌い」な理由(わけ)とは
そういう態度で親が生活をしていると、いくら小田原で生まれ育っても、そこを故郷と感じることは難しい。“地つき”と呼ばれる、土地に根ざした感覚が生まれることはなかった。
出典:「ガンダム」の家族論
僕の家庭は余所者であったから、地つきの人に違和感がなかったとはいえない。だから、僕は小田原を捨てられると考えたのだ。
出典:だから僕は
35周年に向けて、次はハンナ・アーレントの言葉を背負った上で『新ガンダム』を作る気にもなってます。
出典:ニュータイプ2009年5月号「ファーストの見た30年間」
富野由悠季「今後ロボットの開発でどういう方向でやるべきという事に関していえば、基本的に僕は介護用ロボットに特化すべきだというふうに思っています。そうでない部分のロボット化というのは基本的に僕は奨励はしません。なぜかというと、人の能力を劣化させる道具にしかならないからです。これ以後は。この意味を大人の立場で考えていただきたいと思う。この部分でつまり介護用の所以外でのロボット化が進めば進むほど何が起こるのかというと、おそらくより鮮明な格差社会が日本に起こってしまうんじゃないかという風に恐れています。」
「もう一つ問題があります。ロボットのリアル化というものを進めていくということで起こってくるのは、技術の独走です。技術だけが先走っていって社会の生活と社会性とマッチングする事が無くなってくる懸念というものをものすごく感じるようになりました。」
出典:「Gのレコンギスタから君へ」
「我々は今環境問題、エネルギーが少ない地球というものに直面しています。現在までの人類の能力論や経済論だけでは、1000年という時間を我々は地球で暮らせないわけです。そういう問題がわかってきた時に、日本人でも人類が生きのびるためには、ニュータイプにならなければならないのではないかという考え方を持つ人が出るようになってきました。30年前のアムロが、ようやくここで定義しつつあります。我々は現在以上の能力を持てる可能性にチャレンジしなければいけません。アムロはガンダムしか操縦できませんでしたが、我々はエネルギーがなくなった地球でも1万年生きのびることができるかもしれない。人にはそういう可能性はあるのではないかというシンボルにニュータイプはなりうるのではないか、ということです」
出典:ガンダムが30年ヒットした秘密2(富野由悠季監督)
富野由悠季「17世紀までの人たちはどうやって生きてきたか。ハンナ・アーレントは簡単に回答を出しています。物事を信じて生きてきたんです。信じるだけで17世紀の間、歴史を作ってきた。このことの意味を考えてください。だから、人類には宗教が必要だった。教義を信じるということは、ものを考えなくて済む、信じれば済むということ。」
出典:「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞
政治哲学者ハンナ・アーレントの話にもおよび、彼女が指摘している通り、「独自に判断できる人は限られている」、と痛感できる感性を育ててもらえたという。
出典:富野由悠季監督が語る「ガンダム30周年」
宇野常寛「彼はコロニーの全長が何キロで、そこは何か乗り捨ての電気自動車で移動しているだろうとか、そういったところまであの人は考えて描写しているんですよね。彼の根底にあるのは本当に宇宙に人が植民したらどうだろうかという、宇宙少年だった頃の徹底的な妄想力。」
「人類宇宙進出というものが、まぁ20世紀って結構リアルに感じられていて、その頃に本気で宇宙を好きだった少年がひたすら妄想していたんだと思うんですよね。よく本人も自伝とかでそういう話は書いていますよね。」
「その時の妄想力が結構異常なんですよね。非常に細かくて、そしてかなり当時の最新なことまで勉強してたぶん設定を作ってたと言われる人なんですよ富野さんて。まぁ富野さん及び富野さんのスタッフですね。あのそういった宇宙オタク少年、オタクという言葉はあの人嫌いかもしれないが、本当に宇宙に憧れて本気で行こうと思っていた少年の妄想力というものがものすごくアニメに反映されていると思うんですよね。」
「虚構というものに真剣に全力で向き合うというのはこういうことだと思うんですよ。これは同じアニメ作家の宮崎駿とは対照的ですね。彼は宮崎駿はコナンとかナウシカのユパ様とか超人的な身体能力がある人間に関してはもういっそのこと説明しないんですよ。説明しないことによって、漫画だからこそ漫画映画だからこそ得られる表現の面白さを追求しているんですよね。」
「コナンとか塔の5階とか10階からバーンって飛び降りちゃうじゃないですか。ユパ様も飛行機から飛行機にこうやって飛び移ってバツバツって人を斬ったりするじゃないですか。富野由悠季はそれをやらないんですよね。むしろ塔から飛び降りたらこんなふうに骨折するはずだとか、あの実際に存在しないビームの銃で撃たれたらこんなふうに融けるはずだ装甲は、そういったところを綿密にシュミレーションしてリアリティを出す。」
「だから宮崎駿というのは現実には存在しないものをいかに描くかという人だと思うんですよ。富野由悠季っていうのは虚構だから描くことができる現実は何かということを考えている人だと思うんですよね。同じ年のアニメ作家なんだけど方法は全く別。」
出典「Beginning of GUNDAM RECONGUISTA in G 富野由悠季から君へ」
「元気のGだ!! ロボットアニメで目指すんだ!! Gのレコンギスタ!! ベルリとアイーダの冒険はすごいぞ」
「実はキーマンは"バイプレイヤー"の中にいます。この"バイプレイヤー"は、実はまだ役者さんが決定していないのですが(7/22現在)、絶対条件として、予定している役者さんが演じてくだされば"必殺のキャラ"になります!『G-レコ』のオーディション時に"この個性が欲しい"という役者に出会ったんです。だから、この"バイプレイヤー"だけは役者ありきでキャラクターを創らせていただきました。
出典:TVブロス2014年8月2日号
僕は去年の暮れ押し詰まって、ハンナ・アーレントという政治哲学者を紹介した本を読みました。読んで驚きました。17世紀、ルネサンスまでの人類のほとんどが、ものを判断し、決定することができない人の集まりだったとあったたためです。
(中略)
17世紀までの人たちはどうやって生きてきたか。ハンナ・アーレントは簡単に回答を出しています。物事を信じて生きてきたんです。信じるだけで17世紀の間、歴史を作ってきた。このことの意味を考えてください。だから、人類には宗教が必要だった。教義を信じるということは、ものを考えなくて済む、信じれば済むということ。
出典:「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞
富野「2008年に知ったということは今も勉強中で、ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』は今読んでいる最中です。ですからまだ全容は分かっていませんが、少なくとも彼女のものの考え方のロジックを一般化するために、アニメという媒体はとても便利だと、ようやく理解することができるようになりました。つまり、「アニメという表現媒体は時代性に支配されずに、コンセプトを伝える媒体なのかもしれない」と明確になったわけです。」
出典:ガンダムは作品ではなく“コンセプト”――富野由悠季氏、アニメを語る(後編) (4/4) 誠
35周年に向けて、次はハンナ・アーレントの言葉を背負った上で『新ガンダム』を作る気にもなってます。
出典:ニュータイプ2009年5月号「ファーストの見た30年間」
17世紀までの人たちはどうやって生きてきたか。ハンナ・アーレントは簡単に回答を出しています。物事を信じて生きてきたんです。信じるだけで17世紀の間、歴史を作ってきた。このことの意味を考えてください。だから、人類には宗教が必要だった。教義を信じるということは、ものを考えなくて済む、信じれば済むということ。
出典:「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞
太平洋戦争を仕掛け、国民にこの上ない辛苦を経験させた軍部の参謀たち、その組織は現代日本の官僚機構とピタリ重なるのだ。日清・日露の「成功体験」で頭でっかちになり、現場を無視して無茶な作戦を命じ続けたあげく、国を破滅に導いた東京の参謀本部。僕には、かつての高度経済成長の夢に酔いしれるばかりで、アメリカにいいようにあしらわれ、台頭著しい中国には打つ手なしといった風情の官僚たちが、その生き写しのように見える。両者がかくも似た精神構造を持つ要因を調べると、そこに教育の問題が横たわっていることが分かった。
(中略)あそこまで無謀な戦争を止められなかったのは、なぜなのか? その疑問を調べていくうちに、日露戦争以降の軍人養成システムに行き着いた。陸軍の場合、高等小学校卒業者を幼年学校に迎え入れていた。まだ12、3歳の子どもに、軍人「エリート」教育を施すのだ。やがて彼らは、優先的に陸軍大学校に入学を許され、幹部になっていく。参謀たちのキャリアを調べると、ほとんどがこうして「純粋培養」されたエリートだったのである。
中央公論10年9月号 富野由悠季「戦争を語る言葉がない時代を憂う」 シャア専用ブログ@アクシズ
政治哲学者のハンナ・アーレントが指摘しているように、「独自に判断できる人々はごく限られた人しかいない」
出典:宮崎駿は作家であり、僕は作家でなかった―富野由悠季氏、アニメを語る(前編) (3/3)