「Gのレコンギスタ」9話を視聴。
今回は「違和感」をキーワードに語ってみたい。
富野作品では、画面もしくは音響面においてあえて違和感を置くことで、
物語を停滞させないような工夫が施されている。
私がこの事を強く感じたのは、8話のマスク大尉ことルインとマニィの会話。
お互いがお互いの事を知りながら、あえて知らないフリをしつつ会話するシーン。
ただ素性を隠しているからこそ、マスク大尉は本音も言える。
二人の仲の良さを違う形で表現した格好だ。
こういう「劇」を見せるのが、富野作品の醍醐味の一つだと思う。
今までのGレコの中でも屈指のシーンかもしれない。
しかし逆にいえばこうしたシーンはわざとらしいとも感じられるし
そこには「違和感」があるという見方もできると思う。
ただこうした違和感を感じさせるような、
キャラ同士の掛け合い、物語の進行、もしくは画面上・音響上を
あえて仕掛けることで作品を停滞させないようにしている。
音響面での違和感-ステア
例えば音響面で本作に仕掛けられた違和感を挙げるとすれば、
ネイティブっぽい喋りをするステア。
今までの声優さんとは違う喋り方だ。
9話のステアはメガファウナがキャピタルに入るシーンで喋るわけだが、
独特のステアの声によって、違和感を感じるかもしれないが、
退屈させないシーンになっていると思う。
ステア役はミシェル・ユミコ・ペインさん。
この声を聞くためにGレコを見てほしいと言えるほど、面白い存在だ。
富野監督がTVブロスのインタビューで以下のように語っている。
「実はキーマンは"バイプレイヤー"の中にいます。この"バイプレイヤー"は、実はまだ役者さんが決定していないのですが(7/22現在)、絶対条件として、予定している役者さんが演じてくだされば"必殺のキャラ"になります!『G-レコ』のオーディション時に"この個性が欲しい"という役者に出会ったんです。だから、この"バイプレイヤー"だけは役者ありきでキャラクターを創らせていただきました。
出典:TVブロス2014年8月2日号
必殺のキャラ。なんとも頼もしいと思いつつ、放送前にこの記事を読んで期待した。
ただ、このバイブレイヤーはステアかどうかわからないが、
役者ありきでキャラが作られている点を見ても、
オーストリア生まれのハーフで褐色肌のミシェルさんがモデルで
ステアというキャラクターが作られている可能性はある。
何にしてもステアの独特な演技が、Gレコの世界を彩っている、
もしくはこの世界には様々な人種がいて、個性を持っている事を表現している。
ステアでいえばドニエル艦長がステアの肩に手を回すシーンがあるが、
これも本編の作劇上の進行から見れば必要ないものとして、
違和感を覚えるのかもしれないが、それでもこうした描写があるのは
キャラクター同士の描写を描きたいのだろう。
画面上での違和感-9話ラストの大聖堂のシーン
画面上・もしくは本編の時間の使い方で違和感を挙げるとすれば
今回ラストの大聖堂のシーン。ベルリ達がキャピタルガードに連れられてからの
法王、ウィルミット、スルガン総督、クンパ大佐が映った後のシーン。
(※9話)
カメラが大聖堂を下から上に登るかのように引いていくのだが
時間の間を感じさせるので、これもまた違和感を感じるシーンだ。
このシーンは1話のサブタイトル紹介後の大聖堂シーンと対比になっていると推察。
(※1話)
このシーンはカメラが上から下に降りてくる運動をしている。
つまり1話では、この大聖堂の後に世界の中心にキャピタルと大聖堂があり、
キャピタルが運営している宇宙エレベーターとフォトンバッテリーが
世界の調和を象徴していると法皇が説明するという描写がされている。
逆に9話では、今までのキャピタル・アーミィの現状と月からの驚異の事実を踏まえ
さらに不安を煽るようなBGMと黒幕クンパ大佐の登場によって、
大聖堂及びキャピタルが世界の不安を象徴している描写になっている。
わざと描写時間を長めにとって、違和感を与えつつ、
違和感の先にあるキャピタルやスコード教の裏にある不安を描いている。
大聖堂内で起こるカメラの運動は宇宙エレベーターの軌道を表現したものでもあるが、
9話ではカメラが下から上へ運動している事はその運動方向の先、
つまり大聖堂の上にある月からの驚異がある事の予兆でもあるのだろう。
まとめ
富野作品には、視聴者にとって違和感を与えるような
キャラクターの物語や絵作りや音の入れ方がなされている。
しかしこうした違和感をあえて入れることによって、
作品を物語を停滞させない力の源になっているのだ。
そしてより大切なのは、富野監督作品は常に何かに対し
カウンターを入れて作品を作っているということ。
1stガンダムであればヤマト。
∀ガンダムであれば今までのガンダム。
といったように。
既存の作品、もしくは流行にカウンターを入れてくるのだ。
そして「Gのレコンギスタ」のカウンターの矛先は、
今のアニメもしくは過去のガンダムに向けられているのだろう。
このカウンターの表現のために、
今までとは違う物語の見せ方や声優を起用して「違和感」を振りまきつつ、
物語を劇的に進行させているのが富野作品といえるだろうし、
こうした既存の作品や価値観をカウンターをいれ、
ひっくり返す見せ方をしていくのが、レコンキスタ=再征服の意味ともいえるのだろう。
それはGレコがベルリの既存の価値観をひっくり返している展開でもわかる。
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この記事を読んで、9話を見ていて捉えどころのない恐怖感を覚えた理由が理解できました。