はじめに
「たまこラブストーリー」が公開中の京都アニメーション。
京都アニメーションの作画力の高さは、すでに過去の作品から
広く知れ渡っていると思うが、その作画力の源とは何なのだろうか。
その源に関わったであろう、二人のアニメーターである
木上益治さんと逢坂浩司さんについて紹介したい。
木上益治さんの存在
一つは、京都アニメーションの取締役であり、アニメーターの木上益治さんの存在。
P.A worksの公式HPにある、堀川社長のコメントを紹介しよう。
堀川:沖浦さんが、京都ではアニメーターの何たるかは、木上益治さんの背中を見ていれば全てわかるはずだって言っていたんですよ。「アキラ」の時に、スタジオに入ったタイミングはずれていたんですが、仕事ぶりがすごかったって。そう云う人がそこにいる、きちっと仕事をこなす姿勢を示す中心人物がいる。
「P.A works Anime Runner」No.16「定着率の謎」より
厳密には、堀川さんが言っていたわけではなく、日本トップクラスのアニメーターである
沖浦啓之さんが「木上さんの背中を見ていればわかるはずだ」と言っていたわけだが、
京都アニメーションの作画スタッフの中で一番のベテランであろう
木上さんの存在が、後進に大きく影響を与えているのだろう。
以下、京都アニメーションの武本康弘さんと石立太一さんのコメントを紹介する。
石立
安直だがアニメでやっていこうと思いました.京アニに入ったのは正直近かったからです.ですがスタジオで木上さんの隣に座ってから「すいません,アニメーションなめてました」と思いました.入社してからは必死で走り続けてきました.
武本
絵描きとして入った人間が木上さんにガツン!とやられるというのは通過儀礼ですね.本人から何か厳しいことを言われるわけではないんだけど,新入社員が勝手に衝撃を受けるという.
石立
木上さんが机に向かって描いている姿はすごくきれいです.
cauchy「人並み以上にアニメに興味がない私が京都アニメーション・スタッフ座談会に行ってきた」より
沖浦さんの言っていたことを、武本さんと石立さんが証言が証明しているかのようだ。
もちろん、仕事の姿勢だけではなく、木上さんは実際に指導されていたようである。
今でも定期的に木上さんは(変名だが)原画で参加しているので、
今でも京都アニメーション内で影響力を発揮しているのだと思う。
逢坂浩司さんの存在
さて、木上さん以外にも注目したいのが、故:逢坂浩司さんである。
逢坂さんはボンズの取締役であり「機動戦士Vガンダム」「機巧奇傳ヒヲウ戦記」等で
アニメーター・作画監督・キャラクターデザイナーとして
1980年代中盤から2007年に掛けて、アニメ界に多大な実績を残してきた。
そんな逢坂浩司さんと京都アニメーションには、どんな接点があるのだろうか。
これは確定した情報ではないのだが、
過去の2chのアニメアール(逢坂浩司さんが所属した作画スタジオ)のスレッドで
京都アニメーションが作画を強化する際に、
アニメアール所属時代の逢坂さんを技術指導役として招いたというコメントがあった。
逢坂さんがアニメアールを退社したのは1991年だから、
技術指導が行われたのなら、1991年以前の話だろう。
大阪のアニメアールと京都アニメーションは距離的に近い。
さらに逢坂さんがいた頃のアニメアールは、凄腕のアニメーターが勢ぞろいしていた。
京都アニメーションが作画を強化したいと考えるなら、アニメアールを頼る可能性はある。
そして、逢坂さんは面倒見の良い方だという証言もある。
この技術指導の情報が事実かどうかはわからないが、
1990年代の京都アニメーションが手がけた作品と
逢坂浩司さんには仕事上の接点が多々ある。
例えば、1993年のOVA「KO世紀ビースト三獣士Ⅱ」の3話は
京都アニメーションの石原立也さんが演出。
キャリア的に石原さんの演出経験はまだ少ない時であり、
原画は京都アニメーションが請け負ってるのだが
逢坂さんは「才谷梅太郎」という変名で作画監督を担当している。
1995年のTVアニメ「ふしぎ遊戯」の19話も上記と同様に石原立也さん演出。
京都アニメーションが原画を請負い、
逢坂さんは才谷梅太郎名義で作画監督を手がけている。
これら上記の二つは京都アニメーションのスタッフの原画を
社外の逢坂さんが作監修正を入れていたことになる。
また1996年の劇場アニメ「新きまぐれオレンジ★ロード そして、あの夏のはじまり」は
制作がぴえろ、アニメーション補助で京都アニメーションがクレジットされている。
ただ演出は石原立也さん、作画監督が木上さん、作画監督補佐に北之原さんと武本さん、
原画陣の4割と動画・仕上げは京都アニメーションが手がけているので、
京都アニメーションが主体となって制作された作品と見てもいいだろう。
この作品でも、逢坂さんは才谷梅太郎名義で原画参加している。
他にも1998年にコナミが製作したゲームなアニメ「Dancing Blade かってに桃天使!」は
京都アニメーションの元請制作作品であり、石原立也さんが監督・演出を手がけたが、
木上益治・上宇都辰夫・高橋博行・中野恵美・池田和美・島美子・米田光良
池田晶子・北之原孝将(敬称略)といった京都アニメーションの原画陣の中に
逢坂浩司さんが原画で参加している(他に外部の参加は石田啓一さん)
こうしてみると、元請制作や劇場アニメといった
会社的に重要性が高い作品・クオリティが問われる企画に逢坂浩司さんは参加している。
それ以上にポイントなのは、
石原立也さんが演出を手がけた作品に参加している点。
個人的な推測でしかないのだが、逢坂さんと石原さんには
何かしらの接点があったのではと思われる。
それはもしかしたら、確定情報ではないが、
逢坂さんが京都アニメーションで技術指導した話が本当であれば、
もしかしたらその中に石原さんがいたのかもしれない。
逢坂浩司さんは、1998年にボンズの取締役になったためか、
ボンズ以外の作品を手がけることはなくなり、
京都アニメーションの仕事とは直接リンクしなくなるのだが、
1990年代の京都アニメーションの作品を社外から逢坂さんが支えていたのがわかる。
逢坂望美さんの存在
もう一つ、逢坂浩司さんと京都アニメーションを結びつける
確定ではない情報として、逢坂望美さんの存在が挙げられる。
京アニのKAエスマ文庫『中二病でも恋がしたい!』で挿絵を担当した逢坂望美さんの意外な噂を目にした「ぬるオタが斬る」さんより
詳しくは上記のリンク先を読んで頂きたいのだが、
「中二病でも恋がしたい」の原作小説の挿絵を描いていた逢坂望美さんが
逢坂浩司さんの娘さんではないか?という話題が出ている。
これも確定情報ではないのだが、
逢坂さんと京都アニメーションの仕事上での接点があることを考えると
無い話でも無いとは思うが、この辺りの情報も知りたいところではある。
まとめ
木上益治さんが京都アニメーション内部の大黒柱として、
後進のアニメーターに多大な影響を与えてきた。
そして逢坂浩司さんは社外ではあるが、
1990年の京都アニメーションのスタッフの原画の作監修正や原画を担当していた。
もし逢坂さんの技術指導の話が本当であれば、それからの接点なのだろう。
何にしても1990年代の京都アニメーションが関わった作品に
特に石原さんが関わった作品に、逢坂浩司さんが参加していたのは事実である。
ただ、逢坂浩司さんに関しては確定情報ではない憶測の内容も含めて、
この記事を書いているので、真相がわかる方がいれば、教えてほしいと思っている。
そしてアニメーションは、人の存在、人同士の接点で成り立っていることを改めて感じた。
※追記(2019年7月30日)アニメアール出身の小川瑞江(みずえ)さんのツイート。
逢坂さんが京都へ指導された証言をしている。
逢坂さんの他にも沖浦さんも京都へ指導された点もポイント。