なぜ「けものフレンズ」を見て、幸せを感じるのか。
答えはヒトが「すごーい」と評価され、認められるからである。
誰に認められるのか。動物(フレンズ)達にである。
けものフレンズはヒトがフレンズに「すごーい」と認められる物語。
今回の5話では、ビーバーとプレーリードックが住処を作るのに困っていた。
そこでかばんちゃんが心配性だがプランは抜群のビーバーと
計画性はないが命令されると完璧にこなすプレーリードックの
それぞれの良さを引き出そうと、二人で組んでやることを提案。
見事二人の理想の住まいが出来上がる。
そしてかばんとサーバルの旅立ち。送る時に二人はかばんに感謝の言葉をおくる。
プレーリードック「かばん殿の一声あってこそであります。」
かばん「いやーぼく、力はないしあんまりお手伝いできなくて」
ビーバー「そういう動物なんじゃないんすか。考えるのが得意だとか。」
プレーリードック「そうであります。いい動物にちがいないでありますよ」
「いい動物にちがいないでありますよ。」ヒトにとってなんという承認の言葉だろうか。
他者から認められ、評価されれば、嬉しいと素直に感じる事は多いと思う。
「けものフレンズ」は毎回、かばんちゃんが知恵を発揮して状況や困難を解決していく。
その度に出会ったフレンズに承認されていく。
かばんちゃんという主人公がフレンズに認められることが
自分のことのように感じられることで幸せを感じる。「けものフレンズ」はそういう構造を持っている作品なのではないか。
フレンズがヒトを認める物語
何より、認めてくれるのが動物たち(フレンズ)であるのが大きいと思う。
フレンズ達は人間的な姿をしているが、本質的には動物である。
動物がヒトを承認する。この構図が幸せに感じる要因だと思う。ヒトがヒトに認められる作品はある。
でも動物達がヒトの特性(知恵があること)を素直に認める作品は
ヒトがヒトに認められる作品より少ないのではないか。
ヒトも動物であるが、他の動物に対して必ずしも良いことを行っていない側面がある。
乱獲による絶滅。絶滅危惧に追いやった動物達。自然破壊etc。
ヒトは動物(自然)に対し、後ろめたさを感じる時もあるのではないか。
こうした後ろめたさは、フレンズには関係がない。
フレンズはヒト(かばんちゃん)の知恵がある特性に素直に感動しているのだ。
ヒトの知恵は他の動物にとって評価・感動されるものなのだ。
ヒトにとっては知恵は当たり前でもフレンズにとっては当たり前ではないのだ。
ヒトに知恵があるのは素晴らしいことだ。フレンズが認めてくれるから。あたりまえの事だけど忘れてしまいがちなことを教えてくれるから。
だから知恵を使って生きていこうと思える。
今回でいえば家づくりという行為と合わせて達成感も感じさせてくれる。
現実では同じヒトに批判・批難される事も多いこともあるだろう。
そんな中で「けものフレンズ」ではヒトそのものを認めてくれる。だからより嬉しくなる。
「けものフレンズ」はヒトに幸せを感じさせる作品なのだと思う。
(※この記事はかばんちゃんがヒトという動物であると仮定して書いてます)
まとめ
①フレンズがヒトを認めてくれる
②ヒトの知恵があるという特性が認められる(ヒトの肯定)
この二重の承認が、見るものを幸せにするのかもしれない。
「いい動物にちがいないでありますよ。」というセリフで泣いた。
ヒトが優しいフレンズ達に素直に認められる物語に、少なくとも私は救われている。