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アニメアールという作画スタジオ 

「蒼き流星レイズナー」を見返す。
いつみてもアニメアールの作画は、今見ても色褪せない。

アニメアールは大阪にあるアニメの作画を請け負う会社。主催者は谷口守泰。
吉田徹 沖浦啓之 逢坂浩司 黄瀬和哉 木村貴宏 小森高博といった
アニメーター達を輩出し、今でも多くの作品の作画を請け負うスタジオである。
レイズナーでは谷口守泰がキャラクターデザインを担当し、
上記のアニメアールのスタッフが作画に大きく関わっている。

大阪に住んでた時、1回スタジオの前まで行ったこともあり、
多くの作品の原画が生み出されていると思うと興奮もした。
正直、入りたかったが迷惑になるので止めました(当たり前の話)

レイズナーは1985年製作で、絵柄やフォルム、アニメートの表現は古臭いかもしれないが
それ以上にアニメに対するほとばしる情熱が切実に感じられる。
80年代のアニメは今より若いが、それだけに大きな進化を経ていたのがわかる。

古いと言ってしまったが、この頃の谷口守泰の絵は本当にクールでカッコイイ。
特にキャラの横顔のフォルムが素晴らしい。
当たってないかもしれないが、出身者である沖浦啓之や故逢坂浩司の絵には
谷さんの影響が確実にあると思う。

また現在、手書きからCGに移行しつつあるロボットアニメであるが
手書きの良さを存分に発揮しているのが、レイズナーのメカ作画だろう。
おそらく手書きのロボットアニメは今後絶滅品種になるのだろうが、
レイズナーは良きロストテクノロジーの見本の一つとして残っていってほしい。

手書きの良さは情熱が線一本一本から伝わる所だ。
CGは緻密で細かい線も表現できるが、熱意がなかなか伝わりづらい。
今後はそうした部分も改善されるだろうが、動く絵の魅力としては
まだ手書きの方に軍配が上がると思っている。

ともかく、全盛期のアニメアール作画はほとばしる情熱が
見事なほど見る側にダイレクトに伝わり、心地よいのだ。
 
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鉄腕バーディー DECODE:02 第7話は作画崩壊か? 

今期スルーしていた鉄腕バーディー02だったが、
7話が「作画崩壊」という議論が巻き起こっていたので見てみることにした。

正直、この回を私は「作画崩壊」と捉えなかった。
確かに絵柄の統一感は無いが、それだけで「作画崩壊」と決め付けるのは早計すぎる。
何故ならば、確信犯的に作り手の意図が確実に介在しているように見えるからだ。
そして、その意図は作品を良く表現する意志であり、貶めるものでないからだ。

おそらく「作画崩壊」は簡略化した中盤以降の急激な絵柄の変化をあげられると思う。
しかしこの手法は作画的な見方をすればアクション重視の為の手法だと言える。
それは躍動感あるキャラ達の動きであり、アニメーターの野心でもある。
また演出的に見ればバーディーの過去の回想という事で彼女の主観的な映像イメージを
表現したものだと解釈できるのではないか。つまり見ている側にとっては
中盤以降の映像は客観的な映像ではないわけだ。最初は客観的に映った映像が
表現され、彼女にとって鮮烈で衝撃的な場面に近づくにつれて、
イメージ映像として彼女には記憶がこびり付いていたと解釈できるのではないか。

一方でスケジュールの問題があり統一感を図れなかった可能性もある。
さらに言えば、あれが作り手からすれば不本意なものかもしれないし、
私の解釈はただの深読みで嘘かもしれない。

でも私は「作画崩壊」だけでこの回を断言しないで欲しいと思うのは、
この回以外全く見ていない人間が言うのもなんだが、単純に話が良かった。
それは作画だけが良くて話が伴ってないと大した感動は起きない場合が多いが
質の高い作画と話が見事にシンクロする回は大いに感動するからだ。
(例えばナルトの133話とかエウレカセブンの26話とか)
この7話は作画・話ともに質が高く一見の私でも普通に楽しめる回だった。

絵コンテに森田宏幸 原画に赤井俊文 佐藤利幸 松本憲生 山下清吾 りょーちも
                  沓名健一 仁保知之 中屋了 他

以上が7話についての感想であり、以下「作画崩壊」についての試論を述べたい。

なぜ「作画崩壊」という言葉は幾度も幾度も同じような論争を繰り返すのだろうか。

この論争が起こる場合、私はある二つの考え方を持つ層に振り分けて考えている。
(実際は勿論、もっと様々な層があると思う)

①アニメーターの個性を楽しむいわゆる作画マニア的な層
②絵柄の統一感で「作画」の質を問う層

そして「作画崩壊」と取り上げてしまうのは②の層である。
彼らにとっては「作画」は「絵柄」であり「絵柄」の変化は「作画」の崩壊みたいだ。
確かに「作画」は「絵柄」も含まれるが、それが全てではない。
パース・レイアウトや動きの見事さ・タイミング、エフェクトの解釈、様々ある。
アニメを取り上げて意見を書くぐらいにアニメには興味があるはずなのに
そういったアニメの作業工程には余り関心が無いようなのだ。

別にアニメーターの名前を覚えろとか「作画」でアニメを見ろという意見ではない。
そして今の動かしたい、野心的なアニメーター達の表現の方向性が
何度も間違って伝わってしまうのも、何かしらの問題はあるのかもしれない。
重要なのは、作り手の意図を読み取る必要があるという事。
②が大事と考えるのを否定しないが、脊髄反射でなくよく考えてほしい。

もうひとつ問題なのはかんなぎの非処女騒動の時に出てた
「見る側が不快だと思う展開にした作者が悪い」という意見。
この「見る側の絶対性」、あるいはノイズの排除という思考は
作り手の意図や想いすら排除し物事を見えなくさせてしまう原因ではないだろうか。
「作画崩壊」の問題の根っこはここにあるような気がする。

私は見る側が絶対でもまたは作り手が絶対でも思ってはいない。
前にローゼンメイデンのマンガの8巻の感想でも書いたけど、
作品は作り手と見る側が無意識にシンクロし作り上げていくものだと信じている。
つまりどっちが正しいと言うのではなく、どちらのものでもありどちらでもないのだ。
しかしネットの登場は作り手と見る側のシンクロが意識的にも行われ
それが状況を混乱させている一員になっているのは否めない。

物事の見方は余りにも無数であり、人間は自分の枠内で物事を当てはめがちだ。
しかしその枠を乗り越えて新しい視点で物事を見たときに新発見があるのではないか。
「作画崩壊」というのは何で起こっているのか?というのも
ただ騒がずに「何で」という部分に着目して考える必要があるのではないか。

また映像作品であれ文学であれ自分と違う価値観を味わえるからこそ
面白いのではないかと思う。私は自分の価値観と違う作品に興味がある。
例えばとらドラ!とか。こうした価値観の違う作品を見て考える事が
物事の楽しみと一つと言えるのではないだろうか。

結局、自分の好きな話展開や絵柄しか望まないのは
給食で好きなものしか食べす、それ以外を残す子供と同じような物なのかもしれない。
 
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METHODS ~押井守『パトレイバー2』演出ノートを買いました 

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復刊ドットコムで注文。
パトレーバー2における各レイアウトの演出的意図を解説していくのが本の趣旨。
ただ、それが押井守の映画論になってる所が非常に非常に面白い。

ロボットは真の大きさを獲得できるのか?
という問いは非常に興味深かった。

スタッフへのインタビューは作品を理解したい時に有効な手段かもしれないが
こうした実制作の過程から作品へ焦点を当てるとまた違うものが見えてくる。
そして今敏 沖浦啓之 渡部崇 といった凄腕な方々のレイアウトは大変参考になる。

非常に良い書籍でした。今後もずっとこの本とお付き合いできそう。
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【ボンズは否定】ボンズ公式サイトから告知【アニメーターランク表流出】 

スタッフの皆様の情報データアップロードに関するお知らせ(ボンズ公式サイトより)

以下。趣旨を抜粋。

>弊社内で同様のフォーマットで管理している情報は存在せず、社内管理情報ファイルが
>流出したものでないことを確認しております。(中略)同ファイル内のスタッフの属性等に
>関する記述に関しましても、弊社内の資料でなく、第三者が誹謗中傷等を目的として
>作成・公開したものと判断致しております。

ボンズ側は社内からの流出を否定し、ボンズを中傷する為に作られた文章で
ある事を示唆しました。また警察へ被害届を出さずに自社で調査を行うと発表。
しかし警察機関で無ければプロバイダがアップローダーの情報開示は不可能です。
これで本当に解決できるのでしょうか。今後の事件の展開に期待します。

アニメーターの平松禎史さんがこの件に関して言及されています。最もな意見です。

7/8追記
日本アニメーター・演出協会 JAniCA(ジャニカ)が同件に対して
実態把握の為に動きました。同団体が実態把握以外に
例えば、アニメーターを代表して抗議するのか等に動くのかが注目されます。

MOON PHASE 雑記より流出したデータに書かれていた
鋼の錬金術師2期目とDTBの2期目について言及されています。
moonphaseさんは別のルートから両作品の企画の情報を得ていたようです。
しかしこんな形で情報が漏れたので、両作品はどうなるでしょうかね。

関連記事→【ボンズ】アニメーターランク表流出【2ちゃんねる アニメサロン板】
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【ボンズ】アニメーターランク表流出【2ちゃんねる アニメサロン板】 

2ちゃんねるのアニメサロン板の作画を語るスレッドに
アニメ制作会社のボンズから流れたとされるアニメーターランク表が流出しました。

内容は各アニメーターの評価をA・B・C・×で評価され、一言コメントと過去の主な仕事
主な所属先、そして住所や電話番号まで記載されています。

現状、これが本当にボンズの社内物なのか、タダのネタなのか真偽はつきませんが、
余りにもネタにしてはリアルすぎる記述、そして住所・電話番号まで書かれてる所をみると
どうやら限りなく黒に近く、内部流出した感があります。
しかしこのデータを流出させた人と書いた人は別なのか一緒なのか?
いずれにせよアップローダー経由みたいなので、意図的な流出であろうかと。

評価に関しては、会社外から見た評価と会社中から見た評価というのがありますから
一概には言えないですが、自社の作品に深く関わったスタッフにまで
「終わってる」「会社の癌」等ネガティブな記述があるのに驚きを隠しえません。

また一言コメントには私生活的な記述も見られ、
「女癖が悪い」「○○と付き合っている」なんて事まで書かれています。

ボンズはアクションの作画レベルが高く、安定したクオリティを提供できる会社です。
ストレンジアや鋼の錬金術師、ラーゼフォンの作画レベルは非常に高いです。
もともとボンズは南雅彦氏がサンライズから独立する際にサンライズ第2スタジオの
主力アニメーターを引き連れて設立した経緯があります。
南氏は「アニメーターを大切にしたい会社を作りたいから」というインタビューを
見た事があります。そうしたボンズで流出された事に驚きを感じざるを得ません。

アニメ業界関係には過去にもAICASTAでガンソードとバンブブレードの
内部資料が流出しましたが、今回のボンズのケースはアニメーター個人情報等も
記載されているので、どれくらい影響が及ぶかわかりません。

今後のボンズの対応が興味深いです。

関連記事→【ボンズは否定】ボンズ公式サイトから告知【アニメーターランク表流出】
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アニメスタイル3号刊行は5月? 

アニメスタイル3号企画会議(アニメスタイル)

本当に久しぶりだなぁ。学生時代に1号を立ち読みでじっくり読んでしまったので、
そのまま買わなかったのだが、その事を未だに後悔している私。
たまとわさんの情報によると3号はは新房特集もあるみたいだ。

アニメ好き(作画とかに興味のある人は特に)には読み応え十分だったアニスタ。
どんな切り口で楽しませてくれるのか。楽しみです。

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作画崩壊 ―本当は何が起きているのか― 

作画崩壊。ネットでよく聞く言葉だ。
ロストユニバースのヤシガニ屠るから始まり、ガンドレス、学園都市ヴァラノワール
最近ではMUSASHIやキャベツが有名だ。
これらは作画が悪いと言えるが、絵柄の変化ですら作画崩壊と指摘する言説が最近多い。
そしてネットではアクエリオンのうつのみや回やグレンラガンの小林回が話題になるうちに、
作画崩壊自体よりそれを取り巻くネット上での言説に興味を持ってしまった。
今、アニメの作画について何が起こっているのか?(思っているのか)
僕の言いたい事は大体、下記サイトさんと同じなので、まずはご参考下さい。

帰ってきたへんじゃぱSS
なぜ作画の評価が割れるのか?
TMM(トボフアンカルミニメディア) 「キャラ」の一貫性と一貫性を無視したがゆえに作画崩壊と非難する最近の風潮

それらを踏まえて、僕が言いたいこと。
更科修一郎氏と善良な市民(宇野常寛氏)の言葉を借りるとすれば、
絵柄の変化をノイズとして認識し、それを徹底的に排除したいと考える
オタク第三世代が目立っていると状況なんでしょうね。
結局、絵柄の変化に怒る層はキャラクターの消費を行ってるわけだから、
キャラの絵が違うとキャラを消費できないから怒ってるわけで。
その理屈はわかるし、確かに絵柄が変わらないなら、それに越したことはないですが。

でもアニメの制作実情を考えるに、毎週これだけのアニメ制作本数の中、
絵柄まで完璧に統一させる事の困難さもわかってしまうし。
一方で、商売的にはそうした絵柄の統一を求める層に応えるべきだろうし。
そうでなければ、DVD売れないだろうし。

昔のアニメの絵柄がバラバラでそれが許容されたのは、
アニメ表現の拙さ・発展段階だから許されたと言える。
またどんな出来であれ原作のアニメ化は、それだけで幸せだったからねぇ。
今は原作が豊富で豊潤な時代だから、観ている側の要求が高くなったというのもある。
むしろリテラシーという意味では視聴者のレベルは上がっているのかもしれない。
ただ最近のアニメは視聴者を細分化しすぎて、タコツボに陥ってしまったなぁとも思う。
良く言う縮小再生産というか。

結局、作画という言葉を使うから語弊が出てくるのだと思う。
作画には動きやレイアウトといった意味まで含まれるから。
そういった作画を気にする人から見れば絵柄が違うだけで作画崩壊と言われると
それは違うと言わざるを得ないから。絵柄崩壊ならまだわかるけど。
だから「好きな絵柄ではない」という方が通りがいいと思うのですが。
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