今期スルーしていた鉄腕バーディー02だったが、
7話が
「作画崩壊」という議論が巻き起こっていたので見てみることにした。
正直、この回を私は「作画崩壊」と捉えなかった。
確かに絵柄の統一感は無いが、それだけで「作画崩壊」と決め付けるのは早計すぎる。
何故ならば、確信犯的に作り手の意図が確実に介在しているように見えるからだ。
そして、その意図は作品を良く表現する意志であり、貶めるものでないからだ。
おそらく「作画崩壊」は簡略化した中盤以降の急激な絵柄の変化をあげられると思う。
しかしこの手法は作画的な見方をすればアクション重視の為の手法だと言える。
それは躍動感あるキャラ達の動きであり、アニメーターの野心でもある。
また演出的に見ればバーディーの過去の回想という事で彼女の主観的な映像イメージを
表現したものだと解釈できるのではないか。つまり見ている側にとっては
中盤以降の映像は客観的な映像ではないわけだ。最初は客観的に映った映像が
表現され、彼女にとって鮮烈で衝撃的な場面に近づくにつれて、
イメージ映像として彼女には記憶がこびり付いていたと解釈できるのではないか。
一方でスケジュールの問題があり統一感を図れなかった可能性もある。
さらに言えば、あれが作り手からすれば不本意なものかもしれないし、
私の解釈はただの深読みで嘘かもしれない。
でも私は「作画崩壊」だけでこの回を断言しないで欲しいと思うのは、
この回以外全く見ていない人間が言うのもなんだが、単純に話が良かった。
それは作画だけが良くて話が伴ってないと大した感動は起きない場合が多いが
質の高い作画と話が見事にシンクロする回は大いに感動するからだ。
(例えばナルトの133話とかエウレカセブンの26話とか)
この7話は作画・話ともに質が高く一見の私でも普通に楽しめる回だった。
絵コンテに森田宏幸 原画に赤井俊文 佐藤利幸 松本憲生 山下清吾 りょーちも
沓名健一 仁保知之 中屋了 他
以上が7話についての感想であり、以下「作画崩壊」についての試論を述べたい。
なぜ「作画崩壊」という言葉は幾度も幾度も同じような論争を繰り返すのだろうか。
この論争が起こる場合、私はある二つの考え方を持つ層に振り分けて考えている。
(実際は勿論、もっと様々な層があると思う)
①アニメーターの個性を楽しむいわゆる作画マニア的な層②絵柄の統一感で「作画」の質を問う層そして「作画崩壊」と取り上げてしまうのは②の層である。
彼らにとっては「作画」は「絵柄」であり「絵柄」の変化は「作画」の崩壊みたいだ。
確かに「作画」は「絵柄」も含まれるが、それが全てではない。
パース・レイアウトや動きの見事さ・タイミング、エフェクトの解釈、様々ある。
アニメを取り上げて意見を書くぐらいにアニメには興味があるはずなのに
そういったアニメの作業工程には余り関心が無いようなのだ。
別にアニメーターの名前を覚えろとか「作画」でアニメを見ろという意見ではない。
そして今の動かしたい、野心的なアニメーター達の表現の方向性が
何度も間違って伝わってしまうのも、何かしらの問題はあるのかもしれない。
重要なのは、作り手の意図を読み取る必要があるという事。
②が大事と考えるのを否定しないが、脊髄反射でなくよく考えてほしい。
もうひとつ問題なのはかんなぎの非処女騒動の時に出てた
「見る側が不快だと思う展開にした作者が悪い」という意見。
この「見る側の絶対性」、あるいはノイズの排除という思考は
作り手の意図や想いすら排除し物事を見えなくさせてしまう原因ではないだろうか。
「作画崩壊」の問題の根っこはここにあるような気がする。
私は見る側が絶対でもまたは作り手が絶対でも思ってはいない。
前にローゼンメイデンのマンガの8巻の感想でも書いたけど、
作品は作り手と見る側が無意識にシンクロし作り上げていくものだと信じている。
つまりどっちが正しいと言うのではなく、どちらのものでもありどちらでもないのだ。
しかしネットの登場は作り手と見る側のシンクロが意識的にも行われ
それが状況を混乱させている一員になっているのは否めない。
物事の見方は余りにも無数であり、人間は自分の枠内で物事を当てはめがちだ。
しかしその枠を乗り越えて新しい視点で物事を見たときに新発見があるのではないか。
「作画崩壊」というのは何で起こっているのか?というのも
ただ騒がずに「何で」という部分に着目して考える必要があるのではないか。
また映像作品であれ文学であれ自分と違う価値観を味わえるからこそ
面白いのではないかと思う。私は自分の価値観と違う作品に興味がある。
例えばとらドラ!とか。こうした価値観の違う作品を見て考える事が
物事の楽しみと一つと言えるのではないだろうか。
結局、自分の好きな話展開や絵柄しか望まないのは
給食で好きなものしか食べす、それ以外を残す子供と同じような物なのかもしれない。