「Gのレコンギスタ」10話を視聴。
荒木哲郎さん絵コンテ・演出回のWIT STUDIOグロス回。
グロス回とはいっても、進撃の巨人を支えた精鋭スタッフ勢揃いなので
いわゆる只のグロス回ではない。
むしろWIT STUDIOがサンライズにクオリティ合戦を
仕掛け殴り込みをかけるようなものであるという認識。
ただこうした各社ごとで競い合っていく様を見るのは、
見ている側としては楽しい。
11/28日に始まった「Gレコ」のラジオ、
「Gのレコンラジオ」に出演した小形プロデューサーも
WIT STUDIOグロス回の出来栄えに悔しさを覚えると話していた。
特に荒木哲郎さんという若い才能が「Gレコ」に加わることで
「Gレコ」に新たなシナジーが生まれたような出来栄えだった。
「Gレコ」10話のヘルメット演出
さて荒木哲郎さんは、富野監督の作品や
富野作品に流れる本気さが好きだったようで、
今回の10話でもその富野監督らしさをすくい上げるような演出が見られた。
それは、ベルリとノレドの頭がぶつかる時の演出。
ベルリはヘルメットを被っているが、
ヘルメットをしていないノレドの頭がヘルメットにぶつかってしまう。
この描写には頭がぶつかるぐらいに二人の親密性は高いという意味があるが、
それでも二人にはちょっと引っかかってしまうもの(ヘルメット)がある。
二人の絶妙な距離感を描いている。
そんなヘルメットでできてしまう距離感を生み出すのは、
ベルリの想い人であるアイーダであろう。
富野作品とヘルメット
こうしたヘルメットを物語の作劇で使うのは、富野作品ではよく見られる。
特にヘルメットをしないまま戦うキャラ(シャアとか)が富野作品には出てくるが、
これはキャラクターの余裕や油断の表現であり、
普段ヘルメットをしないキャラがヘルメットを付けると、覚悟や本気の表現として描かれる。
特に富野作品における痛烈なヘルメット描写としては
「機動戦士Vガンダム」では主人公のウッソが抱えるヘルメットの中に、
死んでしまった母の首が入っている事が描かれる。
首が入ったヘルメットを抱える重さと、キャラ全員が心痛な面持ちが
作画できちんと表現されている。
特に先ほど挙げた10話のベルリとノレドのシーンのヘルメット描写は、
「伝説巨神イデオン発動編」のコスモとカーシャがキスをしようとするが、
お互いのヘルメットに邪魔され、キスができないシーンを彷彿とさせる。
こちらもまた、コスモとカーシャの距離感をヘルメットを使って描いたものである。
キスができない二人の距離間。これがこの時の二人の関係性。
そしてこの後二人は生きているうちでの最後のやりとりとなった。
ヘルメットは、キャラクターの距離感や心境を上手く伝えるアイテムなのだ。
「Gレコ」と「イデオン」の比較―ベルリ・ノレドとコスモ・カーシャ
荒木さんが「イデオン発動篇」のこのシーンを意識したかはわからないが、
二人の距離感をヘルメットで描くという、共に極めて近い描写になっていると感じた。
そして「Gレコ」と「イデオン」のこの二つを比べてみると、
ベルリとノレドの関係は、コスモとカーシャの関係に近いという事もわかってくる。
それはノレドは本命ではないっていうこと。
そうなると、コスモにとってのキッチ・キッチンは
ベルリにとって誰になるのかが気になってくる。ラライアなのかも。
まとめ
荒木さんのコンテでも、富野的カットインが使われ
さらにヘルメットの描写など、富野作品らしい演出も使われつつ、
また「進撃の巨人」で見せたような、巨大なものをきちんと巨大に描くという
ロボットアニメに必要な要素もきちんと描いていたのだと思う。
その意味でWIT STUDIOが「進撃の巨人」を手がけた後に、
ロボットアニメの「Gレコ」を手がけるのは「進撃の巨人」の方法論を
「Gレコ」に援用できる意味でも、良いタイミングだったと思う。
特にGセルフが装甲をパージして、敵MSにぶつける描写とか、
「進撃の巨人」でやったことを「Gレコ」で再現していた形だ。
「進撃の巨人」のアニも「Gレコ」のアイーダも嶋村侑さんという接点も面白い。
その意味では今回は「Gのレコンギスタ」というよりも
「進撃のレコンギスタ」という内容に相応しいともいえる。
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