感想「同じ月を見ている」。
土田世紀さんの漫画のタイトルですが、そんな感じ。
勇太と六花が同じ月の下で、淡い恋心を抱いているのが面白いです。
また凸森と一色が同じように、身体を寄り添わせるのも面白い。
なお、勇太には異性同士の身体的接触の経験はないようです。
二人で大事な話があるといって、六花と勇太とで先に帰ったようです。
その様子を眷属である凸森は悔しくもあり、
でもマスターの事を思うと・・・。複雑な気持ちを抱いている感じなのでしょう。
二人で、話すタイミングを見図らないながらも、雨が降ったり、マックだったりと
そのきっかけを得られない感じで物語は進行します。
六花の傘を落とした、橋の下の先で見えた幻想的な光景。
恋は幻想、淡い感情なんて言い方もありますが、
まさにこの幻想的な光景とともに、二人の気持ちは否応にも盛り上がったのでしょう。
あと橋の下というのは恋物語では定番のスポットですね。
六花から先に告白します。
(ちなみに契約すると言ってましたが、なんだかギアスっぽい)
ただ六花は告白するときに、傘を間に挟んでしまう。
さらに六花は真正面からではなく、背中にそっと顔を寄せるだけ。
この傘でできるラインというのはある意味、
不可視境界線を表しているのでしょう。
さらにいえば、勇太と六花の身体と身体の間にも不可視境界線があるのです。
(こういう言い方をするとATフィールドと似た感じかも)
コーヒー越しに映された勇太の心情はどういったものなのだろうか。
二人は恋という幻想に浸りながらも、現実は容赦なく動いていく。
十花がイタリアへ修行に行くということで、
十花の代わりに六花の母が一緒に住むことになるだろうといいます。
ここでは「母」という存在が重く、六花の重し、つまり現実そのものとして機能します。
ここで十花は勇太から六花に中二病からの脱却をしろと言ってと言いますが
恋に落ちた勇太はこのままでもいいのではないかという疑問を持っていたり。
六花は普通の子なのでしょうが、おそらく心の壁が厚いのが問題なのでしょう。
学園祭が始まりました。学園祭は京都アニメーション恒例のイベントだと思います。
ただ今までの作品と違うのは、今までの作品は物語の主役達が楽しそうに
学園祭に参加する姿を通して物語が描かれてきましたが
本作の物語の当事者である勇太や六花は、学園祭より大事なことを抱えているように見えます。
さて六花のお母さんが登場。娘のために手弁当を持ってきますが、
この存在そのものが重いというのが、中々にいいです。
母とは母であるという決定的事実ゆえに現実であり、それゆえに重いのです。
この重さを手弁当で表現しているのは上手い。
サブタイトルも「聖母の…弁当箱(パンドラズ・ボックス)」というぐらいですから
この弁当は、開いてはいけなかったものなのかもしれません。
何にしても勇太を突き動かしたのは事実。
この重さ・現実性が勇太を突き動かし、
六花に「眼帯を取れ」、つまり全ての壁を取り払えと言います。
これは人は見えているものから認識するので、
この眼帯を取ることで、世界への認識を変えろという勇太の願いだったのだと思います。
ちなみに一色の告白もむなしく、くみん先輩に玉砕されました。
いつでも睡眠という幻想の時に浸るくみん先輩には、
恋という幻想などいらない、睡眠こそ恋だ!なのかもしれません。
コメディシーンなのでしょうが、勇太と六花の対照として描かれているので気が抜けない。
眼帯を取れと言った勇太。六花とはちょっとあったようですが、詳しくは語られず。
そして学園祭のステージで、六花はお父さんが好きだった歌、
坂本九の「見上げてごらん夜の星を」を歌います。
元々はミュージカルの内の曲でしたが、このミュージカルも
「夜間高校生たちのさまざまな青春像」という点で、
青春像を描く本作ときちんとシンクロしています。
そして最後に眼帯を、六花にとって世界の認識の全てだった眼帯を取った六花。
そして右目は黄色ではない。六花の心境はいかに?
まとめ
恋はファンタジー、幻想的な部分を見せつつ、その中で心触れ合う二人を描きながらも
同時に現実はやってくるし、母親はいるし、この中でもがく二人がいる。
というような物語に見えました。
だから二人の物語にとってのゴールは、恋をすること以上に
現実を世界をどう見ていくか、受け入れていくかという事なのかもしれません。
六花は眼帯を外したあと、世界をどう見ていくのでしょうか?