-全体の感想-大好きです!!。キャラクターの魅力勝ち作品です。1期見た頃は好きなキャラは
宮藤・リーネ・坂本少佐ぐらいだったのが、
1期を見返すにつれて
ペリーヌ・サーニャ・エイラ・ルッキーニ・バルクホルンが好きになり
2期では
ハルトマンやシャーリー、みっちゃんも好きになりました。
キャラクターの可愛さや魅力が段違いで図抜けていたと思いますよ。
押井守監督は
「アニメはキャラクターを通してしか作品を語れない。
だからキャラを作ることが作品の出来に直結する」と言っています。
その意味では、ストパンはキャラクターを通じて語ったのだから勝利だったと思います。
後述しますが、この作品は割り切り方が見事だったと言っておきます。
できること、できないことを熟知し完遂したスタッフは見事です!!
-お話について-最終回の感想にも書いていますが、このお話は宮藤芳佳の心情を主観として綴られています。
そして宮藤芳佳の心情は終始一貫して描かれてきました。
「私にできること、それは守りたい守るべきものの為に戦う」という点です。
坂本少佐の出会いをキッカケに彼女は自分の使命に目覚めます。
この事を1期2期で描き切ったのが本作の大まかなお話だと思います。
① ネウロイの対話が無くなった理由は?設定消化という点でまずい点が見受けられるのは指摘があります。
まず1期であった
ネウロイの対話という可能性についてです。
この点は今期の初めに軍の首脳は「その可能性は無くなった」と明言しています。
ちょっと都合よい解釈ですが、ネウロイ全体が対話をする流れではなく
一部のネウロイのみが起こした現象だったのかもしれません。
ただ1期ではネウロイの対話がネウロイ全体の総意のようにも解釈できる描き方を
しているようにも見えますので、それで済ませてよいのかという疑問が浮かびます。
この1期と2期の違いの差はいったい何なのでしょうか?
② 外部状況の大きな変化ネウロイの設定が全く消化・進展しなかった理由。
考えられるのが、
商業面において1期の頃と2期の頃の状況が違うという事。
それによって1期からの設定消化の修正を2期で図ったのかもしれません。
では状況が違うというのはどういう意味か。それは人気度・期待度についてです。
本作の1期は、期待度が低い始まり方でした。
OVA発表後、TV放映になかなかこぎつけず時間が立つばかり。
同コンセプトの作品である「スカイガールズ」には先を越されてしまったし
雑誌やメディアの注目度も低かった記憶があります。
視聴者側の期待度ランキングでも一番下だったように思えます。1期の製作会社のGONZOも自社企画では無いこの作品に力を入れている印象はありませんでした。
2期なんていう芽は全くといって想定外でした(キッパリ!!)
しかしその不利な状況下でも
「股間とパンツをフックに視聴者を釣る事」を試み
見事、視聴者を釣る事に成功しました。そして本作の最大の魅力が
股間やパンツだけでない
「キャラクターを可愛く描ききること」を徹底することで
最終的には多くのファンを獲得しました。
そして1期の最終話は2期につながりそうな雰囲気で終わってはいます。
しかしそれは作り手の願いです。それを叶えるのは視聴者の支持にかかっています。
この視聴者の支持が想いが届き、2期製作が決定しました。
ただ2期製作も一筋縄ではいきませんでした。当時の
GONZOが大幅な債務超過に陥り、作品製作が危ぶまれたことを思い出してください。
結局は制作会社がAICに変更したこと。この変更で作り手に混乱も生じたでしょう。
不利な状況下で製作しつづけなければならなかった本作はそれによって
シナリオ上でも多少整合性が失われた可能性が考えられます。
「ストライクウィッチーズ」はアニメで語られた以外にも大きな世界観を有しています。
そして2期開始時には1期開始からは考えられないほどの人気コンテンツになりました。
アニメが一旦終わっても様々なメディアで展開されていくでしょう。
何が言いたいのか。つまりアニメが他メディアに先行して、世界設定の大きな意味を持つ
「ネウロイ」の謎や設定についてアニメで展開ができなくなったのかもしれません。
だから2期では「ネウロイ」の描写をしなかった、と考えています。正直、作品として成立しているかといえば、問題点があるでしょう。
しかし現状、アニメがアニメ内だけで完結しきれないのが、
日本のコンテンツの良さでもあり、悪さでもあるのかもしれません。
③「隗より始めよ」
ストパンは「股間より始めよ」「隗より始めよ」という中国由来のことわざがあります。
中国の戦国時代、燕の昭王が郭隗に、賢者を招く方法を相談したところ、
「まず自分のような優秀でない者を優遇してください。
そうすれば、もっと優れた賢者達が次々に集まってくるだろう」と言った事に由来します。
意味は
「遠大な事をするには、まず手近かなことから始めるのがよい」ということです。
これを「ストライクウィッチーズ」に当てはめるなら、
間違いなく
「股間より始めよ」だと思います。
そうストライクウィッチーズは「股間、そしてパンツ」を描きたかった作品なのです。
それは2期の最初は、冒頭の人形(ぬいぐるみ?)のパンツ丸見えから始まるのです。本当に「股間から始めている」のが、このショットで理解できるでしょう。
正直、ストーリーの整合性は2の次。そしてキャラクターには愛着があるので
一生懸命描写するというスタンスだったのかもしれません。
それにしても「パンツをズボン」と言い切った「ストライクウィッチーズ」は
我々に新しい価値観を発見・提供したと思います。
これだけでもストパンは世に出た価値があったと強く言いたいです!!
その為にたとえ画面が不自然に見えようとも、
股間!股間!!股間!!!の描写を
積み重ねることで、作品世界の強度を構築し、視聴者側を啓蒙していきました。
沢山の作品が世に出る状況で、その中で勝ち抜くのは容易なことではありません。
ストパンは「股間からはじめた」事で、その生存競争に勝ち得たように思えます。
④ 作風や構成から見える作り手の割り切り方こうして「股間よりはじめた」「ストライクウィッチーズ」。
本作、特に2期は作風の割り切り方が凄まじいものがありました。
特に8話の宮藤用の新ストライカーが現れるシーンのシークエンスなど含め
ご都合主義過ぎるとも言われかねない展開のオンパレードの連続でした。
特にネウロイの設定に関する構成を始め、お話の割り切り方はビックリです。
スタッフ側にはこの作品で「何ができるか、できないか」を線引きしていたのでしょう。
だから「できないこと」は描かない、変になってもぶん投げたのでしょう。
その代わりキャラの可愛い描写などには「なのはさん」のごとく全力全開で描写です。
「ストライクウィッチーズ」のテーマは「私にできること」です。
つまりスタッフ達からすれば「私にできること」を行ったのです。スタッフ側は作品内のテーマを自己の仕事にも置き換えて完遂しているのです。
作り手も万能ではありませんから、「私にできること」に全力全開だったのでしょう。
こうした姿勢は大きく評価できるのではと考えています。
やりたいこと、やれることが見えているからこその作風の割り切り感。
普通、作り手なら新しい事や大きなお話をやりたいと考えそうですが、
そういった事を微塵とも見せなかったのが2期でした。
だからこその1期をほぼ完全踏襲したシリーズ構成やキャラ描写でした。
スタッフ達の職人性が垣間見える瞬間でもあります。
まぁ「私にできること」というより「やりたいことをやった」のでしょうが。
しかし、問題点はスタッフ達の「私にできること」以外の「私にできなかったこと」
つまりは整合性のとれたお話の部分なのでしょうね。
全体的にバランスの良い作品を見たかったという要望を持つのは仕方ありませんね。
-引用について-本作はビックリするぐらい様々な映像作品やアニメからの引用で成立しています。
もともとの原作が2次大戦をモチーフにそのパイロットや戦闘機を引用している点を
考えれば、本作は本歌取りつまり引用を考えるこそ本作の本質を掴めるのかもしれません。
引用された映像作品でいえば
「トップをねらえ」「新世紀エヴァンゲリオン」
「ローマの休日」「宇宙戦艦ヤマト」「王立宇宙軍」がぱっと挙げられます。
この中で特に印象的なのは名画
「ローマの休日」をほとんどそのまま再現したかのような
展開だった5話の
「私のロマーニャ」でしょうか。
注目すべきは
「トップ」「エヴァ」といったガイナックス作品が多い事ですね。
股間督の高村和宏さんがガイナックス出身で、「上記」の作品も好きだったのでしょうね。
特に未知なる敵と戦う、年上の姉さん的存在に導かれるという共通点から
「トップをねらえ」の影響は大きかったと思います。
「トップをねらえ」の制作時に原作者の岡田斗司夫氏は
スタッフに
「トップにオリジナル(要素)無し」と言ったそうです。
つまり話も設定も個々の描写や音楽までも全て引用でやるという心意気です。
その心意気、引用とパロディ描写の徹底が作品の質を高め、
最終的にはただのパロディがオリジナリティに昇華されたという事です。
私はストライクウィッチーズにも同様の傾向が見られるように感じました。
キャラもストライカーユニットにも各種設定も、別作品からの似たような展開、
他作品からまるまる拝借したかのような画面構成や演出。
しかし引用・パロディが目立っても、それが作品の質を貶めるものではない。
むしろ徹底すれば、それが作品としての強みにもなるということです。昔のガイナックス作品
「トップ」「ナディア」「エヴァ」にはそれを感じます。
つまりガイナックス出身の股間督はガイナックス制作以外の作品で
ガイナックスイズムを発動させたのだなと思いました。
改めて高村和宏氏がガイナックス直系の人間だと改めて思いました。
語弊があるかもしれませんが、
「トップをねらえ」を精神的に引き継いだ作品は
「ストライクウィッチーズ」なのかもしれません。
-OPの主題歌の意味- 主題歌について感じたことがあったので、ひとつ書いてみます。
「虹を越え、その先まで」主題歌「STRIKE WITCHES 2 ~笑顔の魔法~」の歌詞です。
この
「虹」というのは
「二次」と置き換えられます
「二次」とは
「二回目」の事であり、つまり
「2期」という事を意味するのです。
そしてもう一つ。
「その先まで」というのはもちろん
「3期」のことを指します。
つまりこの歌詞の意味には2期で宮藤芳佳はじめウィッチ達が一生懸命飛ぶ事で
3期制作という殆どの作品が到達しえない高みへ登りたい意味が込められています。それは主題歌の歌詞を担当した股間督、高村和宏氏の切なる願いなのです。
このように解釈してみせましたが、いかがでしょうか?
-最後に-作品としての全体的な整合性や物語までもぶん投げてでも、
キャラクターを描こうとしたストライクウィッチーズ。
それでも、この作品が擁護できるのはキャラの魅力に他ありません。
「苺ましまろ」という漫画の単行本の有名な帯に
「かわいいは正義」とあります。
「ストライクウィッチーズ」もそこを目指して作られたと思います。
私としては明るく前向きで自分の信念(おっぱい大好き)な宮藤芳佳の物語が
終わりなのかもしれないという点では残念です。ただこれ以上彼女のキャラクターの
掘り下げには限界があるような気もしますので、この辺りで満足していきます。
そして3期は売上次第でしょうね。宮藤芳佳が主人公かどうかはともかくとして。
ファンの熱意が新しい展開を呼び起こせるのかもしれません。
「ウィッチに不可能はありません」ですよ!!
そうすれば3期で、2期では
「できなかったこと」が見えるかもしれませんよ。
宮藤芳佳・坂本少佐・リーネ・ペリーヌ・ルッキーニ・シャーリー
エイラ・サーニャ・バルクホルン・ハルトマン・ミーナ
みんなみんな楽しさをありがとう!!
最後に股間に人生の一部を奉げた高村和宏監督ありがとうございました。
ローレグを開発し、新しい萌えに貢献した島田フミカネ氏ありがとうございました。
そして「ストライクウィッチーズ」に参加されたスタッフの皆様ありがとうございました。