「Gのレコンギスタ」19話を視聴。
今回注目したいのは「考える」ということ。
クレッセントシップ内でベルリ達がエネルギー問題について話すシーンの一幕。
アイーダが強くアメリア側の主張を通そうとするが、
周りのみんなに「教わったこと」「感じていない」と指摘される。
以下、各キャラのセリフと照らし合わせて再現してみる。
アイーダが考えていたのは「刷り込み」でしかないこと
ムベッキ「人類は大量消費と戦争で地球を住めないようにしたのです。
そんな人類にはアグテックのタブーは必要でした。
その代わり財団はフォトンバッテリーは無条件で提供してきました。」
アイーダ「エネルギーの配給権をキャピタルタワーに独占させたために他の大陸の人々は…」
ノレド「アメリア人だけの感覚だけで喋るな」
アイーダ「人の自由を侵害されています」
ベルリ「人は自然界のリズムに従うものでしょ」
アイーダ「でも、アメリアでは」
ムベッキ「そのように教わって、お育ちになったのですな」
アイーダ「教わった、教わったって」
ノレド「自分で感じたことではないってことだよ」
アイーダ
「刷り込まれたということ」
以上
アイーダがキャピタルタワーにエネルギーの取扱いを独占されてアメリアなどの国が
不自由している事を主張したいようだが、それが自分の感じたことではなく
「教えられた」「刷り込まれたこと」でしかなかったと看過される。
このアイーダが指摘されることについて、以下の引用を見てみよう。
富野由悠季「17世紀までの人たちはどうやって生きてきたか。ハンナ・アーレントは簡単に回答を出しています。物事を信じて生きてきたんです。信じるだけで17世紀の間、歴史を作ってきた。このことの意味を考えてください。だから、人類には宗教が必要だった。教義を信じるということは、ものを考えなくて済む、信じれば済むということ。」
出典:「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞
富野監督は新作をGレコをハンナ・アーレントの考えをアニメで表現したいと語ってきたが、
今回のアイーダの描かれ方は、ハンナ・アーレントの「独自で判断できる人は限られている」
「人は物事を信じて生きていた」という主張を通して、育ての親のスルガン総監から
物事を教えられた事を信じて生きてきたが、
それはアイーダ独自の判断では無い事を描いているのだろう。
7話でアイーダはアメリア側の新型兵器アーマーズガンが登場した時に
強力な兵器の存在に対して、彼女なりの疑問を呈していたりしたのは、
彼女の独自の感性だったのかもしれない。
ただエネルギー問題に関しては、国家の中枢にいる育ての親の
いわれるがまま事を信じて、その考えのまま19話まで来てしまったのだろう。
この刷り込まれを他のみんなに指摘されたわけである。
現実に生きている我々も風習・習慣・常識といったものを「刷り込まれ」、
「刷り込まれたこと」に従って生きていけば、徹底的に考えなくても
生きていけるという意味でアイーダと同じなのかもしれない。
こうしたアイーダの描写を見るに「Gのレコンギスタ」という作品は、
「考えること自体を考えていく」作品でもあるように感じた。
考えること・感じる事
富野作品は、今までのガンダムのニュータイプも含めて、
人の認識の仕方、考え方そのものを考えるような志向性が強い。
こうした認識の仕方を、ハンナ・アーレントの考えを取り入れつつ、
アニメで表現しているのが「Gのレコンギスタ」なのだろう。
具体的に富野作品で「考える」といえば、「機動戦士Zガンダム」最終話で
カツがシロッコを庇うサラに「なんでそう頭だけで考えて」というシーンがある。
他にも富野作品では考えることも大事だが、それ以上に素朴な態度で
自分自身が感じた事に身をゆだねて、態度を作っていくことの大切さも語られる。
他にも「ブレンパワード」の宇都宮比瑪も考える以上に感じたことのままに
行動する女性を描いていた。
アイーダ「数字だけの理解は数字だけだもんな」
アイーダは自分からクレッセントシップまでの距離が1キロあることに実感が沸かない。
それを数字だけの理解にしてしまうと、なにかわかった気になってしまう。
そんな事を伝えようとしているのではないだろうか。
まとめ
「Gのレコンギスタ」は本編で起こるエネルギーや宗教といった問題以上に
人の認識の仕方、つまり考える方について考える、感じ方そのものについて
問うような事をハンナ・アーレントを手掛かりに取り上げている作品であるのかもしれない。
今回の事があったとはいえ、アイーダは聡明な女性であり、
キャッチコピーの「自分の目で確かめろ」を地で行く方でもある。
トワサンガに行こうと言いだしたのも彼女であるし、
ヘルメス財団に会いに行こうと言いだしたのもアイーダである。
本編でもベルリがアイーダにアイーダの育ての親のスルガン総監の事を
「立派な方」と言ったように人に「刷り込まれた」事が悪いことではない。
確かに人は習慣・風習・常識、親や教育者の教育によって生きているわけだが、
大事なのはこうした事を実際に個々人が本気で疑い、検証して、
実際に感じることなのだろう。
最終的にアイーダはハンナ・アーレントが言う「独自で判断できる」
女性になるだろうとは思う。それが本編で描かれるかどうかはわからないが、
最終的に彼女の人生においてそうなると信じたい。
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