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アニメとしての「昭和元禄落語心中」 

アニメの「昭和元禄落語心中」が最終回を迎えた。

原作を読んでなかったが、
ただ落語をどうアニメで描くのかが気になって1期の1話を見ていたら
とても面白く、特に石田彰さん・山寺宏一さんの落語の演じ方が面白かった。

それからは物語にもハマっていった
特に菊比古と助六の愛憎交わる関係性。
七代目八雲と初代助六の話。
二代目助六が最後に「芝浜」を演じたシーンが好きだった。

助六再び篇以降は、老いた八代目八雲がとにかく好きだった。
芸を極めたが、助六とみよ吉を死なせてしまったことから
落語と一緒に孤独に心中しようとする姿に惹かれた。

しかし八代目八雲の思いとは別に
気まぐれで弟子にとった三代目助六が八雲を小夏を変えていく。
信乃助の存在もあって八雲は徐々に孤独から解放されていたのだと思う。

我欲がなく、ただただ落語に尽くしたい三代目助六は
我欲にこだわる八雲を変えるのにもっとも適した人間だったのかもしれない。
むしろ八雲が三代目助六を弟子にしたのも、
八雲自身が無意識下で救われたいからこそ行ったともいえるかもしれない。

アニメ2期後半になると、その後の展開が気になってしまい
先に原作を全部読んでしまった。
特に八雲の死後の世界を描いた展開にはここまで描くのかと鳥肌立った。

原作を読むと、原作が面白いからアニメがよくできているのがわかった。
アニメが原作を増幅させて面白くしているのがわかった。

syouwa000.jpg

「こんないいもんがなくなるわけねーべ」と
三代目助六から九代目八雲は落語について語る。
落語はいいものなのだ。だから残っていく。

八代目八雲は自分の死が落語の死であることを望んだが、
結果的には名蹟も落語も引き継れることになる。

私は芸風や作風の系譜を追うのが好きなのだが、
落語心中はこの観点から見ると、系譜の物語だったのが
好きになれた理由だと思う。

アニメは監督の畠山守さんの力による所が大きいと思った。
原作よりもシリアス風味を強くし、アニメで落語を見せ切った力量は素晴らしい。
細居美恵子さんのキャラデザも良かった。

最後に畠山守監督は信乃助の父親は誰なのかを想定しながら
アニメを作っていたのかは気になっているが、
答えを言わぬが花であるのは間違いない。
 
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[ 2017/03/25 20:42 ] 昭和元禄落語心中 | TB(2) | CM(0)

「昭和元禄落語心中」における人間の業の肯定 

落語家 故 立川談志は「落語とは人間の業の肯定である」と語っている。
人間の弱い部分を認めるのが落語であるという意味で談志はこの言葉を使う。

昭和元禄落語心中を見ていると、
八代目八雲を見ているとこの言葉を思い出さずにはいられない。

rakuho2000.jpg

「死にたい」という気持ちが強いながらも
それ以上に「生きたい」という気持ちが勝る八雲。

死と生の狭間でもがき苦しむ八雲の姿に、人間の弱さを垣間見る。

思うに一番深い人間の業とは
「生きよう」とすることなのかもしれない。

立川談志は次のようにも言う。

「死ねないから生きているんだ。
死ねるやつはみな自殺している。
死ねないから人間は生き甲斐なんてものを探す」

まさに今回9話の八雲の姿そのものだろう。
自殺しても死ねない。死ねないから生きている。

「昭和元禄落語心中」は、
落語を通して人間の業と生と死を描いている点が面白いのだと思う。
特に八雲・二代目助六・みよ吉…小夏
みんな大なり小なり人間の業を抱えたキャラを描いている。

もっといえば彼ら彼女達の生き様こそが落語的なのだろう。

アニメの凄さはこうした業を持つキャラを迫真性を持って描いている。
うまくは言えないが、演出が切れているのだ。
特に八雲に関しては、八雲の全てを抉るように描かれているようにも思う。
毎回、見入ってしまう展開の連続。凄いアニメに仕上がっていると思う。

特に2期は9話中7話で監督の畠山さんが絵コンテを切っており
畠山さんが大車輪の活躍でアニメとして物語を紡いでいるのがわかる。
 
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[ 2017/03/04 19:40 ] 昭和元禄落語心中 | TB(0) | CM(0)

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