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ガンダムSEED FREEDOMのギャグ/ネタ的消費を容認する作風について 

 ガンダムSEED FREEDOMは、シンの闇が深いとか、とあるようにネタ的みせる描写、ネタを容認する作風が印象的だった。

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例えるなら、原哲夫であいえば蒼天の拳のような印象だ。なぜこう思うか。SEEDも蒼天も、ギャグ/ネタ的見せ方で展開を転がす手法を覚えてしまった後の作品という点からである。さらにいえば、シリアスな笑いの作風から、ギャグに自覚的になった作風への変化であもる。
 原哲夫は、北斗の拳~花の慶次~九頭龍までは、いわゆるシリアスな笑い(笑いを取りにいっていないが、笑ってしまう要素がある)の範疇で踏みとどまっていたと思う。ただ中坊から、主人公の豪快な中坊のキャラと相まって、原の作風が笑いも取る作風、ギャグ/ネタ的見せ方で展開を転がすものへと変貌したように見えた。蒼天の拳は中坊の次の作品。
 SEEDの監督 福田己津央の作品もSEED-Dまでは原と同様にシリアスな笑いの領域にいたと思うが、FREEDOM前のクロスアンジュから原と同じ上述したような作風へと変化したと思う。SEED FREEDOMが見やすかったのは、クロスアンジュで覚えたギャグを使ってきたから。
 むしろSEEDとSEED-Dの世界観や提示しようとした物語がシリアス過ぎて、福田監督の元々得意な語り口の領域とは噛み合っていなかったと思う。そしてSEED FREEDOMは福田監督の領域と合っている。よってSEED・SEED-Dのシリアス性は、MBSプロデューサー竹田靑滋氏と脚本の両澤千晶女史によるものが大きいと推測。この二人が最終的にはいない(両澤女史は2016年に他界)FREEDOMが、最終的にこの作風(ギャグも容認)に落ち着いたという言い方もできる。
 
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[ 2024/06/23 18:38 ] ニュース | TB(0) | CM(0)
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