君のいる町6話を視聴。抜群に面白い。
さて、本編の描写で気になったのがフクロウの像の存在。
唐突に現れたが、意味が無ければ画面に出てこない。だから意味はある。
そう思い、フクロウは何を意味しているのかと思い調べてみた。
フクロウは死の象徴
豊島 ふくろう・みみずく資料館のサイトによるふくろうのイメージによると
ふくろうは夜行性であることから、夜や闇のイメージと結び付けられることが多く、美術工芸品では月にともなって夜の活動を象徴します。加えて、鋭い知覚の持ち主であることから、闇の見張り番、死の予告者、さらには夜に活動する魔女や魔法使いの付き添い、日本では忍者のシンボルなどとして童話や物語にあらわれます。(ふくろうのイメージ 2-2 闇の見張り番より)
フクロウのページには
日本ではフクロウは死の象徴とされ、フクロウを見かけることは不吉なこととされていた。(フクロウ-神話より)
とある。
本編の物語の流れに沿ってフクロウの象徴/意味を考えるならば
風間恭輔の命があと一年しかない事が、
枝葉柚希から桐島青大に伝えられた展開を踏まえるに
フクロウは、風間の死を象徴していると解釈できるだろう。
そしてフクロウの像を風間の死の象徴/予感とするなら、
上のシーン、風間から枝葉に自身の命の短さを伝えられる回想シーンにおいて
枝葉がフクロウの像に触れ、次のカットで枝葉が身体でフクロウの像を画面から隠したのは、
枝葉が風間の死を受け入れたくない、風間の死を隠したいという
彼女の気持ち/願いを象徴した行為のように解釈できる。
アニメでは、モノに何かを象徴させて表現する演出する手法は一つのセオリーだ。
特に本作の監督であり今回の絵コンテでもある山内重保さんは、
モノに何かを象徴させる事を強く出す演出家である。
そんな山内さんは、枝葉がフクロウの像を画面から隠す
無意識であろう行動でサラっと彼女の感情の本質を描いてしまう。
見事としか言い様がない。
6話の他の見どころ
フクロウ以外にも見所はとても多い。全部見所といってもいいぐらい。
傘が開くところから始まるファーストカット。
回想シーンの色彩は、枝葉の孤独感にマッチ。
幻想的な美術。
今回、ラストあたりの枝葉が左手でスカートを持つという芝居を入れてくるところ。
この芝居を入れることで、枝葉が青大に気があることを感じさせることがわかる。
他にもカットの割り方も凄いし、色々凄い。
まとめ
「君のいる町」の君とは誰か。
少なくともアニメ版においては、君とは監督の山内重保さんではないかと思っている。
それぐらいに思わせるほど、この作品は山内ワールド/山内力学に支配されてる作品だ。
食い入るように見てしまう。「君のいる町」。今後も楽しみな作品である。