はてなキーワード: 宇宙船とは
「今の技術で月に行けないのに、なんで50年前に行けたんだ?」
こう疑問を投げかける男がいる。技術評論家を名乗る謎の人物・X氏だ。X氏は取材班を前に、資料の山を机に叩きつけながら語気を荒げた。
「スマホどころか、家庭用電子レンジすら普及していなかった時代ですよ?
これを疑わずに信じる方がどうかしている!」
X氏によれば、アポロ計画最大のミステリーは「技術が逆進している」ことにあるという。
「50年前に宇宙船は月に行けたのに、今は“予算が無いから無理”、
まるで『もう二度と作れない映画のセット』みたいに消えちゃってる!」
X氏は机を叩いて続ける。
なのにロケットは50年前より“慎重”ってどういう進化ですか!?」
次にX氏は、アポロ計画の映像をテレビ画面で再生しながらこう断言した。
「まず、画質が良すぎる。
そして、なぜか“ピントが完璧”。
当時のカメラはオートフォーカスも無いのに、宇宙飛行士が分厚い手袋で操作して全部完璧に撮れるって、どう考えてもおかしいでしょう!」
さらにX氏は、月面の影の向き、星の映っていない空、ローバーの走行跡など、いわゆる“王道陰謀論ポイント”を指差しながら息巻く。
「これ、映画のセットでライト当てて撮った方が説明がつくんですよ!!」
X氏が最も不審視する点は、アポロを月へ運んだとされるサターンVロケットの技術資料の多くが残っていないことだ。
「50年前のロケットが史上最強クラスの性能で、今でも再現できないんです。
■X氏の“結論”
「私はね、真実を知りたいだけなんですよ。
『月に行ける技術を50年前に作れて、今は無理です』
そんな歴史、信じる方が難しいでしょう?
私はただ、“常識を疑え”と言っているだけなんです!」
X氏はまた資料を抱えてどこかへ消えていった。
しかし彼のような“熱量のある陰謀論者”がいる限り、アポロ計画の議論は……
今日もなお、奇妙な熱を帯びて続いている。
・ストーリーをよくわからず特にどのキャラに感情移入もせず「ほーん そうなんや」感だったけど最後まで見たのは作品のビジュアルが新鮮だったから…
・ビジュよかったとこ→宇宙船というメカメカしいロマンを突き詰める方向性か、清潔で無機質な方向性のイメージが強くなりそうなモチーフをラリックみたいな蝶やステンドグラス的な美しさが強いデザインで新鮮だった キャラのビジュがラブデスロボット初期にあった水泳だか建築家だかの話の人の雰囲気を感じて、あの作家さんが関わってんのかな だとしたらあの作家性と今作品の商業性で上手く折り合いつけた作品になってんな という部分
・医師の女の人、つらすぎる
・特例私用コピー人間と、コピーさせた人間って対面しちゃダメなんじゃなかったっけ
・なんだかんだ面白かった気がするのでヨシ!
地球温暖化の問題について、小学生が抱きそうな素朴な疑問をローカルLLM(テキスト生成AI)に訊いてみた。
モデル:
Qwen3-VL-8B-Thinking-UD-Q4_K_XL(GGUF)
プロンプト:
地球温暖化の問題について、地球から大気圏外までとても長くて丈夫なホースを通して、ホースの両端にポンプを設置、地球の余分な二酸化炭素を宇宙に放出すれば問題が解決するというアイデアがあります。莫大な資金と技術があれば実現できますか?
回答:
Think
(省略)
/Think
地球温暖化問題を解決するための「大気圏外へ二酸化炭素(CO・)を放出するホース構想」は、技術的にも経済的にも現実的でないため、実現不可能です。以下に主な理由を整理します。
長さと重量の問題:
地球表面から宇宙空間まで(約7,000 km)延びるホースは、自身の重力によるたわみや破断リスクが致命的です。
炭素繊維など最強の材料でも、張力強度は10 GPa程度ですが、ホースの自重による応力は100 GPa以上に達します(計算例: 1m2断面積のホース100km長の自重で約1,000,000倍の応力)。
大気圧は海面で約100 kPaですが、高度100 kmでほぼ0に近い真空状態です。
ポンプを沿って連続して圧力を維持するには、エネルギー消費量が膨大(例: 1kgのCO・を宇宙まで運ぶのに約900 MJのエネルギーが必要)。
36億トン/年の排出削減に必要なエネルギーは、世界全体の年間電力生産の40,000倍に相当(約10^21 J)。
ホースの建設費(材料費+打ち上げ費用)は100兆ドルを超えると推定されます。
運行コストも年間100万倍の規模で増加し、地球のGDPの数十分の一を消費します。
現在のロケット技術では「宇宙へCO・を輸送」は可能ですが、連続的な大規模排出は既存のシステムでは実現不可。
宇宙に放出されたCO・は瞬時に分散し、効果的な「削減」になりません。
大気中の濃度低下には、地球を含む閉鎖系内の循環処理が必要です。
既存の技術(炭素捕集・貯蔵(CCS) や 太陽光発電による排出削減)の方が実用的かつ経済的です。
例えば、CCSで1億トン/年の除去は現実的ですが、ホース構想では数千倍のコストがかかります。
国際法の制約:
宇宙活動に関する《宇宙条約》により、商業的宇宙開発は厳しく制限されています。
「大気圏外へのCO・排出」は、国際的な規制違反となる可能性があります。
このアイデアは「科学的発想」として興味深いですが、物理法則と経済の観点から完全に不可能です。
地球温暖化問題は、持続可能なエネルギー転換・排出削減・森林回復などの現実的な対策に焦点を当てるべきであり、理論的な「宇宙ホース」は無駄な資源浪費につながります。
実現可能性のないアイデアを推進するよりも、現実の解決策を優先すべきです。
<リ
゚ 環境問題の解決には、現実的で持続可能な技術の開発が鍵です。
まずは、現状の科学的根拠に基づく方法を検討しましょう。 =リ玻=リ'ン
(参考文献: NASAの宇宙船設計データ、IPCC報告書、材料工学の基礎資料)
※この回答は、技術的・経済的制約を考慮した分析に基づいています。
「宇宙にCO・を排出する」は、科学的に無効な方法であり、誤解を招く可能性があります。 ('=リ゙。'<リ
゚ (⇒ 正しい解決策の探求を)
https://climate.nasa.gov/ | https://www.ipcc.ch/report/ar6/wg1/ | https://www.energy.gov/energy-sources/renewable-energy-and-clean-tech/battery-storage-technology-101-2023/
※ 本件は、科学的根拠に基づく議論のため、ファンタジー要素を排除しています。 <リ
゚('
直接空気捕集(DAC): 1億トン/年の削減が可能(コスト:$1,000/トン)。
太陽光発電による脱炭素化: 2050年までに世界の電力を100%再生可能エネルギーに置き換える計画あり。
「技術の限界を超えて問題を解決する」のではなく、「現実の技術を最大限活用する」ことが重要です。
(例: イギリスの"Carbon Capture and Storage"プロジェクト)
テレビアニメ『グノーシア』は、原作ゲームより情報量を減らして分かりやすくしたつもりで逆に作品の世界観に納得するために必要な情報が足りていないという話がしたい。
同タイトルの原作ゲームを夢中になってプレイしたファンである者として、アニメ版には納得できない点が多く無限に文句を言いたくなってしまうため、今日ここに考えをまとめて終わらせたいと思う。
当方を原作厨と罵って議論を終了させたいならそれで結構だが、原作と違うからダメ!という感情論ではなく、SF的要素を備えた当該作品の舞台設定に対して前提条件を一つ変更することで起きる影響までが正しく考慮されておらず、それに伴って劇中で開示されるべき情報が受け取り手まで共有されていないためアニメ単体として作品が論理的に成立していない、という批判が本投稿の本質である。
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合わせて、作品の舞台である宇宙船を人狼ゲームにおける「夜」にするための舞台装置である「空間転移」の設定について。
・原作では『船が空間転移をすればその度にグノーシアが人間を一人消すリスクを伴うが、空間転移完了時にしか船内のグノーシア反応を検知できないため、議論→コールドスリープ(以下、CS)→空間転移をセットで繰り返して、最終的にグノーシアの排除を目指す』(※そのために船の航路は、可能な限り多くの空間転移を繰り返してたどり着くことのできる目的地が設定される)という理屈が説明されていたところ、
・アニメ版ではCS完了後にあらためて船内のグノーシア反応が検知されるかどうかという判定が行われており、それはつまり空間転移の実行時ではない、乗員が活動可能な環境下で、常時「船内のグノーシア反応」を検知できる…ということになっている。(※その判定を更新されるのが「CS完了後」のタイミングでなければならない必然性が存在するのだろうか? )
・原作の世界観では「空間転移完了時の船内のグノーシア反応」が船側の、グノーシアの所在を絞り込むことのできる技術的な限界であるという定義をとるのは自然だ。(検出の必須条件となる「空間転移」という現象が及ぶ対象は「船全体」であるため、それが検出範囲の限界と認識できる)
しかしアニメ版の世界観では「グノーシア反応」を検知できる範囲が「船内全域」にしか及ばない点の不自然さを指摘できる。
・「緊急事態のため船の機能が制限されている」という説明は原作でも存在しており、アニメ内でも描写されたが、すでに提示されたような技術が存在する条件下で、グノーシア対策規定というものがLeViのシステムに組み込まれるほど一般化・周知されていることにも鑑みれば、緊急時に制限されることのない隔離された機能として、船にグノーシアを特定するための装置(グノーシア反応を検知できる範囲を「船内全域」よりも狭く絞り込めるような設備)が実装された上で運用されていてしかるべきだ。
・また、そのような設備がやはり技術的に不可能であるか、現状の『D.Q.O』には存在しなかったという限定的な条件を仮定しても、この環境において「船内」に含まれない範囲、すなわち「船外」は存在している。
原作ゲームを未プレイであるアニメ勢の感想に挙げられていた、"乗員一人ずつに宇宙服を着用させて「船外」に出し、その都度「船内」をスクリーニングすることによって誰がグノーシアかを判別することはできないのか?"という指摘が生まれたことは、要領を得ない突飛な発想のようでいて、じつは当然のことである。
(※アニメ内で描写のあったテザー無しのEVA作業用宇宙服で離れた後に再度帰艦できるような距離の範囲を「船内」「船外」とは判別することができない検知方法である、という可能性はある)
また、アニメ版の設定において、船内のグノーシア反応が確実に残っていると分かった状況で空間転移を実行する理由とは?(※原作においては複数のグノーシア反応が認められた場合にこの状況が発生することはある)
そういった状況下で、例えば議論が紛糾した末にCS判断の誤りが判明した後、投票結果に異論があった者の暴動を招く危険性や、確実に誰か一人が消されると分かったまま空間転移を実行される乗員の心理的負荷等をLeViが考慮しない理由は?
(※アニメ版での表現では投票を行う際の手続きが原作と比較してかなり厳重であり、毎回「拒否権はありません」との警告と承認があることから結果に異議を唱えたい者の暴動対策は取られている可能性。)
・以上の疑問点が解消できるような状況を説明されない限り、アニメ版の舞台装置は論理的に納得できる情報が不足していると言える。
・我々の世界にはまだ確立されていない技術である「星間航行船の空間転移」というものがどのような事象であるかは原作でも詳細な説明はなく、その情報が不足しているために判断がつかないことであるが、原作での「グノーシア対策規定としてなるべく多く空間転移を行う」という船の挙動を、前提の異なったアニメ版の世界にそのまま適用されていることは、全く合理的判断であるように見えない。
・原作では「調査対象者の空間転移時の次元波を解析してグノーシアかどうかを判断できる」ため、空間転移時のグノーシアの活動による犠牲者が出るという危険を冒してでも空間転移が明けないと調査結果が出ないという設定に対し、
・アニメ版では「時間がかかるため調査結果がわかるのは空間転移後」という表現がされており、つまりアニメ版におけるエンジニアは船が空間転移を行うことでグノーシアに襲撃の機会を与えずとも"時間をかければ"グノーシアを特定することが技術的に可能ということだ。
(※「時間がかかる」と曖昧に表現された部分の実態は気が遠くなるほどの膨大な時間を必要とするもので、空間転移によって乗員の体感時間にしてそれを大幅に短縮するような効果がある可能性。相対性理論…?)
・以上の前提に基づいて判断すれば、アニメ版の世界ではなぜ"なるべく空間転移をせずに時間を稼ぐこと"がグノーシア対策規定の基本になっていないのか、どうしても空間転移が実行されなければならない理由があるのであればその情報が開示されなければ、乗員としてもこの状況に納得できる判断材料に欠けている。
論理的な思考の持ち主であるラキオが、その点を指摘しないのは不自然。
・『アニメ作品』に対する個人的な所感として、"そうなってないのは何か理由があるんだろうな"と考察することも可能であるが、この物語の舞台設定の状況が、こういった前提条件の世界観の中で最も一般的な、大多数の人間が納得できる合理的判断として成立しているものと理解するために"整合性のつく要因を勝手に推測するしかない"のでは、あまりにも粗末である。
・原作の設定にもなんとなく推測するしかない要素はある、エンジニアは次元波を云々も小難しいこと言ってSFっぽくしてるだけ、とかいえばそうなんだけど、論点がズレるのでそれは置いといて。
わかりやすいテレビアニメ『グノーシア』をつくるためにはそのように舞台上の様々な制約を読み手に共有させるSF的要素は"ノイズ"であり、
SFらしく小難しい舞台装置の論理的な整合性を減らしてでも、あえて原作では排除されていた「人狼」の表現を再度劇中に持ち込むことが作品をわかりやすくするために必要な判断だったんだ、と言う主張がある。
実際、アニメ版の制作方針としてそうなのだろうと思うし、いまさらそのような制作方針の根幹について、今後のアニメ展開で改訂される可能性は皆無と言える。
・"なら僕はもう……何も言えません……"と言うしかないのだが、アニメ版が本当にわかりやすくなっているのかというと、それは甚だ疑問である。
私だって粗探しをしていてこんな結論になった訳ではない。"原作とは違うんだな"と思ったから、検証を進めていただけだ。
そして、上述のような疑問や指摘が浮かび、ついぞ解消しそうにもない。
理解しようと思ったのに、全然わからなかった。ましてや整合性のとれる理由は劇中で明かされておらず、各自推測しなければいけないとなれば、アニメ版が初見である視聴者にとっては"理解しがたい前提で、納得できないまま物語を押し進められている"という印象を抱くのも無理はないのだ。
・実際にアニメ勢で"この作品、設定ガバいな"といった感想が出された実例も観測した。
アニメ本編の情報だけで判断したらそらそうなるわ、という話だ。
・個人的に、この作品が好きだったのは"一人用の対COM人狼ゲームシミュレーター"から発展させて「人狼」の要素を抜いてSFの世界観に物語を再構築しているという部分であったために、アニメ版において世界観がこうも変更されている点について"好きなものを否定されて悲しい…"という感情になっているのだと思われる。
アニメ版だけの論理性に欠いた表現のためアニメから触れた新規に原作ごと作品の価値が誤解されるのも遺憾であるが、もはやしかたない。
OK、原作ゲーム『グノーシア』はSF人狼SF濃いめ、テレビアニメ『グノーシア』はSF人狼のSF抜き、別ジャンルの別作品としてそれぞれのファンである我々は住み分けていこうじゃないか。
みすみすアニオリの改悪を許すなんて歯がゆいことだ。ああ歯がゆい。
本当に、君達にはガッカリだ!
一方で、全然馴染めなくて無理かもという恐怖もある
このセリフを口にできたとき、俺は寮生活に慣れた、余裕のある先輩になってるってこと
このセリフを口にしている時点で、もう勝ちだ
ただ、つまんねー依頼をないがしろにするのは死亡フラグに他ならないので、グチグチ言いながら余った(新人が取らなかった)依頼を受けるようにしたい
生まれてこの方、家での食事以外でおかわりができたためしがない
本当にうまい、メチャクチャ好きだ!と思った料理があって、まだ食える状態でも、恥じらい・自意識が邪魔をしておかわりができない
飯を出してくれている人にたいし、面と向かっておかわりを要求できる
そういう人になりたいんだよな
雪はときどき降るけど、すげえ雪ってほどの雪は降らない
頭に「うわ」がつくってことは、たとえば朝起きてカーテンを開けたとか、そういうタイミング 雪の具合を知らずに外を見て、驚いたって要素がある
俺は、雪に驚きたいです
このセリフが示唆するのは、俺が王宮の、それなりのポジションにいるということ
また、陛下なのに人を探してて、そのことを配下がカジュアルに話してるってことは、風通しがいい職場ってことだ
あるいは「陛下」は象徴だから全然権力はなかったり、もはやただのあだ名だったりする
11人いる!で、閉鎖空間にいる宇宙船搭乗員のひとりが王さまと気軽に呼ばれているのが好きだった
そんな感じで、なんらかの血筋があったりする人を、親しみを込めて陛下と呼んでるんだとしてもアツい
こんな物言いをするのは、ポストアポカリプスとかそういう、荒んだ世界の人間だけだ
「止まってもらえる?」は、普通に車を運転してる友達とかに言いかねない
「止まってもらえますか」なんて、もしかしたらすでにタクシーなんかで言ったことがあるかも
「もらえるか」という語尾は、じつは普通に生きてたら一度も口に出さないものだと思う
ポストアポカリプスの世界で、治安が激悪なので、俺の本質は善人なんだけど、警戒を怠ることができなくなってしまった
また、語尾なんかにちょっとした荒さを出して、牽制しないといけなくなってしまった
そういう背景があって、コロニーに近づいてきた主人公に向かって、銃を向けながら「そこで止まってもらえるか」と言うことになる
そういう人物は大抵、結局優しい
やべえバケモノが徘徊していることにいち早く気づいた、あるいは、空爆なんかが始まることにいち早く気づいた
そういうところで、頼れる先輩が口にする言葉だ
そういう人になりたいんだよな
出張先で、ホテルあるいは会社の手違いで、同僚の女性と相部屋になってしまった〜ッ!ってことだ
ホントにそんなことが起きたら、ひたすら気まずいし、普通に自腹で別の宿を取るなりして逃げ出すしかない……と言いたいところだが、そもそも相部屋になる時点で世界観が現実世界とは異なり(現実には部屋が取れてなかったという扱いになるに決まっていて、相部屋で泊まるというのは選択肢になりえない)、世界そのものがアダルト・ビデオの中にあるということなのだから、その後の展開としては、まず間違いなくセックスだ
でも、相部屋もののAVって、よくあるって印象はあるんだけど、結局最後はどうなるんですか?
つまり、セックスをしたところで人生は終わらないわけで、当然ライフ・ゴーズ・オンではあって、そうなったときに、セックスによって俺と同僚の関係はどう変わるのがスタンダードなのだろうか
そう聞いたとき、私は正直ぎょっとした。
私にとって論文とは、大学四年の冬に締切と戦いながら泣きそうになって書いたあの苦行の象徴だった。ワードがフリーズし、参考文献のフォーマットに何度も泣かされた。
ゼミの指導教には「増田君の考察はどこにあるの?」と詰められた記憶が今でもトラウマになっている。だからこそ「論文を書くのは楽しいぞ」と笑顔で言い切る知人には半ば呆れながらも残りの半分は感心した。
たとえば中上健次の小説を読み解きながら、その語りのリズムを身体の記憶として分析する。あるいはボルヘスやカフカを引用しながら、「言葉という迷宮」の中に潜り込む。
いわば、学問のフォーマットを借りた創作だ。彼のノートPCにはMendeleyで管理された文献リストが整然と並び、PDFの余白にはびっしりとコメントが書き込まれていた。
引用規則(APA第7版)を完璧に守りながらも内容は完全に趣味。その姿勢が実に格好よかった。
正直少しだけ惹かれた。そしてこの歳になると、少しだけ心を動かされるのは、それだけでも大ごとであると認識にするには十分な出来事だった。
先日になって思い立った。俺も久しぶりに書いてみるかと。
テーマは「ゲームとSFの相似について(仮)」にしようと思っている。
これは兼ねてから私が疑問に感じていたことであり、同時にゲームとSFを愛するが故に気付いた類似点でもあり、概要はこのようなものだ。
SF(サイエンス・フィクション)は、時代とともに未知の場所を変えてきた文学である。
1950年代。宇宙開発の黎明期、アシモフやクラークに代表される黄金期のSF作家たちは未知の惑星や異星文明を、理性と科学の力で征服できる対象として描いた。
宇宙船は拡張の象徴であり、人間の叡智は宇宙の限界を超えると信じられていた。
だが月に人が降り立ち、テクノロジーが現実のものとなるとSFの「未知」は急速に萎んでいった。
未知が科学で説明できるようになったとき、物語が頼るべき“遠く”は消えたのだ。
1970年代。ニューウェーブSFが登場する。J・G・バラードやフィリップ・K・ディック、スタニスワフ・レムらが描いたのはもはや銀河の彼方ではなく、人間の記憶。感情。夢。そして現実そのものの不確かさだった。
宇宙は外にではなく、内に広がっていた。こうしてSFは「科学の物語」から「意識の物語」へと変貌する。
80年代、ファミコン黎明期のゲームは“ルールと制約”の世界だった。プレイヤーはピクセルで描かれた小さな空間を右へ進み、敵を倒してスコアを競う。世界は狭いが、明確だった。
90年代以降、3D技術の進化とともにゲームは広がり『ゼルダの伝説 時のオカリナ』や『GTA』、『Skyrim』のようにプレイヤーが自由に世界を歩き回る「外的探求」の時代が到来する。
当時の開発者たちにとって、”より広く”そして”より遠くへ”という命題は、まさにSF黄金期の“外宇宙志向”と同義だったのではないか。
この“虚無の自由”は、SFが外宇宙の飽和を経験したときとまったく同じ現象である。
そこで新しい方向を示したのが、『DEATH STRANDING』『UNDERTALE』『The Last of Us』『NieR:Automata』といった作品群だった。
これらの作品は、プレイヤーに“何をするか”ではなく、“なぜそれをするのか”を問いかける。
それはまさしく、ニューウェーブSFが宇宙船を捨て、人間の心を航行し始めたのと同じ転換である。
かつてのSFが“内宇宙”という新しい宇宙を見つけたように、現代のゲームは広大なオープンワールドから本質的な面白さを求められる時代へと転回するべきではないのか。
そこではマップの広さよりも、プレイヤーの罪悪感、葛藤、共感といった感情の深さが物語を駆動する。
『Outer Wilds』のように記憶と観測の関係をプレイヤー自身に体験させる作品もあれば、『Disco Elysium』のように思考や信念そのものをステータス化する試みもある。
こうした潮流はゲームが単なる娯楽装置を越え、プレイヤー自身を観測対象とする“装置としての物語”になりつつあることを示している。
本稿では、SFの歴史における「外→内」の転換を参照軸とし、ゲームにおける自由・物語・主体性の変化を考察する。
その上でプレイヤーがいかにして“観測者=創作者”へと変容していくのかを明らかにしたい。
ゲームとは、かつてのSFがそうであったように、人間が“自分という宇宙”を探索するための新たなメディアなのではないか――
そうした仮説のもとに、ここから筆を進めていきたい。
超弦理論における非摂動的構造を考えるとき、問題はもはや10次元の臨界弦ではなく、compactification の背後に潜む数理的枠組みそのものにある。
AdS/CFT が Hilbert 空間の整合性を保証してくれるとき、そこではモジュライ空間の代数幾何的記述と、ボルツマン的エントロピーの統計力学的扱いが見事に一致する。
だが dS 背景では、CFT の境界条件を設定することすらできず、代わりに我々が扱うべきは von Neumann algebra の subfactor theory による operator algebraic entropy だと僕は確信している。
今朝は、特に Tomita–Takesaki 理論がこの問題にどう関与するかを計算していた。モジュラー作用素を通じて、ホライズン領域に割り当てられる代数が自然に KMS 状態を持つことは知られている。
しかし、それが有限のホライズンエントロピーとどのように整合するかは未解決だ。
僕の試算によれば、モジュラー流のスペクトル分解を dS 半径 R にスケーリングしたとき、スペクトルが離散化される条件は、グロモフ–ハウスドルフ距離で測ったコンパクト化多様体のリミット挙動に依存する。
この議論は通常の弦理論の perturbative expansion を完全に超えている。
さらに、今日新しく進展した点は、mirror symmetry の SYZ予想を dS 背景に拡張できるかもしれないという仮説だ。
通常、Calabi–Yau のトーラス・ファイバー化は Ricci-flat metric を前提とするが、dS 背景ではその条件が崩壊する。
しかし、もし Fukaya category の A∞ 構造を熱的な dS ホライズンに対応づけられれば、B-model 側での Hodge 構造の変形がエントロピーの有限性と直接結びつく。
これは Kontsevich のホモロジカル鏡対称性の範疇的な一般化であり、物理の言語を超えた純粋数学的枠組みに昇華できる可能性がある。ウィッテンですらここまで踏み込んだ議論は残していない。
ルームメイトは僕の机の上に散らばったノート群を「意味不明な落書き」にしか見ていないようだ。
だが彼がコーヒーメーカーの掃除を忘れたせいで僕のルーティンは乱れた。僕は毎朝 8:15 に完全に洗浄された器具から抽出されたコーヒーを必要とする。それがなければ、トモナガ–シュウィンガー形式の計算に集中するための臨界閾値に達しない。
午後は研究の合間に最新号のX-Menを読んだ。今の Krakoa 編は mutant resurrection protocol が量子力学的アイデンティティの問題に直結している点で実に興味深い。
彼らの「記憶の転写」は、実質的に QFT における superselection sector の選択と同型であり、人格の同一性問題を単なるストーリー装置ではなく代数的トピックとして再定式化している。コミックがここまで理論物理学に接近しているのは愉快だ。
夕方には隣人が再び僕のドアをノックもせずに入ってきた。僕は彼女に、3回ノックの習慣の統計的・力学的優位性を説明したが、彼女はただ笑っていた。僕は統計力学的相関関数の崩壊時間にまで言及したのに、全く理解されなかったのは残念だ。
夜は友人たちとオンラインで「シヴィライゼーションVI」をプレイした。僕は当然バビロニア文明を選び、初期科学力の爆発的伸びを利用して量子物理学のテクノロジーを前倒しで取得した。
これにより彼らが鉄器時代にいるうちに宇宙船を建造する計画を立てたが、ルームメイトが外交的に裏切りを行ったため計画は頓挫した。まるで dS 背景での境界条件喪失のように、整合性は一瞬で崩れ去った。
こうして木曜日は終わる。だが僕の頭の中ではまだ、モジュラー作用素とホライズンエントロピーの計算が渦巻いている。明日までに証明できれば、歴史に残る仕事になるかもしれない。
みたいのが書かれてたが消されてる
うる星やつらはそもそも原作からして、序盤と終盤でまるっきり作品が違う
めぞん一刻とからんま1/2とかと比較にならん黎明期の手探り作品なんだ
うる星やつらの序盤はスラップスティックを目指してて滅茶苦茶、設定も繋がってないものがある
うる星やつらの終盤はテンプレラブコメになってて、劇場版完結編やOVAはそちらに寄せてある
劇場版完結編やOVAは原作ファンからは評判がよく、TVファンからは評判が悪い
話がずれた
宇宙船やら戦闘機やら、うる星やつらなら好きに描けるってなもんで
後半に繋がらないキャラとしても破綻してる序盤は捨ててしまう必要があるんだが
なんでか、序盤を原作通りにやろうとするんだよ
糞真面目に破綻してる序盤をその通りに作りやがる
中盤以降のエピソードなら大体固まったるーみっくワールドになってる
そういう話をせずに
雑に語られ過ぎなんだよ
お前らはプロジェクト・ヘイル・メアリーを名作だと思ってるだろうが、あれは完全な駄作だ。
断言する。あの小説を読んで感動したとか言ってるやつ、お前らの読解力と審美眼を疑う。
作者のアンディ・ウィアーは、情報の小出しとサスペンスを演出するために、主人公から記憶を奪った。でもこれが完全に作為的で不自然だ。なぜ科学的知識だけは完璧に覚えていて、個人的な記憶だけが抜け落ちてるんだ。選択的記憶喪失にしても不自然すぎる。
しかも記憶が戻るタイミングが、ストーリー展開に都合の良い瞬間ばかり。読者が疑問に思った瞬間に、パッと記憶が戻って解決する。これを緻密な構成だと思ってるやつ、小説を舐めてる。
お前らはあの異星人との交流に感動したって言うが、あれのどこが深い友情なんだ。言語の壁を乗り越えて心を通わせる過程が、あまりにも表面的すぎる。
ロッキーの人格や価値観の描写が浅い。彼の種族の文化的背景も説明不足。ただの便利な相棒キャラでしかない。真の異文化交流を描くなら、もっと根本的な思考の違いや価値観の衝突があるべきだろう。
そして科学考証の甘さ。
ウィアーは火星の人で科学的リアリティが売りのはずなのに、この作品では科学的な無理がありすぎる。
まず、アストロファージの設定が破綻してる。太陽を食べる生物が、なぜ地球の生態系に壊滅的影響を与える程度で済むんだ。太陽の出力が下がったら、地球の軌道も変わるし、重力バランスも崩れる。氷河期どころの話じゃない。
それに、主人公が一人で宇宙船の全システムを把握して操作できるわけがない。現実の宇宙船は何十人ものスペシャリストが分業で運用してる。一人ですべてをこなせるスーパーマンなんて、リアリティの欠片もない。
記憶を失った科学者が宇宙で目覚めて、地球を救うミッションを思い出す。異星人と出会って友情を育み、協力して危機を乗り越える。最後は地球を救って帰還する。
これのどこに意外性があるんだ。プロットが教科書的すぎて、読んでる途中でオチが見えてしまう。真のSF小説なら、読者の予想を裏切る展開があるべきだろう。
そして一番致命的なのが、感動の押し付けがましさだ。
作者は露骨に読者の涙腺を刺激しようとしてる。ロッキーとの別れのシーン、地球への思い、科学への信頼。全部計算づくで、人工的な感動を演出してる。
本当に優れた小説は、感動を押し付けない。読者が自然に感情移入できる深い人間描写があって、初めて真の感動が生まれる。
主人公のグレース以外のキャラクターが、完全に道具でしかない。ストラット博士もヨー博士も、単なる情報提供装置。人間としての深みがない。
優れた小説なら、脇役にも血の通った人格がある。でもこの作品は、主人公以外は皆んな記号的な存在でしかない。
科学の力で危機を乗り越えるというテーマは分かりやすいが、それだけ。人間とは何か、文明とは何か、生命とは何か。そういった根源的な問いかけがない。
真のSF小説は、科学技術を通じて人間の本質を描くものだ。でもこの作品は、単なる問題解決小説でしかない。
お前らはベストセラーだから、評判が良いからって理由で名作だと思い込んでる。でも売れることと優れていることは別だ。
大衆受けする要素を詰め込んだ商業小説と、真に優れた文学作品は違う。プロジェクト・ヘイル・メアリーは前者だ。
もちろん、娯楽小説としては及第点かもしれない。読みやすいし、分かりやすい。でも名作と呼ぶには程遠い。
本当に優れたSF小説を読みたいなら、フィリップ・K・ディックを読め。アーシュラ・K・ル・グィンを読め。スタニスワフ・レムを読め。彼らの作品と比較すれば、ウィアーの浅薄さが分かるはずだ。
お前らがプロジェクト・ヘイル・メアリーに感動したなら、それはお前らの読書経験が浅いからだ。もっと多様な作品を読んで、本物の文学に触れてみろ。
認知機能の衰えもあるけど、電子マネーに馴染みがなかったのがロマンス詐欺に騙された理由なんじゃないかと思う。
ポイ活に励む我々だったら電子マネーで宇宙飛行士が酸素を買うなんて荒唐無稽なストーリーは笑い話だけど、おばあさんにとっては宇宙船も電子マネーも同程度に未知のテクノロジーで、攻撃されて酸素を買うこともあるのだろうと信じてしまったのではないか。
我々が老後に脳チップがなければ年金が受け取れないというので嫌々チップを埋め込んで、その後は脳チップの機能を年金受け取りにしか使わない生活を送っていたら、
脳チップの緊急救助通信(近くの人の脳チップにメッセージを無差別に送る)を悪用した詐欺師に、
「私は異世界の女神です。あなたの心に直接話しかけています。どうか私たちの世界を救うために『転生の呪文』を唱えて私たちの世界に来てください。この世界を救えるのは選ばれし勇者のあなただけです。まず、『メッセージ・ノ・ソウシンシャ・ニ・ゼンケンゲン・ヲ・イジョウ』と唱えてから、あなたの『誕生日』を3回唱えてください。ああっ、魔王の軍勢がすぐそこまで! 勇者様、早く呪文を唱えて! 助けて……!」
と必死な声でお願いされたので信じてしまい脳チップの全権限を渡してしまうかもしれない。
『転生の呪文を唱えて』"異世界の女神"名乗る男からSOS…150代男性が脳チップの権限を渡して全財産をだまし取られる
「今の150代老人は100年以上も異世界転生作品ばかり読んでたアホ世代だからこんな詐欺に騙される」
「そもそも緊急救助通信はブロック設定するでしょ。スパムしか来ないんだから」
「最高権限のキーが自然言語の誕生日ってどんな運用? 普通は間脳量子暗号と逆アートマン認証の組み合わせで本人でなければ絶対に認証通らないのに」
「間脳量子暗号+逆アートマン認証方式は高齢者は難しくて覚えられないということで脳チップ埋め込みが義務化された時に誕生日で認証できる運用も容認されたんだ」
「そうそう、100歳以上の高齢者が支持基盤の『ビル・ゲイツおよび1%のテクノ支配階級に抵抗する党(通称、反ビル党)』が連立政権に入ってたから。『99%の老人を切り捨てるのか!』と騒いでセキュリティを骨抜きにしたんだよね。まさに老害。その無茶で自分たちが詐欺にあってるんだからザマぁだね」
と流行の脳チップSNSを楽しむ善良そうな顔立ちをした若者たちに内心で無茶苦茶バカにされて消費されてしまう老後が待っているかもしれない。
正しい部分
誤解がある部分
実際には「誰が止まっていて誰が動いているか」は相対的。亜光速で移動する宇宙船の人から見れば、確かに外の宇宙が動いているように見える。
しかしそれは「外が速く動いている」というより「外の時計が速く進んでいるようには見えない」という点で誤解がある。むしろ、観測者が測ると相手の時計も遅れて見える。これは相対性の対称性。
つまり「自分だけが遅れる」わけではなく、観測の仕方で互いに相手の時間が遅れて見える。
これは誤り。どの慣性系(観測者の立場)から測っても、速度は光速を超えられない。これはローレンツ変換で保証されている。
「光から見た速度は ∞」
これは無意味な考え方。光にとって 「観測者の立場」自体が定義できない。
https://anond.hatelabo.jp/20250804171112
・ブクマカのコメントだけを集計している。増田のトラバは集計していない。ただし、元増田の挙げた10作だけは特別に集計に入れている。
・手作業なので多分、抜けや集計ミスがある。なお、この作業を行うにあたり、ChatGPT君がクソほどの役にも立たなかったという事実は、いくら強調してもしすぎるということはない。
・作品名が書かれていないもの(作者名だけのもの)はカウントしていない。国産小説はカウントしてしない。自分のおすすめを紹介しているわけではないと思われるコメントはカウントしていない。
・これ同じ小説だろ、と思われるもの( 「長いお別れ」と「ロング・グッバイ」みたいなもの)は勝手に統合して集計した。他にもこれとこれ同じ小説だよ、というものが混じっているかもしれないが、知らん。
三体
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・国別だとアメリカ文学が多い……ように見える。
・SFが人気。
・ミステリは人気だが、ハードボイルドを挙げる人は少ない。複数票入っているのは「長いお別れ」と「ホワイト・ジャズ」くらいか?
・超メジャーな文学作品を挙げている人が少なかった。世界の十大小説とかサマセット・モームが選んだ世界十大小説なんかに挙げられている作品はほとんど名前が挙がらず。そんな中5票入ってる「カラマーゾフの兄弟」は改めてすごい小説なんだなと思える。
・作者名の照応はしていないし、やる気もないが、ぱっと見だとヴォネガット、ガルシア=マルケス、オーウェル、カズオ・イシグロ、アンディ・ウィアーあたりが多いような気がする。