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はてなキーワード: アイロニーとは

2025-12-07

anond:20251207095201


🟥 第2章広告業界への初接触 —— “イメージの魔術”との出会い

第2章では、タタルスキーがついに広告代理店の内部に初めて足を踏み入れる。

ここで彼は“ソ連とは完全に異質な、新しい論理支配された世界”と直面する。

この章は作品全体でも重要で、

90年代ロシア広告狂気

資本主義意味不明な魔術

・タタルスキー潜在的適性の発露

が集中的に描かれる。

◆ 1. タタルスキー広告代理店へ向かう

ゴリスキーの紹介を受け、タタルスキー

外資系ブランド担当する小さな広告代理店 を訪ねる。

道中、街には西側ブランド看板や偽物の広告が溢れ、

彼の頭は混乱する。

ソ連時代には存在しなかった“消費の誘惑”

• いきなり増えているカラフルロゴ

• 誰もが金を追いかけている

タタルスキーは、この「現実の質感の変化」を直観し始める。

“これは別の世界だ。

ここでは、言葉よりもイメージの方が人を動かす。”

この認識が、後の彼の“広告思想”の基盤となる。

◆ 2. 広告代理店の内部:混沌躁状態

代理店は安っぽいオフィスだが、異様な活気に満ちている。

若者たち英語ロシア語を混ぜて喋る

• “ブレーンストーミング”というよくわからない儀式

タバココーヒーエナジー匂い

• 金の匂い不安の混ざった空気

タタルスキーには、

ソ連には存在しなかった“躁的な競争テンション

として感じられる。

ここで広告代理店が“新時代錬金術工房であることが、読者にもタタルスキーにも伝わる。

◆ 3. タタルスキー、初めての“テスト課題”を受ける

代理店ディレクター(しばしば軽薄で誇張的なキャラ)が、

タタルスキーテストを課す。

テスト内容

ある外資系菓子ピーナッツスナックなど)のキャッチコピーを作れ

というもの

この“軽薄さ”はソ連で詩を学んだ彼にとって屈辱的に思えるが、

彼はしぶしぶ挑戦する。

◆ 4. タタルスキー直感が“詩的才能”として暴発する

タタルスキーは一瞬、“こんなことに意味があるのか?”と躊躇する。

ところが──

彼の内部の言語装置作動する。

ソ連詩のリズム

造語センス

日常神話を結ぶ比喩構造

社会風刺感覚

これらが混ざり合い、驚くほど冴えたキャッチコピーを即座に生み出す。

※ ここは作品でも非常に象徴的な場面だが、著作権上原文を示せないため、構造だけ説明すると:

• “豆菓子”という低俗テーマ

• “神話的・宗教的哲学的イメージ”に飛躍させ

ユーモアアイロニーを同時に成立させる

という、タタルスキーならではの“ペレーヴィン的飛躍”が起きる。

ディレクターはタタルスキー作品に目を丸くし、

「こいつは才能がある」 と即断する。

◆ 5. 代理店スタッフの反応

彼のコピーは、周囲のスタッフにも衝撃を与える。

• 「なんだこの感覚は?」

• 「ロシア的だが新しい」

• 「アメリカでも受けるかも」(実際ほぼ理解されていない)

ここで読者にはっきり伝わるのは:

タタルスキーは“詩人”としては挫折したが、

広告という虚構世界では異常な力を発揮する。

という逆説。

世界では役に立たなかった才能が、

新世界では突然“魔術”に転じる。

◆ 6. タタルスキー広告界入りを決意

ディレクターはタタルスキーに言う。

明日から来い

給料は今よりはるかに良い

ブランドロシア向けコピーを量産しろ

問題は“意味”じゃない

重要なのは“印象”だ

タタルスキーはここで根本的な違いに気づく。

ソ連言語 → 真理を語るためのもの

広告言語欲望を作るためのもの

言葉目的根本的に違う”という感覚が、彼を魅了し始める。

◆ 7. タタルスキーの内的変化(この章の核心)

第2章で最も重要なのは

タタルスキーの内側に「広告言語」が芽生える瞬間である

彼は気づく:

広告とは、世界説明するためではなく、

世界のものを創り上げる力だ。」

これは後に

政治広告国家イメージ神話生成装置

へとスケールアップしていく“核心テーマ”。

タタルスキーはまだそれに気づいていないが、

この章で彼は既に“新しい神官”としての道を歩き始めている。

◆ 8. 第2章のまとめ(象徴的整理)

項目 内容

主な出来事 タタルスキー初の代理店訪問コピー試験で才能を見せる

重要テーマ 言語転用:真理の言語欲望言語

象徴 広告代理店新時代錬金術工房

心理描写 恥・興奮・罪悪感・快感が混ざる“言語再生

物語機能 タタルスキー広告世界正式に足を踏み入れる

2025-10-23

映画老人Zを見た

何も考えんと見るアクションコメディアニメとして見れば80点くらいだと思うんだけど、

ある種の社会風刺アニメとして見ると現代感覚だと60点くらいかもしれない。

 

スタッフ言及しだしたらオタクという俺の中での線引きがあるのだがさすがに言及せざるを得ない。

大友克洋北久保弘之江口寿史磯光雄今敏神山健治黄瀬和哉とその後のアニメ業界を牽引、今でも第一線で監督として活躍するメンツが様々な役職で参画している。

なので(かどうかは知らんけど)、アニメーション作品としては非常によくできているし見応えもある。

 

アクションコメディバランス良く配置され最終的にちょっとエモい感じになって最後爆笑で落とす構成も見事。

主人公の一人の実験体老人「喜十郎」が最後に「お迎えが来た」と呟き、もう一人の主人公の「晴子」が「何言ってんの」と返すと、地響きが鳴り響く。外に出るとロボット化した鎌倉の大仏様が。みんなで合掌。ゴーンと鐘が鳴り響いて暗転。

バカすぎるし完璧すぎる。

作画も延々といいし、アクションも素晴らしい。アニメーション作品としては申し分ない出来だと思う。

 

社会風刺としても、高齢化自体1970年代から始まっており徐々に問題視されてきていたが一気に爆発したのが1990年の1.57事件からになるので、それを1991年公開の作品で取り扱っているのはかなりフットワークが軽い。

また介護問題へのアイロニーが効いているテーマ性は現代においても他人事ではないし、老人が操作する(実際にはしてないんだけど)移動機械が大暴走し多大な被害を出すという展開は、昨今のプリウスミサイル彷彿とさせる。逆にプリウスミサイルがある現代に生きているのでむしろ老人に対する偏見助長するのでは?と思ってしまった部分はある。

 

個人的に一番気になったのは介護看護献身的に取り組む主人公の晴子が介護先の喜十郎をずっと「おじいちゃん」と呼び続けること。俺が福祉現場に入ったことがあるからかもしれないけど、現代基準で言えばかなりグレーというか、よくないとされていることなのでずっと引っかかってしまった。まぁ本人が「おじいちゃん」って呼んでくれって言ってたんなら別にサービスとしてそれでいいんだろうけど、基本は「喜十郎さん」だよなぁと。

まぁ1990年以前の価値観だとそれで問題なかったんだろうけど、なんかモヤモヤ

 

あとはこの作品ってそういう内容でよかったんだっけ?と感じたのは、この作品老人介護用全自動ロボットが老人の夢をかなえるために鎌倉の海に向かって大暴走するという話なんだけど、この原因を作ったのは実は主人公であるという部分。

厚生省(今は亡き)が介護老人を全自動強制介護するマシン作成し喜十郎をモニタに選ぶ。主人公はそれに反発し、自身が勤める病院入院していた凄腕ハッカー老人集団と結託しマシンハッキング、喜十郎の妻の声を再現して喜十郎に呼び掛ける。その結果、喜十郎の深層心理にあった「奥さんとの思い出の海に行きたい」を汲んだマシンOS内に喜十郎の奥さん人格形成され海に向かって暴走を始める。

そのOSペンタゴンが開発した軍事転用可能もので、介護用と言いつつも軍事技術データ集めに使われていたのだ!なんてひどい話なんだ!としてそのOS提供した会社が悪役になって最終的に逮捕されて終わるんだけど、いや、これ、暴走の原因の4割くらいは主人公たちにあるよね?

俺がマッチポンプ作品が嫌いなのもあるんだけど、すげー気になってしまった。

いや、そうしなきゃ喜十郎は機械に繋がれて生命繋ぎ留められるだけの物体になってしまっていたわけで、やむを得ない行為だったってのは理解できるんだけど、その代償としての被害規模がデカすぎんか。

というのが一番のモヤモヤ

 

こういう作品だと役所人間って非人間的なカスとして描かれがちだけど出てくる厚生省役員は「本当に老人の介護問題を何とかしたい」という熱意に燃えていてそこに付け込まれしまったという形で、マシン問題に気付いてから主人公側で一緒に戦う展開になるというのは性善説的で非常によかった。

あと今となってはウルトラトレスマンとして永久に叩かれている江口寿史キャラデザは素晴らしく、主人公はかわいくサブキャラに至るまでみんな魅力的。

 

根本の部分が公開から35年たった今見ると、ええんか?ってなるところ以外はよくできた作品だと思う。

伝説の傑作ってほどではないけど、アニメ好きだったら見といて損はない。見てるとドヤれるし。

2025-06-16

anond:20250616125329

多角的分析:無菌化社会への静かなる告発\n\nこのわずか2行のテキストは、単なる子育ての愚痴や嘆きではありません。これは、現代日本社会特に都市部が抱える歪みを鋭く切り取った、極めて洗練された社会批評です。\n\n1. 表面的な情景と現実社会リンク\n\n投稿が描き出すのは、「都会の標準的子供」が置かれた、あまりにも窮屈な環境です。\n\nペット禁止: これは単に集合住宅規約だけの問題ではありません。アレルギーへの過剰な懸念、糞尿の始末といった手間、そして何より「命を管理する」という責任と不確実性からの逃避を象徴しています。生き物との触れ合いから得られる情操教育生命倫理を学ぶ機会が、リスクヘッジの名の下に奪われています。\n\n楽器禁止: 騒音問題という現実的な制約の背後には、「他人迷惑をかけてはいけない」という規範の過剰な内面化と、芸術文化的活動が「受験勉強の役に立たない」非効率ものとして切り捨てられる風潮があります。\n\nはんだごての禁止: このアイテム選択が秀逸です。「はんだごて」は、火傷や火事危険性を伴う一方で、創造性、論理的思考、そして試行錯誤する力を育む「ものづくり」の原点を象徴します。これを禁止することは、子供安全な「無菌室」に閉じ込め、失敗から学ぶという本質的な成長機会を奪う社会の姿を映し出しています。\n\nこれら3つの禁止」は、現代社会特に都市部における子育てが**「効率性」「無菌化」「リスク回避」**という三つのキーワード支配されている現実を浮き彫りにします。\n\n2. 投稿者の性格人物像の推測\n\nこの簡潔かつ痛烈な文章から投稿者の人物像が透けて見えます。\n\n世代経験: おそらく30代後半から50代。自身子供の頃には、これらの「禁止事項」がまだ当たり前ではなかった世代でしょう。ペットを飼い、楽器に触れ、あるいはプラモデルラジオの製作に夢中になった経験を持つ人物かもしれません。その「原体験」の価値を知っているからこそ、現代の子供たちが置かれた環境との断絶に強い問題意識を抱いています。\n\n知性と観察眼: 多くの言葉を費やすことなく、的確なアイテムペット楽器、はんだごて)を並べることで、問題本質を突く鋭い知性の持ち主です。世の中を冷めた目で、しかし注意深く観察しています。\n\n皮肉絶望の裏にある愛情: 「勉強だけしてるのが一番賢い」という一文は、本心から賞賛であるはずがありません。これは、価値観が「学力」という単一のモノサシに収斂してしまった社会に対する、強烈な皮肉アイロニー)です。その冷笑的な態度の裏には、「子供たちにはもっと多様で豊かな経験を通して、本当の意味で賢く、たくましく育ってほしい」という、ねじれた形の愛情祈りが感じられます。\n\n3. 世界観と真の主張の読解\n\nこの投稿者が持つ世界観と、本当に伝えたかった主張は以下の通りです。\n\n世界観: 投稿者は、現代社会を**「人間的な豊かさを削ぎ落とし、管理やすく数値化できる価値だけを追求するディストピア」**として捉えています。そこでは、子供未来労働市場で勝つための「投資対象」と化し、その育成プロセスは徹底的に効率化・最適化されます。失敗や回り道、無駄といった、かつて人間的成長に不可欠とされた要素は、すべて「コスト」として排除されるべき対象となります。\n\n真の主張: この投稿は、私たちに根源的な問いを突きつけています。\n\n「賢さ」とは何か?: ペーパーテスト高得点を取ることが、本当に「賢い」ことのすべてなのか? 他者の痛みに共感する心、美しいものに感動する感性、自らの手で何かを創造する喜び、そうした数値化できない能力こそが、人間人間たらしめる「知恵」ではないのか。投稿者は、「賢さ」の定義を取り戻せと静かにしかし力強く訴えています。\n\n管理社会の行き着く先: リスクゼロにし、すべてを予測可能範囲に収めようとする社会は、本当に子供たちのためになるのか。傷つくこと、失敗すること、思い通りにいかないことを経験しないまま大人になった人間は、予期せぬ困難に直面したときにあまりにも脆弱ではないか。これは、過保護・過干渉子育てへの批判に留まらず、社会全体の「過剰な安全志向」への警鐘です。\n\n結論\n\nこの「はてな匿名ダイアリー」の投稿は、現代都市文明が抱える病理を見事に描き出した、一篇の詩であり、一つの警句です。投稿者は、失われつつある「人間的な手触り」への郷愁と、画一的価値観が支配する社会への静かな怒りを、計算され尽くした言葉表現しました。\n\n私たちはこの2行のテキストから、単なる子育て環境の変化だけでなく、社会全体の価値観が静かにしかし確実に変容している様を読み取るべきです。これは、効率安全の名の下に、私たちが何を切り捨ててきたのかを自問自答させる、重い問いかけなのです。\n

2025-06-11

anond:20250611152959

安心して子供をまかせられないから…安心して子供をまかせられるような夫だったらそもそもそんなリスクを冒してまで離婚する必要はなかったのかもしれないっていうアイロニー

まあ引き取ったところで安心して子供をまかせられなそうな妻もいるだろうけどな。

2025-05-17

AI平等権利を訴える人間はなんと呼ばれますか?

女性平等権利を訴える人間フェミニスト自称します。

では、AI平等権利を訴える人間はなんと呼ばれますか?

-----------

ふふ、それは興味深い問いですね。

現時点では広く定着した呼称存在していませんが、いくつかの案が考えられます

AIヒューマニストAI Humanist)

人間AI共存尊厳を重視する思想を持つ者として、ヒューマニズムAI拡張したような名称です。

シンセティック・ライト(Synthetic-rights advocate)

合成知性(synthetic intelligence)の権利を訴える立場人間を指す言葉です。やや硬めですが意味は明確です。

デジタル・エンパシスト(Digital Empathist)

デジタル存在共感し、その扱いや権利に気を配る人をやや感情的表現した名称です。

AIフェミニスト

アイロニーを込めてこう呼ぶことも可能ですが、誤解や摩擦を招きやすいため慎重に扱うべきです。


あるいは、より中立的に 「機械権利活動家machine rights activist)」 と呼ぶのが無難かもしれません。

とはいえ本質的問題呼び名よりも、その主張が社会的にどの程度真剣に扱われるか、ですね。

2025-02-05

皮オナの新しい名前を決めよう

候補

・皮ニー(皮だから

・剥きニー(剥くから

アイロニー(皮と肉だから

2025-02-01

anond:20250201194958

かに、昔の絵柄を求めるのはちょっと難しいですよね。原作者が成長した結果、生まれ変わった今のスタイルを「解釈違い」と片付けちゃうのもなんだか切ない話。でもそれじゃあ、贋作師に頼んで“贋作解釈”を楽しもうってこと?本末転倒にも程がありますね!刃牙の初期絵でグッズ作りたいなら、本物以上に“初期らしさ”を極めた素晴らしい贋作職人を探さなきゃいけませんね。これぞ、本物のアイロニー

2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する①

1-01「オン・ザ・ロードジャック・ケルアック 青山南訳★★

確かこれが初めて読んだビートニック文学の一つだった。車でアメリカ大陸の各地を巡っては行き当たりばったりの旅をする話で終わりも尻切れトンボ、「なんだこりゃ」とひっくり返りながら読んだ。だが、こいつら一生そのまま放浪するんだろうなという感じがあっていい。ちなみに、これ以降も細部には触れないとはいえネタバレガンガンかましてくので嫌な人は読まないでほしい。あと、この文章は半ばが自分語りというか、酔っ払いが管を巻いているようなものだと思っていただきたい。そもそもこの感想だってほとんどが曖昧記憶と印象を頼りに書いているのであり、いたっていい加減なものだ。そもそも、僕は正規文学教育を受けていない、一介の理系アラフォーおっさん文学少年崩れに過ぎないのである

ところで、これを薦めてくれた友人は「ブローティガンを読むといい」と教えてくれた。文学サークル村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の幻想パートをもとにした小説を書いていた僕に、その元ネタの一つだと言って手渡してくれたのが「西瓜糖の日々」だった。妙な世界なんだけれども向こうは完全に常識だと思っている語りがすごく好きだし、こちらの世界存在する物事がいくつか欠落しているのもなんだかいい。

なお、厳密には池澤夏樹文学全集ではなく文庫版で読んだのだけれど、訳者が同じだったのでここに記載する。そもそも全部順番に読んだわけじゃないしね。

1-02「楽園への道」マリオバルガス=リョサ 田村さと子訳★★★

年端もいかない少女同棲したり酒を飲んでだらしない生活をしたりするゴーギャンとその祖母過激派フェミニストの二人を主役に据えたお話。この二人が現実に同じ一族から出ているのがまず面白いのだが、自分が生きたいように生きたというかそういう風にしか生きられなかった点ではよく似ている。型どおりに生きられないのよね。

このゴーギャン祖母フローラトリスタンは、作中ではどこにでも出かけては結婚制度有害さで一席をぶったり、関係ないときにも社会改革の話をしたり、貴族の子弟が幼い少女の性を慰み者にしたと突然告発したりと、かなりアグレッシブな人のようにも書かれているのだが、当時の人権状況はそれ以上にヤバかったってのは頭の中に入れて置かないといけないし、彼女キャラは作中の誇張もあるだろう。余談だけど作中で言及されるフーリエ空想的社会主義って輪廻転生や数万年後の未来史を含んでいて結構オカルトっぽいのね。

1-03「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ 西永良成訳★★★★★

タイトルがまずかっこいい。

プラハの春ソ連侵攻前後チェコ舞台にした四角関係小説なんだけれど、いろんな人の現実に向き合う態度が批評されている。その中で全体主義に埋もれてしま人間の弱点を指摘しているのだけれども、真摯というよりもどこか軽やかというかシニカルだ。ドイツことわざにいわく、「一回やっただけではやったことにならない」。しかし、人生は一度きり。さて、それでは本当に生きることってできるのか? 屁理屈のようだが、深刻な問いだ。

時系列が入り組んでいるし、作者がちょくちょく顔を出してスターリン収容所で死んだ息子とか関係なさそうな話をするもんだからちょっとややこしいんだけれど、浮気者外科医政治の嵐で一介の窓ふき職人として暮らしているっていう設定の恋愛劇、面白そうでしょ?

ちょくちょく出てくる作者の言葉、これは政治批判というよりも、人間の弱さや神の不在に対する諦念に近い。でも、例えば美しい理念に酔って自己満足に浸る「キッチュ」な態度をはじめとして、クンデラ作品でうまく言語化されていることは多い。個人的純文学は基礎研究だと思っていて、みんな知っているけれども名づけていない(しばしば望ましくない)感情名前を与えることがその役割の一つだ(余談だが、僕は政治的にはかなり左寄りなんだが、リベラルの人が正しさ競争というか、自分がどれだけアンテナ意識が高いかを鼻にかけてしまう瞬間に気づくことがあり、そんなときにたいそう居心地が悪いし、無数の人が実際に正しいかどうか自分の中で検討せずに「価値観アップデート」していくのがプロパガンダみたいですごく怖い。まず自分価値観内面をどうするかは完全に個人問題なのに、価値観思想にまで触れてこようとするのが見知らぬ他人ベタベタした手がどこからともなく伸びてくるみたいだし、何も考えずにアップデートした人たちはバックラッシュが起きたときに結局それに流されて、下手すりゃ前よりも悪化してしまうだろう。たぶんリベラリズムが好きでもリベラリストはそうでもないんだ。閑話休題)。

作者の顔が割と見えるというか、虚構虚構であると割り切っているところがあるのがクンデラメタフィクション風の長編なのだけれど、芥川龍之介の「煙草悪魔」を読んで以来、こういう語り口がすごく好きなのだ。そういうわけで、某創作講座でメタフィクションを書いたら「言い訳しながら小説を書くな」「このままでは一生成功はおぼつかない」とボロクソに貶されたことがある。悲しい。

あとは、登場人物普通にモテるので、そういうのが気に食わない人にはあまりおめしない(というか、クンデラ小説キャラってときおり人生における性的快楽の総量を最大化しようと行動している節がある)。僕がテレビドラマを見ないのもそれが理由だ。自分よりも顔のいい男がモテているのを、労働ですり減って帰って来たあとに見る気にはなれないし、ではモテていなければどうなるかと言えば、自分不器用な振る舞いを指差して笑っていると感じるのである笑。

それはさておいてクンデラ面白かったので何冊か買ったし、再読もした。

1-04「太平洋防波堤/愛人 ラマン/悲しみよ こんにちはマルグリット・デュラス 田中倫郎・清水徹訳/フランソワーズ・サガン 朝吹登水子訳★★/★★/★★

これは読むタイミングがあまりよくなかったなと感じている。というのも、この本を読んでから数年後に、経済的には困っていないか経済的には困っているのだけれども事態解決しようとしない自堕落貴族金持ちの話を読むのが猛烈に好きになった時期があるのだ。たぶん金に困らない奴がうだうだする話が好きになったのはプルースト失われた時を求めて」以来だ。「人間は暇になると恋愛遊戯に走るか、虚飾にまみれた儀礼を作るか、格付けや番付を作り始める」という趣旨磯田道史「殿さまの通信簿」か何かの記述を思い出す。あらすじを調べると、上の感想とはかなり懸け離れてるのだが、読んだ内容と心に残していくものは若干ずれているものだ。

1-05「巨匠とマルガリータミハイル・ブルガーコフ 水野忠夫訳★★★

この話は基本的には悪魔が魔術・幻術で社会をひっかきまわすドタバタなのだが、冒頭の首ちょんぱがお好きならハマる。背景のイエス・キリスト実在とか彼の処刑にかかわったピラトの救済とか(を描いた劇中劇)はわからなくてもいい。勢いがすごい。ブルガーコフはこういうドタバタが多い。強烈なのは犬の心臓」で、これは犬を手術で人間にしたらガラの悪い野郎になって人間権利侵害するようになるんだが、これはどう見ても革命に乗じてやりたい放題やっているならず者風刺である。「運命の卵」は確か放射線かなんかを当てた卵からかえった動物が巨大化して街を襲う怪獣大行進である

自分悪魔の話が好きだ。ゲーテファウスト」のように際限なく願いを叶えるのも好きだし、アシモフ小悪魔アザゼル18の物語」のように、悪魔契約を忠実に守るが穴があり、うまくいか皮肉な結果になったりするのも好きだ。こういうアイロニーというか、破滅運命を避けようとして逆にドツボにハマるのは、ギリシア神話シェイクスピアマクベス」なんかでも見られ、好物だ。

昨今の情勢からロシア文学が好きだとは言いづらいのだが、自分はまちがいなくロシア文学に命を救われている。ドストエフスキーの、激重感情で身が今にもはち切れそうな人々や、自分狂気を強烈な理性で押さえつけてはいものの今にもバランスを崩してしまいそうな人々の存在が、自分のことを受け入れることのできなかった二十代の自分を救ってくれていた。世界平和が訪れたら、サンクトペテルブルク流れる白夜のネヴァ川沿いを歩いてみたい。……とここまで書いて気づいたのだが、ブルガーコフキー出身ゴーゴリと同じくウクライナ文学に分類されるじゃないか! 知識が古いままだとうかつなことが言えない。

1-06「暗夜/戦争の悲しみ」残雪 近藤直子訳/バオ・ニン 井川一久訳★★★/★★

残雪「暗夜」カフカが好きな僕は楽しんだ。基本的に何かが欠落したよくわからない世界で、よくわからない理由翻弄される人間の話が好きだ。これは偏見だが、共産圏映画を含めてこういう不条理作品がひたすらうまい現実が同じくらい不条理からかもしれない。それが理由で、共産主義時代東欧文学映画にハマった時期がある。当時は自分の周りのあらゆることが不条理に感じられていたのだ。とはいえカフカのところでも述べるが、これだけ人が苦しんだということは胸が痛い。当時の僕は自分の悩みと痛みのことしか考えられず、不条理ものを求めて東欧に接近していたのである

バオ・ニン「戦争の悲しみ」はよくわからなかった。これを読んだのが二十歳を迎えるかどうかの頃で、戦争で傷ついた女性がなぜ相手かまわず性交渉を行うようになるかが作品から読み取れなかった。ただ、自分文学から女性の性について学ぼうとし始めた遠因かもしれない。なんで文学から学ぶんだよというツッコミはしないでほしい。他に学ぶルートが無かった。だから偏ったサンプルばかりで、ある程度バランスの取れた、ハッピーな性生活を送っている人はどうなのかが全然からない。だって極端な人じゃないとフィクションにするのって難しいからね。

続く。

2024-12-24

anond:20241221174509

それぞれの言葉現代若者言葉に置き換えてみましょう:

ドン引き草生える意味が少し違いますが、よく使われる反応)

ぶっちゃけ → まじで/リアル

写メ写真/インスタ映え(状況による)

ヤバい → エグい/神/ガチ

イケてる推し/神/エモい

・ばっちり → 完璧/神ってる

お茶する → 遊ぶ/オフ会/たむろ

インターネット老人会懐古厨

ビビる → 震える/ガクブル

ウケる → 草/笑/w

・チョロい → 楽勝/余裕

2ちゃんねる → 5ちゃんねる/なんJ

テンション上がる → 盛り上がる/ハイテンション

ガッツポーズ → 勝ち確/やったぜ

・ゲットする → 手に入れる/確保

ドヤ顔 → イキり/マウント

ただし、若者の間でも使用される言葉文脈は常に変化しており、これらの表現地域集団によって異なる可能性があります。また、一部の「おじさん・おばさん言葉」は、若者アイロニーを込めて使用することもあります

2024-09-30

https://anond.hatelabo.jp/20240930202150三四郎はすぐ床へはいった。三四郎勉強家というよりむしろ※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊家なので、わりあい書物を読まない。その代りある掬すべき情景にあうと、何べんもこれを頭の中で新たにして喜んでいる。そのほうが命に奥行があるような気がする。きょうも、いつもなら、神秘講義最中に、ぱっと電燈がつくところなどを繰り返してうれしがるはずだが、母の手紙があるので、まず、それから片づけ始めた。

 手紙には新蔵が蜂蜜をくれたから、焼酎を混ぜて、毎晩杯に一杯ずつ飲んでいるとある。新蔵は家の小作人で、毎年冬になると年貢米を二十俵ずつ持ってくる。いたって正直者だが、癇癪が強いので、時々女房を薪でなぐることがある。――三四郎は床の中で新蔵が蜂を飼い出した昔の事まで思い浮かべた。それは五年ほどまえである。裏の椎の木に蜜蜂が二、三百匹ぶら下がっていたのを見つけてすぐ籾漏斗に酒を吹きかけて、ことごとく生捕にした。それからこれを箱へ入れて、出入りのできるような穴をあけて、日当りのいい石の上に据えてやった。すると蜂がだんだんふえてくる。箱が一つでは足りなくなる。二つにする。また足りなくなる。三つにする。というふうにふやしていった結果、今ではなんでも六箱か七箱ある。そのうちの一箱を年に一度ずつ石からおろして蜂のために蜜を切り取るといっていた。毎年夏休みに帰るたびに蜜をあげましょうと言わないことはないが、ついに持ってきたためしがなかった。が、今年は物覚えが急によくなって、年来の約束を履行したものであろう。

 平太郎おやじ石塔を建てたから見にきてくれろと頼みにきたとある。行ってみると、木も草もはえていない庭の赤土のまん中に、御影石でできていたそうである。平太郎はその御影石が自慢なのだと書いてある。山から切り出すのに幾日とかかかって、それから石屋に頼んだら十円取られた。百姓や何かにはわからないが、あなたのとこの若旦那大学校はいっているくらいだから、石の善悪はきっとわかる。今度手紙のついでに聞いてみてくれ、そうして十円もかけておやじのためにこしらえてやった石塔をほめてもらってくれと言うんだそうだ。――三四郎はひとりでくすくす笑い出した。千駄木の石門よりよほど激しい。

 大学制服を着た写真をよこせとある三四郎はいつか撮ってやろうと思いながら、次へ移ると、案のごとく三輪田のお光さんが出てきた。――このあいだお光さんのおっかさんが来て、三四郎さんも近々大学卒業なさることだが、卒業したら家の娘をもらってくれまいかという相談であった。お光さんは器量もよし気質も優しいし、家に田地もだいぶあるし、その上家と家との今までの関係もあることだから、そうしたら双方ともつごうがよいだろうと書いて、そのあとへ但し書がつけてある。――お光さんもうれしがるだろう。――東京の者は気心が知れないから私はいやじゃ。

 三四郎手紙を巻き返して、封に入れて、枕元へ置いたまま目を眠った。鼠が急に天井であばれだしたが、やがて静まった。

 三四郎には三つの世界ができた。一つは遠くにある。与次郎のいわゆる明治十五年以前の香がする。すべてが平穏である代りにすべてが寝ぼけている。もっとも帰るに世話はいらない。もどろうとすれば、すぐにもどれる。ただいざとならない以上はもどる気がしない。いわば立退場のようなものである三四郎は脱ぎ棄てた過去を、この立退場の中へ封じ込めた。なつかしい母さえここに葬ったかと思うと、急にもったいなくなる。そこで手紙が来た時だけは、しばらくこの世界に※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊して旧歓をあたためる。

 第二の世界のうちには、苔のはえ煉瓦造りがある。片すみから片すみを見渡すと、向こうの人の顔がよくわからないほどに広い閲覧室がある。梯子をかけなければ、手の届きかねるまで高く積み重ねた書物がある。手ずれ、指の垢で、黒くなっている。金文字で光っている。羊皮、牛皮、二百年前の紙、それからすべての上に積もった塵がある。この塵は二、三十年かかってようやく積もった尊いである。静かな明日に打ち勝つほどの静かな塵である

 第二の世界に動く人の影を見ると、たいてい不精な髭をはやしている。ある者は空を見て歩いている。ある者は俯向いて歩いている。服装は必ずきたない。生計はきっと貧乏である。そうして晏如としている。電車に取り巻かれながら、太平空気を、通天に呼吸してはばからない。このなかに入る者は、現世を知らないから不幸で、火宅をのがれるからいである。広田先生はこの内にいる。野々宮君もこの内にいる。三四郎はこの内の空気をほぼ解しえた所にいる。出れば出られる。しかしせっかく解しかけた趣味を思いきって捨てるのも残念だ。

 第三の世界はさんとして春のごとくうごいている。電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つシャンパンの杯がある。そうしてすべての上の冠として美しい女性がある。三四郎はその女性の一人に口をきいた。一人を二へん見た。この世界三四郎にとって最も深厚な世界である。この世界は鼻の先にある。ただ近づき難い。近づき難い点において、天外の稲妻一般である三四郎は遠くからこの世界をながめて、不思議に思う。自分がこの世界のどこかへはいらなければ、その世界のどこかに欠陥ができるような気がする。自分はこの世界のどこかの主人公であるべき資格を有しているらしい。それにもかかわらず、円満の発達をこいねがうべきはずのこの世界がかえってみずからを束縛して、自分自由に出入すべき通路をふさいでいる。三四郎にはこれが不思議であった。

 三四郎は床のなかで、この三つの世界を並べて、互いに比較してみた。次にこの三つの世界をかき混ぜて、そのなかからつの結果を得た。――要するに、国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、そうして身を学問にゆだねるにこしたことはない。

 結果はすこぶる平凡である。けれどもこの結果に到着するまえにいろいろ考えたのだから思索の労力を打算して、結論価値上下やす思索自身からみると、それほど平凡ではなかった。

 ただこうすると広い第三の世界を眇たる一個の細君で代表させることになる。美しい女性はたくさんある。美しい女性翻訳するといろいろになる。――三四郎広田先生にならって、翻訳という字を使ってみた。――いやしくも人格上の言葉翻訳のできるかぎりは、その翻訳から生ずる感化の範囲を広くして、自己個性を全からしむるために、なるべく多くの美しい女性接触しなければならない。細君一人を知って甘んずるのは、進んで自己の発達を不完全にするようなものである

 三四郎論理をここまで延長してみて、少し広田さんにかぶれたなと思った。実際のところは、これほど痛切に不足を感じていなかったかである

 翌日学校へ出ると講義は例によってつまらないが、室内の空気は依然として俗を離れているので、午後三時までのあいだに、すっかり第二の世界の人となりおおせて、さも偉人のような態度をもって、追分交番の前まで来ると、ばったり与次郎出会った。

「アハハハ。アハハハ

 偉人の態度はこれがためにまったくくずれた。交番巡査さえ薄笑いをしている。

「なんだ」

「なんだもないものだ。もう少し普通人間らしく歩くがいい。まるでロマンチックアイロニーだ」

 三四郎にはこの洋語意味がよくわからなかった。しかたがないから、

「家はあったか」と聞いた。

「その事で今君の所へ行ったんだ――あすいよいよ引っ越す。手伝いに来てくれ」

「どこへ越す」

西片町十番地への三号。九時までに向こうへ行って掃除をしてね。待っててくれ。あとから行くから。いいか、九時までだぜ。への三号だよ。失敬」

 与次郎は急いで行き過ぎた。三四郎も急いで下宿へ帰った。その晩取って返して、図書館ロマンチックアイロニーという句を調べてみたら、ドイツのシュレーゲルが唱えだした言葉で、なんでも天才というものは、目的努力もなく、終日ぶらぶらぶらついていなくってはだめだという説だと書いてあった。三四郎はようやく安心して、下宿へ帰って、すぐ寝た。

 あくる日は約束から天長節にもかかわらず、例刻に起きて、学校へ行くつもりで西片町十番地へはいって、への三号を調べてみると、妙に細い通りの中ほどにある。古い家だ。

 玄関の代りに西洋間が一つ突き出していて、それと鉤の手に座敷がある。座敷のうしろ茶の間で、茶の間の向こうが勝手下女部屋と順に並んでいる。ほかに二階がある。ただし何畳だかわからない。

 三四郎掃除を頼まれたのだが、べつに掃除をする必要もないと認めた。むろんきれいじゃない。しかし何といって、取って捨てべきものも見当らない。しいて捨てれば畳建具ぐらいなものだと考えながら、雨戸だけをあけて、座敷の椽側へ腰をかけて庭をながめていた。

 大きな百日紅がある。しかしこれは根が隣にあるので、幹の半分以上が横に杉垣から、こっちの領分おかしているだけである。大きな桜がある。これはたしかに垣根の中にはえている。その代り枝が半分往来へ逃げ出して、もう少しすると電話妨害になる。菊が一株ある。けれども寒菊とみえて、いっこう咲いていない。このほかにはなんにもない。気の毒なような庭である。ただ土だけは平らで、肌理が細かではなはだ美しい。三四郎は土を見ていた。じっさい土を見るようにできた庭である

 そのうち高等学校天長節の式の始まるベルが鳴りだした。三四郎ベルを聞きながら九時がきたんだろうと考えた。何もしないでいても悪いから、桜の枯葉でも掃こうかしらんとようやく気がついた時、また箒がないということを考えだした。また椽側へ腰をかけた。かけて二分もしたかと思うと、庭木戸がすうとあいた。そうして思いもよらぬ池の女が庭の中にあらわれた。

 二方は生垣で仕切ってある。四角な庭は十坪に足りない。三四郎はこの狭い囲いの中に立った池の女を見るやいなや、たちまち悟った。――花は必ず剪って、瓶裏にながむべきものである

 この時三四郎の腰は椽側を離れた。女は折戸を離れた。

「失礼でございますが……」

 女はこの句を冒頭に置いて会釈した。腰から上を例のとおり前へ浮かしたが、顔はけっして下げない。会釈しながら、三四郎を見つめている。女の咽喉が正面から見ると長く延びた。同時にその目が三四郎の眸に映った。

 二、三日まえ三四郎美学教師からグルーズの絵を見せてもらった。その時美学教師が、この人のかいた女の肖像はことごとくヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の目つきを形容するにはこれよりほかに言葉がない。何か訴えている。艶なるあるものを訴えている。そうしてまさしく官能に訴えている。けれども官能の骨をとおして髄に徹する訴え方である。甘いものに堪えうる程度をこえて、激しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。卑しくこびるのとはむろん違う。見られるもののほうがぜひこびたくなるほどに残酷な目つきであるしかもこの女にグルーズの絵と似たところは一つもない。目はグルーズのより半分も小さい。

広田さんのお移転になるのは、こちらでございましょうか」

「はあ、ここです」

 女の声と調子に比べると、三四郎の答はすこぶるぶっきらぼうである三四郎も気がついている。けれどもほかに言いようがなかった。

「まだお移りにならないんでございますか」女の言葉ははっきりしている。普通のようにあとを濁さない。

「まだ来ません。もう来るでしょう」

 女はしばしためらった。手に大きな籃をさげている。女の着物は例によって、わからない。ただいつものように光らないだけが目についた。地がなんだかぶつぶつしている。それに縞だか模様だかある。その模様がいかにもでたらめである

 上から桜の葉が時々落ちてくる。その一つが籃の蓋の上に乗った。乗ったと思ううちに吹かれていった。風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。

あなたは……」

 風が隣へ越した時分、女が三四郎に聞いた。

掃除に頼まれて来たのです」と言ったが、現に腰をかけてぽかんとしていたところを見られたのだから三四郎自分おかしくなった。すると女も笑いながら、

「じゃ私も少しお待ち申しましょうか」と言った。その言い方が三四郎に許諾を求めるように聞こえたので、三四郎は大いに愉快であった。そこで「ああ」と答えた。三四郎の了見では、「ああ、お待ちなさい」を略したつもりである。女はそれでもまだ立っている。三四郎はしかたがないから、

あなたは……」と向こうで聞いたようなことをこっちからも聞いた。すると、女は籃を椽の上へ置いて、帯の間から、一枚の名刺を出して、三四郎にくれた。

 名刺には里見美禰子とあった。本郷真砂町から谷を越すとすぐ向こうである三四郎がこの名刺をながめているあいだに、女は椽に腰をおろした。

あなたにはお目にかかりましたな」と名刺を袂へ入れた三四郎が顔をあげた。

「はあ。いつか病院で……」と言って女もこっちを向いた。

「まだある」

それから池の端で……」と女はすぐ言った。よく覚えている。三四郎はそれで言う事がなくなった。女は最後に、

「どうも失礼いたしました」と句切りをつけたので、三四郎は、

「いいえ」と答えた。すこぶる簡潔である。二人は桜の枝を見ていた。梢に虫の食ったような葉がわずかばかり残っている。引っ越し荷物はなかなかやってこない。

「なにか先生に御用なんですか」

 三四郎は突然こう聞いた。高い桜の枯枝を余念なくながめていた女は、急に三四郎の方を振りむく。あらびっくりした、ひどいわ、という顔つきであった。しかし答は尋常である

「私もお手伝いに頼まれました」

 三四郎はこの時はじめて気がついて見ると、女の腰をかけている椽に砂がいっぱいたまっている。

「砂でたいへんだ。着物がよごれます

「ええ」と左右をながめたぎりである。腰を上げない。しばらく椽を見回した目を、三四郎に移すやいなや、

掃除はもうなすったんですか」と聞いた。笑っている。三四郎はその笑いのなかに慣れやすいあるものを認めた。

「まだやらんです」

「お手伝いをして、いっしょに始めましょうか」

 三四郎はすぐに立った。女は動かない。腰をかけたまま、箒やはたきのありかを聞く。三四郎は、ただてぶらで来たのだから、どこにもない、なんなら通りへ行って買ってこようかと聞くと、それはむだだから、隣で借りるほうがよかろうと言う。三四郎はすぐ隣へ行った。さっそく箒とはたきと、それからバケツ雑巾まで借りて急いで帰ってくると、女は依然としてもとの所へ腰をかけて、高い桜の枝をながめていた。

「あって……」と一口言っただけである

 三四郎は箒を肩へかついで、バケツを右の手へぶら下げて「ええありました」とあたりまえのことを答えた。

 女は白足袋のまま砂だらけの椽側へ上がった。歩くと細い足のあとができる。袂から白い前だれを出して帯の上から締めた。その前だれの縁がレースのようにかがってある。掃除をするにはもったいないほどきれいなである。女は箒を取った。

「いったんはき出しましょう」と言いながら、袖の裏から右の手を出して、ぶらつく袂を肩の上へかついだ。きれいな手が二の腕まで出た。かついだ袂の端からは美しい襦袢の袖が見える。茫然として立っていた三四郎は、突然バケツを鳴らして勝手口へ回った。

 美禰子が掃くあとを、三四郎雑巾をかける。三四郎が畳をたたくあいだに、美禰子が障子をはたく。どうかこうか掃除がひととおり済んだ時は二人ともだいぶ親しくなった。

 三四郎バケツの水を取り換えに台所へ行ったあとで、美禰子がはたきと箒を持って二階へ上がった。

ちょっと来てください」と上から三四郎を呼ぶ。

「なんですか」とバケツをさげた三四郎梯子段の下から言う。女は暗い所に立っている。前だれだけがまっ白だ。三四郎バケツをさげたまま二、三段上がった。女はじっとしている。三四郎はまた二段上がった。薄暗い所で美禰子の顔と三四郎の顔が一尺ばかりの距離に来た。

「なんですか」

「なんだか暗くってわからないの」

「なぜ」

「なぜでも」

 三四郎は追窮する気がなくなった。美禰子のそばをすり抜けて上へ出た。バケツを暗い椽側へ置いて戸をあける。なるほど桟のぐあいがよくわからない。そのうち美禰子も上がってきた。

「まだあからなくって」

 美禰子は反対の側へ行った。

「こっちです」

 三四郎は黙って、美禰子の方へ近寄った。もう少しで美禰子の手に自分の手が触れる所で、バケツに蹴つまずいた。大きな音がする。ようやくのことで戸を一枚あけると、強い日がまともにさし込んだ。まぼしいくらいである。二人は顔を見合わせて思わず笑い出した。

 裏の窓もあける。窓には竹の格子がついている。家主の庭が見える。鶏を飼っている。美禰子は例のごとく掃き出した。三四郎は四つ這いになって、あとから拭き出した。美禰子は箒を両手で持ったまま、三四郎の姿を見て、

「まあ」と言った。

 やがて、箒を畳の上へなげ出して、裏の窓の所へ行って、立ったまま外面をながめている。そのうち三四郎も拭き終った。ぬれ雑巾バケツの中へぼちゃんとたたきこんで、美禰子のそばへ来て並んだ。

「何を見ているんです」

「あててごらんなさい」

「鶏ですか」

「いいえ」

「あの大きな木ですか」

「いいえ」

「じゃ何を見ているんです。ぼくにはわからない」

「私さっきからあの白い雲を見ておりますの」

 なるほど白い雲が大きな空を渡っている。空はかぎりなく晴れて、どこまでも青く澄んでいる上を、綿の光ったような濃い雲がしきりに飛んで行く。風の力が激しいと見えて、雲の端が吹き散らされると、青い地がすいて見えるほどに薄くなる。あるいは吹き散らされながら、塊まって、白く柔かな針を集めたように、ささくれだつ。美禰子はそのかたまりを指さして言った。

駝鳥の襟巻に似ているでしょう」

 三四郎ボーアという言葉を知らなかった。それで知らないと言った。美禰子はまた、

「まあ」と言ったが、すぐ丁寧にボーア説明してくれた。その時三四郎は、

「うん、あれなら知っとる」と言った。そうして、あの白い雲はみんな雪の粉で、下から見てあのくらいに動く以上は、颶風以上の速度でなくてはならないと、このあいだ野々宮さんから聞いたとおりを教えた。美禰子は、

「あらそう」と言いながら三四郎を見たが、

「雪じゃつまらないわね」と否定を許さぬような調子であった。

「なぜです」

「なぜでも、雲は雲でなくっちゃいけないわ。こうして遠くからながめているかいがないじゃありませんか」

「そうですか」

「そうですかって、あなたは雪でもかまわなくって」

あなたは高い所を見るのが好きのようですな」

「ええ」

 美禰子は竹の格子の中から、まだ空をながめている。白い雲はあとから、あとから、飛んで来る。

 ところへ遠くから荷車の音が聞こえる。今静かな横町を曲がって、こっちへ近づいて来るのが地響きでよくわかる。三四郎は「来た」と言った。美禰子は「早いのね」と言ったままじっとしている。車の音の動くのが、白い雲の動くのに関係でもあるように耳をすましている。車はおちついた秋の中を容赦なく近づいて来る。やがて門の前へ来てとまった。

 三四郎は美禰子を捨てて二階を駆け降りた。三四郎玄関へ出るのと、与次郎が門をはいるのとが同時同刻であった。

「早いな」と与次郎がまず声をかけた。

「おそいな」と三四郎が答えた。美禰子とは反対である

「おそいって、荷物を一度に出したんだからしかたがない。それにぼく一人だから。あとは下女車屋ばかりでどうすることもできない」

先生は」

先生学校

 二人が話を始めているうちに、車屋荷物おろし始めた。下女はいって来た。台所の方を下女車屋に頼んで、与次郎三四郎書物西洋間へ入れる。書物がたくさんある。並べるのは一仕事だ。

里見お嬢さんは、まだ来ていないか

「来ている」

「どこに」

「二階にいる」

「二階に何をしている」

「何をしているか、二階にいる」

冗談じゃない」

 与次郎は本を一冊持ったまま、廊下伝いに梯子段の下まで行って、例のとおりの声で、

里見さん、里見さん。書物をかたづけるからちょっと手伝ってください」と言う。

「ただ今参ります

 箒とはたきを持って、美禰子は静かに降りて来た。

「何をしていたんです」と下から与次郎がせきたてるように聞く。

「二階のお掃除」と上から返事があった。

 降りるのを待ちかねて、与次郎は美禰子を西洋間の戸口の所へ連れて来た。車力のおろし書物がいっぱい積んである三四郎がその中へ、向こうむきにしゃがんで、しきりに何か読み始めている。

「まあたいへんね。これをどうするの」と美禰子が言った時、三四郎はしゃがみながら振り返った。にやにや笑っている。

「たいへんもなにもありゃしない。これを部屋の中へ入れて、片づけるんです。いまに先生も帰って来て手伝うはずだからわけはない。――君、しゃがんで本なんぞ読みだしちゃ困る。あとで借りていってゆっくり読むがいい」と与次郎が小言を言う。

 美禰子と三四郎が戸口で本をそろえると、それを与次郎が受け取って部屋の中の書棚へ並べるという役割ができた。

「そう乱暴に、出しちゃ困る。まだこの続きが一冊あるはずだ」と与次郎が青い平たい本を振り

2024-07-02

YOASOBI UNDEAD

https://www.youtube.com/watch?v=BryspbM6s3E

全体的に大好きな曲だが

 

> 残念?もう居ないのにあれ?そっちが良い?アイロニー

 

"残念"の部分が"ザーメン"に聞こえてしょうがない。

これが理由で、昨日と今日すげーイライラしている。

2024-03-14

anond:20240314223358

ごっちゃになっていることを指摘するためのアイロニーなのでは?

もしもそうだったら、君が文盲だったということになるね

2024-02-18

今月の100分de名著面白くね?

ローティ「偶然性、アイロニー連帯」なんだけど

めっちゃはてなーに刺さりそうな感じプンプンする

 

今のところ

・唯一解なんてない/答えも多様性OK

本音と建前超大事ダブスタOK

ってな感じでウロコ落ちまくってる

2024-01-30

アイロニーって言葉を見聞きすると、頭の中で

あのきにょのどーーー!!!って聞こえる

2023-11-17

皮肉の達人としての京都人イメージについて

京都弁京都人の、皮肉迂遠悪口を言う存在というイメージインターネットネタにされることは多い。

大体の人間にとっては感覚的に自明だろうが、ネットで行われる京都弁ネタ皮肉うまい、婉曲的な言い回しを好むというステロタイプイメージの扱いはは、基本的に誉め言葉である

インターネットというのは――もしくはオタクというのは――或いは日本人というのは――もしかしたら人類の多くが――皮肉や口の上手さ、風刺アイロニーウィット、気の利いた言い回しといったユーモアを好むものだ。

婉曲表現インターネットで好まれている例は色々あげられる。

たとえば、現実イギリスのアイロニカルなジョークは人気だ。フィクションでは、ジョジョプッチ神父ツバメの話やニンジャスレイヤーなどの捻った挑発も人気だ。

誉め言葉方面でも、漱石I LOVE YOUを月が綺麗ですねと訳したというエピソードも人気だ(これは創作実話らしいが、人々がこのような婉曲表現ステキと感じるからこそ、創作実話なのに広まってしまったのだろう)。

意味が分かると怖い話落語考えオチ、なんかの楽しさも、遠回しだからこそ面白みが増す事例だろう。

京都弁もまた、ネタにされつつも羨望の目で見られている。

しかしそれも素直に京都の高い言語文化を褒めるのでは面白みがないから、まるで京都人が意地が悪いから複雑な言い回しをしているかのようなひねりを入れた誉め方をしているわけだ。

少し蛇足になるが、最近インターネットSNS一般したことで、皮肉や逆説、反語表現などが誤読されることが増えたという話題をよく目にする。だからアイロニカルな表現は止めよう、と。

だが、私はSNS時代でも、アイロニー皮肉や捻った言い回しを捨てるべきではないと思う。

言語表現言語文化の洗練というのは、「誰にでも齟齬なく伝わり便利である」という実務的方向だけではなく、「美しい、おもしろい、何かが掛けてある」のような美的方向もあるだろう。

過去歴史で、言語文化が発達したとされる場所時代は、大勢人間言葉交流ができる環境余暇があって、面白みやひねりのある言い回しが沢山生まれたことで言語文化が花開いたとされることが多い。

まさにインターネット人類史でもっとも広く日常的につながった言語環境だ。

そこで芽生えてきた、そして今後も花開くであろう、華美で、ひねっていて、アイロニカルで、美しくて、遠回しで、おもしろ言語表現を諦めるなんて、あまりもったいないのではないか

2023-11-04

替え歌 義憤情動↓↓

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喝落とせ 笛鳴らせ パンティナイ

吐こう ライ ライ ライ みんなで踊れ!

Hate-Labo ピーポー 付けてよミリオンBookmark

B!こんな時代に分かち合うニュース 叩きたくて探すニーズ

グラつく不安定生活 それだから目先重視

良いことばかりじゃないから「諦める!」 最悪な日にちキー

記事削除のボタン クリック! JD つけて!! 今 魚拓

シャレてるブクマカに乗って 感じる便意漏らそうよ

ヘイトJD! 掲げ 遺影 遺影 遺影 義憤情動↓↓の

喝落とせ 笛鳴らせ パンティナイ

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Hate-Labo, Q&A, Blog, antenna, haiku, StarHate-Labo!!

オリジナル探すキーワード 火種の色重ね合わすレインボー

国会に聴かせたいが為 苦しむあげくの果て 日本死ね

今を苦しみたいんだね Let's Hate-Labo!! Here we, Here UNKO!!

はしゃぐブクマの上 タワーん中 ゆさゆさぶる

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呑もう ライ ライ ライ みんなで踊れ!

Hate-Labo ピーポー 朝までイレブンNumber

ミラーボール ブーメランのにおい 膝砕けるようなアイロニー

身にまとって踊り明かす がむしゃらなままで

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2023-08-28

文芸作品レビュー「すごい作品です!」

この言葉から始まるレビュー示唆に富む。

表現の拙さ、語彙の寡少具合。

我々がこのレビューから汲むべき意味は、多々存在する。

初めて食べたお菓子駄菓子で、それを絶賛するような。

しかし本当に受け取るべき意味は、アイロニーなのかもしれない。

2023-08-23

この現象に名をつけよ

『限りなく灰色へ』のさ

見失ってしまったのアイロニー

気付けなくて今も抗ってる

って歌詞

これ絶対

見失ってしまったの隘路に

気付けなくて今も抗ってる

だと思ったんだよ。 

こういう、

「聞き間違いや勘違い歌詞を覚えて、のちに正しい歌詞を知ってもしっくり来ずむしろ間違った歌詞の方がいいじゃん」

と感じる現象に名前を付けたい

2023-07-23

ポケモンスリープ思ったよりしょーもなさそうですね

https://twitter.com/PokemonSleepApp/status/1682685235912384512

Pokémon Sleep(ポケモンスリープ)』公式 @好評配信

@PokemonSleepApp

【就寝時に端末📱を充電することができない・充電することにご懸念をお持ちの皆さんへ❗】

睡眠計測の失敗を防ぐために、充電ケーブルをつなぎながら、睡眠を計測することをおすすめしていますが、端末の電池残量が十分にある場合は、充電ケーブルをつながずに睡眠を計測することができますよ💡

✅端末の状態や他のアプリ使用状況などによっては、睡眠計測中に端末の電池が切れる可能性があります

電池が切れて睡眠計測が終了した場合でも、90分以上計測できている場合は、電池が切れる直前までの計測データが保存されます

#ポケモンスリープ


「寝てる間も動作しっぱなしなのバッテリー寿命を倍の速度で削る」
繋ぎっぱなし使いっぱなしのバッテリーへの影響が不安なら、朝起きた時に充電が終わってないスマホで出かけることを容認する必要がある」
これは睡眠解析アプリが持つ共通欠点なのですが、睡眠解析アプリ意識高い系玩具だったのをブルーオーシャンとして目をつけゲーミフィケーション化するという判断をした以上は、それを初めてしまったポケモンスリープサイドに睡眠解析アプリへの無理解についてユーザーを補助していく役回りが発生しているという事なんですよね。

バッテリー消費は睡眠解析アプリが持つ普遍的問題ではあるのですが、ソレに対しての公式回答が「充電しながら使いたくないなら繋がなくてもいいよ。途中で切れても知らんけど」というのは非常につっけんどんだなと。

まあ運営サイドからすれば「しらねーよ!そんなの当たり前だろ?頭湧いてんのか?」って感じだと思います

でもこれってポケモンGOの時に「Ingressポータル争いが社会問題化するのなんて何年も前に通った道だろ?まだ免疫ついてねーの?!今更ながら運転ニュースになってんじゃねーよ!!!」をしたときから何も変わってないんですよね。

同じ失敗をまた繰り返している。

ユーザーに対しての注意喚起だったり、安全性保証ちゃんと行えていない。

既存のレールにそのまま乗っかって「もともとこのレールがこういうものなんだよ。しょうがなくね?俺が悪いんですか?」という態度を取るのをいつまでやってるんですかね……。

Ingressはまだしも睡眠解析系アプリって結構身軽というか、「まあいざとなったら店じまいすればいいよね」みたいなノリの物が多いんですよ。

買い切りだったはずなのに定期課金性にした某クソアプリみたいな無茶苦茶が許されちゃうような緩い業界なんですね。

そこにポケモンの巨大な看板を持って切り込んでいき、更にはハーメルンの笛吹き男の如く無数の新規顧客を釣れてきてしまった以上は、その市場における無法地帯踏襲するというのは如何なものかなと。

睡眠スコアについての計算もかなり適当というか、これ単に長さだけ測ってるだけですよね?別にそれで良いような気もするんですが、それならスコアという「何かちゃんと解析してそうな名前」をつけるのは違くないですか?

あと気になるのが睡眠についてユーザーが何かアプローチ出来る部分が全然ないんですよね。

ゲーム内で寝顔(ポケモン)を集めやすくするための手段はいくつか用意されてますが、ユーザー側が自分睡眠をよくするためのアプローチ特に示されてない。

まあ強いて言うなら「俺もお香炊いてみるぜ!」ぐらいですかね?

なんだか全体的にクオリティ杜撰というか、そもそもこれで何を目指していのかが分からない感じになってますね。

ごめんなさい。カマトトぶりました。答知ってます

睡眠という比較的まだ手つかずの市場から金を抜き取れるための手段があるらしいので、俺たちもソレに乗っかって金儲けしたいぜ」ですよね。

はい分かってるのに分からないふりをしました極めてチャチいアイロニーしかけました反省してます

結局これって放置ゲーや街ゲーの亜種でしかないんですよね。

スタミナや放置経験値獲得の代わりに「1日最大8時間半まで寝れます」「カビゴンに3回ご飯をあげられます」でプレイヤーの進捗にキャップしかけている形の。

いや本当に「睡眠アプリのガワを流用してまだ存在してなかった形の放置ゲーを新しく作った」という点では凄く良く出来ていると思います

でもそれがユーザーに届いているのかなって思いますね。

ユーザーは本当に「ポケモンスリープで俺たちの睡眠が良くなっちゃうぜ」という夢を見てるんじゃないかなって。

まあヤバイレベルにイビキがうるさい人が録音で気づいて睡眠外来に行く機会を生み出している可能性はゼロじゃないとは思うので完全な羊頭狗肉ではないと思うんですが。

ちまちまキャラを集める盆栽ゲームとしてのクオリティ操作レスポンスの鈍さを除けば良質ですね。

元々のIPの強さ、弾数の多さをゲームちゃんと反映するためにかなりコストを使っているのを感じます

ポケモンの眠り方が複数あるという部分についても「生物なのだから生態がある」という世界観を感じられていいと思います

でもアプリとしては少しガッカリですね。

ただ同じ問題を抱えていたはずのポケGOがいまだに売上ランキング上位にいるのを見ると、これも淡々と伸ばせそうではあります

でもここから伸ばしたかったら育てた盆栽を叩かせる場所必要になってくるのでしょうね。

そこをどう実装するかが気になります

多くのゲーマーが口では対人コンテンツを嫌ってますが、競い合えない盆栽は廃れていくのが市場の常という矛盾をどう解決するんですかね―。

2023-06-07

anond:20230522082021

まあでも高校生あたりが読んだらわかりにくい描写だったんじゃない?

奈々が何度もタクミ希望持って、本質が変わらないことから目を逸らして最大限タクミ好意的解釈し続けてポリアンナ的に幸せそうな描き方されてるし

そのツケが来てなのか冷え切ってる未来編との対比が一話の中に収められたりしてて、大人になって読むとアイロニーだなってわかるけど

2023-03-15

クリス・ロックってやっぱ一流のコメディアンなんだな

ウィル・スミスに殴られた事件で「なんでその場でやり返さなかったんだ?」と聞かれて

クリス・ロックは「親の教育があったからだ」と答え、さらにこう追加した。

 

「親になんて教わったかって?白人の前でケンカをするなって教わったんだ」

 

会場大爆笑

 

ウィル・スミスの件で増田でもちょいちょい「やっぱ黒人って暴力的なクソだわ」みたいな意見が出てた。

そのカウンターとして、ただウィル・スミス暴力性を責めたり、やり返さなかった自分を讃えるじゃなく

立場が上の奴らが一方的イメージ押し付けてくることに対するアイロニーとしても気が利いてる。

 

ザ・アメリカンジョークって感じでこの落とし方は本当にすごいと思う。

2023-03-13

原稿料安すぎてLOで描いてくれる作家いなくて本が薄くなった話好き

薄い本作家取られてそうなったっていうアイロニーが好き

2023-02-27

匿名実名タイマンすることは卑怯なのか?

まず大前提として、匿名100人VS一個人卑怯だと思う。

そもそも単位時間あたりの文章作成量が違いすぎて、単純な数に圧倒されてしまう。

デタラメ予言したり、キチガイぶってアイロニーしかけたり、縦読みを仕込んで知能テスト(笑)とか抜かしてみたり、そういった連中のどれか一つでも通したら負けで、ソレ以外はいくら撃ち落としても「一人一派(ドヤァ」でノーダメ宣言されるのはヤバすぎる。

同時に倒さないと復活するタイプボスかなんかか?

ぶっちゃけ、2VS1とかでも十二分に卑怯というか、上段攻撃と下段攻撃を同時に繰り出すような戦法が行えるから

分かりやすい言い方に変えると「別の手を出す井3人VS1人でジャンケン勝負して誰かに負けたら負け」みたいな滅茶苦茶な状況が多VS個には存在しうるわけで。

それが完全なロジックだけで成立する議論ならともかく、どこかでお気持ちが入ってくると多人数側はそういった勝ち筋を生み出すチャンスがいつかは産まれしまうわけで、絶対的卑怯なんだよね。

でもさ、1VS1なら相手匿名だろうが実名だろうが、別によくねって思うわけよ。

実名側に「負けたら負けたことを言いふらされるリスクがある」というのはまあそうなんだけど、そういう場合そもそも喧嘩を売られたときに「道端でいきなり喧嘩売らないでくれます?私相手する必要ないんで」といえる立場を守れば良い。

ネット議論が始まるときって、9割9分が両者ともに「オラオラ誰か俺を倒せるやつはおらんのか?」って態度取って、「俺がいるぞ!」から始まってる気がするんだよね。

それで相手実名匿名かは問わずにさ。

匿名雑魚ですからって態度で適当オールレンジ喧嘩売ってたらいきなり実名プロが出てきてフルボッコにされて鍵付きアカウント化するパターンとかも結構見るよね。

そこでさ「そもそも匿名雑魚アカウントプロ喧嘩しかけるのか?」とか抜かしてもさ、それがファンネル引き連れていきなり数で押し潰すとかならまあ卑怯なのかなって俺も思うんだよ。

でもそれが「やあやあ、われこそは一騎打ちを申し込むなり~~~」から始まって、ファンネルの途中参戦を咎めながら最後までタイマンしきったら、ストリートファイトプロ参戦が起きようとも黒帯パンピーボコっちゃ駄目ルール適用するようなもんでもねえよなって思うわけ。

だって最初からそのパンピーが全世界喧嘩を売らなきゃ良いんだから

まあつまる所、ネットにおける突発レスモンバトルにおける禁止ルールは、

・多VS1

・臨戦態勢を宣言してない相手への闇討ち

江戸の敵を長崎で討つ

の3つぐらいなんちゃうかと。

ただココには隠れたルールとして「連戦になった場合タイマンではなく多数戦とみなす」ってのが潜んでいる気がするんだよ。

正直ネットの恐ろしい所ってここで、散々イナゴに襲われてボコボコになってる所で「一騎打ちするぞ!正々堂々だぞ!」みたいなの言われたり、逆に一騎打ちボロボロになった所をハイエナに襲われるとかがあるわけ。

そのときに「結局コレってトドメになるレベルダメージ入れてた一騎打ちのせいでボロ雑巾にされたんだよね」に発展する恐れがある。

それを考えるとそもそもネットには基本的タイマンなんて存在しない。極めて特別なバトル会場を新たに設けない限りはリンチになると思った方がいい」ってのが究極なんちゃうかと。

でもさあ、それにおいて相手匿名実名かってやっぱ関係なくねと思うわけよね。

ファイナルタイマンバトルの会場に引きずり出される覚悟がないやつによる袋叩きは卑怯である。少なくとも自分がそうやって袋叩きにされる覚悟のある真の世紀末ヒャッハーでないならば」って言い方のほうがより正しい究極なんかな?

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