はてなキーワード: コメディアンとは
結婚についての後悔には、結婚するかしないかの両面でそれぞれの理由があります。結婚を決断する際には、どちらの選択肢にもメリットとデメリットが存在し、その中から個人が自分にとって価値あるものを見つけ出す必要があります。以下では、先人の名言を参考にしながら、それぞれの面を比較します。
• 愛情と支え:結婚には、精神的な安定や孤独感を解消し、人生の困難に共に立ち向かう相手を得るという利点があります。ジョージ・エリオットは「結婚はふたりの人間が互いに成長し合うための機会」と述べています。結婚は、お互いの成長を促し、共に豊かな人生を歩む機会でもあります。
• 社会的、経済的安定:結婚は家族としての結束を強め、社会的、経済的な安定をもたらす場合も多くあります。シェイクスピアも「愛とは二人が一つの魂を共有することだ」と述べ、経済や生活の支え合いを示唆しています。
• 自由の制限:結婚は個人の自由を一定程度制限する場合があります。哲学者のショーペンハウアーは「結婚は愛の終わりである」と述べ、結婚により愛が失われることや制限されることへの懸念を示しています。つまり、自由を奪われることでストレスや抑圧を感じることも少なくありません。
• 対立の可能性:結婚生活には、相手の価値観や生活習慣との調整が必要で、時に大きな対立が生じます。コメディアンのグラウチョ・マルクスも「結婚とは二人の人間が苦しみを共有するものだ」と皮肉を込めて述べており、対立が増えるリスクを指摘しています。
• 自己実現と自由:独身でいることで、自己実現や自分自身の時間を自由に使える点が魅力です。サルトルは「自由こそが人間にとって最も価値のあるものである」と述べ、個人の自由の重要性を強調しています。結婚せずに独身生活を選ぶことで、自分のキャリアや趣味に集中することが可能です。
• 対人関係のストレスが軽減される:結婚生活でのパートナーとの対立や意見の不一致がないため、ストレスの要因が減ります。哲学者のカミュは「孤独は人を深くする」と述べ、独身生活が内面の深まりや自己探求を助ける側面があるとしました。
• 孤独と老後の不安:独身生活には、歳を取るにつれて孤独や支えのなさが不安として浮上することもあります。アメリカの詩人ヘンリー・デイヴィッド・ソローは「独りでいることは孤独とは異なるが、歳を重ねるとそれが孤独に感じられることもある」と述べています。
• 経済的・社会的支援が少ない:独身の生活では、家庭としてのサポートがなく、経済的な不安が増す可能性もあります。これは病気や老後の際に特に顕著になると考えられます。
・屋敷は明らか力不足。ボケのシーンはもちろん、ツッコミとしても意図を汲みきれてないところが多かった。安易なメタに走るのも面白くはない。
・くるま、野田は真面目な若者だなあ、と。今の時代には一番適合し、こういう勝負に強いのはわかるが、もっと訳分からんものを見せて欲しかった。
・エンドロールで一番最初に企画・演出の名前が一人出るのが裏方の下心隠し切れてなくてダサさを感じた。サラッと流せ。
・お題によって面白さに差が激しい。比較的長尺のコントになったやつはとても面白かった。大喜利みたいなのは今回のコンセプトでやる必要性を感じなかった。コント軸で選ばれた秋山は可哀想。
・サーヤの多才さには驚いた。
・観客「フゥー」のノリは流石に寒かった。千鳥か誰かが止めようと牽制してたのは偉い。
・でも観客審査はまあまあ的確だった。人気そうなコンビでも滑ってたり力技に頼りすぎてたとこはちゃんと落とされてた。
・片岡鶴太郎はコメディアンとしてあの場で1〜2を争うレベルのセンスだと思う。
総じて、事前の期待が100としたら60くらいの面白さだった。ふつうの特番レベル。テレビマンの悪いところがたくさん出てた番組だった。もっと芸人さんの力を信じてあげられなかったのかあ、と。「最難関のお題」って、それを乗り越えるカタルシス要らないから、ちゃんと面白いことができる場を用意してやって欲しい。
特に格闘家なんて、自分たちよりもはるかに厳しいストイックな生活を送っていて、試合に人生を賭けている部分が大きいと思う。
名前が売れるまでは格闘家に限らず、アーティスト(作家・俳優・コメディアン等ももちろん含む)全般で食べていけない人も多いし、その試合のためにどれだけ努力をしているか計り知れない。
それが、試合で運悪く、もしくは自分の思っていたパフォーマンスが出せない状況で敗れてしまうと、これまでの努力が水泡に帰す気持ちになって当然ではないか。
特にその試合に向けてずっと準備をしてきて、それでも全く手が届かない絶望感のようなものを味わうと、立ち直れなくなるんじゃないかという想像もできる。
肉体的にあれほど厳しい練習を重ねても、精神が疲弊してしまうのではないか。
中には引退に向けてずっと追い込んで、これで開放されると決めて引退に臨む選手もいるだろうし、それならもう後悔はないかもしれないが、
その後練習していて思い通りに動けたりすると、まだやれるんじゃないか? やれるはずじゃないか? と考えるのも当然だし、
食べていくために別の仕事をしなければならないと考えると、「食べていくために細々と続ける」という選択肢が出てくるのは当然で、
何より、自分ができない、限界だということは到底受け入れ難く、辛い。
それが杞憂で済むならそうでありたいと思うのも真っ当な話ではある。
ふとそんなことを考えたが、自分が一番これで引退を撤回しようとしたのは一人スノボだった。
世の中がセンシティブだった数年前の時期を挟んで今年無理やりスケジュールを入れてみたが、最初は全然滑れなくなって引退の文字がちらついた。
もちろん誰に宣言するわけでもないが。
もっとも、30分もしないうちに当時の低レベルな状態にはすっかり戻り、まだまだ引退は早いななどと、クソどうでもいいことを考えたのだった。
例えば、「ジョーカー」という映画を思い浮かべてみてください。
フィリップス監督によるこの力強い映画では、アーサー・フレックという社会的に孤立した男性が、次第にジョーカーという極悪なキャラクターへと変貌していく様子を描いています。
彼はピエロとして働きながら夢を見るコメディアンとして生きるも、繰り返される社会からの拒絶と暴力により、精神を蝕まれていきます。
そしてある日、公共の交通機関内での暴力事件が彼の人生を一変させます。
フィリップス監督の巧みな演出とホアキン・フェニックスの鬼気迫る演技が重なり合い、この悲劇的な変貌を見事に描き出しています。
この映画が示すのは、社会の構造や個人の孤立感がいかに人を狂気に導くかということ。暴力や差別が社会における深刻な問題であり、これらが人々をどれだけ傷つけるかを教えてくれます。暴力で問題が解決することは決してないのです。
増田、映画が伝えるメッセージをしっかり受け取り、周囲の人々とも理解を深めるために話し合いを重ねることが大切です。暴力ではなく、対話や理解を通じて社会をより良い場所にするために努力しましょう。
ようするにあの受け方って笑わせてるというより、笑われてるに近いと俺は思ってる
あのアカデミー賞で、コメディアンのクリスタッカーをビンタしたウィルスミスが叩かれたけど
ウィルスミスがたたかれた理由はいくつもあるんだけど、なんだその理由って思ったのは
コメディアンは地位の低いかわいそうな職業なんだから、俳優でありアーティストのウィルスミスは許さなければいけないのに、怒ってしまったから器が小さいって理由
80年代以前の、お笑いブーム以前の日本もそんな感じだったらしいけどね
世界じゃお笑いって基本笑わせてるというより、笑われてる系だから
ああいうのが受けてもなぁって感じ
日本の笑いがすごい!って言ってるけど、それは半分合ってて半分間違ってる。
そこは素直に、「彼らの笑いがすごい」とちゃんと評価しましょう。
お笑いに解説をつけるのは、手品の種を教えるみたいで白けることだなって思うけど、やっぱり「日本のお笑い」ではなくて「彼らのお笑い」がちゃんとすごかった解説はしたいなと思った。
・冒頭(つかみ)
見た目で笑っている感度が低い人も多いけど、「なんじゃこいつら。欧米人が見るアジア人っぽいステレオタイプで出てきて、結局出落ちだろ」というラインまで期待を下げることに成功している。
これが最近の日本の芸人が見せるような、少しスタイリッシュ感じではだめ。
それだとこれからやるネタの期待をいたずらに上げてしまうので笑いにならない。
「面白そうだけど見た目だけだよね」という低めのラインが、これから始めるネタに対する裏切りになっている。
簡単に書いてるけど、この先面白くないと成立しないある意味自信に満ちあふれて無いとできない戦略。
さらにそのうえで、「Tを探せ」という観客を巻き込む構成になっているのがポイント。
馬鹿っぽいやつらにバカにされたくないという人間心理を巧みに付いてる。
・1ネタ目MorningのT
ここで取れる笑いは小笑いでいい。勘がいい人は笑う。お笑いの閾値が高い人は逆に笑わない。でもそれでいい。
小難しい顔をしながら、彼らが何をやりたいのかを全員が理解するための大切な時間。
ウケを取るより大事。
ここですでに「お約束」まで持っていっている。
お笑いが気持ちいいのは裏切りの瞬間なのだけど、タイトルコールからTが出るまでの時間が1ネタ目より短く作られている。
Morning Tは、タイトルコールからTが現れるまで14秒だったのに対し、Baseball Tは、タイトルコールからわずか8秒でTが出現している。
ルール説明の役割をもつ1ネタ目を丁寧に説明するために時間を割いたということもあるが、2ネタ目は出現を早めることで、見ている側に対して「ちゃんと考えていれば予測できたお約束なのに舐めていたから見逃した」という悔しさを 植え付けることに成功している。
・3ネタ目TerryのT
舞台袖に立っているTerryを巻き込んだT。
ここでこれをもってきたのは正直すごい度胸だと思った。
ここまでに会場があったまってないとTerryのノリノリも寒いだけなので、もしかしたら会場のリアクション次第で順番を変えてたかもしれない。
登場からわずか1分15秒で、会場の熱気を察してアドリブ感(実際にはシナリオだとは思いつつ、そう感じさせない演技力は素直にスゴい)で笑いを取るのは正直相当に熟練の技と言わざるを得ない。
しかもTerryのダンスが、彼らよりスタイリッシュであることが更におもしろい。
これが計算だとは認めたくないのだけど、これが本当に計算だったとしたらチョコプラは自分が思っているより遥かに高いレベルのお笑いをやってるかもしれない。
・4ネタ目。ShoppingのT
おそらくもう彼らはここで勝ちを確信していたと思う。
でも、そんな感じを一切見せてないのはこれも彼らの熟がなせる技だと言わざるをえない。
ここでのTは、今までのTと同じように見せて、実はちょっと違う。
今まではいつTが出てくるのかが笑いのポイントだったのに対し、ここでは試着のサイズが明らかに間違っているというコント的要素で笑いを取っている。
この部分だけを切り取れば最初のつかみとしても狙いにいける笑いだったはずなのに、ここまでコント的要素を用いなかったのはこれもある意味でTに対するミスディレクションになっていて、観客がTを探しているなかで唐突に裏切られるような形でコントがぶち込まれる瞬間が相手の虚をつく笑いとして成功している。
要するに、この手前までのお膳立てで、観客はすでにT探しに夢中になっていた。
それなのに、彼らが持ってきた笑いのポイントはTではなく松尾のお腹だったということ。
これは笑うのよ。だって、そこに笑いが来るだなんて予想してなかったのだから。
シャツに片袖を通した時点で予測ができていて、少し手前で裏切られた分を帳消しにするような形で安心感あるTが来ることで、観客は「もう何も考えずに笑っていいんだ」というコンセンサスに包まれることになった。
難しい顔を維持しようとしていた審査員も、この時点で脱帽という感じで笑い始めていた。
そりゃそうだ。笑いを堪えるためにIQをフル回転して先を読んでいたのに、見事にすべて裏切られる形で、それでいてベタな笑いが突っ込まれてきたのだから、これを耐えられる人間がエンタメ業界にいる事自体が許されないという構造になっている。
笑うしかない。
・5ネタ目。TitanicのT
これもやはり、自信がないとできない。
ここまで来ると観客はすでにTを待っている状態になっている。
(なっている。だなんて軽率に書いているが、この短時間でそこまで観客を引っ張り上げたのはほかでもない彼らのお笑い的実力であって、日本のお笑いなら毎回こうなるかと言われればそれはNoだと言わざるを得ない。)
そこをあえて裏切らずに素直にTを出すことで、観客の期待感とネタのピークを一致させることに成功している。
これも、本当に一歩間違えるだけで全員が白けるだけの寒いネタにしかならないので、ここまでのお膳立てが完璧であったと認めざるを得ない。
それができているから観客の大半が結末を予測して、ローズとジャックの名前が出ただけで面白くなってしまっている。
史上空前の大ヒット映画の、更に誰もが知っているようなシーンをネタの最後に持ってくることで、全員が安心してTを発見できているからこそ、あの一体感が生まれている。
さらにもっと言えば、ここに来て彼らの怪しい風貌が実は裏切るかもしれないという絶妙な不安を演出していて、それでいて予想通りのTが出てきたからこそ、より一層強い安心感につながっているとも考えられる。
すごいのは、ここまでのたった2分40で、それらすべてをやってのけている点だ。
はじめに、ルールをしっかり説明して、想像より早くお約束を見せて、慣れ始めたころに裏切って、さらに視点とは違う部分で笑いを取って、最後はしっかり予想の範囲で、それでいて予想以上の見た目の面白さで笑いを取る。
この一連の流れを、たった3分未満でやり遂げている。
これは、「日本のお笑い」なんて乱暴な括りで語れることではなく、素直に彼らの実力がすごいとしか言いようがない現実である。
増田自信は正直チョコプラのことは嫌いだったけど、このネタは笑ってしまった。
嫌いだからこそ斜に構えて結末を予想してしまったことが、返って彼らのネタで笑うしかない理由になっていた。
まさにゴットタレントのステージが完全アウェーだということを理解していないと、こんな構成ができるとは思えない。そんなネタ構成だったのではないだろうか。
「大谷選手の活躍は日本人として誇りに思う」という表現にいつも疑問を感じていたが、チョコプラの今回の活躍を「日本のお笑いレベルの高さ」という論じ方をするのはどう考えても納得できない。
それはあくまで、「日本にも世界に誇れるハイレベルなコメディアンがいる」という事実でしかないだけで、大半の日本のお笑いは世界を相手にここまでのことができるわけがないというのが個人的な感想です。
安村さんもすごかったけど、正直今回のチョコプラはすごすぎた。
テーマの部分を改変してはだめですよ
「きのう何食べた」の賢二の仕事を美容師からケーキ屋さんに変更するのはアリでも、
その改変を加えること自体が作品と真逆のメッセージを持つからです
作者のブログによる指摘は以下です:
この作品は説教をしません。登場人物も「ハッと気が付く」ようなこともありません
登場人物の1人は弱者男性です。彼は「女性の人生はイージーモードだ」と言います
もう1人の男性はハテナーの嫌いそうなDQN系強者男性です。彼は女性を対等な人間扱いせず雑に食い散らかしています。
彼らの最初の印象は悪いです。でも、作者の目線は彼らに優しく寄り添います。
彼らの目線から見える世界が語られることでその発言にある背後の苦しみが共有されるのです。
私が他のひとを許すから 私も他のひとに許してもらえる
正しくなくても寄り添い尊重し合って生きていく
修正:きょう→きのう
また、これに関連し原作者が「心底どうでもいい」と断じた「かわいい制服の私立高校に進むことが出来なかった」という改変も、
朱理は男を財布と肩書きでしか見ていない婚活女子です。初登場時の印象は最悪です。
でも、その人となりを知るうちに読者は彼女を好きになっていきます。
彼女が生き残るためそうせざるを得なかった事情が語られるのがそのシーンです。
薄給ブラック企業に勤め、男であるが故に競走から逃げることのできない進吾と
女であるが故に大学進学が認められず、そもそも競争のスタート地点にすら立たせてもらえなかった朱理
朱理は学歴社会において不利な状況に置かれたため、婚活に活路を見出しているという子なわけです。
ここでいう弱者男性とは社会的弱者の意味です。進悟は普通の顔です。
田中さんはすっぴんが異世界おじさんでメイクをするとデーモン小暮という方です。
報告書を読むと作者も同様の不安を抱かれたようですが議論して一旦は説得したようです。
ところがメイク失敗シーンが女優さんの肌が綺麗すぎて撮れないという話になり・・・という流れですね。辛くなってきたのでもうやめます
あなたのおっしゃる通り、顔の悪い役を引き受けてくれる人はいないでしょうからしょうがないのかもしれませんね。女優さんも人気商売でしょうから
・ミニスカおじさん(さいきん長髪のかつらをつけるようになった)
→LGBTのお方かもしれない。強く生きてほしい。
・全身真っ赤っかおじさん(メガネ、服、自転車まで全部赤。還暦?)
・戦争反対おじさん(リュックに戦争反対のステッカーをいっぱい貼っててプラカードも常備)
→メンタルが強い。プラカードは過剰すぎ感ある。騒音撒き散らさないならヨシ!
・西郷隆盛おじさん(体がデカくて犬の散歩をしてきる。そっくり)
→ただの西郷隆盛。無害。
・無職の外国人おじさん(公園でラジオ聴きながら笑って一人で喋ってる)
→孤独は人を狂わせる。コメディアンを目指している可能性もあるが基本的に怖い存在。
・叫びながらモールを歩くおじさん(声がデカすぎて怖い。関わりたくない)
→汚言症かもしれないが怖い。声量をコントロールできない人は危険なイメージがある。関わらないのが吉。
・(おまけ)俺。そんなおじさんを観察してるので
後輩とか立場弱いやつをイジりと称して虐めてるだけで、全く面白くない
実際、弱い者イジメ出来ない映画とか誰も興味持ってないし高評価してないしさ
その程度のやつなのに、SNSでの単なるお気持ち表面に応援コメント死ぬほど集まってるのが不思議で仕方ない
そもそもだけど、笑いものにするなら他にいくらでもいると思うんだよな
不正働いてる政治家とか、脱税してる経営者、金稼い出るだけで偉そうなやつ、パワハラ、セクハラ野郎共、賭博してる野球選手、ドーピングやら覚醒剤やってるスポーツ選
クソダサい女遊びして性加害告発されて泣き入れてる大物コメディアンとか、笑いものにするなら最高に面白いじゃん
ワインスタイン事件は「性暴力」の刑事立件だったけど、松本も同じでしょ。刑事にならない理由は「ジャップ司法の立ち遅れ」ってだけだし。
それとも何かね? 権威が「立身した分野以外でも」のさばってる方がいいのかい?
低学歴コメディアンごときが、偉そうに「市井のご意見番」やってるジャップランドの文化知性の低さの方がシロンボ欧米列強(笑)に恥ずかしいんじゃねぇの?アキバのエロゲポルノ広告よりさ。
なんでかって?エロCMは別に権威じゃねぇけど、低学歴低能コメディアンがメディアで「知性(笑)」を披露しており、それが「権威化」してるのはジャップランドぐらいだろ。
権威はあらゆる方面から「知性をもって」批判されるのが筋だし、それに「指摘には能わない」なんて雑魚否定しているのはジャップランドやシナ、レッドネック共の赤いところだけだぞ。
あのとき、みなさんに助けていただいたことがあるんですよ。ええ、本当に。感謝の気持ちでいっぱいです。
そのときの感想はさまざまでしたね。一部の人は「おお、面白かった!」って言ってくれたり、一部は「あれはどうだったの?」とか、「思っているの?」って感じで。でもさ、みんなそれぞれ違って、それが面白いんですよね。
最近は別ジャンルのことにも手を出してみて、新しい発見がありました。そしたらね、なんとその別ジャンルの世界で、紹介されたんですよ。「なんと別ジャンルにも挑戦中!」って。まあ、ナイーブすぎるとも言いますが、新しいことにチャレンジすることって大切ですよね。
さて、最近は便乗商法なるものにも巻き込まれてしまいました。まさかこんなことになるとは思っていなかったんですが、理由が詰まっていたんですよ。でもまあ、笑いに繋がればそれでいいじゃないですか。
話は変わりますが、最近は自炊にもハマってましてね。でもね、自炊って難しいですよね。いざやってみるとボコボコになっちゃうこともしばしば。でもそれもまた楽しいんですよね、自分の手で作った料理。
ところで、批判している奴っていますよね。あんなに頑張っているのに、何を言ってもらえるかわからないってのがコメディアン冥利に尽きるところ。雑感もいただくことがありますが、それもまたありがたいことです。
最近は空腹でステージに立つことが多くて、笑いどころでお腹がグーグー鳴ることも。でも、そこがまたいいんですよね。笑いがお腹を満たしてくれる感じがして。
最後に、最近のトレンドで困っていることがあります。それが完全版商法。何でもかんでも完全版が出るから、どれを買ったらいいのか迷っちゃうんですよね。名前だけが先行して、中身はきれいごとばかり。
みんな元気ですか?ええ、私も元気ですよ、というか、なんとか生計を立てています。でもね、タイに住んでいるってだけで、スタンダップコメディアンの年収って300万ぐらいですからね。まあ、そんなに稼げないってことですよ。でも仕事が好きなんです!本当のことを言うと、自分がコメディアンであることを覚えていないことがあります。なんだっけ、私って誰だっけ?
でもね、最近の世の中って大変ですよね。男性嫌悪が増えているって聞きました。でも私は理解のあるコメディアンなので、そんな話題に触れるのはちょっと怖いですね。中高年世代の方もたくさんいらっしゃるかと思いますが、1950年生まれの方、いらっしゃいますか?あなたたちは歴史的な瞬間、月面着陸を覚えていますか?私は…覚えていないです。逆に聞くけど、誰が覚えてるんだろう?
最近はコンテンツが溢れていて、違いが分からないことが多いですよね。SNSで毎日何かが消えてくれって思うこともあります。でもね、私は売れてほしいんですよ。だからこそ、皆さんに楽しんでいただけるようなユニークなコンテンツをお届けしようと思っています。
最後に一つお願いがあります。声に出して読みたいって方、手を挙げてください!え、誰もいない?まあ、しょうがないですね。でも今日は一緒に楽しんで、笑って、そしてタイから帰ってもらえたら嬉しいです!ありがとう、そして消えてくれ!
文春に書かれてたことが事実かどうか知らないので、それについてはここで書く気はない。
それとは関係なしに、松本人志がここで芸能界から退場するのは悪いタイミングではないとおもう。
松本人志が好きだ。中学生の頃はごっつええ感じにドハマりして、VISUALBUMも他のライブVHSも観た。
発明将軍もDXもガキの使いもひとりごっつもワールドダウンタウンも好きだった。
今でも水曜日のダウンタウンやクレイジージャーニーは毎週観ている。
好きだけど、いや好きだからこそ、ここらへんで退場してほしいと願っている自分もいる。
子どものころはたけし城とか平成教育委員会とか世界まる見えとかを見ていて、当時たけしはすでにピークは過ぎていたんだろうけどそれでもおもしろくて、バイク事故を起こしたときは心から復帰を願った。
そんなおもしろいたけしの姿を知っているからこそ、今の姿は見ていられない。
ぜんぜんおもしろくなくて、そもそも何を言っているのか聞き取れない。たけしが衰えたのもあるけど、それ以上に時代が変わって取り残されてしまった感じがある。
でも、それはしかたない。衰えは誰にもやってくる。
見ていられないのは、たけしが言った言葉に対して、他の出演者が一生懸命笑ってあげて、たけしはそれに気づかずに「おれもまだまだやれるな」という顔をしていることだ。
つらい。
完全に裸の王様だ。
欽ちゃんは90年代にはもう完全にコメディアンとしては時代についていけていなくて、子どもながらに
「この人、周りが持ち上げているから昔はすごかったんだろうけどぜんぜんおもしろくないな」と感じる人だった。
今、その欽ちゃんのポジションにビートたけしがいて、近いうちに松本人志がそうなりそうになっている。
いや、すでになりかけている。
すべらない話とかIPPONグランプリとかキングオブコントの審査コメントとかは特に顕著で、彼のぜんぜんおもしろくないコメント(ダジャレレベルのコメントも多い)に対して、周囲が一生懸命笑ってあげている。
そりゃあ全盛期だって打率十割ではなくて外すことはあったけど、昔だったら浜田が無視したり睨んだりしていたのを、今は後輩芸人が一生懸命笑ってあげている。ああ、こうやって裸の王様って作られていくんだなあと悲しくなる。ビートたけしもたけし軍団がいたから余計にそうなっちゃったんだろうなあ。
今後もどんどん衰えは加速していくだろう。
60歳にしてはすごいことやっているとはおもうけど、彼も衰え、時代も変わり、実力と周囲の持ち上げ方はさらに乖離していくだろう。
歳をとっても役割を変えて活躍する人はいっぱいいるけど、ビートたけしや松本人志のようにカリスマ性があって「最後のシュートはおれが打つ!」っていうタイプだと何より本人がそれを許さないだろう(明石家さんまも)。
上岡龍太郎のように自分で引き際を決められたらかっこいいけどそれも実績がある人ほど難しいだろうから、今回の騒動はいい引き際なのかもしれない。
老醜をさらす前に引退して「すごい芸人だったなあ」と惜しまれる存在になってほしい、と昔からのファンとしてはちょっと思っている。