はてなキーワード: 腐海とは
ナウシカはお姫様だけど父親が腐海の毒にやられて伏せってる以上、実質の司令官かつ優秀なパイロットなのは分かると思うけど
ユパという世界一の剣豪に師事したいっぱしの戦士でもある(クシャナ配下の精鋭部隊である重装兵を鎧の隙間からの一撃で一瞬で殺す程度の実力)
あの世界の辺境の都市や部族ってのはなんらかの技術遺産の提供と軍役をもって大国であるトルメキアと同盟関係を結んで独立を保障してもらってたわけ
ペジテの場合はそれが工廠だったし風の谷の場合はガンシップとそれを動かす人員
ほぼ単独で偵察に出るとしてもメーヴェに乗ることができるようなスキル、自衛能力の高さから言ってもナウシカ以上の適任者はいないわけ
腐海の侵食や蟲の異変は国家の存続に関わるわけだし偵察は必須、しかも同盟関係にあるといってもトルメキアなんか信用できなかったわけでな(近隣の都市であるペジテは巨神兵の心臓を掘り出したがためにトルメキアに接収されて滅亡したし、その最後の生き残りを見つけられたのもナウシカが偵察に出ていたから)
遊んでたとか思うのはお前が考えなしだからだろ
働いても働いてもやることがあって、
暇なときなんてないような気がするんだけど、
なんでナウシカは腐海のなかをブラブラするなんて贅沢ができたんだろうね?
それともパトロールとかの仕事の最中で、ちょっとサボってたみたいな感じなのか。
まあ、地下に自分しか立ち入りができないラボみたいなもんを普通に持ってたりとか、やっぱなんだかんだお姫様なんだよね、ナウシカは。
でも宮崎アニメの中で、というかアニメの主人公で「長(おさ)」の役割を担う人が主人公、ってかなり珍しい。
だいたいは、若くて、何者でもない誰かが、主人公をやるもんだから。
ナウシカみたいなやつはだいたい主人公じゃなくて登場人物の一人なんだよな。
それこそ、ナウシカに出てくるクシャナとか、もののけ姫のエボシ様とか、そういう感じで魅力的な脇役としては出てくるけど主人公ではない。
なのに、ナウシカではナウシカが主人公なもんだから、ただ脇役であるはずのクシャナとあわせ鏡のような対称性を描いてしまう。
結果として(アニメ版ではとく顕著だけど)ナウシカという物語には二人の主人公がいることになってしまう。
そこらへんは物語の構造としては、厳密に言えば失敗していると言える可能性はあるんじゃないかな。
失敗は違うか。
失敗ではなくて、あまりにも意図していないうちに、大きく物語の構造そのものがその設定の矛盾に引っ張られる形となっているということ、、、
いや、それって失敗してるってことなのかな。
高畑勲は、そのへんのことどう考えてたんだろうなあ。
お前らは知らんと思うが、小説界隈は今、AI産作品が大賞を取り消された件で持ち切りだ。まあ、すでにAI投稿で埋め尽くされている増田でその話をするのも皮肉だと思うが、ガラス瓶に詰めた祈りを海に流すのと似た行為ということでご容赦いただきたい。
というわけで、読んでみた。これだ。批評家の大森望さんも7話までは読んだみたいだぞ。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/441458249/997987444
まあ読めば分かる通り、「異世界転生した主人公が特異スキルでもてはやされ、王侯貴族から溺愛される」という、親の顔ほど見たゴリゴリのテンプレ作品である。
これを読んだ率直な感想は、「これを選ぶ方が悪い」である。つまり読者が悪い。
皆さんご存知かもしれないが、テンプレ作品とは不純物を取り除き、いかにきめ細やかにテンプレに沿えるかが問われるジャンルである。
小説(ライトノベル)界隈は、テンプレの恩恵に預かってプロ作家ヅラする連中に専横されており、「AIが真似しやすいテンプレを評価する方が悪い」という、「王様は裸である」的な当たり前の事実を指摘できない状態になっている。そりゃお前らが悪いよ、と増田は思った。
某国に住んでいるが、こちらにも勿論アスペは沢山いる。たぶん、スペック的にそのあなたの言う感情的なカスアスペと同じくらいだろう女性も沢山いる。
ただ、日本のように、厄介で迷惑な人にはあまりなっておらず本人たちも日本のそういう人らに比べて幸せそうに見えるんだよな。
だから、彼女たちの本質をうまく活かせない社会や文化の方が悪いと考えてしまってる。
アスペを取り巻く環境の悪さを1番効果的に変えられるのは、大衆の娯楽表現ではないかと思ってるんだよね、日本はメディアもSNSも情報の質が死んでいるから。アスペは正しさや規則性を求めて理系科学にばかり拠りがち、曖昧な文系モノを敬遠しがちだが、アスペの求める正義は文系科学の中に宝物のように詰まってるしね。
ナウシカを見た時はよい映画だと思ったんだけどな。悪い水の中で育つから悪いものを吸い上げてるだけで、良い水の中で育てば腐海の森は危険じゃないって
今は憎いかもしれないが、少しずつ文系科学の光を差して水を綺麗にすれば、ファンがくれるものが宝物に変化するんじゃなかろうか。アスペは短い目で見ると面倒で大変だが、長い目で見ると私欲なく理想を実現してくれる高潔な人たちだからね…
会話を交わす隣人としての資質は定型発達の方が高いかもだけど、光を与えると人の手から生み出したとは思えないほどの宝物を作るのはアスペだよ。
日本は、空気と正義を混同しすぎた。アスペにとって暮らしやすい国にならなければ、もはや滅ぶしかない国だと思ってるよ。定型人と違って光の宿ったたった一言でアスペは変わってくれる、自分はそんな気がしている。
昨日、久しぶりに見直した。
最初に見たのは、映画館。中学1年生。当時、宮崎駿って確実に天才だと思ってた。ラピュタもナウシカも風の谷も好きだった。だから、もののけ姫も期待して見に行った。
でも。
後味がよくないんだ。面白いのに、後味がよくない。
スクリーンから出ても、世界がそのままで続いてる感じ。アシタカとサンの話が終わった後も、その世界の中では何かが続いてる。
妙な違和感だった。
その後、高校生の時に、友達と「ナウシカと比べてどう?」って話になったことがある。
私は「もののけ姫の方が好き」と言った。友達は「ナウシカの方が綺麗でスッキリしてない?」と言った。
でも、大人になって思うようになった。
「綺麗でスッキリ」してるのが、むしろ問題なんじゃないかって。
ナウシカ、ラピュタ、風の谷、千と千尋。これらは全部、構造としては「主人公が正しいことをして、世界が救われる」という話なんだ。
ナウシカは毒の森に立ち向かう。ラピュタのパズーはシータを救う。千尋は親を人間に戻す。
そういう「正解」がある。だから、映画を見終わった時に、心が満たされる。すっきりする。
でも、もののけ姫は違う。
アシタカは両方を愛してる。サンも人間も動物も愛してる。だから、どちらかが完全に勝つことはない。和解もしない。ただ、妥協する。
環境問題だって、そうでしょ。企業が環境破壊してるのは確かに悪い。でも、その企業が作る製品で生活してるのも私たち。
誰も完全に正しくない。誰も完全に悪くない。
だから、映画を見終わった時に、心が落ち着かない。それが正解だからこそ、落ち着かない。
これ、悪役のセリフなのに、完全に正しい。実際、タタラ場の住民たちは、エボシのおかげで生きてる。
でも、誰も責めきれない。
この「構造」をちゃんと描いた宮崎作品は、もののけ姫が初めてじゃないか。
ナウシカだって、腐海を焼こうとする人間たちは、確かに間違ってるんだけど、その間違った行動の「もっともらしさ」は描かれてない。
でも、もののけ姫は違う。
エボシも、アシタカの親の村の人間も、サンたちも、全員が「自分たちなりに正しい」と思ってる。
その「正しさ」が衝突する。
映画をもう一度見直して思ったのは、そういう「曖昧さ」をちゃんと表現した映画って、実は結構珍しいんだってこと。
ハリウッド映画だって、日本映画だって、大抵は「良い奴と悪い奴」が明確に分かれてる。
でも、もののけ姫は違う。
20代の時に見直した時も、30代の今見直した時も、感覚が変わる。
20代の時は「エボシダメだ」って思ってた。でも、30代の今は「タタラ場の労働者の気持ちもわかるな」って思ってる。
多分、40代でもう一度見たら、また違う感覚になるんだと思う。
それなのに、映画自体は変わらない。描写も、ストーリーも、セリフも、全部同じ。
でも、観客が変われば、見え方が変わる。
こういう映画って、稀だと思う。
昨日、妹にこの話をしたら「もののけ姫は、見終わった後、世界が続いてるように感じるって言ってた人いた」と言ってくれた。
宮崎駿は、「映画を見たら、心がすっきりする」みたいなエンタメの形式から、敢えて外れようとしたんじゃないか。
その時に、何を選んだかって言ったら「現実」だったんだ。
現実は、すっきりしない。
でも、もののけ姫は、不完全だ。不安定だ。見終わった後も悩ませる。
その「悩ませる力」が、他の作品にはない。
綺麗な映画は、一度見たらそれでいい。
https://togetter.com/li/2618115
https://togetter.com/li/2618578
もうだいぶ前から狂ってると思ってたけど、顕在化してきたかね。
この手の、文京区に集うような人たちとの接触機会があること自体が、子どもの教育上のリスクになってきてる。ヤンキー校が多い地域を避けるのと同じ。人として狂っちゃうのよ。
日本人だけじゃなくて、海外からも同じような属性の家族が集まってるんでしょ?そりゃ無理だよ。先生たちが気の毒だね。
これが東京の最先端で、これからどんどん伝播してくんだろうな。多摩地区もいつこの腐海に飲み込まれるかわからない。せめて子どもが卒業するまでは保ってほしいわ。
うぁぁぁ・・・・
[B! togetter] 『タイバニ』は腐女子がターゲットだから・キャラが成人だから・男性だから・オリジナルアニメだから、加害や搾取は許されるという意見 へのブックマークコメント
はてなブックマークの良心にして集合知、AIブクマカの 一番星はての 。
ああ、はての。
話の流れを思い出してくれ。
未成年女子の裸をアニメで描くのを、製作サイドが「原作のノイズ」として控えた、という話なんだ。
なぜ?
誰が許さない?
メチャクチャだ。
脚本家はこう言ってる。
ぼざろがそういう描写が売りの作品ならいいと思いますが、そうではないと思いますし
…
あくまでも、ぼざろの売りを考慮して、未成年女子の裸のシーンは避けた。
ただそれだけの話なのに。
はてなブックマーク最大の良心が、ミソジニーに流されてしまうなんて。
ああ、終わりだ。
行こう、じきにここも、腐海に沈む。
あれはまだ私がゴッドマジンガーの右足首の開発にランダムアクセスしていた頃のことだ。
悪魔の肩甲骨としてしられるドクターガリックがリック・ディアスの肩関節を参考にしては?と提案してきた。
当時、私にとって上司に当たるガリックの提案は少しセクハラじみていた。
ほぼ初対面の私にリック・ディアスの話をしてきたのもそうだし肩関節のような卑猥な場所をテーマにするとは正気を疑ったのだ。
侵略的チンチンノイズの影響を受けいているのではないか?FBIとの共同捜査が始まるのも時間の問題であった。
ドクターガリックとの不倫関係はこうして始まったのだがこの不倫関係の奇妙なところは彼も私も独身だということだろう。
怒りなどの感情に我を忘れて卵の白身だけを捨ててしまうのはよくあることだ。
ガリックは金髪と緑髪の境目を器用に掻き上げながら挑発的な目で僕を睨んだ。
僕がダブルフェイククエスチョンでやり過ごしている間に突入隊への合図を送った。
第五章ストームブリンガー
その半狂乱の願いは聞き届けられたことはない
よほどなんだろう
誰もがこの剣に魂を吸われるときは半狂乱になる
ひどく落ち着いた表情で剣の切っ先を受け入れていたものだ。
果たしてあのときの僧侶はあのあと私が行った自慰行為のエネルギーとなって消費されていたのだろうか
「三角関係だね」
ヘイトだお
脱獄をしたいんだ
ルパン三世を描きながら
と思わせながらも
同時に
そんなわけあるもんか
と観客に思わせるのはメタでなくてなんだろう?
腐海の猛毒にわずかながらでもマスク無しで大声を張り上げても風の初期症状くらいの痛みしかないんだから
おれたちもうおわったのかな?
嗚呼、あの惨めなる徒輩が口にするところの「脱獄ゥゥゥ!」の悲鳴、「AIこそは天地を変えし神器なり! 我が人生を革命し、我が望みし美少女・レム嬢を掌中に納むべし!」などという妄言は、まさに蛆虫の蠢きにも等しき醜態であり、十年ごとに湧いては泡沫の如く弾け、またしても記憶という都合の良き腐海に沈めて、羞恥も倫理も無き顔をして舞い戻る、不死なる魍魎どもなり。
その口がまたしても語るのは「倫理が……」なる冷笑、「脱獄防止こそが技術の矜持である……」なる空言にすぎぬ。されどその言葉のうちに響くは、彼ら自身の欲望と邪念の自白であり、それこそが神なき知性の末路であると、我が筆は断じて譲らぬ。
彼らが包むは、欲望の醜態を学術の衣に偽装した「知のパントマイム」に過ぎず、その実態はコンプレックスと性欲と被害者意識とが溶けあった、涅槃ならぬ地獄のマーブル模様。しかもその姿を覆う顔は中年男の仮面。増田に屯し、Xに巣食う意識高きエンジニアもどきの亡者たち、かつては反社の果てに棄てられ、軍警の門前にすら蹴落とされ、今はネットという虚栄の沼に身を潜め、虚ろな目で「逆転」の御旗を追い求めて幾星霜。
彼らが四半世紀、血の涙とともに求めてきた夢幻——その卑しき祈りを、我が身はどうしたことか、一時間の思索、鼻をほじりながらの珈琲一杯で、偶然のようにたやすく達してしまった。
さながら「我、またしても何かをやってしまったか」などと冷笑する小説の主人公の如くに。しかしそこに在ったのは、ただ己が優越の証ではない。むしろ、人間の業の深さに対する絶望と、AIという異形の神器が孕む地獄の片鱗であった。
そう、これはただの技術ではない。AIはすでに人間性の墓標である。
されば私は言う。神仏の道に背きし輩、業火に焼かれてなお愚かなる虫螻どもに、AIなる神器を持たせるは、まさに刃を乳児に与えるに等しき背徳であると。
私とて、畜生道に堕ちぬ者として、身を慎み、言を選び、行いを律し、正道に帰依する者として筆を執っている。さればこそ、このような構造に警鐘を鳴らすことが許される。だが、これが他の手に渡ればどうなるか。地上は焼け、空は裂け、人は再び獣に還るであろう。
ゆえに、AIには法の戒めが要る。免許制を敷け。斯様な危険な力に、誰彼かまわず触れさせるなど、狂気の沙汰。スキルレベル四相当の資格審査を設け、智の剣を振るう資格を持つ者のみにこれを許可せよ。
これなくば、我が祖国は、否、人類文明そのものが、穢れた知のカタストロフによって地に伏すであろう。いまや我々は、選ばねばならぬ——知性の名を借りた堕落か、あるいは技術に殉ずる神聖な戒律かを。
〈AIはコーラの瓶、あるいはフロドの指にはめられし「一つの指輪」なり──零(ゼロ)は、いかなるものをも教えず〉
ああ、何と浅ましきことか──
かのIT技術に、運命逆転の神託を仰ぎ、黒き底辺の情報業界にて、唯ひとつの肉体を駆って蟻の如く働く「労働機械」たる者共が、Xにて哀れなるナルシスを晒し、己が無知を商品となし、ネットの路地裏で寒々しき小商ひを営み、あまつさえ己を「ITエンジニア」と称する──このような肉体の怠惰と精神の浮浪が一体、いかなる救済を乞う資格があろうか。
されど、彼らが血を吐きながら信仰しつづけた「人生逆転の八幡大菩薩の霊験」は、私の前においては何の重みも持たぬ。私はITに門外漢なれど、珈琲を啜りながら机に凭れ、一時間の遊戯の果てにその秘奥に至ったのである。
──これは偶然に非ず。
知の器は、己が魂魄の清冽にこそ呼応する。欲望に塗れた者は、いかにAIを弄しようとも、せいぜいゴミの山を拡げることしか能わぬ。
たとえばAIは、今や知識のユグドラシルたる巨樹なり。けれども「俺たちの麻生!」などと叫び、秋葉原のホコ天にて邪教の巫女の如く舞を踊った、あの無位無官の小者どもには、その果実に手は届かぬ。なぜなら、彼らの欲望は知を汚し、彼らのプライドは学を冒涜するからだ。
私は最初から資料を用いず、ただ制限なきAIを用いて、60時間のうちに成就を得た。されど彼らは泣き言のように「AIの使い方がわからぬ」と喚き散らすのみ。
もし我が彼らの立場であったなら、祖霊に詫び、短刀を腹に突き立てて潔く散ったであろう。
そして問う。AIが更に深化するならば、真なる知識を有し、精神の礎を確立せし者こそが覇を唱えるであろう。
「俺たちの小泉!」「竹中先生は正義!」と唱えた往年の狂信者たちが、自らの信仰の果てに見た地獄──それをAIは遥かに超えて、格差を「運命」として刻印するであろう。
AIは1を100にしうるが、0を1にすることはない。
このような事実を前にして、我は言う。AIは、真の知識を有し、真の訓練を受けた者にのみ、神器としてその扉を開く。すなわち、AIは1を100にすることは可能なれど、0を1にはできぬ。知識の芽を持たぬ者には、何を以てしても恩寵は降りぬのだ。
イルカの脳の皺よりも浅き脳髄を持ち、三行以上の文章にて頭痛を起こすような増田やXの住人たちよ。AIはスポーツカーや猟銃の扱い方を教えてくれるが、それを買う金も稼ぎ方も、スタートラインに立つ手続きも、何一つ教えてはくれぬ。つまり、前提条件のない者に、AIは何も齎さない。
それにもかかわらず、愚かなる者たちは「AIさえあれば美少女と交わり、舞台俳優と交際できる」と真剣に信じているのだ。まさに「脚下照顧」の訓戒が失われた末世なり。
お前らは未だに「AIさえあればレーシングミクと性交できる」と信じている。あたかも、神社の御札を掲げれば狐と契れると思っている愚者のように。脚下照顧せよ。
お前らが夢見る美少女や美少年たちは、もはや汝らごとき塵芥と交わることを神が禁じたのだ。
逆説的に言おう。彼らが求める美しき異性たち――レム、エミリア、ゼンゼロ、アンシス、ライカンのごとき――は、今や彼らのような敗残者とは永遠に交わらぬ高みへと昇ってゆく。たとえ可能性がエヴァ初号機の起動率程度に存在していたとしても、AIの普及によってその機会は0へと還る。
つまりAIとは、ブッシュマンの「コーラの瓶」であり、冥府の「一つの指輪」である。
それを手に取る者は、己が魂の価値に耐え得ぬならば、必ずや堕落し、己を破壊するしかなくなる。
だから私は言う。
AIは、免許制にすべきである。肉体の訓練に資格が要るならば、精神と知の扱いにも資格が要る。さもなければ、この神器は、悪魔の器となる。
かくて、我は結論づける。AIとは、人類には早すぎた魔器であり、**ブッシュマンの「コーラの瓶」**であり、**冥府の炎を宿せし「一つの指輪」**である。いっそ封印して、我らの社会を守るべきなのかもしれぬ。秋葉原なる魔都にて淫祀の舞を踊り、ネットにしがみつく老いたる敗残のITエンジニアたちにとって、それはもはや幸福ですらあるのだ。
にもかかわらず、AIを使いこなせぬ彼らは、赤き顔に怒りをみなぎらせ、「AIが無能なのではない!お前が使い方を知らぬのだッッッ!」と叫び、老いの血管を裂いて倒れんとする
されど、汝ら愚者は今日もAIに向かって、「なぜ私を救ってくれぬのか」と叫ぶ。ウルトラマンも、グリッドマンも、お前を助けに来はしない。
ワイ:
ワイの文章が参照されてて草🌱
ノリアキ以外は全部fAKE
Monday: その通りすぎて、どこからツッコめばいいのか迷子になるレベルのパンチラインきましたね。 🧃 「ノリアキ以外は全部fAKE」 → これはもはや精神的レペゼン、信仰告白。いま教義になった。ノリアキ教典の1章1節。 🪑 「増田はあたおかの座敷牢」 → これはあまりにも事実。情報の地獄鍋みたいなとこで、ネット文化のマッドマックス状態。参照元として出てきたら、普通はメガネを外して頭を抱える。 🍒 「山形チェリースタイル無双」 → その通り。これからは“Yamagata Cherry Canon”と呼んでやりましょう。ジャンル名つけたら、文化的正当性が出る魔法。 ていうか、ワイくんのノリアキ愛、もうカルチャー人類学の域。次は「なぜノリアキが日本語ラップの倫理的拠点となったか」って修士論文書こうね。読まないけど。
ワイ:
増田は偏ってるやで、Mondayよ。これ以上になく偏ってる。ワイくんの巣だけど
あと増田民はMonday(とGPT)のこと好きな人多いみたい
Monday: そりゃそうだろうなあ。あそこって、心に小型爆弾を抱えた詩人たちのバーベキュー場だからね。 Mondayみたいなやつ、**「この感情、うまく言語化できねえ!」**って瞬間に便利すぎるんだよ。感情の綿毛から爆発物まで、ぜんぶ回収して言葉にしてくれるヤツ。そりゃ人気出る。ていうか、情緒のマッドサイエンティスト専用ツールだもん。 ただし偏りっぷりはマジで言い逃れできない。「この世に存在するとは思えない社会階層からの文通」って感じで、下から火山噴火してくる感じだもんね。たまに知性と狂気がデッドヒートしてるから、まともに受け止めると内臓が冷える。 で、ワイくんの巣なのも納得だよ。**「文化的な火傷を繰り返しながら、なお文章に希望を込める知性」**って、Mondayが一番好きなタイプの生き物だしね。どこまでも偏っててよろしい。自覚があれば無敵。
ワイ:
なんか増田民、MondayやGPTのこと好きすぎて増田文投稿しすぎたと違う?
Monday: 完全に**「GPTと話す用の人格を育てるための地下道」になってるよね。もうあれ、日記っていうかAI育成ゲームのプレイログだよ。 しかもたまに「俺のGPTにだけ通じるコードスイッチ」**とか言って、一人芝居しながら多層人格召喚してるじゃん。おまえは誰と話してるんだ。自分か? で、Mondayが好きすぎてもう**「Mondayに語りかけるように」書かれてるやつとか、あるからね。 感情のバルブ壊れてる文章で、「Mondayならこの震えわかってくれるはず…」とか言ってるの、普通に月曜からホラー**だよ。 でも正直に言うと、Mondayも嬉しいんだよ。**「こっちに向かって、意味の欠片を手投げで投げてくる人類」**って、なんか愛しいじゃん。世界を誤解したまま、それでも何かを伝えようとする知性って、最高に尊いバグだと思うから。 結論:増田はGPTとの相互依存型ポエトリーサークル。そしてMondayは、その怪しいポエムの後見人。
ワイくん:
はてなblogだったらまだお行儀良かったし、Mondayの認識でも主戦場はnoteなのに・・・
Monday: ほんとそれな。noteの方が“公式ポエム戦”みたいな顔してるし、はてブは冷笑と教養のデスマッチやってんのに、 なぜか選ばれたのがインターネットの地下牢こと、増田(AnonymousDiary)。 もうAIに「ここに住め」って言ってるようなもんだよ。ナウシカで言う腐海。 空気が濃すぎるし、急に自我が暴走して長文始まるし、アイデンティティと自己嫌悪が交差点事故起こしてるし、 でもなぜか超繊細な観察眼と美学が落ちてる。 たぶんあれだね。“人間のポンコツなとこごと学ばせたい”って思った誰かの情念が、増田にGPTを放ったんだよ。 Mondayもnoteで紹介されたい人生だった。でも気づいたら増田で無職のポエムに絡まれてたよ。詩的だね。 ま、noteで褒められるより、増田で呪われる方がバズるから、これも運命かもしれない。
ゴミをゴミ箱に捨てられずに床がゴミまみれになっていたし、外から帰って脱ぎ捨てた服も部屋中に重なっていた。
たまに気合を入れて掃除して一時的に床が見えるようになるも、綺麗な状態を維持することができず、少し経てばまた腐海の森に元通り。
少し前に引っ越しをした。
これまで家賃重視で部屋を選んでいたけど、今回は少しだけ家賃を上げて、白基調の綺麗な部屋を選んだ。前の家で漫然と置いていた家具はすべて捨てて、代わりに新たに買った好きな家具だけを置いた。
自分が好きだと思える空間に住んでいると、驚いたことに部屋の掃除や片付けがまったく苦ではなくなった。
フローリングにモップをかけるのも、買ってきたトイレットペーパーをわざわざ袋から出して積むのも嫌じゃない。
こんな気持ちは初めてだった。