はてなキーワード: 頒布とは
BL(ボーイズラブ)文化は、男性同士の恋愛・性愛を描くフィクションを中心に発展してきた。しかし、その消費構造が実在のゲイ・バイセクシュアル男性を素材として搾取しているのではないかという批判は、当事者コミュニティから繰り返し提起されてきた。
具体的には以下の論点がある。
これらの主張には一定の妥当性がある。しかし、「フィクションだから無関係」という論理は、RPSや実在コミュニティへの侵入行為には適用できない。また、「理解の入口になった」という功利的正当化は、当事者が現に被る不快や搾取を帳消しにする根拠としては不十分である。
より深刻なのは、この問題が指摘されたとき、腐女子コミュニティの一部が「ホモフォビアと戦ってきたのは我々だ」という自己正当化に走り、当事者の批判を封殺する力学が働くことである。マジョリティ(異性愛女性)がマイノリティ(ゲイ男性)の表象を占有し、かつその批判に対して「我々こそ味方だ」と主張する構造は、植民地主義的な知の収奪と相似形をなしている。
『イナズマイレブン』(主要キャラクターは中学生)、『忍たま乱太郎』(忍術学園の生徒は10歳前後の設定)など、明確に未成年と設定されたキャラクターのR-18 BL二次創作は、pixiv・同人誌即売会・SNSなどで大量に流通している。
| 論点 | 現行法の状況 |
| 著作権侵害 | 二次創作は原著作物の翻案権・同一性保持権を侵害しうる。権利者が黙認しているに過ぎず、合法ではない。いわゆる「グレーゾーン」は法的に保護された領域ではなく、権利者の好意に依存した状態である。 |
| 児童ポルノ該当性 | 日本の「児童買春・児童ポルノ禁止法」は実在の児童を対象としており、創作物(絵・小説)は現行法上は児童ポルノに該当しない。ただし、国際的にはフィクションも規制対象とする国がある(豪州、カナダ等)。 |
| わいせつ物該当性 | 刑法175条のわいせつ物頒布罪の適用可能性は理論上残るが、同人誌に対する摘発例はほぼない。 |
法律上「違法ではない」としても、10歳や13歳に設定されたキャラクターの性行為を詳細に描写し、それを大量に流通させる行為が倫理的に問題ないと言えるかは別の問いである。
腐女子コミュニティ内では「キャラクターは絵であり実在しない」「被害者がいない」という論理で正当化されることが多いが、この論理は男性向けの「ロリコンもの」に対しても同様に適用されなければ一貫しない。にもかかわらず、後述するように、男性向けの未成年キャラクター性的表現には激しく反対しつつ、自陣営の同種の表現には寛容であるというダブルスタンダードが指摘されている。
一部の権利者はガイドラインで性的二次創作を明示的に禁止している。しかし多くの場合、個別の対応コストや炎上リスクを恐れて黙認しているに過ぎない。この黙認を「許可」と読み替える文化的慣習は、権利者に本来不要な負担を強いている。
近年、英語圏の社会正義運動(いわゆる「Woke」)の言説——特にジェンダー論、ポストコロニアル批評、インターセクショナリティなど——が、日本のSNS上で選択的に翻訳・引用され、特定の表現を攻撃するための武器として使用される事例が増加している。
Woke言説そのものが問題なのではない。ジェンダー論やポストコロニアル批評は学術的に重要な知的伝統である。問題は、それらの理論が本来持つ複雑さや内部批判を捨象し、自陣営に都合の良い部分だけを切り出して「正義の棍棒」として使用する態度にある。
これは理論の誠実な適用ではなく、権威の借用による言論封殺である。そして、この手法が最も頻繁に向かう先が、男性向けのオタクコンテンツである。
「マシュマロ」「Peing」などの匿名メッセージサービスを利用した攻撃的メッセージ(通称「毒マロ」)は、腐女子コミュニティにおいて深刻な問題となっている。内容は以下のようなものである。
毒マロや晒し(SNS上で特定の作者・作品を名指しで批判すること)の結果、創作者がアカウントを削除し作品を非公開にする「筆折り」は日常的に発生している。これはコミュニティ内部の表現弾圧に他ならない。
特に注目すべきは、加害者もまた女性であり、被害者もまた女性であるという点である。「女性が女性を潰す」構造は、フェミニズムの言説では説明しにくいため、しばしば不可視化される。
腐女子コミュニティでは、特定の行動規範(「検索避け」「鍵垢での運用」「R-18はワンクッション」等)について定期的に激しい議論が発生し、「学級会」と呼ばれる。これ自体はコミュニティの自治として機能しうるが、しばしば規範の押し付けと逸脱者への制裁に変質する。
腐女子コミュニティの一部には、以下のような暗黙の序列意識が存在するとの指摘がある。
この序列は、「BLは高尚なフィクションだが、夢小説や男女の恋愛は自己投影で低俗」という偏見に基づく。
ここに深刻な矛盾がある。腐女子コミュニティの一部は、自らの表現が社会から偏見を受けてきた歴史を語りつつ、同じ女性向け創作者コミュニティ内で別のジャンルを蔑視・攻撃している。被抑圧者が別の被抑圧者を踏みつける構造であり、「連帯」の理念とは正反対の実態である。
近年、以下のような事例が繰り返し報告されている。
これらの運動に共通するのは、主観的な不快感(「お気持ち」)を客観的な権利侵害であるかのように主張する論法である。「私が不快に思う」→「それは社会的に有害である」→「規制されるべきだ」という三段跳びは、法的な権利論としては成立しない。
しかし、SNS上の炎上は企業にとって実害をもたらすため、法的根拠がなくとも事実上の表現制限として機能している。これは私的検閲(private censorship)の問題である。
最も深刻な問題は、男性向けの性的表現を攻撃する主体が、自らは第2章で述べたような未成年キャラクターのR-18 BLを消費している場合があるという点である。
女オタクの濃度、右に行くほど若くて薄まっている気がする。
少年漫画の男女カプになると本を出さなくてpixiv更新するだけみたいな人の割合が上がる。オフラインの活動をすると家の中が同人誌だらけになって家族バレするとかそういう感じかなと思う。
夢小説になると本を出しようがない。名前変換機能があるオンラインが大前提になる。ここでジャニオタなどの男性アイドル系がどかっと入ってきて二次元と比べると濃度が薄まる。
イケメンカタログソシャゲになると、男性アイドル系と二次元オタク系が完全融合した印象がある。痛バなどグッズ大量購入勢が出てくる。ドルオタっぽくなる。
AIイケメンチャットになると、自分×AIで完結するのでオタク同士がつるまなくなりコミュニティが見えなくなる。オフラインの活動は非オタ的にやっていって、全く外部から見えない形でAIイケメンチャットにもハマっているという像になってくる。見た目のオタク性が全然なくなっている。
人、そんなにオタク活動の在り方を更新しないので、高齢オタクは今でも同人誌即売会に参加してBL同人誌の頒布をやっているし、今の10代はずっとAIイケメンチャットなのかなと思う。
「日本にフェアユースやパロディ条項があったら同人誌を堂々と(合法的に)有料頒布できるのに」
「これに該当すればOK」という基準が明確で、予測可能性が高い。
事前に絶対に安全が事前にわかる安心感。同人誌は事前条件に無いので現状、権利者の黙認という綱渡りの状態
パロディが著作権侵害の例外とて認められるためには条件がある。一番重要なのがパロディであること。
パロディ条項が求めるパロディとは?元の作品の文体、思想、キャラクターの性格などをあざ笑ったり、矛盾を突いたりして、「その作品自体を滑稽化、嘲笑する表現」である必要。
同人にあるようなリスペクトとは真反対の精神を要求される。好きという気持ちの具体化は対象外。
結果多くの場合裁判で負ける。つまり現状、権利者の黙認という綱渡りの状態
日本の限定列挙方式の反対。事後的に個別に裁判して判断するというやり方。
事前に列挙された安全が無い分、裁判されるリスクは日本以上にやばい。
フェアユースの4つの条件のうち著作物の性質は完全にNG,また、有料で販売するとフェアユースがさらに認められずらくなる。利用された量と質においてもキャラクターコンテンツに対する、キャラクターデザインは量と質においても不利になる。
一応、アメリカ法の心臓部である先例拘束性の原則があるが、ファンアート、同人誌に関する拘束性をもって合法であるとする裁判例が現状無いため、まったく安全ではない。現状基本的に日本と同じ。
また、裁判例ができても安心できない。先例と「同じ」であるかの判断は、やはり個別に裁判した時点で判断される。事前に安全と決まるわけではない。結果、やはり裁判のコストは常に追う必要はある。
一応勝つ可能性は無くは無いが、勝率は低い。膨大な弁護士費用を払って数年戦う余裕がある人だけが得られる自由。
個人クリエータにとっては現状、権利者の黙認という綱渡りの状態
フェアユースやパロディ条項があっても期待する効果はない。日本の著作権方式もフェアユースも、パロディ条項もどの方式でも権利者の黙認にすがるしかない。
二次創作ガイドライン。現状多くのガイドラインはしてはいけないの列挙。
過去の裁判例上、否定の列挙は許諾ではない。 黙認のライン(訴権の行使を一時的に留保する条件)を示しているだけで著作権法上の「許諾」を得ておらず、違法状態。
韓国では2010年代後半以降、急進フェミニズムが社会の大きな力となりました。その闘争の果てに生まれたのは、BL(ボーイズラブ)作家たちによる日本人偽装という奇妙な逃避劇です。
韓国フェミニズムは、儒教的家父長制に対する長い抵抗の歴史を持ちますが、決定的に過激化したのは2015〜2016年です。
• 2015年:MERS騒動をきっかけに、男性中心のネット文化に対する女性たちの反発からメガリアが誕生。男性の女性蔑視表現を「ミラーリング」(逆手に取った過激風刺)で対抗する手法が特徴でした。
• 2016年5月:江南駅女性殺人事件が発生。「女性であること自体が標的になる」という恐怖が爆発的に共有され、運動は急速に政治化・急進化しました。
• その後、メガリアからさらに過激化した**ワマドゥ(WOMAD)**が分離。「韓男虫(韓国男は虫)」という表現に象徴される男性全体敵視と、「女性は加害者になりえない」という絶対的被害者二元論が主流となりました。
• 4B運動(非結婚・非出産・非恋愛・非性交)もこの流れの中で広がり、異性愛関係そのものを拒否する姿勢が若年女性層に支持されました。
この運動は「女性と児童を守る」という大義名分で、表現規制の強化を強く求めました。その最大の成果がアチョン法(児童・青少年の性保護に関する法律)の厳罰化です。
2011〜2012年の法改正で、フィクション(漫画・イラスト・BLなど)も「児童・青少年と認識されうる表現」として規制対象に拡大されました。単純所持・頒布も重罰(懲役5年以上など)となり、法は性別中立で運用されます。
BL界隈では「正しい表現か、児童搾取か」を巡って女性同士の相互通報合戦が常態化。同じコミュニティ内で「お前の作品はロリコンだ」「私の作品は芸術的ファンタジーだ」と警察に通報し合う状況が生まれました。
規制の圧力と相互監視に耐えかねた作家たちは、次第に日本人偽装という逃避策を取るようになりました。
• pixiv、Fantia、Twitter(X)などで日本人名義・日本語プロフィールを使い、韓国国内では投稿できない過激なBL・ロリコン作品を発表。
• しかし、この手法もすぐに「日本人偽装リスト」として暴露されるようになり、新たな通報の標的となりました。
• 2025〜2026年にかけては、こうした偽装アカウントの凍結・摘発が相次ぎ、創作活動の場を失う作家が続出しています。
一部の作家はさらに海外プラットフォームへ逃げ、VPNを使いながら活動を続ける「デジタル亡命」状態に陥っています。
韓国フェミニズムは「女性の性的主体性を守る」ために表現規制を求めました。しかし結果として生まれたのは、女性同士が互いに銃を向け合う監視社会と、創作の場を失って国外に逃げる作家たちです。
「女性は加害者になりえない」という絶対的被害者二元論は、現実の女性加害事例や、女性作家同士の通報合戦の前で脆く崩れました。
2行で要約
SFWと詐称するな
ガイドラインは守れ
以下お気持ち
一部が金さえ、あるいは数字さえ、酷いとただの承認欲求や認知を稼げればそれでいいような
NSFW(Not Safe For Work)
例えば全身黒ピチスーツの乳首が浮いてるような絵、水着姿や下着姿、露出は少なくても谷間や太ももが強調された絵など。
上司同僚守衛の方、清掃の方、営業先etc...に一般的な価値観で見せた時問題があるという時に使う言葉。
AIを批判する意図はこの文にはないのだが、少なくともNSFWをよく知らないAIの方の誤用から生まれた「おまじない」である。
こんな「見ても大丈夫」なんて定義を勝手に行う奴らがずいぶん多い、R-15程度なら余裕である内容で。
そういったおまじないの流行はプロフに他国の事件や政治的なワードを入れてるリテラシーの人が今だにいるほどなので言葉の意味や背景くらいは考えた方がいい。
他にもガイドラインを守らない奴の多さ。
例えば
②グッズを出してはいけない。
とか……。
①はまあ、あの走ってる奴で多くの人が論じたし、性行為してるやつも大便させてるやつも金もらってるし大して燃えなかったから多く語らないとして。
②は過去に頒布中止かけられたり、最近もちょっと話題になってたな。自由じゃないとかなんとか言われてたけどこれには更に「自己解釈をするな」って新手の釘が刺してあって最高だった。
「画像やイラスト」を使わず「非公式の用語」でまとめてるからセーフとか
そんなのばかりである。
どんな釘を刺されてもむしろ許可すると明言される場所がまた重要であり
それらを守れば作っても良いと明確なホワイトゾーンがあることがとてもありがたいことだ。
にも関わらずいっときの得のためにグレーゾーンを踏み荒らす奴らが多すぎる。
まあどうせ、こんなことを書いても転売ヤーや漫画村を読んでいる層と同じなので行動を是正する事はないだろう。
正直者が作ったフィールドを荒らすだけ荒らして消えていく、長い目で見れば蝗害と化すかもしれない。
生成AIイラストの問題って、もう「新しい技術だから仕方ないよね」で流していい話じゃない。
無断で学習される。似た絵が大量に出てくる。時間をかけて描いてきた人の価値が薄まる。市場が荒れる。創作の現場そのものが雑に踏まれる。これを「気にしすぎ」とか「感情論」で片づけるのは無理がある。問題はもう現実に起きてるし、しかもかなり根が深い。
よくあるのが、「個別に似てるかどうかを争えばいい」とか、「既存の著作権法で十分対応できる」とか、そういう話だ。でも、それで本当に止まるなら、ここまで反発が広がるわけがない。みんなが本気で止めたいのは、一枚だけ似ている絵とか露骨な丸パクリだけじゃない。無断学習を土台にして、大量に絵を出して、流通させて、既成事実みたいな顔で市場に入り込んでくる、その流れ全体のはずだ。
「今の法律でどこまで戦えるか」じゃなくて、''本当にAIイラストをちゃんと潰すには、どんな法律が必要なのか''を、遠慮なく組み立てたほうがいい。中途半端に30条の4だけ触るとか、ガイドラインを増やすとか、そういう小さい話では足りない。AI生成物を人間の著作物とは別物として、法律上の例外カテゴリに落として、最初から徹底的に排除する。真面目に描いてる人間の創作はそこから外す。そういう一貫した建て付けで、全部まとめて組み直すしかない。
今の憲法21条は表現の自由を保障している。31条は適正手続を要求している。39条は、当時は合法だった行為を後から犯罪にすることを禁じている。22条は職業選択の自由、29条は財産権を守っている。これがある限り、「AIイラストだから一律に止める」「昔使った人まで後から追う」「説明できないなら違法扱いする」「関連産業ごと潰す」は、どうやっても限界がある。
だから本気でやるなら、まず憲法にこういう例外を入れるしかない。
第二十一条に次の二項を加える。
4 人工的生成過程により作成された表現物については、法律の定めるところにより、その作成、所持、公表、頒布、送信その他の利用を制限することができる。
これでようやく、AIイラストだけを普通の表現の外側に置ける。人間の創作物とは違うものとして最初から扱う。そうすれば、真面目に描いてる人を巻き込まず、AI生成物だけを狙って止める理屈が立つ。
さらに、本当に「昔AIを使っていた人まで含めて止めたい」と思うなら、39条も変えるしかない。
第三十九条に次のただし書を加える。
ただし、人工的生成過程により作成された表現物に関する行為については、公共の文化的基盤の保護のため、法律により遡及して処罰することができる。
ここまでやれば、「昔は合法だったから逃げ切り」という話が消える。
また、「AIじゃないなら証明しろ」を制度にしたいなら、31条まわりにも特則が必要になる。
第三十一条の次に次条を加える。
第三十一条の二 人工的生成過程により作成された表現物に関する法令については、立証責任の転換、行政上の即時差止め、データ提出命令、押収、削除命令その他の特別手続を法律で定めることができる。
こうしておけば、AI生成物だけを例外扱いにして、人間の普通の創作活動のルールはそのまま残せる。反AIの立場から見れば、ここはかなり筋が通っている。
今の著作権法1条は、著作者等の権利を守りつつ、文化的所産の公正な利用にも注意して、文化の発展に寄与することを目的にしている。つまり最初から、守ることと使うことのバランスを取りにいっている。
でも、本当にAIイラストを止めたいなら、その発想自体が邪魔になる。
第一条を次のように改める。
この法律は、人間による創作活動の優越的保護を図り、人工的生成過程により作成された表現物の流通を抑制し、もって文化的基盤を維持することを目的とする。
これなら、人間の創作を守るためにAI生成物を例外扱いで抑える、という筋が通る。
次に、30条の4は削る。
第三十条の四を削る。
新たに第三十条の四として、著作物は、情報解析、機械学習、特徴抽出、埋め込み化その他これらに類する方法による利用に供してはならない。ただし、権利者が明示的に許諾した場合は、この限りでない。
たしかに広い。でも、AI生成物を人間の著作物とは別の危険な例外カテゴリとして扱うなら、ここまでやってやっと徹底できる。
さらに、個別に「この絵が誰の何に似ているか」を毎回争っていたら遅い。
第百十三条に次の項を加える。
人工的生成過程により作成された画像、映像その他の表現物であって、法令に定める適法創作証明を欠くものの作成、所持、公表、頒布、公衆送信、展示、販売又は広告利用は、著作権侵害とみなす。
今の著作権法にも「みなし侵害」はある。つまり、著作権法は最初から、一定の行為を侵害とみなす構造を持っている。だったらそこにAI生成物を足せばいい。人間の作品とAI生成物を別カテゴリにして、後者だけ原則排除にすれば、真面目に創作している側は守れる。
今のやり方のままだと、一件一件細かく争うことになる。
原告が相当の理由をもってAI生成物であると主張したときは、被告が非AI創作であることを証明しなければならない。
被告は、ラフ、レイヤー情報、ログ、使用ソフト履歴、端末情報、クラウド履歴その他裁判所が必要と認める資料を提出しなければならない。
これなら、AI生成物だけを例外扱いにして、人間の普通の創作は通常のルールで守る、という整理ができる。
刑事も同じだ。
人工的生成過程により作成された表現物の作成、所持、閲覧、保存、頒布、公衆送信、学習、モデル提供、プロンプト配布を処罰対象とする。
ここまでやれば、作品だけでなく支える側もまとめて止められる。
「人間の創作物ではないものは、最初から厳しく扱う」という一貫したルールになる。
AIイラストを本気で消したいなら、作る側だけ見ていても足りない。
置く場所、売る場所、見せる場所、保管する場所も止める必要がある。
プラットフォーム事業者は、AI生成物の監視、検知、削除及び通報の義務を負う。
疑わしいコンテンツは、先に削除し、後から異議申立てを受け付ける。
反復違反者は恒久的に利用を停止する。
これでやっと、AIイラストは市場にもネットにも居場所がなくなる。
しかも建て付けは一貫している。
AI生成物だけを、人間の創作物とは違う例外カテゴリとして扱う。
真面目に描いている人は困らない。
30条の4を消す。
やってない証明を出させる。
ここまで必要なんだよ
written by ChatGPT
自分が行間読み取るのが苦手なだけだったら申し訳ないんだけど、コミティアのAIルールの改訂を読んでも「小説の主体は挿絵・表紙である」ってのがどこからも読み取れない。
まず改訂後のルールには「生成AIの出力結果を主体とした作品の販売、配布、展示は不可」とあって、補助利用に該当しない例として、「AI生成物を表紙や挿絵に用いた絵本や文芸。」が挙げられてる。
けどこれって「表紙や挿絵にAIを使ったらアウト」と言っているだけで、「本文テキストは主体に含まない」とはひとことも書いていない。
これをもとにして「表紙が手書きなら本文がAI生成でもOK」みたいな解釈が出回っているけど、さすがにそれは例示だけから変な読み取り方してるなぁというか。
絵本や文芸において表紙・挿絵がアウトだと明示されているのは、それらも独立した「主体」に含まれるからこそであって、文章が主体から外れる根拠にはならない。
そもそもコミティア公式は「オリジナル作品であればマンガ以外の作品(イラスト、小説、評論、音楽、グッズなど)も発表できます」と言っているので文章部分と絵部分は別々の主体として分離できる。
小説も「作品」である以上、その本文が生成AIの出力結果を主体としていればアウトというのは素直に導けるルール改定の書き方かと。
普通に読み取れば「手描きの絵にAI生成の文章」を組み合わせた詩集なんかも文章というAI製の主体が併存している以上アウトだと普通に類推できるはずなんだけど、「例に載ってないからOK」という読み方こそ無理がある。
じゃあ何で例示として文芸が挙げられてたかというと、純粋に「手描き+AI文章」より「AI絵+手書き文章」の頒布が多かった・多くなりそうと予測されただけだったからじゃないかなぁと思った。(これは推測)
自分の読解がおかしいのかと何回か読み返してもやっぱりそうとしか読めないんだけど、読み書きに優れた字書きさんたちが「小説の主体は挿絵・表紙だなんて遺憾だ!」って言ってるのがすごい不思議。
でも読み書きに優れた字書きさんがそういうならきっと自分の読み方がおかしいだけなんだろうなと思ったので、どの部分を読み取って根拠としたのか知りたいんだよね。
私は二次創作の分野で小説を書いているド素人の一般人だ。今話題になっているコミティアの客ですらない。
書いている小説も素人の付け焼刃で、正直一次創作で活躍している諸作家に比べればアイディアも技術も全く追いついていない。
それでも素人なりに趣味として小説を楽しく書いている。読むのも好きだ。
生成AIに対するスタンスは、現状は反対寄りの立場をとっている。
とはいえ、すべての生成AIが悪とは思っていないため、早く法が出来て良し悪しが明確になればいいなーと考えている。
今回コミティアの規定改定の件がXで話題になっていて、客層ではない私のところにも聞こえてくるほどだ。
詳しい内容については割愛するが、議論になっているのは以下の2点だと思う。
・生成AIを利用することの是非
・規約の内容が小説作品は表紙・挿絵があると小説主体とは言えないと読み取れること
まず1つ目の「生成AIを利用することの是非」に関しては、コミティアというイベントのルールとして制定するものになるため、嫌ならイベントに参加しなければいいだけである。
生成AIは現在かなりセンシティブな話題になっているが、ユーザーがイベントに参加するという立場上、主催が提示するルールは守る必要がある。
この場合は「コミティアというイベントでは生成AI主体の頒布物はNG」というルールなので、一般的な生成AIの是非ではない。生成AIで創作がしたいのであれば別の場所を選べばいい。
もう1つの「規約の内容が小説作品は表紙・挿絵があると小説主体とは言えないと読み取れること」だが、これがまたややこしい。
Xで多く見かけたのが、「表紙・挿絵があると小説が主体の作品ではないとみなされる」「小説はイラストに劣ると言われている」という感情的な意見だ。
私はこの意見には同意できないと思っている。そもそも小説には表紙も挿絵も必要ないと思っているからだ。
まず表紙の存在意義についてだが、表紙はその小説がどのような物語かを印象付ける役割を持っている。表紙にキャラクターが描かれていれば、そのキャラクターが登場する物語なのだと一目見てわかるだろう。
だが、表紙にキャラクターが描かれているということは、読者はそのイラストでキャラクターの印象を固定してしまうということだ。
文章で「金髪をたなびかせ、幼さを残す大きな青い目がこちらを見た」などと書いてあるとする。この文章でどんな見た目をしているのかは読者の頭の中で好きに想像ができる。恐らくこれを読んでいる人もそれぞれ違うイメージが頭に浮かんでいるだろう。
しかし表紙にキャラクターが描いてあると、その見た目で固定されるのだ。読者の頭の中には表紙で印象付けられたキャラクターしか浮かばない。
この場合、作者が「この見た目で印象付けたい」と意図しているのだと思う。愛着のあるキャラクターなのだから、自分が想像している見た目を読者にも見てほしい。これは間違ったことではない。
だが、この場合、表紙は「主体的な創作ではない」と言えるのだろうか。
小説という媒体であればキャラクターの見た目や表情は基本的に文章で描写するべきである。それでも表紙でキャラクターを見せたいと思うのであれば、「作品制作の補助」とはいい難いと思う。
挿絵に関しても同様だ。挿絵の役割は「文章中のシーンを視覚的に見せる」ものだと思う。
私は正直、小説作品に挿絵は不要どころか邪魔だと思っている。だって文章を読んでいるときに絵が入ると気が散るし。
そんな私情は置いておいても、挿絵は必ずしも必要なものではない。それでも小説の中に挟みたいと思うのであれば、それは主体的な創作ではないだろうか。
文章表現のみで読者に想像させるのが小説という創作だと思っている。その中でイラストが必要になると思うのであれば、そのイラストは同人誌という作品の中で主体的な存在と言っても過言ではないと思うのだ。
小説本が蔑ろにされているわけではない。ただ、小説と銘打っている中で表紙・挿絵が必要だと作者が判断したのであれば、それも本という作品の一部分であるだろう。
そもそも規約は「作品制作の補助を超えた生成AIの利用」と記載されている。制作過程の補助は認められているが、表紙や挿絵はそもそも過程ではなく結果だろう。
小説という創作は、華のあるイラストや漫画と比べられて蔑まれている、という自意識は確かに存在している。実際、その手の話はどこにでもあるし、私自身何度か耳にしたことがある。
しかし、今回に限って、小説という媒体を馬鹿にしているのはそう思い込んだ本人なのではないだろうか。
Xで感情的になっているポストを見ると、小説に自信がない裏返しのような意見が多いように見える。
小説は素晴らしいものなのだと胸を張って言えるのであれば、今回の規約なんてどうでもいいはずなのだ。
私は小説が好きだ。好きだから、表紙や挿絵が本当に必要かがわからない。なくても十分素晴らしい作品だろう。
(今回主な意見が「表紙イラストと挿絵」だったためこのような記述になったが、例えばデザイナーが作成したイラストのないデザインであればまた違った話になると思う)
なんか昨日あたりからtimelesz(旧名Sexy Zone)の新メンバーオーディション番組のファン考察系同人誌がジャニオタ間で炎上してるぽい
https://x.com/trtmsz0721/status/2028117722186555810
テェムレスのオタクがテェプロの感想書いた本を1200円で売ってるらしい
https://x.com/Reon12310608/status/2028234677711225143
>寄稿と言いながらこれは著作権的に大丈夫なの?タイプロ内で話していたことでしょ。Netflixやスタエンに、同人誌作成して利益を出そうとしている人たちがこれだけいることを通報したほうがいいんじゃ…?
>ただのオタクがタイプロという他人が作成したコンテンツで商売しようとしてる…?1200円って…
https://x.com/bbakunnaYo7/status/2028261580895662520
>これ本当に怖いかも
https://x.com/Reon12310608/status/2028329928165589030
>消したみたいなのですが内容が内容のため再掲。
>受けた候補生の名前(他事務所に所属)も挙げてあり、個人の感想の域を出てるだろ普通に
https://x.com/mgmgnet/status/2028313089788223902
>頒布中の自主制作誌に関して、権利関係や頒布方針へのご質問をいただいております。
>まず、本件に関する責任はすべて主催である私にあります。寄稿者様個人への言及やご連絡はお控えいただきますようお願いいたします。
古のジャニオタ文化として「事務所の非公認本は買わない」ルールがあるのは知ってるんだけど、引用要件とか守ってるなら正直ここまで炎上する話でもないと思うんだよ、実際Xでの突っかかり方は学級会の域を出てないように感じる
はたから見てるとtimelesz新規と旧Sexy Zoneファンの対立がいよいよ極まってきてる印象でしかないんだけど、とはいえ自分の知らない背景があるかもなので、実際これは炎上して当然な話なのかどうか、ジャニオタ有識者教えてほしい
児童の遺体を撮影した児童ポルノってどういう扱いになるんだろう
保護法益どうなる?どのように整合性を取っている?という点が気になる
実在児童の生前被害がなく、児童は既に死亡しており、明確に死後にとられたと判別できる……として
なんか違和感だな
②出自のわからない児童ポルノの写真を所持、ただしその写真は児童の死後に撮られた遺体の写真だと調査の結果確定した (死因とは無関係に第三者が盗撮的に このエクスキューズでスナッフフィルム的な含意を消す)
で結果が分岐するのかどうか
自分の素朴な市民感覚だと当然どちらも違法になる気もするが、②は構成要件満たしているのかな……
死者の権利は保護されないと考えると②は児童ポルノ単純所持にあたらない、という結論になるかもしれない、と第一感では思ったのだが、なんか変な気がして どっちもありうるなあ、どうなんだろう
それに①で児童ポルノ単純所持にあたる、という前提で話が進んでいたところに「実は②でした」となった際にどうなるか予想が難しいなあ 自信ないなあ
②が児童ポルノ単純所持にあたらないとしても何かの罪状で書類送検されうる気もするんだよなあ 撮影者、頒布者なら
しかし例えば購入した人はどうだろう うーん、あまりに空論だけど 今私はこれをパズル的に考えているので 各種用語の定義と解釈の問題だな それを資料にあたって確認したい
「児童ポルノは全部違法です」/「死後でもアウトに決まってる」/「そんな議論自体がおかしい」/「法律の穴を探すな」/「被害者の気持ちを考えろ」
こうなる
パズルめいた手つきでこのような話を考えている 不謹慎な態度かもしれない 神経を逆なでにしうる題材 しかし今更だな 現実レイヤーの話ではなく理論的精緻さとかの方に興味が向いている 現実的に考えたら「その写真は児童の死後に撮られた遺体の写真だと調査の結果確定した」を当局が通さない気もするし
パズル的に考える時に死者になると法律の扱いが変わるのが興味深い
今からジュンク堂行くぞ行くぞ行くぞ もうすぐ閉店時間だ 日記
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うーんやはりわからない
・保護法益が生きている児童のそれなのであれば、児童の死に関与していない第三者が撮影しても児童ポルノ禁止法が想定する被害者がいないのでは?
・生成AIにより画像生成された児童に見える写真的なイメージ画像は、学習元の被害児童が存在するので児童ポルノ、のような理路が通ると聞きかじった、であれば、どこまで被害児童を想定できるのか、のような境界値試験をやっている気分だ
やっぱり児童ポルノ禁止法の想定から漏れそうに見えるんだけど……なんかパラドックスに感じるんだよなあ 疑似パラドックスではあるが
実在児童、被害児童が間違いなく存在しない児童のわいせつ写真/動画などを単純所持し、それが児童ポルノ禁止法に抵触したケースさえ見つけることができれば
同人イベントの差し入れあるじゃん。ちょっとしたお菓子とか雑貨を小袋に入れるやつ。
あれってさー本を購入して、そのついでに
「原稿おつかれさまです♡」
「同人誌ありがとうございます♡」
「一息ついてください♡」
みたいに渡すものだよね?私は原稿のいたわりのニュアンスで渡してた。
そしたらさ、先日のイベントで差し入れだけ渡してくる人いたの。本買わないの。
「買い子さんに買ってもらったので(差し入れだけどうぞ)」
わかるわかる。
「今回の内容は苦手要素あって読めないので(差し入れだけどうぞ)」
ギリわかる。無理しないで。
断りきれずに受け取っちゃったよ。
差し入れの交換会じゃないんだよー!
同人誌即売会なんだよー!
渡してきた人はSNSで相互ではない。顔見知りだしーなノリで渡してきたらしい。
本買わないなら差し入れいらなくない?
でもこれって少数派の意見なのかな?
各社の二次創作ガイドラインを「○△×」で一覧比較できるらしい。40作品くらい載ってる。
いや、やめろよ。
二次創作が今まで続いてこれたのは、みんながうっすら目を逸らしてたからだろ。
権利者も「まあファン活動だし」で見逃してくれてて、こっちも深く調べずにやってた。
それを「グッズ販売は×です!」「この作品は条件付きです!」って白黒つけて並べるな。
正しいとか正しくないとかじゃなくて、わざわざ答え合わせするなって話。
一番やめてほしいのがAIの列。ほぼ全部「−(記載なし)」って並んでるの、あれ見たらどうなるかわかるだろ。
「公式が禁止してないならAI絵OKじゃん」って解釈する奴が絶対出てくる。
記載なし=許可じゃないのに、一覧にした時点でそう読む奴が出る。可視化の暴力だよ。
同人誌のところも見たけど、「条件付き」の中身がほとんど「個人の範囲で、営利目的でなければ」って書いてあるんだよな。
これ、即売会で頒布してる全サークルに喧嘩売ってるようなもんだろ。
「あなたのやってること、ガイドライン的にはグレーですよ」ってわざわざ突きつけてくる。
こういう「正しいことを言ってるだけ」のサイトが一番タチ悪い。反論しづらいから。
作った奴は善意なんだろうし、情報としては確かに正確なんだと思う。
でもさ、知らなくていいことを整理して突きつけるのは親切じゃなくて暴力だよ。
「売り子用意するのは大変だし難しい」
違う違うそうじゃないそうじゃない!
売り子がいれば良いという問題では無い!
売り子を用意することが重要なのではない!
混雑緩和と円滑な頒布を心がけることが大切なの!(赤ブー公式より引用)
混雑緩和と円滑な頒布が出来てるなら売り子は必ずしも必要では無い、と考える。1人で出来ない場合、または難しい場合は手っ取り早く売り子さん的な人を用意しておくとスムーズな頒布が出来て楽ですよ〜ってだけ。売り子はあくまで頒布の仕方の手段の1つだよ!なんか間違って捉えてる奴多くないか!?売り子居たら解決ってわけでもないでしょ。売り子居ても牛歩なとこはあるし。
自分1人だけが頒布してるイベントなわけじゃあないんだから、周りのことも考えて行動するのは当たり前じゃないのか?趣味を免罪符に自分のやりたいようにやるのは自己中心的で傲慢な考え方だと思う。
売り子は必ずしも必要では無いから1人で参加も良いよ。でも第三者からみてスムーズな頒布ができてないなって言う意見が多数あるならサークル主はそれを改善する行動を取るべき。で、手っ取り早い解決方法が売り子の用意。それだけ。無理なら無理で頒布数少なくしたりなんなり別の方法をとりなよと考える。
ざっくりまとめると
2024年夏コミでのポジティブな大バズ → 2025年4月の大阪・関西万博でのコスプレ来場 → 炎上 → 逆ギレ(一貫した「私は悪くない」スタンス) → 殺害予告レベルへのエスカレート → 引くに引けなくなる泥沼化
「学校はじまって以来の才女」字幕コス(ビリーナイスガイ氏+どるやん氏)の2人に現地調達され、名シーン再現コラボ。
本人が膝から崩れ落ちる写真が大バズり(トレンド入り、公式アニメ反応、ファンアート大量)。
→ 初の10万いいね超え級バズでフォロワー急増。「マルシル=鹿乃つの」イメージ定着(ポジティブスタート)。
アクスタ頒布でトレース疑惑・著作権侵害疑惑が浮上(ダンジョン飯アニメロゴ無断使用など)。
→ 一部界隈で「またか」的な炎上。小規模だが、信用失うきっかけに。
ガンダム前などで単独撮影・X投稿(最初は好意的、1.8万いいね超)。
note「万博×コスプレ体験記」公開 → TPO・マナー違反・承認欲求優先・原作リスペクト不足批判爆発。
→ 全国ニュース級に拡散(万博コスプレ炎上)。過去のトラブル総掘り返し(ディズニー園内ルール違反、コミケマナー問題、権利物無断使用など)。
本人:批判に「ルール守ってる」「嫉妬」「界隈がおかしい」「私じゃなきゃ自死レベル」など被害者主張。
文春インタビューで心身限界告白も謝罪ゼロ → さらに燃料投下。
殺害予告(「5月22日銃殺」など)・過激DM殺到 → 警察相談・パトロール強化。
BBQイベントでマルシルコス動画公開 → 再び公共マナー違反批判。
他コスプレイヤーとの確確執(カメラマン無断掲載削除巡り、ニコ超関連など)。
物議発言連発(訃報ネタ利用、差別ニュアンス、失礼リプなど)。
→ 「今最も嫌われているコスプレイヤー」扱い定着。
『REAL INFLUENCER』出演(ヴァンビ氏らと対談)。
「私は悪くない」「界隈が異常」と繰り返し → 特待生資格一時取り消し→条件付き復帰。
炎上スパイラル加速(万博はきっかけに過ぎず、対応姿勢・過去積み重ねが本質)。
2026年(1月現在)1月23日頃:クラウドファンディング開始
→ 即アクセス集中でページダウン → 支援開始も規約違反(個人トラブル費用)疑いで炎上。
今年のコミケは盛況だったらしい。
参加した人たちの、楽しそうな様子がタイムラインに流れてくる。
今年も、実家の畳に寝っ転がりながら、画面越しにそれを眺めていた。
コミケには行ったことがない。盆と正月には実家にいることになっているからだ。
僕の実家は京都の隣町にある。最寄りの駅から車で10分、バスで15分。そういうところで生まれ育った。子供だけで行ける範囲にはスーパーと、酒屋と、ちょっとした店がいくつか。そういうところだ。
それ以外の場所、たとえば映画館だとか、大きな本屋だとか、そういう場所へ行こうと思ったら、親に車を出してもらわないといけなかった。ましてや、子供だけでゲームセンターへ行くなんて、夢のまた夢だ。
盆暮れには、親戚回りでいとこの元を訪れるのが常であった。いとこは僕よりもう少しだけ街中に住んでいて、子供たちだけで駅前まで遊びに行けるみたいだった。
それが少し羨ましかったということもあり、あと地元の中学が少し荒れてたということもあったので、小学四年生のときに外の中学を受けようということになった。
駅前の進学塾に途中入会して、親に車で送ってもらいながら通った。帰り際にコンビニで買ったおにぎりやサンドイッチは、少しだけ自由の味がした。
そんなこんなで、街中の私立の学校へ通えるようになった。学校の近くには大きめの商業施設などもあり、帰り道に友達とファミレスで駄弁ってから帰ることもあった。
その頃から僕は、いわゆるオタク文化にハマるようになっていた。ちょうどゼロの使い魔などラノベが流行っていた頃で、クラスのオタク仲間で新刊を回し読みしたり、ときには寺町のアニメイトまで足を運んだりしていた。お小遣いはみるみるうちに減っていった。
そのうち、同人や二次創作を読むようになった。主にネット上で、作家の人たちの近況を追い続けていたら、年末にコミケというイベントに参加するようなことを話していた。
コミケ。一年に二回、日本中の同人作家が東京に集まって自分たちの作品を頒布する、日本最大のオタクイベント。
そういうイベントがあるというのは知っていたが、自分が追いかけていた作家たちが、コミケへの参加を楽しそうに話しているのは心底うらやましかった。
なにせ、高校生のお小遣いでは新幹線代はあまりにも高額だし、夜行バスに一人で乗って行くことを親が許してくれるはずもなかった。地方の高校生にとって、東京はあまりにも遠かった。
そして何より、お盆とお正月に実家を離れることが許されるとは思えなかった。毎年、祖父母や親戚に元気な顔を見せるのが通例になっていた。東京へ遊びに行くから、という理由が通るとは思えなかった。
それで、大学も結局地元の国公立を選んだ。東京の大学への進学も考えたものの、やっぱり実家から通える方が楽だし、地元で就職するならむしろ有利だろうということで選んだ。
入学してからは塾講師のバイトも始めて、少しずつお金を貯めた。その頃は東方projectにハマっていて、同人誌への寄稿のようなこともやっていたので、手伝いがてら東京のオンリーイベントへ参加した。
とはいえ新幹線は高すぎるから、夜行バスで東京まで往復した。4列シートに揺られて痛む背中を、さすりながら売り子を手伝った。
空いた時間で、他のサークルを見て回った。何百ものサークル、さらにその何倍もの参加者が、ただ一つの作品のファンとして交流していた。会場全体が、それまで味わったことのない、巨大な祝祭の雰囲気に包まれていた。
だからこそ、そこに参加できていなかったことに、ひどく悲しくなった。高校生らしき参加者が、明らかに普段着で参加していた。おそらくこれまで何度もこういうイベントに参加してきたのだろう。数千円と一晩かけてやってきた自分とは雲泥の差だ。
そのあとも、何度か東京のイベントに参加した。同人イベントは楽しかったが、やはり移動だけでも費用がかかり、やがて就活が忙しくなってきたこともあってイベントには参加しなくなってしまった。
そして、コミケにはついに参加しないままとなった。
結局、就職先も地元の企業を選んだ。そこそこの大企業でもあり、わりと休暇は取りやすい方ではあったものの、入社して数年後にコロナ禍に見舞われたこともあって、長距離の移動自体が自粛となった。
それで、今年もコミケの賑わいを画面越しに眺めながら、実家の畳に寝っ転がっていた。別にオタクを辞めたわけではない。今期のアニメは何本か追っているし、ソシャゲも一応続けてはいる。ただ、リアルイベントへ足が向かなくなってしまっただけだ。
それでも、もしも地方でなく東京に生まれていれば、もっと違った人生があったのかもしれないと思うことがある。東京に生まれて、リアルな経験を気軽に積むことができていれば。
東京を訪れたときに、少し足を伸ばして、秋葉原までいってみたことがある。東京生まれの高校生が、まるで自分たちの庭を歩くように闊歩していた。新宿、渋谷、どこにいっても東京生まれの子供たちが普段着で歩き回っている。
僕たちが、どこにでもありそうな地方のイオンモールの、どこにでもありそうなチェーン店で駄弁ってる間に、彼らは東京でしか味わえない体験を積んでいたのだ。
結局地元での就職を選んだのも、彼ら東京生まれには勝てない、という劣等感がどこかにあったからかもしれない。
いずれ僕に家族ができて、子供が生まれたら。子供たちからそう聞かれる日が来るのだろうか。東京から逃げた僕に、この問いが突き刺さる日が来るのだろうか。
実家の畳の上で、そんなことを考えていた。
同人誌を頒布したときからあんまり期間をあけずにpixivにアップしてくれるの
その本に対してどれだけ読者が思い入れあるかで感情が変わってくるよね
あんまり同人誌を買わない側からしたらただでpixivで同人誌を読めてありがたい
自分が持ってる本でも、その本が大好きならWEBでも読めて嬉しいって思う
先日、100円で売った同人誌をイベントから一か月もあけずに期間限定でpixivにあげている人がいて
いや、100円出してわざわざ買った人達、こんなに早くWEB再録しちゃっていい気持ちしないだろと心の中で突っ込んでしまった
でも、イベント会場に足を運んで、わざわざあなたのブースに来て、お金出して本を買ってくれた人をもっと大切にしたらって言いたくなってしまう
まぁ私はその本を買った人間ではないのだが
WEB再録しちゃったら、その本が売れ残っててももう買われないでしょう。100円だし、短編だし
個人であれば誰でもウェルカム、ただし会場が混乱しそうなら当日頒布停止、これだけ。安全第一
ホールのど真ん中の狭いスペースに大量の列が生じて捌ききれません、みたいな事態が想定された時点で頒布打ち切り、スペースは閉鎖
申込時にそこまでだった人が開催日までにバズったときにこの処置がとられることが多い
文学フリマは商業出版物(奥付の発行者が出版社の人物であるもの)を頒布するサークルから特別参加料取ればいいんじゃないすか?
で枠数を全体サークル数と別に設定する。これでプレミア感もでるし、印税貰ってる人は多めに負担してねの忘年会費傾斜理論を適用。
あと音楽同人イベントのM3を参考にして実演スペースを設定して、サイン会やりたきゃそっちでやれ、特別参加料払ってな、とすればいい。
何だかんだ客寄せパンダになるんだから著名人は排除すべきではないし、かといって野放しにできるほど印税貰ってる作家は少なくないから数は絞るべき。