はてなキーワード: 粗製乱造とは
「AIが嫌い」じゃなくて「AIっぽい絵が嫌いになった」が正解。
元々、AIっぽい絵は嫌いではなかったけど、AIアートのせいで嫌いになったんだよ。マスピ顔以外にも嫌いになった絵柄や描き方がある。
動画やネタ画像も同じで、AIが作ってそう、AIが考えてそうと思うものは受け付けなくなった。それまでは笑ってたはずなのに。
これらはAIだから嫌ってるわけではなく、人間が作っていると分かっていても同じ。人間が作ってるならいいか…とは思わない。
むしろ、それはAIで作れるものなんだからAIで作れよ、お前が作っても価値ないよ、と思う。
どうしてAI嫌いなの?と聞かれたら、物量に問題があったと思う。俺が処理できる情報量を上回ったことと、どれも同じ絵柄であることが問題だった。
今も、絵柄は自由自在なはずなのに、みんなが好きと思う絵柄に共通点があるのか、未だに(マスピ顔ではないと思うが)テンプレに沿ったもの…或いは他人の絵柄をそのまま使ってるものが多過ぎる。
今後、絵柄や内容に多様性が生まれてきたらAIを受け入れていくと思う。
今は、クリエイティブではない人たちが粗製乱造を繰り返して、インターネット上に低品質なAIコンテンツをばら撒いてるから、「AIっぽいもの」とラベリングしたものを嫌いになったんだと思う。
2022年から協力党員だったけど、今日の公明党との合流決定のニュースを確認してから、夕方に総支部の事務所に行って離党届を提出した。
旧立憲結党のときはまだ高校生だったし、政治にあまり強い関心はなかったけど、立憲民主党の結党に、「政治が少し良くなるんじゃないか」と淡い期待をしたのを覚えている。その後、コロナ禍から2021年総選挙までの間の流れで立憲民主党に共感して、衆院選では陰ながら応援した。結果的に敗北したのは残念だったけど、自分自身が動かないといけないという一種の使命感を感じて、翌年のはじめに入党することにした。
それから私は、体調が悪かったりしてあまり思うように活動できなかったけど、いろいろな貴重な経験をした。電話かけをしたり、ポスターを貼ったり、ビラを配ったり、党本部での会合に出席したり、遠くまで行って選挙の手伝いをしたり、地元の議員に会って裏話を拝聴したりした。選挙の立会人も何度かやった。
けれど、2023年ごろから立憲民主党の方向性への違和感が強くなってきた。まず、春先の入管法国会。非正規移民を本国に送り返して生命の危険にさらす入管法「改正」案に対して、米山隆一がトロッコ問題的な論法で「妥協する」ことを主張した。それは、外国人を事実上「殺す」法案に対して承認のハンコを押すようなものだと私は感じた。塩村あやかや鈴木庸介もそれに乗っかり、私がそれまで信頼していた多くのネット支持者も同調した。幸い、鎌田さゆり、山田勝彦、石川大我、石橋通宏らの努力もあり、立憲は最終的にハンコを押すことを拒否した。けれど、当事者の生命を無視した功利主義的な議論が支持者の間ではびこったことに対し、私はかなり居心地の悪さと憤りを感じた。
その後も、私の違和感は強まるばかりだった。2024年の代表選では、枝野幸男に投票した。結局野田佳彦が勝利して、代表選中に自分の陣営にいた人ばかりを執行部に起用する露骨なお友達人事を行った。私は、気分が悪くなった。サンクチュアリ(近藤・枝野派)、国のかたち研究会(菅派→西村派)、社会民主主義フォーラムなどの「左派」系党内グループが野田執行部の路線に対して何らかの抵抗を示してくれるかもしれないとのかすかな期待を抱いた。けれど、しまいには(私にはもはや迷走しているようにしか見えなくなった)枝野幸男、そして近藤昭一も、野田佳彦に呼応して「中道」という空っぽな言葉を連呼するようになった。
立憲民主党が近いうちになくなるのではないか、「希望の党」騒動が再び起きるのではないか、という懸念はしばらく前から抱いていた。けれど、それがここまではやく現実になるとは思っても見なかった。私は、心のなかの違和感をひた隠しにしながら、衆院選に、都議選に、参院選に奔走(というほどのことはしていないが)した。24年衆院選で立憲が50議席増やして躍進し、私の選挙区の候補が久しぶりの小選挙区当選を勝ちとったときは、心の底から嬉しかった。
けれど、それも全て無駄だった。「立憲」民主党は、立憲主義も中道左派の仮面も捨てて、「改革中道」という味のしないガムのようなくたびれた言葉で、つい数ヶ月前まで自民党のウンコみたいな政治を翼賛しまくっていた公明党=創価学会に擦り寄りはじめた。そして、数日前に統一名簿の話が出たかと思ったら、昨日の夜に新党結成の速報がいきなり出て、24時間もしないうちにそれは党の機関決定になった。1日もたたない間に決まったので、一般の党員はもちろん、地方議員さえ意見を述べる猶予は一切なかった。日本共産党がボルシェビキの組織論をもった社民主義者なら、立憲民主党は選良の皮を被った前近代的な地方大名の連合体にすぎない、と私は感じた。立憲「民主」党のなかに、少なくともわれわれが一般に理解している意味での党内民主主義は、存在しない。野党第一党が政局のために一瞬で溶解した希望の党騒動の反省は、「排除の論理をとらない」といううわべの口約束にしか見られない。
私はそうした事実を突きつけられ、もはや言葉も出なかった。われわれ支持者は、野田佳彦や枝野幸男や安住淳や小沢一郎や重徳和彦や泉健太にとってただの都合のいいコマにすぎない。そして政治が向き合う対象である大衆も、彼らがいったん権力を取れば、きっと似たような扱いを受けるだろう。その扱いは、確かに自民党よりはましになるかも知れない。けれども、奴隷労働のような低賃金に苦しみ、給与未払いが起きても泣き寝入りするしかない、労働組合にすらつながれないような末端の労働者、さまざまな種類の差別や抑圧に苦しんで、物理的あるいは精神的な死の危機と日夜戦っているマイノリティ、そして将来に対して漠然とした、しかし逃げ道のない不安にさいなまれている(そしてときには外国人や高齢者、障害者といった誤った敵にその怒りを誘導されてしまう)日本の多くの人々に、「ちょっとだけきれいな自民党」が提示しうる解決策は、一体何だろうか。
立公新党(こっちが気恥ずかしくなるような政党名になるらしい)は、もしかすると、連合+創価学会の圧倒的な組織力で、高支持率という幻像にはしゃぎまわって醜態をさらしている高市政権を圧殺するかもしれない。けれど、「左派」どころか「リベラル」さえ言うのを躊躇するような、これまでの安保法制や原発への態度をまともな説明もせずに180度転換することを厭わないような新党が政権を握ったとしても、「もっと良い未来」が実現できるとは到底思えない。うまくいって、例えばAIで粗製乱造された広告収入目的のテンプレ記事とか、使い古されて擦り切れたネットミームのような、凡庸でつまらなくて、しかも場合によっては有害なものしか生まれてこないだろう。
2024年のイギリス総選挙で大勝利を収めたスターマー政権が現在記録的な低支持率で苦しんでいるように、現代社会の根本的矛盾への一応の対処策さえ示すことはできず、右派の主張に妥協に次ぐ妥協を重ねて、参政党や日本保守党のような右の極に早晩その座を譲ることになるのではないか。
立憲民主党、さようなら。40年後の私たちが、「立憲民主党のあった時代はまだマシな世の中だったなあ」と思っていないことを祈ります。
合丼来来伝で合丼来来がしている言動と旅交同好会さんがしてる言動が、
奇しくも旅交同好会さんが合丼来来の言動を数年遅れで後追いをしてるぐらいに似ているところが結構あると感じました
具体的に少し書き出すと
他にも幾つか有るけれど、この辺りは旅交同好会さんがもしも合丼来来伝を読んだら、「あ、俺確かにこの人の後追いしてる」って気付けるんじゃないでしょうか?
そこで「俺は合丼来来とは違う」と思っちゃうような人だったら、この後合丼来来コース…合丼来来伝で合丼来来がリアル友人複数人から一度に絶縁されたように、
旅交同好会さんもリアル友人複数人から一度に絶縁される道を辿るでしょうね。
あ、あとこれも似ている所ですね
多くても数巻完結の作品しかないけどそれでも50作以上描いてるとかざら。
男性向けのメジャー誌でそんだけ作品出してるのってほぼ中堅以上のキャリア確定なはずだけど、
TL漫画なんかだとそんだけ描いてないとまともな収入にもならないってことなんだろうなあ。おまけに名前もろくに知られない。
粗製乱造じゃなくて一発鬼滅みたいなメガヒット作絞り出して出した方がらくよね。まあできないからTL漫画に浮き身をやつしてるんだろうけど。
男性向けエロでももうちょっと単行本一つあたりの実入りいいんちゃうか。いーむすあきは何作目で死にましたか?
dorawiiより
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いや、嬉しいは嬉しいんだけど、なんかこう・・・殴り書きみたいなの乱発されてタグが埋まったりしてて
毎回反応はしてるんだけどこれといって感想も出しづらいというか・・・・。
上手く描いてとかじゃなくて、本当に殴り書きなのよ・・・・。
せめて丁寧に描いてほしい・・・。
なんでこんなことを言うかというと、毎回ありがとうありがとう引用で褒めまくったら調子に乗っちゃって
他のVさんにもガンガン描き始めちゃったみたいで、粗製乱造しまくってるみたいで。
褒められてどんどん上手くなるように頑張ろう!ってタイプじゃなくて、これでいっか!の気持ちで
とにかくガンガン何も考えずに描いている感じ。
画風としては罫線入りのルーズリーフに鉛筆と色鉛筆でガシガシ塗る感じ。
私自身だけなら全然大丈夫なんだけど、他の人に飛び火してて〇〇さんのリスナーがよく描いてくれてるという話があったり・・・・。
今の所苦情にはなって無いけど、反応が無いと配信で感想を聞くコメントしてたりするみたいでそのうちトラブルになりそうなのが怖い。
>上限の鬼のモチーフが病気だったり、無惨が自分を災害になぞらえたりすることを、どう理解してるのだろうか。
それ、
その辺のYoutuber(稼ぐために「考察してみた」を粗製乱造してる手合い)が言ってるだけだろ?
いうて妓夫太郎・梅の母親が梅毒だったことがほぼ確定してるのと
黒死牟が黒死病とゴロが似てるぐらいのもんだろ?
それこじつけと言わんか?
自分はこの「上弦の鬼のモチーフは有名な感染病」説はミリも採用してない
まず「人類に大打撃を与え影響が大きかった感染症がモチーフ」なら必ず採用されているはずの病気が存在しない
この時点でもう説として非常に弱い
さらに鬼が病気のメタファーなら作中のテーマと明らかに噛み合わない
だからたとえ本当に作者が上弦だけでも有名な感染症をモチーフにしていたとしても、
無惨の異常性を表すセリフだったよね
殺人者が言う「いつかは死ぬだから自分が殺したって変わらないだろ」「自分が殺したんじゃない、包丁が殺したんだよ」等の
歪んだ屁理屈と一緒だ
悪意を持って人を傷つけ殺す行為と、
災害が人の命を奪うこともあるケースと
同一視できるか?いやできない
もし同じならなんで現実の社会では人が人を傷つけたら法律で裁かれるが災害は裁判にかけられないんだ?
だからこそ、あの「自分に殺されるのは災害で死ぬのと同じだと思え」は無惨の異常性=理屈が間違っていることを表している
奴の中には他人を尊重するという概念がいっさい存在しない、あいつの内面には自分一人しかいない
だからこそ人の怒りを買ってるんだよお前が言うなと反駁されるんだよ
(このセリフ、海外の人ですら「こいつは自分を神と同一視してやがる」と否定されてた)
ChatGPTとかGeminiにTRPGのGMやらせて遊んでたら、心が揺さぶられる瞬間があった。
別にめちゃくちゃ出来が良かったとかじゃない。むしろ粗かった。設定は矛盾するし、文章も崩れるし、
何回も今までのログをあらすじに圧縮して、わざわざ次のチャットに移動して貼り付けて。
めんどくさって思いながらも、その手を止めることはなかった。
でも、だからこそ思いもよらなかった展開に転がっていき、そこで発生した何気ない台詞が、何かズドンと刺さって。
人間にしかできないと思ってた“物語の反応”を、AIが、その場のノリと偶然と勢いで、圧倒的な速度と量で返してくる。
しかも、AIの未熟さがゆえの“ズレ”すら物語の一部に感じる瞬間がある。
ここまで来てようやく思ったわ。
生成AIの本質って、今まで人力ではどうしても厳しかったレベルの「即興性」の達成が可能になったことなんだって。
特にGemini2.5の存在は大きい。やっとスタートラインに立ったな、という感触がある。
最近話題になった、GrokさんちのAniちゃんだってそうだろ?
即興で身振り手振りをつけてくれて、話題にそった背景をリアルタイムで生成して画面に写してくれる。
それだけでも「オッ」ってなったもんな。全然粗いし、まあすぐ飽きたんだけど、それでも一定感動はあったよ。
お前らはイーロンがアニメ美少女を出してきた~だの、好感度システムとか下着姿になるのとかにばっかり着目してっけど。
それで、だよ。
今、AIイラストの界隈では、お気持ち反AI論者と承認欲求バカのポン出しAI絵師が、飽きずにあーだこーだ大した意味もねえ喧嘩してっけどさ。
あのへんの議論、ほんとにもう見てらんない。もうNovelAIが世間を驚かせてから何年経ってると思ってんだ?
お前ら、今がどういうフェーズか、ほんとに分かってないだろ。
AIって「人間の代わりに単体の完パケデータを作る機械」じゃねえんだわ。
そもそも“単体の完成物”の価値なんか、もうとっくのとうに減衰してんの。
よっぽどの天才か、ブランド背負った作家でもない限り、1枚絵なんか誰も覚えてないだろ。
エロ絵だってもう漫画やストーリーつきCG集で文脈による興奮強化をしない限り今日び使ってもらえない。
音楽だってそうだろ?今やMVや周辺のストーリーありきで作品が語られるようになって久しいんだよ。
(蛇足だけどついでに言っちゃうと、ボカロ界隈は音楽側にAI技術がめっちゃ使われてるのに界隈の連中がAIイラスト嫌ってるのマジでアホだと思う)
“単体の完成物”に固執してんのはオタク向けのイラスト界隈だけ。
まーーー、でも気持ちはわかるよ。実際に作ってる人からしたら気分が良いもんじゃないってのは本当にその通りだろうね。
ただ残念ながらもう流れは止まらん。でも大丈夫、人の手で作品を作ることの意味は決して失われないから。
――で、特に絵も描いてなくて実害被ってもいないのにやたらAIに噛みつきまくってるお前。お前は……何?w
そして、AIポン出しで何か作ってる気分になってるAI絵師やAI作曲家たち。
(絵師って名乗るな!名乗っていいだろ!みたいな議論もクソどうでもいい。わかりやすいから便宜上そう呼ばせてもらうだけ)
そもそもAIが作る“作品”がクソだったり、なんとなくパッと見良さそうでもなんか心に来ないのって、AIのせいじゃないからな?
方向性決める頭もない、ディレクションもできない、プロンプトも雑。何かと組み合わせてコンテンツを作ろうって気概もない。
絵柄だって大した工夫もせずに単一の作家の丸パクリで迷惑をかける(適法違法とかそういう話じゃない、意味ねえことしてんじゃねえって話)
そういう奴が「AIで俺もクリエイターだ!」って気取って公開して、炎上して、
そんで「AI使うと叩かれる…怖い…」って被害者ヅラしてんの、本当に面白いと思う。エンタメの才能あるんじゃない?
(まあASIが出てきたらどうかわからんけど。でもやっぱり人間が作ったもの、という価値とか、自分が好きにモノを作るって意味は人類に残り続けると思うよ。)
そして、それができない奴がAIを使うと、ただの量産バカになる。
パクってるとか以前に、単純に“つまんない”んだよ。
でさ、表に出したら燃えるのがわかってるのに、「でも見てほしい〜!(すごいって言ってほしい~褒めて褒めて~)」って、承認欲求で脳が焼けた奴らが、
“作品”として出しては燃え、出しては燃え、そのたびに「倫理ガー」 「著作権ガー」ってループする。
じゃあ生成AIでコンテンツを生成する意味はどこにあるかっていうと、
リアルタイムの反応と、偶然と、空気と、手触りを、人間が不可能な対速度クオリティでエンタメすることってわけ。
もう一回言うけど、作品じゃない。プロセスや体験がAIで作るコンテンツの本丸。
それを体験せずに「盗作が〜」「著作権が〜」って騒いでるの、マジで2010年代で時間止まってる。
でまあ、たった一つ、今のポン出しAIがもたらした“光”があるとすれば、
「”俺だけが好き”なコンテンツ」が、誰にも頼まずに簡単に手に入るようになったことじゃねえかなとは思うよ。
AIの生成物はクリエイティブの工業製品化と例えられる事が多い(まあいらすとやみたいな使い方だったり、総合芸術の制作補助とかだな)と思うんだけど、
この「クリエイティブDIY」が気軽にできるようになったのも革命だと思うんだよな。
他の人にお裾分けするほどでもない自分だけのピンポイントな性癖だとか。
こういう感じの曲で、こういう歌詞の音楽が聞きたいんだけど、絶妙~にいないんだよな、そういうアーティスト……とかな。
でも他人がそれを作ってくれるワケもない。個人の好みに他人を付き合わせるのもなんだかバツが悪いしな。
イチからスキルを上げて作ればいいじゃんって?今まではそうだったかもしれんけど、便利なツールがあるなら消費したい側としてはそっち使うだろ。理想論ばっかだな、お前ら。
ほんのちょっとした欲求に、毎回それなりの金を出すのも現実的じゃないし、何より、今すぐ、欲しい。
そもそもクリエイターと金のやりとりすんのってめんどくさいからな。時間だってかかるし。
それにインターネットどっぷりのお前らならそのへんのトラブルの話は散々見てきてるだろうし。
――それが、今、手に入る。AIなら。
誰にも見せずに、保存して、ニヤついて、終わり。
それだけで、満たされる。
(まあ二次創作エロだったら小銭ぐらいは稼げるんだろうけど、そんなの貴重な人生の時間と人としての尊厳を削ってまでやることじゃねえだろって)
TRPGで感動した話に戻るけど、その体験を“作品”として残す気なんて俺はさらさらない。
あとからnoteで公開したり、TRPGよろしくリプレイ動画として残す方法はあるにはあるだろうが、誰も興味ないだろうし、何よりその場限りのライブ感の中に熱があった。
そういうものに価値を感じる人間だけが、AIと一緒にこれからのエンタメ……体験を創れる。
そしてそれは今現在、たぶん一部の“わかってる奴ら”だけの特権だと思ってる。
でも、AIがコンテキストをちゃんと膨大に保持できるようになり、文章や画像や音のアセットだったりキャラクターデザインに一貫性が持てるようになったら……?
AIはツールとかそういう話じゃなくて、もはや共演者で、共犯者で、即興劇の相手なんだよ。
どうぞ勝手に、盗作がどうとか魂がどうとか、自分の安心できる“倫理”の檻の中で喋っててください。
あー一応補足しておくが、総合芸術作品(ゲームとか映画とか漫画とか)の裏側で制作補助として使われる用途に関してはめっちゃ可能性あると思うよ。昨今、安定して高いクオリティを求められるがゆえにコスト上がり過ぎだしね。
論点ズレるから突っ込んでないだけな。AIはツールです(熱い手のひら返し)
あと学習についても、論ずるだけ無駄だよ。この世でデジタルデータになるものは全部AIに学習されるものと思っていたほうがいい。コンテンツだけじゃねえんだよ。自動運転の技術だって空間をデータにして把握させるみたいな感じだろ?ありとあらゆるデータをAIは学習していくんだって考えたほうがいい。この流れは止められない。
それにまあ、これは与太話だが、作品をAIに学習されるのを完璧に阻止できたとするじゃん?そうなると、仮にAIがアンドロイドとかの形を伴って社会に浸透する未来が来るとしたら、そいつらの作品は未来において「消費や認知すらされていない、無かったもの」になるんじゃねえかなって思うよ。しらんけど。
要約
生成AIは創作の革命だからものすごい名作がつくられると思ったら
ゴミを量産するサークルばっかりになって某同人ストアの売上激減した
なぜ生成AIで「ゴミ」が量産され、ストアの売上が激減したのか?
生成AIはコストが非常に低く、「早く・大量に・それっぽいもの」が作れます。
結果、多くの作り手が「名作を作ること」よりも「売れるかもしれないものを大量に出す」という方向に傾いた。
ストアに並ぶのは、見た目だけは「完成された」ように見えるが、中身のない“お手軽”作品ばかり。
📌 例: KindleのAI小説、AI生成イラストをベースにしたマンガアプリ、スチームのAIゲーム群
→ 最初は「おぉ?」と注目されるが、消費者はすぐに気づく。「中身がない」と。
多くの人が「AIを使えば自動的に面白い作品ができる」と勘違いした。
でも実際は、AIは“補助ツール”でしかない。創造の本質(問い・視点・文脈)は人間にしか持てない。
📉 3. 量が質を潰すメカニズム
ストアやマーケットに粗悪な作品が氾濫すると、「名作」も埋もれて見つけられなくなる。
ユーザーが疲れて離れ、結果として売上全体が下がる。
✨【ではどうする?】
アタリショックとは?
粗悪なゲームソフトが氾濫して、消費者のゲーム離れを引き起こし、ゲーム業界全体に大崩壊が起こりました。
📉【アタリショックの主な原因】
・人気IPの粗製乱造(例:「E.T.」ゲームは完成まで5週間)
任天堂はアタリショックの反省を踏まえ、次のような厳格な制約と制度を導入しました
その力が「ゴミ量産」に転じないためには、ファミコンが示したような「品質管理」「市場統制」「倫理的配慮」を重視する仕組みが不可欠です。
単なる技術の進歩だけでなく、それを取り巻くエコシステム全体のルールメイキングが、次の「名作」を生み出す鍵となるでしょう。
シークエルは兎も角、ドラマはそれなりにクオリティコントロールされてると思うけどなぁ
という主張を https://togetter.com/li/2568793 で見かけたので、反対意見をここに記しておく。
書いているうちにかなり長くなってしまったが、一個人の感想としてあまり真に受けずに読んでいただけるとよいと思う。
[1]
多く見かけたのは「手描きでしか出せないこだわりがある」といったコメントだが、その多くはAI生成画像を作品として見たことがない人の感想である。
こだわりを持って生成されたAI生成の作品からは、人間がすべて手描きしたものと同等の熱量を受け取ることができる。
ポン出しである程度の雰囲気の画像が生成される、という部分が注目されがちだが、主に構図的な粗がほぼ必ず存在して、非決定的な制御を行うしかない、とても不自由な画材である。
プロンプトを少しずつ変えながら大量に生成して選別することや、目的に沿って生成画像を部分的に修正することなど、この画材を制御する試みの成果が表れている良い作品は、AI生成画像に多く触れていれば通常分かるものである。
したがって、そうした作品を公開している投稿者については個人的には高く評価するし、周囲から高い評価を受けることも妥当であると考えている。
[1a]
付記すべきこととして、そうしたこだわりを持つ主体となれるのは人間だけである、というのは少なくとも現時点では正しい。
現在の画像生成AIは、人間が主体的に環境構築をして、プロンプトを与えて初めて動作する機械的なものであって、無から勝手に生じてきたものではない。
そのような未来においてなおAI生成画像「が」価値を持つのか、という問題は難しい。
[1b]
また厳密にいえば、「手描きであること」自体を価値に含めるような作品は当然ながら画像生成AIでは実現できない。
写真と見分けがつかないように描かれた絵、というものは写真が発明されて200年近く経つ今でも新しく作られているし、子どもが手描きした絵というのは唯一無二の価値があるものである。
手描きの作品の多くがそういった立ち位置に収束しても不思議ではない。
[2]
次に、「AI生成画像は粗製乱造であり平均的に低品質だ」というコメントも見かけたが、手描きの作品も粗製乱造であると考えている。
生成AIが話題になる前から、人々の好みは高度に細分化されており、インターネットに存在する情報のほとんどは特定少数のみに価値があるものである。
個人的な話をするのであれば、まず全年齢対象作品の成人向け二次創作は非常に多く投稿されているが、原作に対する権利侵害であり、少なくとも尊敬がなく受け入れがたいように感じる。
また、一次創作の成人向け作品であっても、わざと汚く描かれた男性が出てくるものは、性的なものに対する真摯さがないという印象になってしまう。
日々たくさんの時間をかけて手描きされている作品も、少なくとも上記のような条件に当てはまる限りは、私にとっては無価値である。
ただし、これらの作品が綺麗に区分けされたインターネット、というものは存在しない。
情報発信が大衆化される価値のほうが明らかに大きく、実際に私は今このほとんど価値がないテキストを匿名の場所にラベルなしで放流する権利を享受している。
AI生成画像について適切な区分けをすべきだという意見も、自分にとって価値がある希少なデータは手間をかけて探すしかない、ということに慣れていないだけなのでは、と考えている。
[2a]
上記の嗜好が生成AI作品を手描きより評価するうえで有利な条件となっていることは認める。
実際、プロンプトに入れないにもかかわらず二次創作が出てきてしまうことはほとんどなく、また安定した構図の絵を出力できるのは1人を指定したときなので、自分で生成した画像については上記2つの心配をせずに済んでいる。
[2b]
AI生成画像であれば一律無価値である、という思想を持つことを否定するわけでは当然ない。
作者のフォローやお気に入り、ユーザーブロック機能による自衛など、既に存在する機能を活用することが優先されるべき、という意図である。
[3]
類似の論点として「低品質でも素人には分からない」というものがあり、現在利用されているものの多くが低品質であることは認めるが、近い将来これも否定されると考えている。
現在の生成AIとくに言語モデルは、教師あり学習ができるデータをほぼ使い切っていて、強化学習によって性能を高めている。
より具体的に言えば、高品質な教師あり学習データを作れなくても、どちらがよいか判定できさえすれば、モデルがそれをもとにより高品質なものを生成できるように学習できる。
少なくとも画像投稿サイトのランキングやSNS上の反応などを見れば、それが十分な品質のアノテーションになっている。
したがって、低品質でもいいという現在の消極的な導入のあとに、人間より高品質だから導入するという選択が広がっていくだろうと予想できる。
[4]
まとめると、[1]こだわりのあるAI生成画像については手描きと同様に過程を評価できることと、[2]個人の評価基準としてはAI生成画像のほうが価値がある可能性が高いことから、私はAI生成画像を好んで鑑賞している。
また、[3]今後の学習でAI生成画像のほうが自然と高品質になり、生成AI「が」いいという時代もすぐ来るのではと考えている。
[4a]
ここまでの議論のとおり、かなり急進的な生成AI推進派を自認しているが、念のため現時点の全体的な立場を表明しておく。
言うまでもないが、現行法上の犯罪に与するような生成AIの開発・利用については明確に反対の立場である。
現状簡単に悪用できてしまうことと、数が多くて追跡できないのは問題なので、免許制にしたり、メタデータとしてAI生成であることが分かるようにするなどの対策はあったほうが望ましい。
一方で、表現の自由を損ねるのでウォーターマークの表示義務はされないべきであると考える。
また、明示的な許諾のない大量のデータで学習することについても、同じ仕組みで得られる翻訳やプログラムなどの利益を享受できなくなることを考えると、規制されるべきではない。
ただし、生成AIの提供によって得られた利益は寡占的な傾向があり、現在の税制で再分配が十分ではなくなる可能性があるので、そのときに対応が必要である。
上記すべては現時点の考えであり今後変わる可能性もあるが、いずれにしても、生成AIの利用について良い塩梅の定説が早めにできてほしいと考えている。
先日「動画の内容を要約して音声にするAI」というのを見かけて、改めて「この世はどうなっていくんだ」と思った
この「コンテンツソースに当たらず、要約して素早く簡単に情報を得よう」というニーズを満たそうとするAIの方向性が、もう、既存の経済モデル全体と死ぬほど相性悪いよな、って
そもそもYouTubeとか、現状のweb系の経済って、「コンテンツを見る権利を買う」もしくは「コンテンツの合間に広告を挟むことによって収益性を確保する」という2軸で成り立ったいるわけなんだけど、
現状の生成AIを放っておくとこの2軸ってたぶんボロボロに破壊されるんですよね
だってAIの要約で皆が済ませちゃったらyouTubeの再生数全然回らないし、再生数回らなかったら「広告枠を売って儲ける」というYouTubeの事業モデルそのものが立ち行かなくなるし
YouTubeが儲からなくなったら当然コンテンツを作成しているユーザーに対する分配も下がっていくわけで、
となると「頑張って質の良い動画を作れば収入になる」というモチベーションも下がっていく。
しかも、投稿した動画が問答無用で生成AIの学習に使われる場合、コンテンツの独自性やイメージを損なっていく可能性があるしね。
この懸念を重く見る投稿者が増えれば、ファンを連れて別のクローズドな媒体にコンテンツが公開されるようになる。そうなれば、当然サイト全体の収益性が下がっていくだろうし。
で?残るのは生成AIによって低コストで乱造されたハルシネーションまみれの、個人の見解としての価値すら失った虚無動画ばっかり、みたいな末路でしょ。
youtube全体でコンテンツの質が下がったら利用者も減って、どんどんメディアとして斜陽になっていく。
つまり、収益性の利点だけじゃなくて、ファンを醸成する場としての価値までが失われていく。
そうなると、購入型のコンテンツに誘導する導線としてもどんどん衰退していく。
おそらく、YouTubeのCEOもそこを不安視していて「クリエイター重視」みたいな発言をしてるんだろうと思うけど↓
https://gigazine.net/news/20240405-youtube-ceo-says-ai-training-would-break-rules/#google_vignette
そもそも無断学習がなければ生成AIの現段階の機能はほぼ成り立たないわけだからさ
全部の元凶はそれなんだよな
コンテンツの価値を無視している道具が跋扈すればコンテンツで成り立ってきた経済が破壊されるなんて当たり前のことじゃん
現状のAI無断学習横行状態をなんとかしない限りは何も解決しないというか
このままなんの規制もないままなら、生成AI跋扈する世の中に蔓延る「質に誠実な人ほど損をするシステム」は悪化する一方なんだろうなって思う
だから、おそらくは今後揺り戻しが来て、生成AIに関するルールが施行されていく
そうしないと経済が壊れるからね だれも滅びたくないんだからそうするしかないよね
現状のYouTubeで粗製乱造の生成動画でセコセコ小銭稼いでるようなのって、もしかすると「自分は最新技術で賢く稼いでいる」と思い込んでいるのかもしれないけど
そもそもYouTubeが儲かんなかったら広告収益なんてものは無に収束していく一方で、その経済モデルを守らなきゃ個人が稼ぐも何も、何一つ成り立たなくなるっていうのをちゃんと認識した方がいいと思う
その分際で「最近YouTubeの収益減ったわ~」みたいな文句垂れてるやつもいるしで
生成AIで動画制作!効率的に稼ごう!!みたいな主張って、軒並みこの経済的矛盾を無視していて本当に刹那的で自己破壊的だなって感じる。
生成AIによって「無料でコンテンツを公開して広告収益を得る」っていうシステム自体を破壊しているのに、生成AIでコンテンツを作って儲けようと考えてるなんて馬鹿みたいじゃない?
その行動は今、この刹那に微々たる収益を貴方にもたらすかもしれないけど、決してあなたの将来の人生を保証してくれるような「生きる道」には決してなり得ないし、
今後生成AIに関する法律が施行された際には「犯罪行為」として経歴の汚点にすら成り得るからね
既に権利保持者がバンバン生成AI企業を訴えて争ってるんだから時間の問題だと思う
この、一見「儲かる」風に見えて、全力で「生成AI提供元以外の全員が儲からない世界」を作ろうとしてる生成AIを推進して喜んでる人たちってマジで何を見てるんですかね
「AIで出力している人が受かって、手書きの私がなぜ落ちるんだ!」
という魂の叫びがバズっていた。
気持ちはわかる。
軽く自己紹介をしておくと私はゲーム業界に身を置き、AIについては推進派と言ってもよい立ち位置にいる。
壁打ちから企画立案、GDDや仕様書の作成、エンジニアはもちろんのこと、アーティストも一般ユーザーが想定していないレベルで生成AIを取り入れている。
プロから見て人間のクリエイティブ(≒作家性)が脅かされるレベルにはまだ無い。
それなりに予算をかけたゲームのチーム開発では生成AIによるアセットが消費者の目にそのまま届くことはありえない。
生成AIのアウトプットが比較的純度高く消費者に届く電子書籍などで今売れている作品は作者のスキルの賜物だ。
ただし、「今はまだ」なだけでもある。
新卒から経験2,3年程度のスキルはAIが数百トークン消費するだけで代替できてしまうことも多いし、エージェントAIの能力が上がると上位職が遂行している抽象度の高いタスクもそう遠くない未来に可能になる。
そして、AIに生成を任せて完成させても「AIを使ってアウトプットを出した」という事実だけが残り、手に職がついた充実感や、完成させる苦労から得られる達成感は過去のものになってしまうだろう。
法規制?
上で似たようなことを書いていてなんだが、消費者から見れば努力に価値などない。
お前、紙を使わずPhotoshopやクリスタで作品作ってるクリエイターに同じこと言ってなかった?
Xを見ていると覚悟ができていないヤツがまだ多い。
私自身、昔コミケで作品を売ったことがあるし、今は生成AIで売れそうなものを作ることもできるスキルを持っているが、それをコミケで売ろうなんて1mmも思わない。
でも世の中は既にそうなってしまったんだ。
AIによる粗製乱造を防ぐために月の本数制限を設け、審査を遅らせても複アカで薄利多売を実行するヤツはいるし、日本で規制したところで海外では無断盗用された画像を含むモデルは今後も増え続ける。
これはエンジニアが基本的にはオープンソースを良しとしている文化も関係しているのかもしれない。
グレーを排除してもホワイトなAI生成アセットも増える一方で、ハードの進歩とともにAIの表現力も上がっていく。
「AIが凄いのであって、使った人が凄いわけではない」
etc...
無数にある負け犬の遠吠えは見苦しい。
消費者の
「AI絵嫌い」
でも売れているAI作品は存在して、生成AIで表現をしているクリエイターは一定の評価と地位を獲得しているのだ。
反AIの負け犬は感情論で古い価値観を押し付けて、玉石混交の中で新しい表現が生まれていることから目を背け自分の汚い汗を詰めた瓶にこそ価値があるのだと叫ぶ。
老害は早く消えろ。
生成AIのお陰でPCさえあれば誰でもプロデューサーごっこ、ディレクターごっこができるようになった。
それは別に悪いことではない。
生成AIを使って創作分野に殴り込みを掛けて小銭を稼ごうとしたり、承認欲求を満たそうとするものが、真夏の竹ヤブで大量発生する蚊のように現れたのだ。
……ここまではギリギリよい。
真の問題は生成AIのウリである速度を利用して、粗製乱造したもので『金を稼ごう』としたり、『承認欲求を満たそう』とする頭の悪い奴が大半であるという事でなのではないだろうか?
ちょっとでも考える頭があれば『素人である自分が出来ることなど、同じ環境があれば誰でも可能である』という考えに至る。
だが『自分には高いプロデュース能力があるが、他の才能がないからこれまで認められて来なかった』などという、真夏の浜辺に放置されたイカよりも腐った脳ミソを持つ無能な承認欲求モンスター達はそこまで考えられなかった。
『生成AIでえっちな絵を量産してダウンロードサイトに出品すれば儲かる』とか、
『生成AIにえっちな小説を書かせてダウンロードサイトに出品したら儲かる』とか、
……結果としてどうなったか?
企業で出品されたものの倫理チェックをする部署が、毎秒レベルで申請されるエロの審査を処理しきれなくなってパンクした。
そりゃ当然だ、倫理審査をしくったらサイト側の責任になってしまうのだからチェックにAIは使えない。
ド素人が自分のおにんにんを握りしめながら大量生成したエロ制作物をひとつひとつ手作業でコンプラ審査させられた担当の苦痛を考えると、同情の涙を禁じ得ない。
かくして企業側の堪忍袋が爆発四散し、『AI作品は各サークル一月にひとつまで』みたいな対策が取られるようになってしまいましたとさ。
「バカどもに車を与えるな!」と仰っていた海原雄山の発言が実は大正解でした、という笑えない現実。
美術館なんて5年以上行っていなかったのだけど、美術館に足を運んだ。
とあるツテによって、一般公開に先立つ内覧会に招待されたためだ。
東京国立博物館でやっている、『蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児』という特別展。
久々の美術鑑賞だったが、なかなかよかった。
うまい例えができないが、90年代アニメの特集でセイバーマリオネットやスレイヤーズの存在を意図的に隠して、エヴァを前面に推すような感じである。
今の子供にもウケる絵柄だけを紹介してるような、それはそれで正解なのだけど、それはどうか、という思いがよぎる。
浮世絵というのは、ハンドメイドのカラー印刷なので、出来に良し悪しがある。
もちろん、出来がいいものを飾ってもらいたい一方で、出来が悪いものからも、いろいろと思うところはある。
教科書に載っているような有名作品に印刷ズレがあると、「印刷が間に合わないほど飛ぶように売れたんだな」と思ったりする。
「版元に大事にされていたんだな。プレミアム戦略で粗製乱造はしなかったんだな」
贅沢な悩みだが、一級の作品の、出来がいいものだけを集めて展示されていて、それが残念な感じがあった。
元来、浮世絵というのは、手に持って鑑賞するものだったので、多くの場合、壁に飾られることは想定していない。
運転席からみて見やすい道路標示が、真上から見たら細長くみえるように、壁にかけると普通は不自然さが際立つ。
額縁やマットの選び方も上手で、壁や床のいろとも調和して、照明のセッティングも含めて、この場所に、そうやって飾られるために作品が存在しているかのように見えた。
それは、すごい技術ではあるが、壁に掛けたら不自然にみえるはずの絵を、展示のテクニックで美しく見せてしまっていて、どうかなと思う。勝手に足し算しちゃってるようなもんだし。
もちろん、展示は研究者のためのものではないので、現代に生きる我々に理解しやすい絵を中心にみせることは大事だし、せっかく展示するなら美しく展示すべきというのもわかる。
手に持って鑑賞する前提で作られた作品を額縁にいれて壁にかけガラス越しに鑑賞する意味はなんだろうか?
作品というか、当時の感覚ではアートではなく商業印刷であり、描かれているのだって芝居の役者や女郎であって、風俗情報誌の表紙みたいなものなわけで。
それをわざわざ吉原をイメージした空間を作って展示となると、教養や文化というより、それを楽しむ娯楽だ。
おしゃれ空間を楽しむ娯楽という側面のほうが強い気がする。