| Home |
2021.08.01
青森めぐり20210715の2
弘前公園の北側の若党町界隈には武家屋敷通りが残っていて「弘前市仲町伝統的建造物群保存地区」となっている。
藩政時代の弘前城下は、上町・仲町・下町の3区域に分けられていて、城の東南部の上町は上級武士の町、城の西部一帯から岩木川までの下町は比較的下級の武士たちの町、そして若党町を中心とする仲町は御家中屋敷と呼ばれ、住居構えに武家屋敷としての街並が色濃く残され、旧伊東家、旧梅田家、旧岩田家、旧笹森家が無料公開されている。
亀甲門そばの堀端にある「石場家住宅」は、江戸中期のもの。もともとは津軽藩出入りの商家で、主としてわら工品を扱ったが、後に米や肥料などの小売りもしたという。現在は酒屋。津軽地方の商家の遺構として貴重なのだそうだ。

(石場家住宅)

(「弘前市仲町伝統的建造物群保存地区」の若党町の通り1)

(若党町の通り2)
「旧笹森家住宅」は、弘前市伝建地区内に現存する最古の武家住宅。建築当初は地区内の東部にあったが、市が部材を解体保存し、2012年に現在地に移築復元したものなのだそうだ。東隣には大きくて新しい高齢者住宅が立っていて、やや情緒に乏しい感じがする。「南嶋探険」を記した探検家の笹森儀助は弘前藩士の子だが、この家と何らかの関係があるのだろうか。
「旧伊東家住宅」は、元藩医を務めた家柄の住宅で、昭和50年代に市内元長町から伝建地区に移築されたもの。
「旧梅田家住宅」は、江戸時代末期に建築された知行100石ほどの武士の家で、1985年に弘前市が在府町からこの場所に移築復元したもの。
「旧岩田家住宅」は、1800年前後に建てられた、城下の中級武士の住宅。上記3軒についてはいずれも移築でやや鼻白むが、これについては移築ではないようだ。外見的にも最も立派そうだが、木曜日は休みで入れず。

(旧伊東家住宅)

(旧梅田家住宅)
次は、津軽三味線生演奏が聴けるのがウリの「津軽藩ねぷた村」へ。
1時間に1回の間隔で行われる生演奏は、次の回が概ね40分後の11時半から。始まるまでの間、館内を見て歩く。生演奏の会場にもなる「ねぷたの館」には、高さ10m、幅8mの超大型ねぷたなどが展示されている。ヤーヤ堂では、弘前ねぷたなどに関するビデオを見ることができ、「蔵工房たくみ」では客が極端に少ない時期にもかかわらず津軽塗、津軽こぎん刺し、弘前こけし、津軽凧などの製作実演が行われていた
お待ちかねの津軽三味線の生演奏は、この日の演者は葛西頼之(かさいよしゆき)で、彼は現在開催されている津軽三味線の全国大会・世界大会において全階級・全部門制覇を成し遂げた津軽三味線の超達人らしい。津軽三味線には従来の奏法とバチを叩きつける奏法があると言い、その2つの奏法で津軽じょんがら節を聴かせてくれた。とりわけ叩く演奏は音量が何段か上がってすごい迫力。それを目と鼻の先に見て聴くことができるので、鳥肌モノなのだった。

(「津軽藩ねぷた村」のエントランス)

(「ねぷたの館」の超大型ねぷた)

(「ねぷたの館」では、津軽三味線の生演奏を聴くことができる)

(この日の奏者は実力者葛西頼之)
ここからは、市内中心部に点在する洋館を中心にいくつか見て歩く。
「カトリック弘前教会」。
1910年建造の、尖頭のあるロマネスク様式、木造モルタル造りの聖堂。祭壇は、アムステルダムにある聖トマス教会から特別に譲り受けたもので、ゴシック様式。幼稚園が併設されている。内部のステンドグラスも美しいらしい。

(カトリック弘前教会)
「日本基督教団弘前教会教会堂」。
1906年建設の、パリのノートルダム大聖堂がモデルになっているとのことで、2つの塔が印象的な白亜の教会だ。

(日本基督教団弘前教会教会堂)
「弘前市立百石町展示館」。
1880年の弘前大火を教訓に「燃えない建物」をと、1883年に「角三呉服店」の店舗として新築されたもの。1917年、津軽銀行(1943年青森銀行に合併)がこれを買い受け、銀行本店として営業する。2001年に青森銀行から弘前市に寄贈され、市は保存活用のための整備を行った。現在は展覧会やイベント会場として使われている。

(弘前市立百石町展示館)
藩政時代の弘前城下は、上町・仲町・下町の3区域に分けられていて、城の東南部の上町は上級武士の町、城の西部一帯から岩木川までの下町は比較的下級の武士たちの町、そして若党町を中心とする仲町は御家中屋敷と呼ばれ、住居構えに武家屋敷としての街並が色濃く残され、旧伊東家、旧梅田家、旧岩田家、旧笹森家が無料公開されている。
亀甲門そばの堀端にある「石場家住宅」は、江戸中期のもの。もともとは津軽藩出入りの商家で、主としてわら工品を扱ったが、後に米や肥料などの小売りもしたという。現在は酒屋。津軽地方の商家の遺構として貴重なのだそうだ。

(石場家住宅)

(「弘前市仲町伝統的建造物群保存地区」の若党町の通り1)

(若党町の通り2)
「旧笹森家住宅」は、弘前市伝建地区内に現存する最古の武家住宅。建築当初は地区内の東部にあったが、市が部材を解体保存し、2012年に現在地に移築復元したものなのだそうだ。東隣には大きくて新しい高齢者住宅が立っていて、やや情緒に乏しい感じがする。「南嶋探険」を記した探検家の笹森儀助は弘前藩士の子だが、この家と何らかの関係があるのだろうか。
「旧伊東家住宅」は、元藩医を務めた家柄の住宅で、昭和50年代に市内元長町から伝建地区に移築されたもの。
「旧梅田家住宅」は、江戸時代末期に建築された知行100石ほどの武士の家で、1985年に弘前市が在府町からこの場所に移築復元したもの。
「旧岩田家住宅」は、1800年前後に建てられた、城下の中級武士の住宅。上記3軒についてはいずれも移築でやや鼻白むが、これについては移築ではないようだ。外見的にも最も立派そうだが、木曜日は休みで入れず。

(旧伊東家住宅)

(旧梅田家住宅)
次は、津軽三味線生演奏が聴けるのがウリの「津軽藩ねぷた村」へ。
1時間に1回の間隔で行われる生演奏は、次の回が概ね40分後の11時半から。始まるまでの間、館内を見て歩く。生演奏の会場にもなる「ねぷたの館」には、高さ10m、幅8mの超大型ねぷたなどが展示されている。ヤーヤ堂では、弘前ねぷたなどに関するビデオを見ることができ、「蔵工房たくみ」では客が極端に少ない時期にもかかわらず津軽塗、津軽こぎん刺し、弘前こけし、津軽凧などの製作実演が行われていた
お待ちかねの津軽三味線の生演奏は、この日の演者は葛西頼之(かさいよしゆき)で、彼は現在開催されている津軽三味線の全国大会・世界大会において全階級・全部門制覇を成し遂げた津軽三味線の超達人らしい。津軽三味線には従来の奏法とバチを叩きつける奏法があると言い、その2つの奏法で津軽じょんがら節を聴かせてくれた。とりわけ叩く演奏は音量が何段か上がってすごい迫力。それを目と鼻の先に見て聴くことができるので、鳥肌モノなのだった。

(「津軽藩ねぷた村」のエントランス)

(「ねぷたの館」の超大型ねぷた)

(「ねぷたの館」では、津軽三味線の生演奏を聴くことができる)

(この日の奏者は実力者葛西頼之)
ここからは、市内中心部に点在する洋館を中心にいくつか見て歩く。
「カトリック弘前教会」。
1910年建造の、尖頭のあるロマネスク様式、木造モルタル造りの聖堂。祭壇は、アムステルダムにある聖トマス教会から特別に譲り受けたもので、ゴシック様式。幼稚園が併設されている。内部のステンドグラスも美しいらしい。

(カトリック弘前教会)
「日本基督教団弘前教会教会堂」。
1906年建設の、パリのノートルダム大聖堂がモデルになっているとのことで、2つの塔が印象的な白亜の教会だ。

(日本基督教団弘前教会教会堂)
「弘前市立百石町展示館」。
1880年の弘前大火を教訓に「燃えない建物」をと、1883年に「角三呉服店」の店舗として新築されたもの。1917年、津軽銀行(1943年青森銀行に合併)がこれを買い受け、銀行本店として営業する。2001年に青森銀行から弘前市に寄贈され、市は保存活用のための整備を行った。現在は展覧会やイベント会場として使われている。

(弘前市立百石町展示館)
- 関連記事
-
-
青森めぐり20210715の3 2021/08/02
-
青森めぐり20210715の2 2021/08/01
-
青森めぐり20210715の1 2021/07/31
-
| Home |