■ ドーピング事件2011年12月15日に出版された『争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美ら(ちゅら)ゴール』という本を読んだ。著者はベストセラーとなった『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』で名を馳せたジャーナリストの木村元彦氏で、発売当時、話題になった一冊である。先日、JFLのFC琉球の試合を観戦したが、以前から気になっていた「我那覇騒動」のことを正確に知るためにこの本を購入した。
全部で301ページあるので、全てを一気に読むのは大変であるが、読み終わった今、「この本を購入して、読んでみて良かった。」と感じる。「我那覇騒動」については、それなりに経緯を理解していたつもりだったが、思い違いをしていた部分がたくさんあった。最終的に「冤罪である。」という結論に至ったことは何となく知っていたが、それまでにどんなことがあったのか、いったい何が問題だったのか、非常に良くまとまっている。
騒動が起きたのは2007年の4月末のことだった。その前年にオシムジャパンに召集されて「沖縄県出身者としては初めての日本代表選手」となったFW我那覇は、2006年の国際Aマッチは6試合に出場して3ゴールを挙げている。9月6日のイエメン戦(A)の試合終了間際に代表初ゴールを決めて1対0の勝利に大きく貢献すると、11月15日に札幌ドームで行われたサウジアラビアとの試合は2ゴールを挙げる大活躍を見せて3対1の勝利の立役者となった。
このときのサウジアラビア戦(H)というのは、オシムジャパンにおけるベストゲームだったと思うが、FW巻とFW我那覇というターゲットタイプの2人を前線に並べて、さらには、最終ラインで起用されたDF阿部やDF今野が次々に攻撃に参加してくるダイナミックなサッカーを見せた。MF中村俊、FW高原など海外組は呼ばれていないが、川崎Fでゴールを量産していたFW我那覇は2006年のドイツW杯で屈辱を味わった日本代表のエース候補に急浮上した。
■ 6試合の出場停止処分と罰金木村元彦氏は出来るだけ公平になるように文章を綴っている。Jリーグや日本サッカー協会を悪者にしようとする意図があって、取材を重ねたり、本を出版しているわけではないが、やはり、Jリーグ側の立場の人はなかなか取材に応じてくれなかったようで、我那覇側の立場の人の証言が多くなっている。よって、100%公平に書かれているかというと、そうとは言い切れない。偏らないように苦心しているのは伝わってくるが、「完全に中立」とは言い切れない。
したがって、その点は頭に入れておく必要はあるが、事実に近いことだけが記されているのであれば、とんでもなくひどい話である。FW我那覇に対しては、「ドーピングという不正を働いた。」と認識している人も少なくないと思う。また、「疑われても仕方がないことをしたのでは?」と思っている人もいるかもしれないが、実際は、コンディションを崩していて、飲食がほとんどできないような状態になったので、川崎Fのチームドクターから点滴を受けただけである。
もちろん、FW我那覇に全く落ち度が無いわけではない。1つだけ疑問に感じたのは、2007年の4月21日の浦和戦(A)でコンディション不良ながら先制ゴールを決めて浦和レッズの「埼玉スタジアムでの不敗記録」をストップさせたヒーローが、その後、体調を崩しながら、週明けの練習に(傍から見ると普通に)参加したという事実である。「レギュラー争いが熾烈だったので、休むわけにはいかないと思った。」という風な説明があるが、引っ掛かるところはある。
浦和戦(A)の2日後の4月23日の練習に参加したが、喉の痛みと腹痛に襲われた体は全く水も飲めない状態だったという。まだシーズンは始まったばかりである。もちろん、練習や試合を休むようなことがあると、川崎Fのようなタレントの豊富なチームではポジションを奪われる可能性はゼロではない。FW鄭大世、FW黒津などが控えていたので、「無理をしなければならない。」と焦る気持ちは分からなくもないが、この判断は適切ではなかったと思う。
ただ、「我那覇騒動」に関して、彼が責められる要素があるとしたら、この1点だけである。4月23日の練習後に38.5度の熱があって、ビタミンB1を含んだ生理食塩水(200ml)の点滴を受けて、後日、この医療行為が問題視されて、6試合の出場停止処分が下されて、かつ、川崎Fには1,000万円という罰金を科せられた。「普通の医療行為」と認識していた川崎Fのチームドクター(後藤氏)にとっても、FW我那覇自身にとっても、まさかの展開だった。
■ 何が問題だったのか?もちろん、医学の知識があるわけではないので、何がドーピングなのか、何をしたらダメなのか、文中に書かれていることが本当に正しいのか、判断はできない。鵜呑みにするしかないが、木村元彦氏がめちゃくちゃなことを書いているとは思えない。なので、「正しいことが書かれている。」という前提で話を進めるが、「体調不調になって、禁止されているわけではない点滴をして、何が問題なのか?」というのは、誰しもが感じることだと思う。
話が大きくなった要因は、サンケイスポーツの記事である。(後にいい加減な取材に基づいた誤報だったことがはっきりするが、)4月24日の紙面で『我那覇に秘密兵器 にんにく注射でパワー全開』という記事が出て、これが騒動の発端となった。疲労回復を目的に、健康な人の体に打つにんにく注射は、正当な医療行為とは言えない静脈注射と考えられるため、この点がJリーグのドーピングコントロール委員会(DC委員会)で問題視されたという。
ただ、このときのFW我那覇は体調を崩していた。競技力向上などを目的とした行為ではないことは、経緯の説明を受けると誰でもすぐに分かりそうなことである。問題視されたとしても、川崎Fのドクターから説明を受けたら、「別に問題ない。」となって終わる話だったが、DC委員会の青木委員長なる人物が厄介な人だった。最初から「クロである。」ということを前提に話を進めたため、FW我那覇自身やドクターがいくら説明をしても、全く理解されなかったという。
文中には、「青木委員長は無実と分かっていながらにんにく注射に対する嫌悪感から見せしめに冤罪をでっち上げたのではないか?」という記述がある。また、最初にJリーグ側がマスコミに向けて「違反と認識している。」という趣旨のコメントを残したため、軌道修正ができなくなったのではないか?という話もある。前者であればあり得ないレベルの話であり、後者であったならば組織として大問題で、どちらにしてもひどい話である。
■ 青木委員長という人物DC委員会の青木委員長という人が、本を読む限りでは、諸悪の根源である。一般のサッカーファンが「我那覇騒動」について、「イマイチよく分からない。」という感想を抱いているのは、この人の責任が大部分を占めていると思う。どうしようもない人だということは至るところで描写されているが、「こんな人が選手やクラブを裁く立場にあるのか・・・。」と感じるほどである。はっきり言うといい加減な人である。
一例を挙げると、5月31日に青木氏は「FIFA医事委員会から本件処分について、Jリーグの判断は特に問題ない旨の回答を得た。」とマスコミにコメントしている。これによって、「FIFAも妥当だと判断した。」とメディアで大きく報じられたので、「FW我那覇は限りなくクロである。」という認識が世間一般に広まった。それくらいFIFAという言葉には説得力があるが、実際には、FIFAから正式な回答があったわけではなかった。
最終的には、FW我那覇の症状など前提条件を十分に伝えず、FIFAにいる知人の1人に出した個人的なメールへの回答だったことが明らかになっている。当然、健康な人に注射を打つことは好ましくないので、「軽微な違反と考える。」という回答が返ってきたが、あくまでも一般論である。「FIFAも妥当だと判断した。」というのは、夕刊紙がクラブハウスの清掃員のおばちゃんのコメントを「クラブ関係者のコメント」と記述するのとよく似ているが、はるかに悪質である。
2013/11/21 「我那覇ドーピング事件」とは何だったのか? (上)
2013/11/23 「我那覇ドーピング事件」とは何だったのか? (下) → 続きはこちら
関連エントリー
2006/10/06 オシムジャパン トータルフットボール論に関して
2007/12/16 オシムジャパンを殺したのはセルジオ越後か?
2008/02/19 イビチャ・オシム監督がPK戦を見ることができなかった尊い理由
2013/11/13 【JFL:佐川印刷×FC琉球】 33歳になった元日本代表・我那覇和樹 (生観戦記・上)
2013/11/13 【JFL:佐川印刷×FC琉球】 33歳になった元日本代表・我那覇和樹 (生観戦記・下)
2013/11/21 「我那覇ドーピング事件」とは何だったのか? (上)
2013/11/21 「我那覇ドーピング事件」とは何だったのか? (下)
- 関連記事
-