■ 唯一無二の存在ここまで1人のサッカー選手に引きつけられることは、これから先は、もうないだろう。ボクは、彼がドリブルをしている姿、パスをしている姿、そしてシュートを放つ姿、ただ単純に、そんなシーンを見ているだけで楽しかった。
小倉隆史は、ボクにとっては、唯一無二のサッカー選手。多くの感動と驚きを、そして、つらい悲しみを与えてくれた存在だった。
この選手の虜になったのは、Jリーグデビュー戦のV川崎戦。そこには、代表選手が揃うヴェルディを相手に、得意のドリブルで面白いようにDFを切り裂いていく小倉の姿があった。破壊的なパワーを秘める左足にカミソリの切れ味を併せ持つそんな怪物に、日本サッカーの未来を託した人は多かった。
■ 選手生命の危機と安住の地転機となったのは、1996年の2月。五輪代表での合宿中の出来事である。ほとんど再起不能とも思われるような、着地のときに足が逆の字に曲がる大怪我で、実質、2年半もの間、ピッチから遠ざかることになった。元日に、ベンゲル監督のもと、魅惑的なサッカーで天皇杯決勝で2ゴールを挙げて、チームに初タイトルをもたらしてから、わずかに一ヶ月しか経っていなかった。絶頂期に起こった悪夢だった。
ブランクから、復帰した後は、Jのチームを転々とするが、ようやくたどり着いた安住の地が、甲府だった。発展途上のヴァンフォーレ甲府は、小倉の経験とリーダーシップを必要とし、オグは、その期待に10得点とチームの5位躍進という結果で応えた。
30歳になった小倉には、もう、かつてのようなスピードとパワーはなかったが、インテリジェンスあふれる左足と、破壊的なシュート力は健在だった。
■ あの怪我がなければ・・・小倉隆史は、この日をもって、現役を引退することになったが、オグ自身、サッカー人生に悔いはないだろう。ボクも、完全燃焼しつくした。「あの怪我がなければ・・・。」とは思わない。あの怪我があったからこそ、ここまでの思い入れをもってサポートすることができたと思うから。
さて、第2の人生だが、解説者としても期待するが、やはり指導者として成功してほしいという思いが強い。オランダサッカーの影響が強いので、豊富な経験を生かして、面白いチームを作ることができるのではないかと期待する。
最後に、一人のオグ・サポとして、ヴァンフォーレ甲府のサポーターには感謝を示したい。行き場を失ったオグを、あたたかく迎えてくれたサポーター達。これほど、サポーターという言葉が似合うサポーターをボクは知らない。みんなの力で勝ち取ったJ1の舞台で、躍動するシーンを楽しみにしている。
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