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学びの解放

言葉が錯綜して解読困難だからといって、それをあなどり投げ捨ててしまうような無思慮な人間にはなりたくない、と思う。 芸術家の技芸とは、自分の道具をあらゆるものにあてがい、世界を自分流に写しとる能力にほかならない。だから、芸術家の世界の原理は実践となり、かれの世界はかれの芸術となるのだ。ここでもまた、自然は、新たな壮麗さを帯びて眼に見える姿をとるが、ただ無思慮な人間だけは、この解読困難な奇妙に錯綜した言葉をあなどって投げ捨ててしまう。 ノヴァーリス『サイスの弟子たち』 研究=リサーチ精神に欠けた人には、自然および自分自身の秘密の発見をともなう創造としての芸術家の技芸が宿るはずもない。 前回、紹介した、『オルフェウスの声』のなかでエリザベス・シューエルはフランシス・ベーコンを参照しながら、こう書いている。 「技芸は自然の一部であり、受身のアナロジーでなく能動的な操作の場、まさしく自然が言葉を語り出ることができる場、ということになるだろう」と。

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失敗を恐れ、労を嫌って、何を得ようというの?

『失敗学―デザイン工学のパラドクス』のなかで、ヘンリ・ペトロスキは「失敗は重要である。失敗はつねに、事物のデザインについて、成功よりも多くのことを教える」と言っています。 また、デザインを行う上で成功を望むなら、成功にではなく、失敗に学ぶ必要があることを以下のように表現しています。 成功するものはわれわれに、それらが成功したという事実以上のことはほとんど教えてくれない。失敗するものは、デザインの限界を超えたのだということの議論の余地のない証拠である。成功を競うことは失敗の危険をまねく。失敗を研究することはわれわれの成功の機会を増す。明らかに語られることのめったにない単純な原理は、もっとも成功したデザインは失敗に関する最良でもっとも完全な仮定にもとづくデザインであるということだ。 ヘンリ・ペトロスキ『失敗学―デザイン工学のパラドクス』 その意味で、僕は失敗することの価値を知らない文化・社会的環境というのは、非常に不幸だと思います。 それはある意味では成功への道を自ら狭めているのですから。

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好奇心を活性化するための受容器官の鍛錬

すげー感覚的なことを言いますが、昨日の「未来を考えるならいまの気分だけで無用とか無意味とかを判断しないこと(あるいは多和田葉子『ふたくちおとこ』)」や「キャパシティを広げる」で考えている、自分の現在のキャパシティの範囲外のものを無用、無意味と判断して、自分の範囲内のものしか学ぼうとしない姿勢をもってる人は、実は学ぶ力が弱いんじゃなくて、むしろ、脳みそ的な学ぶ力ばかりが発達していて、感じることに関する能力が弱いんじゃないかと思いました。 感じる能力の低さようするに、そういう自分のキャパの範囲外を学ぶ姿勢が弱い人ほど、頭でっかちで、頭でだけ考えてる人なんじゃないかと。逆に言えば、感覚とか感情とかが弱いのかなって。そんな気がします。 自分のいまのキャパシティの範囲外のことを学ぶには好奇心みたいな、頭で考えて生み出せるのとは別の力がいると思うんです。そういう好奇心って、いくら勉強(机に座ってするような狭義の勉強)とか、本から何かを知識を得ようとしたところで養えないと思います。むしろ、それは普段の生活とか、あるいは、その反対の非日常的な体験(見知らぬ土地への旅行だとか、寺社などでの神秘的な体験だとか)の中で、頭でわかるんじゃなく、なんとなく感じるものがあって、そこで養われるんだろうなと思うんです。 ペンローズの三角形、再びそれこそ、昨日の「ペンローズの<量子脳>理論―心と意識の科学的基礎をもとめて/ロジャー・ペンローズ、茂木健一郎、竹内薫」でも紹介した、下のペンローズの三角形、 …

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