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自分自身の心の動きの正体にこだわってみる

最近のワークショップなどの講義では「誰のせい?」という話をすることが多いです。その話の最後には「誰のせい?」かを問う姿勢とは別に、「仕方がない」という受け止め方があることを指摘しています(例えば、突然雨が降って来て濡れてしまうのは「誰のせい?」ではなく「仕方がない」)。 ただ、それ以前に問題を自分自身が関わる問題として受け止められるかということがあるのかもしれません。 問題を他人事として受け止めることができない。自分自身の問題として受け止められない。他人のよくないところを見つけることはできるのに、自分のよいところを見つけられない。いや、そもそも自分自身に向き合うことができず、自分が何を言っているのかを考えようともしない。考えることから逃げてしまう。 そういう姿勢に自分自身が陥っていないかどうか。 「誰のせい?」と責任の所在を外にばかり求めるのではなく、逆に他人の問題をも自分の問題として受け止めることからはじめるべきかもしれません。 何らかの対象に対して「それは違う」とか「これは問題だ」とか感じたら、それは単にその対象が一方的に悪いわけではなく、あくまでそう感じとった自分自身の価値観との共犯関係において悪いわけですから。 対象とともに共犯関係にある自身の解釈という心の動きの正体にこだわってみることができるか/できないか。そこに何かをつくりだしていく人と、傍からただ文句ばかり言い続けていく人の分岐点があるのかもしれません。

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間違いを犯すなら自分サイズで

「早く多く間違えよう」へのブックマークありがとうございます。 今回はちょっと補足のエントリーを。 今回もそうですが、間違える云々について書くとき、間違えられる環境であればとか、間違えてもいい場合であれば、といった限定つきで、間違えながら学ぶことへの肯定の意思を示す人がいます。 間違いの粒の大きさでも、それは僕が考えていることの意図とはちょっと違うんです。 何が違うかって、そういう人がイメージする間違いは粒がデカすぎるんです。 そんな粒の大きさで間違ったら、そりゃ、ちょっとやばい場合もあるよねって思えるような間違いの大きさを想定しているように感じます。 でも、僕が「早く多く間違えよう」という場合に想定している間違いというのは、もっと小さな単位の間違いです。いや、些細なことすぎて本来間違いとはいわないサイズのものです。 たとえば、 料理で塩加減の調整をする際に「どうかな?」と味見をしてもらって「もうちょっと入れてもいいんじゃない」といったやりとりをしたり同僚に「ちょっとそれ取って」といわれてデスクの上のハサミに手を伸ばしたら「違う違う、糊取って」といわれたりKJ法で情報を単位化して書きだした際に「これ2つの事柄が混ざってるから、2つに分けたほうがいいんじゃない」といわれたり といった、そんな些細な間違いを想定しているんです。 つまり、コミュニケーション上のちょっとした食い違いであり、その補正をイメージしています。 逆にいえば、そのレベルでの他人との些細…

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早く多く間違えよう

土曜日のデザイン思考のワークショップで、また1つ気づきがありました。 それは「早く多く間違えると、進展は早い」ということです。 今回のワークショップでも、例によって2チームに分かれて、それぞれおなじ課題をやってもらいました。 大抵の場合、そうなるのですが、どういうわけか、2チームに分けると片方の出来がよく片方がわるいという結果になるんです。なぜだかわからないんですが、大抵はそういう結果になる(これが3チームだとそうならない。なんでだろ?)。 ところが、土曜日のワークショップでは、いままで以上に2チームの差が大きかったんです。それは片方がいままでと比べて著しく出来が悪かったからではなく、片方がこの手のワークショップをやって以来、はじめてというほど、出来がよかったからなんです。悪い方はまあ平均的だったのですが、よい方が圧倒的によかったので、その差が目立ってしまいました。 だって、最後に感想を聞いた際に出てくるコメントが、いままで一度も出てきたことのないようなハイレベルの理解がなされた上でのコメントばかりでしたから。あー、うまくいくと、たった一日でもここまでいけるんだと目から鱗でした。 そこで、その出来のよかったチームって、ほかのチームと何が違うんだろうと考えたんですが、実はその答えは「ほかのどのチームよりも数多く間違えてた」からなんです。

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想像力とは間違いを創造的に活用することに他ならない

茂木健一郎さんは『クオリア降臨』のなかで次のように書いています。 物質である脳から意識という主観的体験の個別が生まれるミステリを解明しようとしている現代科学は、徐々に、文学が従来扱ってきた領域に接近しようとしている。その、科学と文学の汽水域の中に、科学の未来も、そして恐らくは文学の未来もある。 茂木健一郎『クオリア降臨』 と。 科学と文学『クオリア降臨』を読んだのはもう1年以上も前のことですが、ずっとこの文章が気になっていました。よくある理系だ文系だという議論が無意味に感じてしまうのは、この言葉に対する共感があるせいだと思っていました。数学者であるロジャー・ペンローズが意識や心、そして、量子重力論を語るのに、計算不可能性をもちこむことに惹かれるのきっと同じ理由なのだと思います。 そして、先日読んだ『生命記号論』にもこんな心を惹かれる言葉がありました。 失敗をしてしまう傾向は、この世界におけるすべての発展の根底に横たわる。 ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論』 そして、 想像力とは間違いを創造的に活用することに他ならない。 ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論』 と。 ホフマイヤーは、この言葉をギュンター・グラスがサルマン・ラシュディにあてた次のような言葉を元にして書いています。 「私たちの物語は暴露ではない。それはものごとを人前に出すことなのだ。正義の勝利ではなく、失敗のおかしさを糧にしている。作家は勝者の側の人間ではなく、失敗を頼って生きており…

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