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2025-01-19

ドラクエ3-HDのつまらなさについて

「父が『ドラクエ3』は名作だ!と言ってたがHD-2D版をプレイしたら正直微妙…本当にシリーズ最高傑作?」質問にFC世代から回答続々「35年前は…」「若者の感覚では分からない」 | マグミクス

 

ドラクエ3は、おそらくリアタイでなければ楽しさを十分に味わうことは難しいと思う。それは、RPGというジャンルが生まれ日本社会認知されていく過程のものが未知と期待のワクワクの源であり、

それが面白さの根源だったから(もちろんセーブができるようになったり職業システム実装されたりと当時としては革新的な要素もあった、しかしそれらも当たり前に実装される"機能"として一般化されてしまった)

 

これは他のジャンルにも言えることで、90年代後半を例にすると、例えばFPSでは、DOOMQuakeを起点にパソコンFPSというジャンルが徐々に認知され、日本ではなぜかNintendo 64ゴールデンアイ認知されるという流れを経て、FPSというジャンル確立されていく流れや、

DiabloUltima OnlineのようなネットRPGが発展し、MMORPGとして認識され、やがてFFDQオンラインシリーズへとつながり一般化されるといった一連の進化にたいする未知と期待の躍動がワクワクするものだった

(僕はUltima Onlineロードブリティッシュユーザー暗殺された事件や、なんかのシャードの終焉で起こった終末的なユーザーの状況を聞いて脳汁が飛び出るほどワクワクしたものだった)。

 

ブコメにはMinecraftの例が挙げられていたが、Minecraftも今やってみるとそこまでハマれるものではないが、

2010年頃に初めてMinecraftを触れたタイミングではバイオームという荒野サバイバルする感覚がとても斬新でワクワクするものだった気がする。

 

また、現代においては、決して一般化されたとは言えないVRChatなどもそれに該当するかもしれない。

あれもまだ海のものとも山のものともわからないし、このまま消えていくのかもしれないが、遊んでみるとVR上でアバターたちとわちゃわちゃすること自体仮想空間実在性の感覚の楽しさを表現しておりワクワクする。

 

から若者ドラクエ3当時の期待と躍動のワクワクを伝えようとしても多分伝わらないと思う。リアタイできなくて残念だったねという感じだ。

 

そしてドラクエ3 HDに関してはなぜ面白くなかったかという疑問に対して、「娯楽が少なかったから」という理由解像度が低くて、「娯楽のないところに娯楽が生み出される過程面白かった」というのが本質だと思う。

 

ところで、これを書いていて思ったけど、これまでゲームはarchivedメディアだと思っていたけど、実はliveメディアなのかもしれない。「面白ジャンル」が出てきたら旬のうちに楽しみましょうね。

anond:20250119122253

はいSNS情報信頼性に関する懸念は確かに広がっています現在、多くの人々が信頼できる情報源を求めて従来のメディア回帰する傾向が見られます

SNSでの陰謀論フェイクニュース拡散は深刻な問題となっています最近では、電動キックボードに関する違反陰謀論に関する話題が注目を集めています[2]。このような状況下で、多くの人々が信頼性の高い情報源を求めるようになっています

一方で、従来の新聞オンライン版の新聞は、編集プロセス事実確認を経た情報提供することから、より信頼性が高いと考えられています。例えば、BBCのような信頼できるニュースソースは、重要政治的出来事社会問題について詳細な報道を行っています[1]。

しかし、メディアリテラシーの重要性も忘れてはいけません。どのような情報源であっても、批判的思考を持って接することが大切です。特に政治的話題歴史認識に関しては、様々な見方があることを認識し、複数情報源を比較検討することが重要です[3]。

結論として、信頼性の高い情報を得るためには、SNSだけでなく、信頼できる新聞ニュースサイトなど、多様な情報源を活用することが賢明だと言えるでしょう。

Citations:

[1] https://www.bbc.com/japanese/articles/clly487evp9o

[2] https://booklive.jp/product/index/title_id/896122/vol_no/181

[3] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E7%94%B0%E6%B0%B4%E8%84%88

[4] http://orenobaka.com/?search=%EF%BF%BD%EF%BF%BD%EF%BF%BD%EF%BF%BD%EF%BF%BD%EF%BF%BD

[5] https://www.students.keio.ac.jp/hy/law/class/registration/files/a1527123515112.pdf

[6] https://www.ishigaki-masakazu.com/cont3/main.html

[7] https://www.moj.go.jp/content/001397245.pdf

[8] https://www.dimora.jp/dc/sp/P4501.do;jsessionid=D88E190CD0F941B0131FE7ED9F936D4B?c_time=20180320170140&isLogin=1&win_id=P4501s

NHKでさぁ、アメリカの「あたしの情報源はXよ」って主張するオバハンが出てきてさぁ、陰謀論にハマってフェイクばっかり信じてるらしいんだよね

この時代SNSはもうオワコンで、常識人オールドメディアと呼ばれる新聞(あるいはオンライン新聞)を読むよね、常識的に考えて

2025-01-18

出勤しないと仕事にならない

家にいると永遠にYoutube→昼寝をカマすし、オンライン会議もグダる。

会社にいれば出来ることが在宅だと一切できない。

俺は今まで成果で評価を得て来たと思っていたけど、出社して「その場にいる人なら誰でもできる仕事」を率先してやっていただけで、「在宅でも成果が出せる有能」では無かった。

明日も出社して、別に俺じゃなくても出来る仕事を勢いに任せてやるだけだ。

2025-01-17

anond:20250117163227

フジテレビちょっと前にオンライン株総ができるようにルール変更してたか

こういうバカ株主質問恣意的排除してもバレないようになっててただの養分なのが確定してる

なんか今の音楽界隈って平和だよな

中心がないんだよね

でもすごく多様でいい歌がたくさんある

権威などもあまりなく、完全に評価依存してる

オンラインでよければ発表する機会は多くて

アーティスト自由にやれるしオンラインで小銭を稼ぐこともできる

全力で歌唱力パフォーマンスに集中することができる

称賛するのも簡単、聞くのも割と簡単

かといってオンラインに偏って無くてライブシーンもちゃんと盛り上がっている

CDは売れないしサブスクは儲からないで評判だけど金銭大成功を狙わないなら充実できる

anond:20250117090649

オンラインオプションは欲しいが、別に学校は行って友達と遊んでもいいんだよ

決まった時間学校行きたくない必要性感じない授業受けたくないだけだから

とにかく認定テストで授業をスキップたかった

anond:20250117090815

理想公立オンライン授業+スキップだな

怠いしなぁやりたくない授業受けるのはオンラインでも

スキップ出来るとなったら逆に勉強にも身が入るんじゃない?

 

あと児童館とか子ども遊び会とかもっと活用するといいね

ワイの小学校なんかのモデル校になってて、先生が週1回放課後遊びの引率してたんだよな

アレは楽しかったよ。なので小学校は楽しかった

 

でも中学はそういうのする年齢でも無いしな。マジで必要性感じなかった

学校に行かない(オンライン授業や特定科目のスキップ)が公立教育オプションにあればいいのになぁ

小学校は、校庭で遊ぶための遊具がたくさんがあったのと、なぜか図工室が使えたので、

朝起きて通うという点と、漢字の書き取りドリルミシン/縫い物のほかは嫌いじゃなかったが、

中学校はそういう感じでもなかったのでマジで行く意味を感じなかった

学校行く必要性を感じてないのでサボる電話掛けてくるので、仕方なく行ったが、今思い出しても行く必要性なかったなって思う

まぁ、中学校中年になっても付き合ってる友達ができたわけだが、別にそれ学校じゃなくてもよかったんじゃね?って思うんだよな

 

行く必要性を感じていない子どもに行かないというオプションはあっていいし、あの当時にそのオプションあったらなぁって思うが、

別にギフテッド教育マグネットスクールみたいのは要らないと思うんだよな

勝手私立に頑張って貰えばよく、テスト経済状況で私立学費無料にすればいいだけじゃん

 

高校は楽しかったが、授業的な意味ではやっぱり受ける必要性ないな、時間勿体無いかバイトしたいわって思うことは多々あった

あと実際、単位落とさなギリギリまで授業の出席サボって、バイトしたり、家でゲームしてた

高校も、あっ・・・この授業は要らんわ・・・って思ったらスキップ出来るといいよなって思う

学習指導要領に基づいて認定試験みたいなの作ればいいと思うんだよ。学期単位で。これクリアしたら授業スキップみたいな

より高度な授業うんたらは、やっぱり勝手私立に頑張って貰えばよく、テスト経済状況で私立学費無料にすればええやんな

 

あとずっと言ってるが、オンライン大学頑張ったり、施設学習目的での貸し出し頑張ったら?

小学校は楽しかったのは、校庭で自由に遊べた、図工室が自由に使えたってのもあるしな

スキップした子、スキップはしてないが興味がある子向けに、研究実験必要な機材の貸し出しやればええねん

 

無駄だなって思うことを強制でやらされるのが、一番のストレス・やる気無くす要因なんだよな、公立学校別にそういう落とし所でいいんじゃねぇかなって思う

 

 

追記

学校にこだわる人に対する違和感理由に今更気づいたが、

ワイは学校別に必要としてなかったか学校にこだわる人らが理解出来なかったんやな

しろ授業スキップ出来たらいいのにとしか思ってなかったし

友達に会いなら気が向けば学校行っても良かった(だから中退せず、ギリギリまでサボった)

 

つか、内発的な学習動機を持たない人なんて、どう考えても放っておけばいいんだよなぁ・・・

学校に意欲を引き出して貰おうとか馬鹿げてる

内部動機のない人に強制したり、過剰なサポートで外部動機みたいなのを無理やり作ると、不幸な職業人生始めるのでどう考えても放っておいた方がいい

知識が「試験で点を取るため」や「良い学校会社に入るため」の道具になっちゃいけないし、

外部から評価報酬依存してしまうと、それらがない状況では学習意欲が著しく低下するしな

本来は知るって純粋楽しいはずなんよな、だからトリビアの泉とかナゾジーナゾジーはいい加減なネタもあるから好感は持ってない)が人気あったわけで

「へえ~」という純粋な驚きや喜びは、誰かに褒められたいとか、試験で良い点を取りたいといった外部から報酬とは無関係なんだよ

それがないなら別に無理してやらなくてええねん

 

社会底上げ的な意味で許容できないっていうなら、ますますスキップ導入した方がいいと思うんよな

スキップする生徒がいて教師の受け持つ生徒が減る分、学習進度に追いつけない子の手厚いフォローに回ればいいし、

スキップした子も友達勉強教えるとかあれば、学習内容定着していいんじゃないピアラーニング的な

からない子に教えるのはちょっとしたヒーローになれて悪い気はせんやろ

2025-01-16

俺の祖母コンピューターおばあちゃんだった

 俺がまだ幼かった頃、周りの大人たちはよく「近頃の技術はすごいなあ」とか「昔とはえらい違いだ」と口々に言っていた。けれど、そんな大人たちを尻目に、さらに先を行っていた人がいる。それが俺の祖母——通称コンピューターおばあちゃん”だ。これは、俺が子どもの頃に祖母と過ごした日々や、彼女が残してくれた大切なものについての回想録。今は亡き祖母への想いを、ここに綴りたいと思う。

1. 祖母と呼ぶより“コンピューターおばあちゃん

 俺がまだ物心ついたばかりの幼稚園児だった頃、祖母はすでにパソコン自在に使いこなし、テレビラジオ流れる新しいテクノロジーニュースには目を輝かせていた。家には分厚い辞書百科事典が何冊も並んでいたが、さらに机の上には最新のパソコン雑誌や科学雑誌、果てはプログラミング関連の本まで置いてあった。幼い俺が「あれ何?」「これどうして?」と尋ねると、祖母はまるで電子辞書のように即座に教えてくれた。当時の俺にとって、難しい用語祖母解説にかかれば、スッと頭に入ってくるから不思議でならなかった。

 「コンピューターおばあちゃん」は、子ども向けの音楽番組みんなのうた」で流れていた歌のタイトルそのままだったが、俺にとってはその呼び名のもの祖母の姿を表していた。機械に強く、知識に溢れ、しか子ども相手にやさしく噛み砕いて教えてくれる姿は、歌のイメージのものだったのだ。たとえば、俺の住んでいる町が他のどの町より暑かった日に、「なんでこんなに暑いの?」と尋ねると、「それはね、地球の自転と公転、それに加えてこの町の地形が影響していてね……」と、クーラーの効いた部屋でわかりやすく教えてくれる。さらパソコンを立ち上げ、天気予報の画面を見せながら「この等圧線と高気圧の動きがね……」と続けるのだ。幼稚園児の俺でも妙に納得してしまったのを覚えている。

2. 図書館よりも頼りになる知恵袋

 祖母知識の幅はとにかく広かった。歴史地理科学文学芸術、果てはゲームまで。どんなジャンル話題を振っても、少なくともある程度は知っている。まるでいくつもの電子図書館」が頭の中に入っているようだった。まさに子ども番組で言われる“コンピューターのように何でも知っているおばあちゃん”であり、俺はいしか自然彼女をそう呼ぶようになった。

 人間誰しも得手不得手はあるはずだが、祖母は「知らないものを知らないままにしておくほうが、私には合わないんだよ」と微笑んでいた。だから気になることがあれば何でも調べ、またはパソコンを使って検索する。俺が「ゲームセンターで見た変な機械、あれは何?」と聞けば、それがどんな仕組みの機械なのか、どのメーカーが作っているのかまで丁寧に教えてくれる。さらには「いつか一緒にゲームセンター行って、じっくり観察してみようか」と、学びの場として遊びに誘ってくれた。その姿勢はいつも驚かされたし、また「大人ってこんなに遊び心があっていいのか」と思ったものだ。

 大人になった今になって思えば、あれはただの“学問”に留まらない、祖母生き方のものだったのだろう。常に新しいことを取り入れ、面白がり、わからないことを探求する。その姿勢が、彼女の若々しさを保ち、俺たち孫の世代とも自然につながっていられる原動力だったに違いない。

3. 日常を彩る“歌”と“人生レシピ

 祖母はよく鼻歌を歌っていた。その中にはもちろん「コンピューターおばあちゃん」を思わせるフレーズもあれば、ほかの子ども向けの曲や懐メロもあった。俺が小学校に上がる頃には、祖母自作の“歌詞抜粋ノート”が存在し、そこには祖母が好きな歌の一節が手書きで書き写されていた。日付や一言コメントも付いていて、当時の祖母の心境や季節の移ろいが見えるようだった。

 ある日、そのノートを見ていた俺は、ふと「この歌詞意味はどういうこと?」と尋ねた。すると祖母は、歌詞が持つ文脈や背景、そして作詞者の想いや時代性まで話してくれた。まさに“人間コンピューター”の面目躍如である。だが、祖母は決して「理屈」や「知識」だけを語る人ではなかった。必ず、そこに自分感想や教訓を加える。「このフレーズはね、人生におけるこんな出来事を思い出すなあ……だから〇〇なときには、こんな気持ちでいるといいのかもしれないね」といった具合に、子ども心にもスッと染み込む言葉をかけてくれた。

 彼女の持つ叡智の素晴らしさは、学校の成績を上げるためだけの“お勉強”とは違っていた。生活人生を楽しむための“レシピ”がそこにはあった。たとえば、落ち込んだ日は「お腹から笑うといいよ」と言って、祖母自身ゲラゲラ笑っておどけてみせる。心配事がある日は「眠る前に紙に書き出すといい。それで一旦置いて寝ちゃうんだ」と、実践的なアドバイスをくれる。どれも祖母自身が実際にやってきたこなのだろう。まるで一冊の辞典のように、そして誰よりも暖かい人生の先輩としての言葉をくれた。

4. パソコン越しにつながる世界

 祖母パソコンを扱うだけでなく、インターネット世界にもかなり明るかった。俺が小学校高学年になる頃には、オンライン海外博物館映像や、世界ニュースを一緒に見たりもした。そこで初めて知ったのは、インターネットが単なる機械的な情報交換の場ではなく、人間同士の交流を広げるための“窓”でもあるということだった。祖母はまさにその窓を巧みに開き閉めしながら、遠い世界を俺の前に見せてくれたのだ。

 「パソコンの画面を通して見る世界は、ただの映像じゃなくて、“人”がいるところなんだよ」と祖母は言った。「画面の向こうにも誰かがいて、きっと同じように息をして、ご飯を食べて、笑ったり泣いたりしている。そこに興味をもてば、お友達になれるかもしれないし、いろんな考え方を学べるかもしれないね」。まだ子どもだった俺にとって、それは驚くほどスケールの大きい話に感じられたが、祖母は「一歩ずつでいいの」と笑った。実際、海外の子どもたちが作ったというWEBサイトを一緒に覗いて、俺が英語がわからなくても、祖母サクサク辞書を引きながら一緒に解読してくれた。その過程がとても楽しかったのを覚えている。

 そんな祖母の探求心に刺激を受け、俺自身ももっと世の中を知りたいと自然に思うようになった。中学生になってからは、祖母と一緒にインターネットでさまざまな情報を探したり、調べ学習資料をまとめたりするのが習慣になっていた。夏休み自由研究でも、祖母が遠慮なくアイデアをどんどん出してくれるから、いつもクラスでも評判の出来になったっけ。まさに“コンピューターおばあちゃん”との共同作業。あの頃の夏休み特別に充実していた気がする。

5. “悩み”も解析? コンピューター越しの優しさ

 祖母機械だけでなく、人間の心にもとても敏感だった。そんな祖母に“悩み”を打ち明けると、まるでコンピュータ検索をかけるように、じっくりとヒントを探してくれた。といっても機械的な冷たいやり方ではなく、温かく、しかときユーモアを交えながら、俺が自分で答えに気づくまで導いてくれるのだ。

 高校生になると、友達関係部活、将来の進路……いろいろな悩みが増え、俺の心は常にモヤモヤしていた。祖母はそんなとき、まず俺の話を黙って聞き、「なるほどねぇ」と目を細めながらうなずく。そして「ここにデータがあるとしたら、どんなふうに整理する?」と、まるでコンピューターフォルダ分けをイメージさせるような問いかけをするのだ。「まずは心配事をカテゴリごとに分類してみよう。友達とのことは友達フォルダ、将来のことは将来フォルダ、と。そこからもっと細かくファイルに分割して、どれくらいの優先度があるか考えてみるんだよ」と。

 そんなふうに、一見堅苦しそうな“整理術”を教わるうちに、俺自身の頭の中もすっきりしてきて、不思議問題が大きく見えなくなっていった。「つまり人生って、ひとつの巨大なデータベースみたいなものかもしれないね」と祖母は微笑む。「たくさんの情報がごちゃごちゃに入っているときは、まずはちゃん仕分け検索やすいようにすればいい。大事なのは、どうタグ付けするか、そしてどのデータが今の自分にとって本当に必要かを見極めること」。それは小難しそうな言葉だけれど、祖母の口から語られると、なぜかすんなりと腹落ちした。まるで大きなやさしい手で、俺の悩みを丸ごと包んでくれているようだった。

6. そして別れの日

 俺が大学に進学してしばらくすると、祖母は少しずつ身体の不調を訴えるようになった。ただ、それでも祖母知的好奇心は衰えず、入院先でもタブレット端末を使いこなし、看護師さんたちと仲良くなっていた。担当のお医者さんが口にする専門用語もほぼ理解できるし、わからないことはすぐに調べる。周りの家族心配そうに「無理しないで」と言っても、「何もしないでボーッとしてるより、私にはこっちのほうがずっと元気が出るんだよ」と笑っていた。

 そんな祖母の容態が急変したのは、俺が大学四年生の夏だった。夜遅く病院から連絡を受けて駆けつけると、祖母はベッドの上で小さく息をしていた。もう思うようには口がきけない状態だったが、俺を見て微かに笑ってくれたように見えた。その笑顔はまさにいつものコンピューターおばあちゃん”の面影で、俺は涙が止まらなかった。

 祖母はそのまま、静かに旅立った。最後まで、頭の中にはきっといろんな知識や、俺たち家族への思いが溢れていたのだろう。「みんなのうた」で聴いた“コンピューターおばあちゃん”は、まさに祖母のものだった。お別れは悲しかったが、祖母が教えてくれたことは俺の胸に深く根を下ろしていると実感した瞬間でもあった。

7. 祖母が残してくれたもの

 葬儀が終わり、祖母の遺品を整理していると、昔家族で撮った写真ノート、そして祖母パソコンが出てきた。パソコンの中には、家族写真データ日記のようなファイルさらには雑多なフォルダに分けられた学習ノートデジタル版が保存されていた。そこには祖母自身が調べてまとめた、さまざまなジャンル知識や観察メモがあって、見ているだけで祖母と会話しているような気持ちになった。

 そのファイルの一つに「大切な人たちへ」とタイトルがつけられたテキストがあった。開いてみると、そこには「私が得たものは、すべてあんたたちに残していくから、どうか自分の好きなように使ってほしい。知らないことに心おどらせるのは、本当に素敵なことだよ。これからもずっと、学びを楽しんでね」というような内容が書かれていた。文章を読み終えたとき、俺は思わず涙が零れ落ちた。そこにはいつも笑顔知識を授けてくれた、あの祖母の姿が確かにあった。

 さらパソコンデスクトップには、「コンピューターおばあちゃん」に関する記事や、祖母なりに歌詞アレンジして書き溜めたノートもあった。そこには、あの歌がもたらす夢や希望について彼女が感じ取ったことがびっしり綴られていた。「なんでも知っていて、なんでも教えてくれるおばあちゃん、それは私の理想じゃなくて、私自身の生き方のものだ」と。祖母にとって「コンピューターおばあちゃん」はまさに人生象徴だったのだろう。

8. 受け継がれる“好奇心”と“優しさ”

 祖母を失って寂しい気持ちは今でも消えない。それでも、祖母が残してくれた“調べること”“学ぶこと”“遊ぶように知識を楽しむこと”は、今の俺の人生を豊かにし続けている。職場でも「どうしてそんなにいろんなことを知っているの?」と聞かれることがあるが、俺は胸の中で「祖母の血かもしれないな」と思っている。実際、祖母から学んだ“分からないものは楽しみながら調べる”という姿勢が、仕事でも役立っていると感じるのだ。

 そして何より大きいのは、祖母の“人を思いやる優しさ”を忘れないようにしていること。どんなに新しい技術情報を知っていても、そこに相手への気遣いがなければ独りよがりになってしまう。祖母が俺に常に教えてくれたのは「相手立場気持ち想像しながら、一緒に探求していく喜び」だった。だから今、俺が後輩に教えるときや、友達と話をするときには、決して上から目線押し付けにならないように気をつける。そして「もしよかったら一緒にやってみよう?」と声をかける。その方がずっと楽しいし、きっと祖母も喜んでくれるに違いない。

9. 最後

 もう祖母の肉声を聞くことはできない。あの独特の優しい笑い声も、パソコンに向かう姿勢も、そばに座っていたときの温もりも、すべて思い出の中にしか存在しない。それでも、祖母が残してくれた言葉ファイル、そして一緒に過ごした時間記憶は、今でも俺を支えてくれる。人生において何か新しいことに挑戦するとき、あるいは壁にぶつかったとき、「そういえば、おばあちゃんはこんなとき何て言ってたっけ?」と心の中で問いかける。すると不思議なことに、祖母の声がスッと降りてきて、「それを調べてみるのは面白そうだね」と背中を押してくれる気がする。

 歌には「どんなことでも教えてくれる不思議なおばあちゃん」が登場するけれど、俺にとっての祖母はまさに“完璧なおばあちゃん”だった。彼女のように何でも知っていて、優しくて、そしていつだって俺の好奇心を歓迎してくれる存在がいたからこそ、今の俺がいる。そして祖母のような生き方を少しでも真似できるなら、それは最大の感謝の表し方かもしれないと思う。

 祖母がいなくなっても、その“コンピューターおばあちゃん”の精神は俺の中で生き続けている。何かを調べたり、新しいものに触れたりするとき祖母の姿が脳裏に浮かぶのだ。俺はこれからも、祖母が示してくれた「好奇心と優しさ」を糧に、歩んでいきたい。それが“俺の祖母コンピューターおばあちゃんだった”と胸を張って言える、何よりも大きな証なのだから

anond:20250116203312

ネットが飽きるのにパチンコが飽きないって、なんで?

ネットのほうが刺激はどう考えても多いよね?ネトゲとかオンラインチェスとか含めれば

バレないようにうまくやってくれって何だよ

学生時代から同人サークル漫画同人誌(ニ次創作)を書いてコミケとかで出すのが趣味で、

副業に厳しい御社(禁止ではない)に就職してからオンラインでの活動だけにして様子見してたんだけど、

去年退職した職場の先輩に会ったとき副業申請のあれこれについて意を決して聞いてみた。

ちなみに、同人サークルの規模は大きくなく、収支は赤字

年に1回やるかどうかくらいで、確定申告もいらないレベル活動を想定。要は単純に趣味でやってるだけ。

正直副業と言える内容じゃないもの思っているが、後々問題になっても困るから申請して通れば安心

結果、「バレないようにうまくやれ」だってさ。以下、先輩の個人的考え(まとめ)。

・弊社はグレー案件に対して寛容でない。周りで同人活動公言してるやついないだろ?

・すべての担当者は、OKNGの線引きが難しいからグレー案件対応は面倒

・テキトーNG判断して訴えられても困る。弊社は基本全部NGにするだろう

・社内規則副業定義しろといっても、何が副業か、どこからNGかの明文化は困難

・仮に社内規則の明文化をしたとして、社会情勢が変わるたびに誰が規則変更をするんだ?

副業と見なされうる趣味にもいろんな実態があり、一律に判断できないからあえて規定せず、グレーにしておくことがこの世にはたくさんある

・ただしグレーや副業申請全てを個別検討する余裕も気概も弊社にはない

ほとんどの担当者は「聞かれたらNGって答えるしかいからバレないようにうまいことやってくれ」と思っている

・これは副業云々だけじゃなく全てのグレー事案に対してそう思っている

ニュース話題になる同人活動懲戒くらう人は、圧倒的にアウトな活動内容か、勤務態度に問題があるとか別の問題があるんじゃないかと思う

・アウトな副業ならともかくグレーな同人活動ギリギリ副業判定して懲戒って難しいと思う、訴えられたら大変だから

副業申請が藪ヘビな場合もある。真正から正規手続きしてNG判定くらったら同人活動できないぞ

営利目的じゃない、趣味範囲と思っていて、やましい事がないなら隠れてうまくやればいい

・ただ、収支の管理ちゃんとしておくべし

正義感が強くちゃんとしてる人から公益通報を食らう場合はある

・万が一会社バレてもうまくできなかった自分自己責任

先輩が言うことはすごいよく分かって、個人の正直ベースで話してくれてるのはすごい分かる。

分かるんだけど、この「うまいことやれ」って凄い嫌いなんだよな昔から

なんか、管理する側が判断を下すことを放棄している気がして。

「バレない限りは見逃してもらえる」という意味ではこちらに恩恵があるようにも思うけど、なんだかなあ。


世の中のみんな、隠れて要領よくうまいことやってるのかな〜。

仕事できる人はバレないようにサボるのもうまいって言うしな。

俺、サボるのも苦手なんだよな〜。

オンラインミーティング中、ミュートだと思って屁をこいた

オンラインミーティング中、屁がしたいなって思ったか

こいた

想像以上にでかい音が出た。ブモッッッッって感じで

当然オンラインミーティングマイクはワイが話す場面ちゃうからミュートやろ

って思ったら、ONになってた


みんな何もつっこんでこないけど、聞こえたかどうかが気になって仕事に集中できない

2025-01-15

anond:20250115192334

地方で通学バス廃路になってる地域あるし

頭悪い創作や頭悪い可哀想話じゃなくてもマジである話だよ

 

そう言う目に合わせるわけにはいかないと交通の足が死んでるところから都市部に出て

ワンルーム家族3人で暮らしてるシングルマザータクシー運転手さん)を知った時、

なんとも言えない気持ちになりましたわ・・・

 

オンライン教育マジでなんとかしろや国はよ

 

追記:付け足す前の元増田

これ虐待になるんだろうか 昭和なら当たり前ってなりそうだけど 本人は高校大学も行きたいみたいだけど 義務教育じゃないしな

カスハラするのっていつもおっさんで、相手若い女性なんだよな

【独自】「うるせえ、乗せろ」羽田空港でANA女性職員の顔を複数回平手打ち…医師の男(58)逮捕 「アナウンスがない」と因縁つけ犯行か|FNNプライムオンライン

これ見て思う

n=1…でもなくて…もうn=8ぐらいは見てるんだけど

店員に怒鳴ってるの毎回おっさん

そして相手女性

殴るのは見たことないけど、店員が謝っても許さずしつこい

n=5ぐらいは「恥をかいた」が原因。多分だけどね

俺も男だからなんとなく察した

セルフレジがうまく使えず「なぜ先に教えないんだ」みたいなキレ方する

あーわなりたくないが、歳とったらなってしまうのかな。嫌になるね

anond:20250115103717

意味わからんのだけど

オンラインで動かしたら捕まるの?

そもそもオンラインでそういう行為はできないってこと?

咳にミント

年末年始マイコプラズマっぽくなって

休日診療で診断つけてもらえなかった)

今は症状は治まって、咳と胃の不調だけ残ってる

仕事顧客とのオンライン打ち合わせで自分の出番で咳するのを避けたく

色々試してみたんだけどミントがいいっぽい

最初はガムを口の中に仕込んでたけど、ミンティアでもいけた

喉の保湿も大事なんで、使い捨てじゃないマスクも使ってる

胃の不調は咳につられて嘔吐してるのが原因ぽいか

早く咳治まらいかなあ

いい方法あったら知りたい

AIで娘さんは脱がされないか

まず第一に、現行法でも裸の画像をばら撒くのは犯罪になってる。

もちろん男子が、生成AIクラスメイト女子を脱がして「自宅だけで」性的消費するのは可能に思えるかも知れない。

・・・この恐怖がいま、親達を震え上がらせてるようだけど。

安心していい。実は無理なんだ。技術に明るくない人が勘違いしてるポイントがここにある。

生成AI自体が、オンラインで動くということ。

追加学習させられるだけのGPU設備は非常に大規模で、極めて高価。

自宅に、それだけのサーバーシステムを構築するのは男子中学生とかの経済力では現実的じゃない。

敷地面積も確保できないだろう。

2025-01-14

anond:20250114123506

カドワンゴ学園みたいなところが標準的な授業をオンライン配信で巻き取って、そのフランチャイズみたいになってきゃいいと思うよ。

標準的な授業はカドワンゴ学園と相互単位認証で賄って、各学校独自の部分を自前で開講するとかすりゃいい。

どうやってもワーキングプアしかならない大学講師とか誰も得しないんだから

仮想通貨終わった

 「仮想通貨はもう終わった」と、ここ数年で仮想通貨界隈に興味を持っていた人なら誰しも一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。ビットコインをはじめとした仮想通貨価格は、2017年末の爆発的な盛り上がりや2021年の再ブームを経て、乱高下を繰り返してきた。そのたびに高騰を期待して飛びついた投資家が痛手を負い、あるいは莫大な利益を得たという劇的なニュースメディアで取り上げられてきた。しかし、近年では大口投資家撤退規制強化の影響もあって、「仮想通貨バブル崩壊した」「もう仮想通貨で儲かる時代は終わった」といった声が再び強まっている。だが、本当に仮想通貨終焉を迎えたのだろうか。それとも、新たな局面に向けた再編が進んでいるのだろうか。本稿では、仮想通貨価格乱高下の背景や、利用者が幻滅に至った要因、そして今後の可能性について考察してみたい。

 まず、仮想通貨市場が大きく盛り上がった要因として注目されるのが、ビットコイン価格高騰である2017年のいわゆる“ビットコインバブル”は、多くの投資家メディアの関心を引きつけ、一夜にして億万長者を生み出したという話が世間を駆け巡った。当時、ビットコイン価格わずか数年の間に何十倍もの値上がりを見せ、「仮想通貨さえ持っていれば誰でも儲かる」というような“仮想通貨神話”が広まり一種の狂騒状態になったことは記憶に新しい。しかし、その後には一転して価格が大幅に下落し、多くの投資家資金を失った。この極端な値動きが「バブル」という表現裏付け仮想通貨に対する世間の印象は「儲かるかもしれないが危険すぎるもの」へと変化した。さらに、2021年にはテスラCEOであるイーロン・マスク氏の発言や、コロナ禍での金融緩和政策により、ビットコインをはじめとする仮想通貨に再び資金流入。驚異的な価格上昇を見せたものの、その後の金融引き締めや各国の規制強化を受け、またも急落するというシナリオが繰り返された。

 一方で、こうした価格変動だけではなく、詐欺的なICOInitial Coin Offering)やハッキング事件マネーロンダリングへの利用など、仮想通貨が抱えるさまざまな問題投資家の信頼を損ねた要因ともなった。特に知名度の低い仮想通貨プロジェクトが「世界を変える新技術」とうたって資金を集めたものの、開発が停滞したり運営者が失踪したりするケースは後を絶たない。こうした状況を目の当たりにした投資家一般ユーザーにとっては、「仮想通貨は結局、詐欺投機の温床ではないのか」といった疑念が強まるのも無理はない。また、仮想通貨の送金やウォレット管理のための仕組みを理解することが難しいという点も、初心者には大きなハードルとなってきた。その複雑さは一部で「自己責任」という形で美化されがちだが、実際にはセキュリティ知識運用リスクへの意識が低いまま参入した場合ハッキングパスワード紛失などで資産を失う危険性が高い。実際に被害に遭った人々のニュースを見聞きすると、仮想通貨に対して「難しくて危ないもの」というイメージが固まってしまうのも仕方がないだろう。

 さらに、国や金融当局による規制強化の動きも「仮想通貨終わった」と言われる一因として挙げられる。特に中国のようにビットコインマイニング事実上禁止したり、大手取引所に対して厳格な規制を課したりする動きは、マーケットに大きなショックを与えた。また、アメリカでは仮想通貨関連の事業に対して納税義務を徹底する法律が整備され、これまでグレーゾーンだった税務処理をきちんと行わなければならない流れが急速に進んでいる。日本でも、金融庁が仮想通貨交換業者監視登録制とするなど、利用者保護観点から取り締まり検閲が厳しくなった。これらの規制強化は、一見すると仮想通貨ネガティブな影響を与えるように思われるが、実は健全市場を育てるためには避けて通れない過程だという見方もある。詐欺プロジェクトマネーロンダリングなどの不正摘発し、利用者安心して取引できる環境を整えることは、仮想通貨の長期的な発展には欠かせない。しかし、過度な規制によってイノベーションの芽が摘まれリスク否定できず、ここにはバランスの難しさがある。

 次に、仮想通貨が「終わった」と言われる背景には、NFT(非代替トークンブームの盛衰や、メタバース関連銘柄の失速も大きく影響している。2021年前後には、デジタルアートゲームアイテムをNFTとして売買し、天文学的価格がつくケースが相次いだ。多くの企業クリエイターがこぞって参入し、「これからはNFTの時代だ」と大々的に報じられた。しかし、NFTマーケット熱狂は長くは続かず、投資対象としてはリスクが高すぎるうえに、実際の利用用途限定的であることが次第に明らかになった。加えて、メタバースも同様に、2022年頃にはFacebook(現・Meta)の社名変更きっかけに大ブームが起きたものの、実際にビジネスとして収益を上げられる企業はごく一部に限られ、その多くが苦戦を余儀なくされている。こうしたNFTやメタバースの失速が「Web3」や「分散型の未来」といったキーワードに対する期待感を急速にしぼませ、結果的に「仮想通貨なんてもう流行らない」という声が再燃しているのだ。

 また、環境への配慮無視できない課題となっている。ビットコインマイニングには膨大な電力が必要とされ、その電力需要CO2排出量を増加させるとして批判されてきた。近年ではイーサリアムコンセンサスアルゴリズムプルーフ・オブ・ステーク(PoS)に移行するなど、省エネルギー化の取り組みを進めているプロジェクトもあるが、依然として「仮想通貨環境に悪い」というイメージ払拭しきれていない。世界的に脱炭素再生可能エネルギーへのシフトが加速するなかで、この問題クリアにできなければ、仮想通貨社会的評価を高めることが難しいだろう。投資家としても、ESG投資意識するファンド企業が増えるなか、環境負荷の大きなビットコインには投資しにくいという声が高まっている。

 もっとも、これらの要因をもって「仮想通貨は終わった」と結論づけるのは早計かもしれない。なぜなら、価格の乱高下や投機的なブームが落ち着いたあとにこそ、ブロックチェーン分散型台帳技術の“本質的価値”が見極められるからだ。実際、金融サービスデジタル化が進むなかで、国や大手金融機関が中央銀行デジタル通貨(CBDC)の発行を検討する動きは続いている。これは、仮想通貨の根幹にあるブロックチェーン技術が“使えない”わけではなく、むしろ国家レベルでの採用可能性が議論されている証左でもある。また、分散金融DeFi)の領域では、スマートコントラクトを使った新しい金融サービスが着実に開発されており、既存銀行システムでは実現が難しいとされてきたサービス提供し始めている例もある。こうした動きは、仮想通貨投機的な側面とは一線を画し、技術的・社会的価値を追求する流れといえるだろう。

 ここで言えるのは、「仮想通貨が一度ブームになって、その後価格暴落するからといって、その技術やコンセプトが消滅するわけではない」ということだ。インターネットの普及初期にも、“ドットコムバブル”と呼ばれる株式市場の大暴落が起きたが、それを経てネット企業が淘汰され、生き残った者たちがその後のIT産業をけん引してきたという歴史がある。ブロックチェーン技術についても、同様のプロセスを辿る可能性は十分に考えられる。つまり、“仮想通貨バブル”の崩壊を機に詐欺的なプロジェクトが淘汰され、セキュリティ面や実用性が高い技術けが生き残り、社会インフラとしての地位確立していくシナリオがありうるのだ。実際に、世界各地でブロックチェーンを使ったトレーサビリティシステムや、分散型のデータ管理システムなどが実装され始めている。そこでは仮想通貨の“価格”よりも、トラストレス相手を信用しなくても取引できる)で改ざん耐性の強い仕組みによるメリット評価されている。

 では、今後仮想通貨ブロックチェーンはどのように進化していくのだろうか。おそらく、投資対象としてはこれまでほどの激しいブームは起こりにくくなる一方で、緩やかな形で日常生活に浸透していくと考えられる。たとえば、デジタル通貨ウォレットによる支払いが徐々に普及し、銀行口座を持たずともスマートフォン一つで送金や決済ができる社会現実味を帯びてくる。SNSオンラインサービスログインアイデンティティ管理ブロックチェーン技術活用されるケースも出てくるかもしれない。そうなれば、従来の仮想通貨投資対象というイメージが薄れ、あくまで「便利なインフラの一部」として受け入れられていく可能性がある。もちろん、それにはユーザー技術意識せずに使えるようなUI/UX改善や、各国の法整備国際的合意形成必要だ。しかし、より実用的で幅広い人々に恩恵をもたらす技術としてブロックチェーンが発展していけば、仮想通貨が“終わった”と思われた先に、実は新しい常識が形作られているかもしれない。

 結論として、「仮想通貨終わった」という言葉メディア投資家の間でささやかれる背景には、価格の乱高下や詐欺被害規制強化、環境への批判など、さまざまな要因が複雑に絡み合っていることが挙げられる。確かに2017年2021年のような爆発的な“仮想通貨バブル”は終息し、市場全体の熱狂が冷めた印象はあるだろう。しかし、それと同時に、ブロックチェーンの持つ革新的ポテンシャルまでもが失われたわけではない。むしろ、過度な投機マネー市場から抜けることで、本来技術価値実用性に目を向けやすくなるという見方もできる。

 ネット業界歴史を振り返っても、バブル崩壊を経てこそ本質的な利用価値が磨かれるという事例は枚挙に暇がない。ブロックチェーンの普及も同じような道筋を辿る可能性は高いだろう。詐欺まがいのプロジェクトが淘汰され、信頼性と実績を備えたプロダクトが浸透していくプロセスこそが、この先の仮想通貨ブロックチェーン業界の“成熟期”を形作るのではないか。もちろん、その間には法的な課題技術問題社会的理解の不足など、乗り越えるべきハードルがまだまだ存在する。だが、「仮想通貨なんてもう古い」という決めつけだけでは、新しいテクノロジー社会変革の萌芽を見落としてしまうかもしれない。

 結局のところ、「仮想通貨終わった」という声は“単なる終焉”を意味するものではなく、“新たな段階への移行”を予感させるものだ。投資対象としてだけではなく、社会インフラとしての仮想通貨ブロックチェーン活用例が増えれば、私たち日常における“当たり前”が変わっていく可能性は充分にある。これまでのような一攫千金物語が表舞台を賑わすことは減るかもしれないが、同時に詐欺投機目的プロジェクトも萎縮していくことで、技術としての真価を発揮する土壌が生まれるだろう。あくまで冷静に長期的な視点をもって、ブロックチェーン技術とその社会的役割を見極めることこそが、私たちに求められているのではないだろうか。

 今後も仮想通貨が“終わった”と言われる局面は幾度となく訪れるだろうが、そのたびに生き残ったプロジェクトや新たに生まれ技術が、社会にどのようなインパクトを与えるかを見逃してはならない。乱高下やバブル崩壊は、あくまで通過点の一つであり、次の発展を芽吹かせる土壌づくりでもある。もし仮想通貨が本当に終わったのであれば、いまさら各国の中央銀行デジタル通貨検討したり、大企業ブロックチェーン技術研究したりする理由はないはずだ。したがって、「仮想通貨終わった」と言われる今日この頃からこそ、過剰な熱狂に流されることなく、技術本質や長期的なビジョンをしっかりと見据えることが重要である。そして、もし実際にこの領域が再び脚光を浴びる日が来るとすれば、それは表面的な値上がりではなく、実用的な側面や社会インフラとしての定着が評価されるタイミングであるに違いない。私たちはその日を、“仮想通貨の第二幕”として迎えることになるのだろう。

2025-01-13

anond:20250113003714

中学生とき糸柳さんに案内されてドワンゴオフィス見学させてもらったことがある。

ドワンゴ退職以降は疎遠になってしまったが、それでも糸柳さんは自分プログラミングを教えてくれた恩人の一人だ。

から大学ちゃんと出ておけというアドバイスを貰ったこともある。自分はその後大人になり、大学卒業し、そしてプログラマーになる道に進んだ。

もう当時の彼の年齢よりだいぶ年上になってしまった。

自分大人になって分かるのは、普通大人オンライン中学生に絡みに行って、プログラミングを教えたりしない。

彼が出したCの宿題もっと真剣に取り組めばよかったな・・・

合掌

anond:20250113105141

マックソフトオンラインサポートとか解決する気あるのかと思わない?

「〇〇をやろうとしたらエラーで止まってしまます。助けてください」

→「それでは判りません。まずシステム構成ウインドウズバージョンを書きだしてください。書けたらもう一回聞いてみてください」

「書いたよ?」

→「クリーンインストールして再起動してみてください」

anond:20250113104244

昔はSun無料オンラインJavaコースでもやればわかるようにできてたけど

最近OOP習うとこないのかね?

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