はてなキーワード: 性的志向とは
恋人になれないくせに恋人みたいにベタベタしてくる女って何なん?
同性の友人関係は疑似恋愛とも聞くが、それにしても恋人にするような言動して勝手に気持ちよくなってる女って何のつもりなん?同性相手だからいつまでも友達として優しく受け入れてくれると思ってんのか?こっちをその気にさせたらどう責任とるつもりなんや?
女はバイが多いとかそういう話ちゃうねん何となく好きかも~とか男より理解あるから一緒にいて楽~じゃないねんほんまにその先まで進めるか?ずっと一緒にいたいって言えるほどの思い持ってるか?もう学生とちゃうねんふざけんなよ。何の覚悟もないくせに中身のない甘いこと言うなさわんな腕組んでくんな
向こうは男と付き合ってしまったので、こちらは黙って相手の惚気やら愚痴やら聞いてるんだが、その時にも甘い言葉投げてくる
彼氏ができても恋人ごっこしたくなるぐらい寂しいんか?百合売りのアイドルかってぐらいひどい本当に
具体的に言うと特定怖いので書かないけど、マジでひどい。そこまでいくと恋人にするべきやろってこと言ってくるししてくる
相手に打ち明ければ関係性は絶対変わるから言わない言えない失うなら友達のままで全然いいけどでもベタベタすんのだけは勘弁してくれ
あああ~二丁目だけだとしても手を繋いで歩けるカップルうらやまし~そのチャンスもなく最初から終わってます~~~
別に自分の性的志向にそこまでこだわりなくて、ただ好きになった人間が女だっただけだからレズのマッチングとかも興味ないし大体その人じゃないと意味ないし
あてつけで自分もめっちゃ男とデートしてやろうかな誰も苦しんでくれないけど
いつかは忘れたいし、自分も素敵な人と出会って穏やかに生きられたらそうしたいって思うけど、相手よりも相手の恋人よりも素敵な人がいいとか、それを見て悲しんでくれたらいいのにって思ってる時点でゴミカスなので禁欲生活しますちゃんと人生だって忙しいから
分かってないな
女の子は可愛くエロく媚びてるのが正解!というメッセージとなって多感な時期の少年少女にそういう価値観を刷り込むから、性差別の流布と見なされるわけなんだが
写真と違って絵というのは、そういう欲望をあからさまに反映した代物だから問題になる
最近の萌えキャラ広告は戦略的にエロさを抑えてるからセーフみたいになってるけど問題はエロじゃなくて、頭のてっぺんからつま先まで「媚び」の表象で成り立ってるキャラ造形なんだよな
それが世の女性たちをげんなりさせるわけだ
「感動ポルノ」という言葉があるように、エロいからポルノなんじゃなくて臆面もない幻想や欲望を満たすコンテンツだからポルノと見なされるわけで
二次元ヲタも、LGBTと同じく、変えられない性的志向なんだろう
戸籍に記載されている情報を実生活のあらゆる場面で採用すること自体今は無理があるのかもしれない。
戸籍の性別を変更する場合生殖不能の手術をしなくてもよくなったらしいが、
そうすると子宮のある戸籍上男性に子宮頸がん等女性特有の疾患の検診の案内が届かないということも起こる。
今までも男性から女性に変更した人に子宮頸がん等の案内は届いて前立腺がんの案内が来ない等実際あったようだ。
戸籍や体を手術で変えても変わらない部分は人間あるわけで、戸籍の性別を変えたんだからそんなもん知らねえ自己責任だ、は逆に差別になるんじゃなかろうかという気もする。
戸籍の情報をそのまま実生活でも根拠にするのではなく、ある意味建前というか、願望含んだアイデンティティが記載されているに過ぎないということになれば
いろいろ解決するんじゃないだろうか?
結婚して名字を変える場合も、あくまで変わるのは戸籍上の名字のみ、新しく戸籍を作るにあたり決めたファミリーネームを記載しているに過ぎない、
そのため免許証、パスポートなどの本人確認書類も、銀行口座の名義も、勤務先に届け出ている名字も住民票もすべて出生名から変更する必要はない、
実生活上で名乗る名字は自由(仕事上では出生名の方がいいだろうし、子供絡みの付き合いなら戸籍上の名字の方がいいだろう)とすれば
論文の名前が変わってキャリアが途切れるとか結婚離婚が社内に筒抜けになる等の問題はなくなる。
女性でも経済活動を行うのが当たり前になると、名字を変えると不都合が生じる。本人識別という点で考えれば名字は変わらないものとするのが望ましいが
それはファミリーネームという考え方と衝突する。女性が外で働かないとか結婚が早かった時代ならともかく根本的に戸籍制度が時代の変化に対応できてないわけだ。
そこで、戸籍の情報をある意味では形骸化させることで解決できないかというわけだ。
なぜこんな事を思ったかというと、今回の性別変更の判決文で公衆浴場等は必ずしも戸籍上の性別で判断するのではなく、身体的特徴で判断するとあったからだ。
公衆浴場以外にも、スポーツ等出生した時の性別で判断するした方がよい場面はある。
性別変更に関しては、手術していない体が男性で心が女性の人が女湯に入りたい等言い出すわけがない、本物のGIDはそんなこと言わない、偏見でヘイトスピーチという意見や、持病などが理由で手術ができない場合もある、手術した結果見た目がさほど出生した時の性別と変わらない(体格や骨格の問題で)場合でも戸籍上の性別を変更した以上取り扱いに差をつけるのは差別以外の何物でもないとかいろいろとはてなでもX(旧Twitter)でも議論があるようだが、
個人的には本物か偽物か、GIDを装っているかどうかといった点は「精神障害の診断および統計マニュアル」第5版(DSM-5)からGIDが削除され精神疾患扱いではなくなった、生まれ持った性別に違和感を持つ「性別不合」になり、医師の診断を必ずしも伴うものではなくなった以上、あまり本物か偽物か、なりすましか等で喧々諤々と議論をしてもあまり建設的ではないように思う。医師が診断するといっても診断の根拠となるGIDという病名は今はもう存在しない。
生まれ持った性別に継続的に違和感を持っていれば性別不合の定義には当てはまるわけで、その度合いも性的志向(男が好きか女が好きか)も人それぞれ、体を変えなければ死んでしまう人、ホルモン治療までで十分という人、生まれ持った性別とは違うという証明があれば手術までは望まない、服装や髪形を変えて望む性別で扱ってもらえれば手術は不要という人も今の国際的な基準では全員性別不合だ。
なので外観要件については差戻しになったようだが、(陰茎切除などの)手術した人は女湯可、していない人は不可というのも今の性別不合に関する規定からいうとそぐわないので違憲となるのではないだろうかと踏んでいる。
とはいえ手術有無にかかわらず客観的に骨格・腰つき・体格等から体が男性が女湯にいたら、体が女性が男湯にいたら、居合わせた人は戸惑うだろう。子供の混浴可能年齢を7歳に引き下げたこととも矛盾する。戸惑うのは、恐怖するのは、勃起するのは差別と言ったところで知的面などで障害があったり、小さな子供、トラウマがある人、なんにでもエロを見出す思春期の子供が納得して適切にふるまえるかというと難しい(まあこれを言うとはてなーは周りを困惑させるような人は女湯にも男湯にも入るわけがないヘイトスピーチというかもしれないが、その一方当然に望む性別の方の湯に入る権利があるはてなーもいるのでこのように書いた。保身かと思われるだろうか?そうかもしれない。まあ保身くらいは許してほしい。賢くて優しいはてなーならわかってくれるだろう)。
ただ本人のアイデンティティは確かに男性/女性なのに逆の性別が記載されていることへの苦痛というものは確かにあるだろうから、
戸籍の性別は手術なしでも変更可能、ただし戸籍の性別をどこまで採用するかはその場面によってそれぞれ法制化するのが性別を変更したい人と
他の人の権利が衝突しないための落としどころかと。その辺りの法制化は多分「全ての女性の安心・安全と女子スポーツの公平性等を守る議員連盟」が行うのだろう。
戸籍の本籍地も実際の住所ではない場合も多い。皇居にしてる人もいるぐらいだ。
名字の記載も戸籍の性別もアイデンティティという意味では真実だが実務上・実生活上のありとあらゆる場面で採用するかは本人や周囲との問題も踏まえて
「身体違和のない性別違和」とか「内心の性自認」というものが何から生まれるかというと、
社会的な性別規範、性別役割(ジェンダーロール)からでしょう。
完全にジェンダーロールのない、性的志向も自由な世界では(身体違和のない)性別違和は生まれようがない。
社会の不具合を個人の不具合として押し付けられているのが、現在のトランスジェンダーなんだよ。
言い換えればトランスジェンダーは社会的な改善によっていなくなるべき存在なわけだ(もちろん、今違和に悩む人にいなくなれと言っているわけではない。概念としては無くなった方が良い存在だということ)
ジェンダーの差のない社会を目指していくべきなのに、こんな形でトランスジェンダーの人に違和を押し付けたままにする社会改革は間違っている。
結局性欲の強さは男女でも関係ないんやろうな。
性的志向と性欲の強さに相関があったらバイの男なんて殲滅対象でしょ。
問題は男の「力が強い」という性質が被害者の抵抗を乗り越えてくることであって、一般男性のゲイへの嫌悪は女性のキモいおっさんへの抵抗感と同列なわけよ。
一般男性のみなさんはレズもトランス男性も「ふーん」って感じで興味なくて、差別環状はゲイにしか湧かないんじゃないかなと。
だからLGBTQって括っても上の世代にはハッテン場の熊五郎みたいなイメージが染み付いてるし、劇作とかでもゲイの道ならぬ恋の抑制と反動としてのドロドロの執着を描かれることが多いので、ゲイへの嫌悪感が第一印象になっちゃうんだろうなと。
被害者も「力で負けた」っていう男の価値観の根幹を揺るがされるレッテルが貼られちゃうので、ゲイ加害はほんとうにあらゆる方向に最悪の影響を出すから困るわ。
たったいま歌舞伎役者の市川猿之助がおそらく無理心中?で両親が死亡するという痛ましい事件が発生した。
この事態を引き起こしたのは間違いなく週刊誌の行き過ぎた報道だ。
弟子にセクハラをしたという正義の旗の下に当該人物の性的志向がアウティングされた。猿之助氏の自殺企図は自分がしたことに正面から向き合わない卑劣な行いであったと言わざるをえない。
ところで、これと全く同じ構図で、左翼やLGBT活動家が同性愛者への人権被害の実例としてキャンペーンを張っている事件がある。一橋大学アウティング事件だ。
この事件ではアウティングされて自殺したと言われている同性愛者はLGBT活動家に被害者として喧伝されているが、死んだホモにつきまとわれていた被害者がやむを得ず同級生に相談せざるをえなかった苦しみはLGBT活動家のネガキャンによって全く隠蔽されている。
今日の市川猿之助の事件で彼が罪を追求されるなら、一橋大学アウティング事件でクズのLGBT活動家に「アウティングの加害者」とされている男性の名誉も回復されるべきと考える。
一昔前だと自分の身体的な性別に違和感を持った人のエピソードとして「男だけどリボンをつけたりスカートをはきたいと思っていた」とか「女だけどクラスメイトの女の子のことを好きになった」とかがあったけど、現代基準だと「スカート=女性」「女の子のことが好き=男性」というのは成り立たないわけで、これらは全く性自認には関係ないということになっている、ということだよね?(後者は性自認ではなく性的志向)
そうすると、「自分は【男】を自認している」の自認の根拠となる、【男】を揺らぎなく定義するものとは何なのだろうか、と思えてくる。
身体的特徴と性的志向、さらには社会的なステレオタイプイメージを無視したうえで、それでも「自分は女ではない、男だ」と言い切る人が持つ【男】の定義というのはどんなものなんだろうか。