はてなキーワード: 演劇とは
・「さあ行くぞ(ガチでレジェンド過ぎるキャラ名) 俺の舌と身体を貸してやる!」
かっこよすぎやろ
・数多のコピーバンドが演奏しまくったレジェンド名曲の元ネタ歌手みたいな
どっかでみた「数多のコピーバンドがどれだけ演奏しても結局勝つのは
漫画力によって読者ワイが
キャラクターの演技力を分らせられるタイプの役者描写、ありがてぇ…
全然雰囲気違うテーマなのにめちゃくちゃ面白い作品をお出ししてくれるの
ほんま天才すぎる
500年前のシェイクスピアの描いた
・なんか北斗の拳みたいになったなと思ったら北斗の拳元ネタだったでござる
赤ペン先生通り越すんやなって
摂取できない栄養素 ハルロド作石先生は腐女子への媚がない作家さんという
イメージがあるのでより一層染み入る
どんな苦境でもシェイクくんを支えてくれ
陰ながら寄り添ってくれる健気幼馴染くんは
シェイクスピアに健気に寄り添い支え続けるし一周回ってようわからん…(好き )
一人だけ風と木の詩やん…ってなった
・ワースくん、本屋さんを信頼できねえ…と言いつつも
まああの人の持ってくる種本がないとそもそも脚本始まんねえもんな…
・キャラの過去掘り下げエピで小学館?でやってた方のスキャン画像が
見開きででてくるのめちゃくちゃ大人の都合感じたな…
なんか色々あったんやなって…
出てくるのは同じキャラなのに出版社とか編集さんとか変わると全く別物になるんだなと思った
顔の前で腕を組んで自信満々顔のシェイクが黒背景で言い放つ「(ガチレジェンド名作 )だ!」が
・毎回巻末に載る資料の量がエグい
・実質ロミジュリ前で最終巻だが
めちゃくちゃ読んでて気持ちのいい所で終わったし
ロミジュリは子供同士の恋愛の話だからリチャードは演者として出ないから
残念だけど…まあ…しゃーないか…楽しませてくれてセンキュー!と
潔く諦めがついた
ふたつ。語りのしくみによって相手の声を効果的に聞こえなくすること。
——
冬子は夏男の殺害を企てた。冬子はある演劇の監督であり、夏男はその演者の1人である。冬子は、自分がリハーサル中に「演技はじめ!」というとリハーサルの一場面が始まり、「演技やめ!」というとそれが終わる、という厳格な方針を設けている。なぜこれが重要かといえば、その演劇にはかなりの即興がふくまれているのだが、この明確な合図のおかげで、いつ演者が自身の役柄として話していて(本当に主張しているのではなく)、いつ演者が自分の意見を話している(本当に主張している)かがわかるようになるからである。
冬子は、夏男が毒入りの水を飲むように仕込む。毒が効き始めるのを感じた夏男は、「助けて!毒を盛られた。医者を呼んで!」と言おうとしている。しかし、彼がそう言う前に、冬子は「演技はじめ!」と言う。冬子はこれを言うことにおいて、毒を盛られていると夏男が主張することを阻止している。もちろん、夏男はそう言うことができるが、今や彼は劇中のセリフとして言っているように聞こえる——冬子は夏男の主張を言語的に封殺している。
ブログが映画化され話題となったフードライターのジュリー・パウエル(Julie Powell)さんが先月26日、ニューヨーク州北部にある自宅で死去した。49歳だった。
夫のエリック・パウエルさんはニューヨークタイムズに、死因は心不全だったと明かした。
パウエルさんは2002年、フレンチの料理人ジュリア・チャイルド氏が執筆した料理本のレシピを、1年かけて試作するブログ「Julie/Julia Project」をスタート。
作家を志すOLが、ニューヨークのアパートの小さなキッチンで、四苦八苦しながら料理と格闘する様子や、ジェネレーションXの日常生活を描いた親近感のある内容が注目を集めた。この年のブログのビュー数は、40万に達したという。
ウェブサイトFood52の創設者で当時のタイムズのライター、アマンダ・ヘッサー氏は「これまでに読んだことがなかった。文章はフレッシュで活気があり、時に荒削りだった。見事にどの様式にも囚われていなかった」と評した。また、フードライターのデブ・ペレルマン氏は「彼女は、私の知り合いが語っているように聞こえるボイスで、料理について書くことができる」と人気の秘訣を語っている。
パウエルさんの成功をきっかけに、アイナ・ガーデンやトーマス・ケラーなどの著名な料理人のレシピを再現するブログが、次々に立ち上ったという。
ブログは書籍化され、2005年にリトルブラウン&カンパニー社から「Julie & Julia: 365 Days, 524 Recipes, 1 Tiny Apartment Kitchen」として出版された。
2009年には、故ノーラ・エフロンが脚本と監督を務めた映画『ジュリー&ジュリア』が公開された。メリル・ストリープがチャイルド氏を演じ、エイミー・アダムスがパウエルさんを演じた。
映画には、夫の仕事で渡仏した後、料理家として成功を収めたチャイルド氏と、退屈なOL生活を抜け出し、ブログを通じて作家となったパウエルさんの旅路が描かれている。作品が公開された後、パウエルさんの書籍の人気も再燃。100万部以上を売り上げ、ニューヨークタイムズのベストセラー入りを果たした。
一方、2004年に死去したチャイルド氏は、パウエルさんのブログを気に入っていなかったようだ。ロサンゼルスタイムズの編集者に、皆が家庭で作れるフランス料理のレシピを作るため、試作を繰り返し、8年以上の時間をかけるなど「懸命に取り組んできた」と説明。「彼女がそれに何の問題があったのか理解できない。彼女はただ料理について知らなかっただけ」などと、こぼしていたと言う。
パウエルさんは1973年、テキサス州オースティンで生まれた。大学では演劇や小説のライティングを学んだという。夫のエリックさんとは高校で出会い、1998年に結婚した。
生涯で出版した著書は2冊だった。2009年に自身の結婚生活について記した著書「Cleaving: A Story of Marriage, Meat and Obsession」を発売したが、売上は芳しくなかったという。2018年以降は、ニューヨーク州のオリーブブリッジで暮らしていた。
https://www.mashupreporter.com/writer-julie-powell-julie-julia-dies-at-49/
AIに書かせてみた小説、会話が噛み合ってなかったりするんだけど、なぜか違和感がそれほどないんだよなと思ってたんだけど、そういえば、ゲームってそもそもあんな感じでも許されてたなと。
ゲーム、MPCと会話が成り立ってないとかはネタにされるけど、それ以外でも、例えば特別なイベントのシーンですら、ムービーみたいに完全な演出モードに入らなければ、通常のアクションの組み合わせでキャラクターが芝居するから、ちぐはぐなやり取りも結構当たり前。
そういうのに、そもそもゲーム世代は慣らされちゃってるんだと改めて気づいた。
会話シーンというものに、演劇の脚本のように緊張感のあるあうんの呼吸を必ずしも求めずに読むのが、とっくの昔にふつうになってるんだ。
なんかもうヘンなやつしか出てこないヘンな映画だった。64点。
生まれつきまるで特殊メイクみたいなヘンな顔の主人公は売れない役者をやっている。ある日隣の家に越してきた劇作家志望の美女と仲良くなる。謎の先端医療で顔を治療し、イケメンになった主人公は元の自分が死んだことにして新しい人生を始める。そうして不動産セールスマンとして成功した主人公はある日、街で劇作家となった美女と再会。彼女が当時の自分を元ネタにした劇を作っていると知り、素性を隠して主演に応募、当選する。しかしそこに、過去の自分にそっくりなヘンな顔の男オズワルドが現れ……
というお話。
とにかくこの美女がすげーヘンなっていうか嫌な女でさ。
最初はめっちゃキモい顔の主人公に分け隔てなく優しくしてくれる女神みたいな感じで出てくるんだけど、後々彼女は演劇の脚本づくりのためにキモい顔のある種の障碍者の写真をコレクションしていたことが分かり、主人公に優しくしていたのはもしかして取材だったのでは?という疑惑が立ち上がってきたり。
主人公(キモメン)を元ネタにした舞台に関して、主人公(イケメン)が質問しても元ネタには一切言及しなかったり、挙句の果てに「キモメンってだけで主役にするのはどうなの?搾取じゃない?」とかいう現代の当事者キャスティングに爆弾を投げ込んできたりする。一方で、同じくキモメンだけど明るくて才気あふれるオズワルドが現れると一転して「やっぱ当事者が演じなきゃ」とか言い出す。
その後も「お前は友達だから最後にキモメンがイケメンになるように脚本変えたったからお前はイケメン役で出ろ」と言い出したり、劇が成功してオズワルドが評価されると「最後にイケメンになるのやっぱ変だからお前の出番なしで」と主人公に告げたり、こいつマジでイチミリも芯がないんよね。なんかご高説垂れとったけど。
あと主人公(イケメン)とセックスするときに主人公(キモメン)の仮面を被らせてセックスさせて「やっぱありえないは」と爆笑しだすところとかマジでキモい。
キモメンがゆえに自信がなく常におどおどしていた主人公の鏡合わせに登場するもっとひどいキモメンのオズワルドは顔に関わらず明るく快活で社交的で多趣味で才能に溢れる完璧人間のように描写されているが実際のところは割とサイコパスなヤベー奴だ俺は思う。
彼は常に主人公を認めるような発言を繰り返すけど、実際に劇にアサインされる段階になると別に断らないし主役だった主人公が最後のワンシーンだけになるという屈辱を与えられていても「でも最後に目立つ役だからいいじゃん」と言い、その後、自分が評価されて最後のワンシーンも外そうとなったときも「客の気持ちを考えたら当然そうするべき」と主人公を切り捨てる。
最後に錯乱した主人公が「お前が俺の人生を奪った!」とオズワルドに襲い掛かった際には得意の格闘術で主人公を投げ飛ばし、その結果、崩れてきたセットの下敷きになり主人公は四肢の自由を失う。ことの時にオズワルドが発した言葉が彼の本質を表している。「ごめん、つい力加減ができなくて」
つまるところ彼は悪意なくうっかり人のことを取り返しがつかないくらい傷つけることができる人間だってことよね。明るい奴あるある。
そう考えると主人公は極めてわかりやすい弱者として登場する。キモメンだから俺はうまくいかないんだと考えてオドオドと自信なく生きているがある日を境に顔が改善し成功を収めるが本質は変わらない。どことなく常にオドオドとしていて、むしろ顔が良くなった分、自分の思い通りにならないとすぐにイライラするようになる。
そして自分が捨てた顔を持って、しかし自分が得られなかったものを全部持っているオズワルドが登場すると途端に精神のバランスを崩し、嫉妬し、彼の真似をしてすべてを失う。そして出所した後、最後のシーンでオズワルドに「君は何も変わらないなぁ」と笑われるところで幕を閉じる。
顔を変えても名前を変えても「別人」にはなれない。魂に染み付いた負け犬の匂いは消えないのだ。ナムナム。主人公の顔が変わってからの転身は、ずっと続けてても何にもならんかったSNSのアカウントを消して新しいアカウントをウソの経歴で作り上げる現代のリセット病みたいなのを感じた。でもSNSリセットして上手くいった奴見たことないんだよな。無能はどこに言っても無能なんだ。やめろ!
途中で2度、リンカーンの銅像を演じるパントマイマーが出てくるけどあれって「40歳を過ぎたら自分の"顔"に責任を持て」っていう名言を匂わせてるんだろうな。うるせーな。でも結局、そういう話なんだよな。主人公が顔が変わったときに自分はキモメンと同じ人間だと周囲に告げられていたら、自分の顔(名前)に責任を持てていたら。
まぁ、そんな感じかな。
個人的にはクソビッチが言ってた「キモメンの役をキモメンだからって理由だけでやらせるのはどうなの」っていう当事者キャスティングの闇が結構面白いなと思っていて、彼女の作った劇は主人公(キモメン)が元ネタだから、主人公こそ当事者なんだけど主人公は今はイケメンだから当事者じゃないってことになって、別に本当は当事者じゃない顔がキモいだけのオズワルドに役を取られちゃう。でもこれってメタな視点で見ると主人公役のウィンターソルジャーは元々イケメンだから作中の主人公(キモメン)の当事者じゃないんだよな。
当事者じゃない奴が演じる役が当事者性を剥ぎ取られて当事者じゃない当事者が演じることになり、それがヒットして映画化する際には本当に当事者じゃない奴が演じることになる。摩訶不思議アドベンチャー。
現代のルッキズム問題、当事者キャスティング問題、意識高い系カス、そして普遍的なお前がダメなのはお前の境遇の問題なのか問題といろんな問題がどかどか出てくるので何かには共感できるんじゃないかとは思うので、まぁ、そういうの好きな人にはオススメ。
体育会系とか音楽とか演劇とかライバーとか人気者グループに所属している連中は、性格や素行が悪くても女から告白を断られたり別離を切り出されてもストーカーやつきまといを起こす確率はかなり低い
黙ってても女子マネ他女が寄ってくる、女を紹介してくれる仲間もいくらでもいるからな
一方で池袋ストーカー犯人は高校で脱落、初彼女は23歳、その彼女も不細工だったからね
今の女を逃したら次の女に出会える機会のない人間がストーカーやつきまといに走るのは当然
非モテ男性は面識もない知らない女(たぬかな身長人権発言、誰も選ばずに帰る婚活で対面しただけの女)に群がって憎悪を燃やし加害を遂行するのが証明されてるからね
存在するだけで、悪。64点。
ある日、ハゲの終身教授のニコラス・ケイジの娘がニコケイを夢の中で見たと言う。その後ニコケイはぽつぽつとあった人に夢で見たと言われ始め、それがSNSで公開されるや否や膨大な人からお前を夢で見たという反応が寄せられる。「夢の中に現れる何もしない男」としてバズった彼は一躍調子に乗り始めるが、ある日を境に人々の中での夢の内容が変化、ニコケイは夢の中で害を与えてくる存在として人々から大バッシングを受けるようになる。いったい私どうなっちゃうの~?
というようなお話。
取り扱われているのは「何かをミームとして消費するSNS利用者の浅薄さ」だったり、「なんとなく不快だからで行われるキャンセルカルチャーの異常さ」だったり「勝手な肥大したイメージで行われるバッシング」だったりっていう増田御用達の話題。
この話は実は2つのまったく異なる軸がまるで同一軸かのように話が進む。
1つはニコケイ演じる教授の見栄っ張りで自信と自意識が過剰で承認欲求ばかりが肥大してトキシックマスキュリニティにまみれた哀れな中年の暴走。
もう1つは中年男というぼんやりした社会的ジェンダーイメージ。
ニコケイはもう本当にどうしようもない奴で、大学の終身教授でかわいい嫁さんと可愛い娘が2人いる以外はほとんど増田みたいな奴でさ。友人と思っている相手からはあいつおもんないからパーティー呼ぶのやめようぜってハブられてたり、嫁が男性と事業の話をしてただけで嫉妬するくせに自分は元カノとばったり会ったら舞い上がってしくじったり、元同僚がより有名な研究者になってネイチャーに論文が載るとなったら大学院時代の話を持ち出してネチネチ言ったり、張り合おうと俺も本を出すんや!出版社も決まってないし書き始めてもないけど!と自爆したりともう、見ててこいつホンマ……ってなるエピソードがつるべ打ちに出てくる。
そんなニコケイが夢の中で他者を加害する存在になり車に落書きされ、レストランではお前がいると不安だから出ていけと言われ客から嫌がらせを受け、生徒から拒絶され、嫁の事業もポシャるところを見て何となく俺たちは「ざまあみろ、お前が悪いんじゃん」という気持ちになる。が、別にニコケイ本人はなんもしてないのだ。
元々ニコケイは夢の中でも「なんもしない、ただ見てくる中年男性」として登場した。もしくは一部の人の中では「えっちなことをしてくる中年男性」として登場する。これは世間的に見てマシなほうの「中年男性」のイメージそのものだと言えると思う。でも、でもだよ。中年男性がただ見てくる、のって怖くね?それが何度も何度も続いたら、その先にある暴力の予感を勝手に感じね?
つまり、中年男性が存在するそのこと自体に加害性がある、という異常に差別的なイメージ―ーそれこそ、夢の中の加害後の彼が受ける行為はほとんど黒人≒犯罪者とされていた時代の黒人が受けた行為に酷似している――がほんのり俺たちの中にある。ということを、ニコケイをウザい中年にすることで正当化させようとしているように俺には見えた。
だけど本来、ニコケイがウザい中年であることは、彼がやってもいない加害で世界中からバッシングを受け攻撃されることを決して正当化しないはずだ。だけど、たぶん、見た人の中でも少なくない人は「ニコケイが悪い、彼は加害性がある中年男性だからあんな目にあった」と思ったのではないか。そして、それこそが制作陣の逆説的な挑戦だったんじゃないかと思った。
ニコケイはたまたま大勢の夢に出てくるようになってバズって調子に乗り始める。そうすると当然、見ているこっちもなんやこれしょうもないな、という気持ちになってくるわけ。そしてニコケイは広告代理店に呼ばれ、そこのアシスタントの若い美女に声をかけられ「夢の中に出てきたあなたみたいに私をめちゃくちゃにして!」と迫られる。見ているこっちはキレそうになる。しかし増田のニコケイは当然無様にも失敗。
したところを境に、ニコケイは大勢の夢で他者を害する存在になる。だけどよく考えてほしいんだけど、ニコケイはこの前後でやってることはなんも変わんないし、世間的にもなんも変わんないはず。アシスタントがそれをSNSに投稿した描写もないし、まぁしないでしょ。だとしたらこの事件を境に変わったものは何なのかと言う話になる。
俺たちの視線だよね。
しょうもない男だけど無害(じゅうぶんウザい存在ではあったけど)だったニコケイが調子こいて女に実際に手を出す加害する存在になったと俺たちが認識した瞬間、ニコケイは作中の中の人たちの中でも加害する存在になった。んじゃないかと俺は思った。つまり、俺たちも作中の集合的無意識の一部だったんだよ!ナ、ナンダッテー!!!
そして娘の学校の演劇発表会に出ることを禁じられたニコケイは暴走し会場に乗り込み事故的に教師を実際に怪我させてしまう。そのニュースが出回った直後から夢の中にニコケイが現れることはなくなる。肥大した中年男性という害悪のイメージが一人の「ニコケイ」になり、「イメージ」から「個人」の話になり、はーしょうもな解散、となったんじゃないか。
そうして職も家族もすべてを失ったニコケイはその話を本にして、その本も自分の思い通りにはいかなかったけどもう別にそれでいいやと"今の自分"を少しだけ受け入れる。ニコケイ事件を機に発明された他人の夢の中に入る機械を身に着け、一度も自分を夢に見なかったという妻の夢に入る。そこでのニコケイは妻が以前語ったようにトーキング・ヘッズのバカみたいな肩パッドが入ったスーツという肥大した自分自身の象徴のような恰好で会いに行く。
つまり彼女にとっては元から彼がそう見えていたんだろうと思う。分不相応な自分に振り回されるかわいそうでかわいい人、と。だから彼女だけは彼を夢に見なかった。夢に見なくても目の前にいつもいたのだから。彼女に夢であるのが残念だと告げたニコケイはゆっくりと宙に消えていって話は終わる。
極めて増田の民のニコケイだったけど増田と違って等身大の自分を愛してくれる妻がいたんだから、その妻を等身大の自分でただ愛することができていればこんなことは起きなかったんじゃないかとそう思える少し悲しくて少し優しいラストでよかった。
まぁ、そんな感じかな。
キャンセルカルチャー、ミーム化、ハゲ、SNSでのバズと炎上、ジェンダーイメージと増田垂涎のテーマを盛り込んだ意欲作だと思うので暇だったら見てみてほしい。
子供会で見た演劇とか今となっては彼らが何者でドコの団体所属なのか覚えてないし演劇の題材が何だったのかも永久に不明
ダシにするもんくらい選べ
ttps://x.com/Suzuo3333/status/2031768071611056539?s=20
ttps://x.com/panGea_ichi/status/2032051650874183705?s=20
次に嫌いなの企画者
要はテメーがキモチヨクなりたいからやったってことじゃねーか
これならやらない方がマシ
ttps://x.com/2nc_p/status/2031875348846285175?s=20
「そういうことがあった」
それを伝えるのは間違ってないじゃん?
それが後世に繋がるから
そこに当事者への寄り添いは
あったほうがいいけど
期待するだけ無駄だよ
寄り添いはなかったかもしれないけど
ちゃんと考えて演じてそうな人もいたし
もちろん
何も考えてなさそうなひともいた
開演前にノンキに話してたやつも
雑な仕事するやつも
嫌いではない
ただ最初に挙げたやつらは嫌い
https://anond.hatelabo.jp/20260313180018
全話読めたのがまずすごい。1話目の途中でもう無理ってなるのが9割なのに。というのを大前提に、やっぱ良くないところは良くない。
現実の問題そのままのセラピー劇を名作パロディにしたら、現実/セラピー/原作の3層構造になる。そこは2層までにしろよ。
オリジナルのセラピー劇か、名作を演じることが結果的にセラピーになるか。
自分の中でこれはというフレーム思いついたのならもっともっと揉んで熟成させないとな
あと、
結構面白かったんだけど、ちょっとヤンジャンには合わなかったのかも
今だけ無料で全話読めるので良かったら読んでみて欲しい
https://ynjn.jp/viewer/23058/270798
https://x.com/kokokako2024/status/2031989250787590461
本日をもって、『ゲキドウ』は打ち切りになりました。ネーム原作を担当していました。
期間にして約9ヶ月半、全35話。週刊連載作品にしてはかなり短い尺での完結ということになりました。
”元高校球児が高3の春から高校演劇の世界に入っていく”という少し変わった筋書きの漫画でしたが、最後まで読んでいただいた方々本当にありがとうございました。
打ち切りになった理由は、シンプルにコミックスが売れなかったからです。それはそれは、もう口がポカンと開きっぱなしになってしまうほど売れませんでした。
『白鳥の湖』とか『くるみ割り人形』は曲として大好きなんだが、バレエの視覚情報の楽しみ方、面白がり方を知らない
母や姉が熱心なバレエ趣味で実際にやったりしてたし直接聞いてもいいかもしれない でも演者の鑑賞観点って門外漢のそれと絶対着目する場所違うから参考にならない予感
すなわち演者ごとの差異を見出して違いを楽しむみたいな クラシック音楽の指揮者違い同曲演奏を聴き比べる的な
でももっとシンプルな、単純な、素朴な楽しみ方もある気がするんだよなあ
単純に「自分の趣味じゃない」「感受性がない」「アンテナが育ってない」かもしれんが
ああそうか、自分はダンスに感動し面白がる感性を持っていないのかも?
あるいはスポーツ鑑賞、アスリートのパフォーマンスを見て楽しむ感覚か?どちらにせよ持っていないか この役を演じるには32回転できる能力が必要、とかすごくアスリート的
それだけじゃないよなあ?演劇的性質を持つんだから オデットとオディールの演じ分けみたいな話もでてくるよなあ
じゃあ予習したくなっちゃうね、無言劇だからなあ そこらへんが敷居の高さか
まあ今のままでも全然いいけどね
アマプラで白鳥の湖のミュージックビデオがあるから皿洗い中にBGVとして流すくらいの今の距離感で十分楽しめているし
明日健康診断なんだけどうんちが出ないからサンプルを採取できない
ふたつ必要なのに……
---
バレエ音楽が好きなんじゃなくてチャイコフスキーが好きなだけなんじゃないの?
そうかもね
うんちでそう、気配を感じる