はてなキーワード: 恥の文化とは
ネットでは「日本は軽すぎる」とか「それが違法な欧米は異常」ってよく言ってる人いるよね
ずっと「あーね、宗教だろ?」って思ってたけど、AIをずっと議論して宗教じゃないっぽいと言う結論になった
つまり女性の権利や子供の権利が原因(例:子供の権利条約が1989年)
その前の性犯罪とかはどういう立ち位置だったかと言えば、あくまで男社会を上手く回すためであり、社会秩序維持の役割だった
そして後者は一部の国ではまだ健在で、その場合考え方がかなり違うので主張を聞くと違和感が出る(現代日本人は染まっている)
じゃあ何で欧米は人権意識・同意主義が強く先行したのか、といえば「多民族国家だから」とのこと、今のポリコレが強いのと同じ話だ、弱者が属性を作って主張するみたいな風潮があるからこそこうなっている
「中身は世俗的・統治理論的なのに、その思想を唯一の正義として海外に広めようとする動きはキリスト教的行動」なんだよね
結果、日本や韓国や東南アジアや南米なんかには強く影響を与えた、欧米主義のグループだね
これは当然「多民族国家」ではないから「人権意識・合意主義が弱い」から「厳罰化しづらい」と言う流れ
(特に性犯罪って元々妥当な量刑ってないんだよね、長い歴史で見ると重かったり軽かったりする)
これは「国を統制しなきゃならない」というモチベーションが強いと考えられる、人口が多いから
つまり
欧米:多民族国家 → 人権意識・同意主義 → 法律で強い統制 → 厳罰化
日本等:ほぼ単一民族、人口は中くらい → 法律で強い統制しなくてよい → 非厳罰化
例えば家族や会社に責任の一端を担わせてるとか、空気や恥の文化で社会を維持しているわけだ(今後それは薄まるだろうけど)
ついでに調べたけど
驚くかもしれないが、アメリカでさえ犯罪件数は1990年代をピークに減少している
でもSNSやYoutubeを見ると「アメリカヤバい」が大量に出てくるだろ?あれはアメリカ国内でも起きていて、体感治安はずっと悪化している
「アメリカでも昔は子供が一人で外を歩けた」のは、治安が良かったからじゃなくて体感治安が悪くなかったからでしかない
これは日本でもそう、慈済に治安が悪かったのは2010年代くらいで、そこからビックリするくらい安全になってるのに、体感治安はずっと悪化している
そこで、厳罰化は体感治安に依存するのか、実際の治安に依存するのか調べたら、結構研究があるらしく
らしく、バランスが取れているとのこと
ただし、今の時代に法律が逆行するとは考えづらいので、バズる事件が増えるたびにちょっとずつ厳しくなるらしい
あと、厳罰化を求める声は特に増えているわけじゃなく、SNSで可視化されてるだけというのも留意が必要
結局私らって実態を見ていないんだよね、SNSという幻想しか見ていない
これ、なんか「日本が遅れていて最近ようやく国際標準に追いついた」みたいな認識がある人が居ると思うけど
「不同意」が世界的に盛り上がったのはせいぜい2010年代あたりかららしい
つまりここ20年でも「人権意識・合意主義」がじわじわと進んでいったことになる
相変わらず性犯罪の立ち位置は「社会秩序維持の役割」らしいので
現代日本人は、キリスト教は浸透しなかったが「人権教」はかなり浸透したんだと思う
その是非は問わないが、
「日本は人権教が浸透してるが濃度は薄い。欧米はその濃度が濃い。日本より薄い国もある」と理解するだけで色んな違和感が説明できて良いなと思った。
この人権というシステムはあくまで国家統制・国会維持・治安維持に使われているわけで
というわけで、「日本は犯罪者に甘い!(量刑だけ見て)」というネットの声はいつまでも残り続けるだろうね
知らんけど
そう言えば、少子化を語る時にさ
「女性が社会進出したからだ(女性に人権を与えたからだ)」って主張する人はいるけど
「子供に人権を与えたからだ」なんていう人は少ないよね、これ実際正論なのに
たぶん気づいてすらいない感じなのが面白くない?
1. 義理との違い
⸻
ベネディクトの整理
つまり
恩=心理
です。
具体例
⸻
よく言われます:
これは半分正しく、半分違う。
• 恩は**徳(徳治)**の一部
• 本来は「返せる」「循環する」
親孝行も、
親の徳に報いる行為
という倫理の完成形です。
日本での変質
日本では、
• 返済不能性が強調される
結果:
ベネディクトは、
⸻
なぜ辞めづらいのか
日本企業ではよく:
• 雇ってくれた恩
• 育ててもらった恩
• 迷惑をかけたくない
恩の構造
• 会社は「育ててやった」
• 社員は「返さねばならない」
• 見返りは明文化されない
だから、
• サービス残業
• 無理な異動
• 自己犠牲的働き方
ベネディクト的に言えば、
⸻
親の恩は最大の恩
• 生んでくれた
• 育ててくれた
だから、
返しきれない
断れない
罪ではなく恥
• 法的に悪い → ならない
• でも「申し訳ない」「顔向けできない」
これは典型的な
恥の文化 × 恩の組み合わせ。
• 自立が「冷たい」と見なされる
ここが現代的な摩擦点です。
⸻
すべてに共通するのは:
1. 恩は与えられる
2. 返しきれない
3. 義理で応答する
4. 応答しないと恥
これが、
• 家族
• 会社
• 国家
を同じ論理で動かしてきた、
とベネディクトは見た。
⸻
当たっている点
• 対等に戻れない感覚
ずれている点
• 恩を利用・切断もする
⸻
⑦ 一言でまとめると
日本の「恩」は、
『菊と刀』はそれを
過度に一般化しつつも、
見事に言語化した。
だから、
間違っているのに、鋭い
古いのに、使える
という評価になるわけです。
「信仰」と「思い込み」、英語ではどちらも"belief"(信じること)
エコーチェンバーに関する翻訳記事などで、「信仰(belief)」を強化するソースを人は信じるんだという文章を見たことはあるだろう
英語には他に、個人が信じること(良い悪いは別問題)を表現する日常的な言葉がないんだ
敬虔な宗教者も、まったく同様に"belief"という言葉を使う
一般的な常識として、英語圏では(他にも、同じような言葉遣いをする国では)何かを信じること自体が悪いこととされることはない
それが有害であるとするときだけ問題にするのであって、無害で個人の範疇におさまる場合は何を信じて(思い込んで)いようと自由なのだ
「反ワク」は社会の迷惑だとして糾弾されることがあっても、「地球平面論者」は面白がられるだけでそれほど否定されない
日本の、恥の文化に基づく全体主義は、地球平面論のような「バカバカしい」児戯の方をより嫌う傾向がある
恥とは何か。それは単純に考えれば、体面を保ち品位を保つもので、ある程度良いことに思える。
しかし、実のところ人間が恥と感じる心理は、人としての品位を保つ方向ばかりには働かない。
有り体に言えば、不良や悪ガキの恥の感覚は、ただ「みんなから浮きたくない」と必死になるだけで、品位などともなわないものである。
「良い子にしてるのはだせえ」「礼儀正しく振舞うのはだせえ」
こんな馬鹿みたいな中二の反抗期も、分類としては他者からの評価を気にする恥の感覚である。
日本人の最大の問題は、残念ながらこんな幼稚な人間が多数派であるということである。
良い大人なら、内心でどう思っていようとも、表面的にはこういう正論にいちいちケチをつけたりしないものだ。海外では先進国も後進国もなくみんなそうだ。
アメリカのトランプやその支持者のような層でさえ、言い回しとしては「私の方が環境や人権をよく考えた結果こういう結論なのだ」という言い方をする。
「人権とか知るかギャハハ」なんて漫画のようなセリフは、本当に幼稚で反社会的なギャングみたいなのしか言えない。
が、日本ではむしろ還暦を迎えるようなジジイが「環境とか、俺もカッコワリイと思うけどよ…」と子供ぶって前置きしないとコメントもできない。
しかもこれが、日本ではむしろ誠実な方である。多くはただ無視をする。薄笑いで何も言わずに、社会の問題を自分ごとと考えない。ちょっとでも斜に構えると、もう人権や持続可能な社会という、それを否定したら現代文明がなりたたないものを否定して、個性的ぶってみせる。
社会の中心が、悪ガキ同士の評価を気にして「良い子ぶる」ことを拒否する、中学生の恥の感覚からまったく成長していない層で占められているのである。
戦前から言われている「恥の文化」というものも、実はこのことである。
「恥の文化」はアメリカ人の日本文化研究者ルース・ベネディクトが使った表現だが、それは別に日本人の品位を褒めて言ったものではない。
「日本人は、それが周りから浮かないときには平和にもしているが、逆に南京大虐殺のような環境に置かれると一瞬で残虐な野獣にもなれる」という、周囲から浮かないことを至上命題として内面的な良心の判断よりも優先する、価値判断の異常性を表現した言葉なのである。
日本人ほど「恥」を気にする「恥知らず」な性質も世界では珍しい。
日本人の恥の文化は純粋に中二の恥。悪ガキが倫理に従順な正論を拒絶する、病的な心理を、40になっても60になっても捨てられない幼稚な「恥」の感覚であり、品位を保つという大人の「恥」の感覚とは次元の違うものだ。
この幼稚で病質的な「恥の文化」自体が根本から治療されない限り、政治文化だけでなく経済や科学技術の衰退を含む、日本のあらゆる分野の正常化は不可能と断言できる。
宗派としては、日本におけるプロテスタントの最大教派である日本基督教団らしい。
石破総理が選挙に3回も惨敗したのに辞任しなかったのは、日本人の「世間」の常識が無かったから。
多くの日本人であれば、普通は国政選挙で2回、都議会選挙で惨敗したら、潔く身を引くものと考える。
これを言語化するならば「恥の文化」とか「体裁が良くない」とか「世間体を気にする」とか「お天道様が見ている」と表現できる。
キリスト教徒にとってはイエス様の意思が全てなので、「世間からどう見られるか」は一切気にしない傾向があるらしい。
トランプは「自国のために世界を犠牲にすること」にいつだって全力だ。
シンゾーは「自分のために自国を犠牲にすること」にいつだって全力だった。
一見するとどちらも我田引水だが、その結果として得をする範囲が全く違う。
トランプの政治はアメリカの多数派だけが幸せになる。まあつまりアメリカ人口の50%よりちょっと少ないぐらいだけということだ。
およそ1億5千万人程度だろうか?
ではシンゾーの政治は?
シンゾーのやり方で幸せに慣れたのは彼のお友達とその取り巻きだけ。せいぜい1万5千人、多くても15万人程度だろう。
トランプのやり方では世界人口のうち50億人ぐらいは損をする側に回るだろう。
一方でシンゾーのやり方だと日本人のうち1億人が損をすることになる。
だが彼は自分に投票してくれた人達の大部分に利益を還元している。
一方でシンゾーはテキトーなおべんちゃらとバンドワゴン効果を駆使することで多くの日本国民を「肉屋を支持する豚」に変えてしまった。
日本人は恥の文化に根付いた正義感を振り回しがちなので「世界に迷惑をかけるトランプよりは、自国にだけ迷惑なシンゾーの方がまだマシだ」と思うかも知れない。
でも俺はそうは思わない。
表向きは「皆応援ありがとう!」と言いながら、実際には「でもお前ら一般国民共は別に僕のお友達じゃないからお前らの財布から抜いた金を本当のお友達だけに配るね」と財布扱いしておしまいだ。
こんな酷い話があるか?
投票によって選ばれる政治家でありながら「投票してくれた人間を騙して損をさせる」というのは最も卑劣な有り様なのでは?
俺はシンゾーのことを不誠実だと言ったが、彼の不誠実さがわざと国民を苦しませようとする嗜虐的な欲求から来ていたと思っているわけじゃない。
もしもシンゾーがもっとずっと有能だったなら、友達にも金を配りつつ日本人全員も裕福にさせることを実現させていただろう。
なぜならその方が彼の望む姿、皆に滅茶苦茶チヤホヤされて承認欲求みちみちフルマックスにたどり着けたのだろうから。
彼は我々を騙したくてアベノミクスをでっち上げたのではなく、本当に望んでいたのは成功したアベノミクスの立役者として日本中のヒーローになることだったのではないだろうか?
彼のような自己顕示欲の塊が、単に本当の友達にだけチヤホヤされて満足するとは思えないのだ。
だが、能力の低さから、その他大勢を売っぱらって手に入れた金を友だちに配ることで小さな成功を噛み締めていたのだろう。
惜しむらくは、日本という国の人的貧しさだな。
でも、サンパウロのカーニバルで題材に選ばれたり、ブラジル大使館が侍だと言い切ったりするくらい、
駐日ブラジル大使館 - Embaixada do Brasil em Tóquio
ブラジルのカーニバルに日本が参戦! 2023年のサンパウロのカーニバルでサンバチーム「モシダデ・アレグレ」がチャンピオンに選ばれました。同チームは、日本初の黒人侍弥助の物語を語りながらパレードを行いました。モザンビークで生まれた弥助は1579年に日本に連れて来られ英雄となりました。
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O Japão no Carnaval do Brasil! A escola de samba Mocidade Alegre foi escolhida campeã do carnaval de São Paulo 2023. A Escola desfilou contando a história de Yasuke, o primeiro samurai negro do Japão. Nascido em Moçambique, Yasuke foi trazido ao Japão em 1579 e tornou-se um herói. Você conhecia essa história?
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Japan in Brazil's Carnival! Samba group Mocidade Alegre was chosen the champion of the 2023's carnival in São Paulo. The group presented the story of Yasuke, the first black samurai in Japan. Born in Mozambique, Yasuke was brought to Japan in 1579 and became a hero. Did you know this story?
真田広之の『SHOGUN 将軍』で、なぜ黒人が居ないのか?とボヤる程度、英語のコミュニティできゃっきゃやってる界隈がある程度には知名度あるようです。
なので、黒人侍の存在を史実として認めないと、人種差別者扱いされます。そもそも、それを積極肯定している日本の大学教授もいます。(そして、英語圏のメディアに引用されてる)
日本の学者や研究者を名乗る人がYASUKE肯定した結果、それを根拠にして、日本の人種差別主義者ガーとか英語コミュニティでコメントが付いてる一例 ↓
However, a recent, widely shared post from Japanese historian Yu Hirayama argues that Yasuke was indeed granted samurai status by Nobunaga. Hirayama cites Yasuke’s stipend, housing, and sword afforded him by Nobunaga, but acknowledges that Nobunaga’s enemies did not view Yasuke as a samurai.
(しかし、日本の歴史家である平山優氏による最近の広く共有された投稿では、弥助が実際に信長から侍の地位を与えられたと主張しています。平山氏は、信長が弥助に与えた俸禄、住居、そして刀を根拠として挙げていますが、信長の敵対者たちが弥助を侍とみなしていなかったことも認めています)
↓ 対するコメント
racist in Japan and racist in the rest of the world get to work hand-in-hand now
(日本のレイシストと世界のレイシストは、今、手を取り合って働く)
https://www.polygon.com/24204308/assassins-creed-shadows-yasuke-samurai-ubisoft-controversy
While there’s some question as to his exact role, Yasuke was a real person and, as a Japanese scholar has recently pointed out, there’s no doubt that he was a samurai, which is a social status that can encompass a variety of duties.
(弥助は実在の人物であり、日本のある学者が最近指摘したように、彼が武士であったことは間違いない。)
https://metro.co.uk/2024/07/23/ubisoft-apologies-assassins-creed-shadows-doesnt-say-21281545/
しかも、その影響範囲は大きく、ご先祖様が武器を持ったことがあればみんな武士(侍)の子孫だし、新しい武士(侍)の定義を知らなければ、日本人は人種差別者と誹りを受ける。
羽振りのいいヘッジファンドくらいの高給を払わず、やりたい人の情熱と能力と使命感と倫理観だけに全てお任せしてしまった日本国民の自業自得なんでしょうかね?
(ゆうて、現状もだいたいの日常の困難は消えるレベルの高給は払ってるんですけどね・・・)
なので、肌の色が濃いキャラクターや、顔立ちの異なるキャラクターが登場する現代劇やフィクションの時代劇はもっと増えてほしいです。
BBCあたりが「日本ではこんなことが炎上したようです」って言うだけで「外圧がかかったぞ」とか謎の喜び方をする。
あくまで価値判断を挟まずに客観的に伝えるのがメディアの仕事だし、読者だって「へー、そんなことがあったのか」くらいにしか思わないからね?
そんなこともありません。ほとんどの記事は日本メディアの又伝え。調査報道なんてコストがかかるんだから、よっぽど読者の関心が呼べない限りやりません。
日本以外のBBCの海外報道も「その国のメディアが報じないからBBC様が代わりに制裁を下してくださってる」とか思うのか? 日本だけは特別だと思ってる?
新手の「日本スゴイ」かな?
共産党の「そういう漫画を書いちゃいけないなという空気を作ろう」みたいなアレ。
君たちに聞きたいんだけど、欧米や、台湾韓国などの民主主義国のどこで、そんなマナーの問題空気の圧力みたいな曖昧な力で社会を変えようとしてる国がある?
君たちが憧れてる先進国はみんな、何かを変えようと思ったら徹底的に理論武装して公開の議論をして、公正な選挙のもとで勝ったやつが正しい、負けた方が悪いという原理原則を貫いてる国です。
勝てなきゃ無駄を理解してるから、決死の覚悟で自分の信じる道に殉じます。
だからこそルールとしてきっちり残るし、政策として効果が出ます。
正義の行動をとってるつもりのやつが自己満足の独自理論で内輪の同調を煽ってばかりで、他人に通じる言葉を捻り出そうとしない限り彼らみたいにはなりません。
それを変えないでチートみたいに空気で変えようとしてるからダメなんじゃないの?
根本でダメなものを雰囲気でなんとかなると信じるって、旧日本軍的な雰囲気戦略と何が違うの?
日本の「リベラル」、マジで欧米の真似をしようとしかしてない。
君ら少しはアジアの仲間(と思ってるか知らんけど)を見たらどう?
自分の国を良い国にするために欧米から「やり方」を学ぼうとはしても、欧米と同じ価値観をインストールすれば良いとは思ってない。
自分の国のアイデンティティや文化も守ろうとするし、自分の国特有の差別や文化的偏見にも向き合おうとする。
「犬食なんて海外にバカにされる。恥だ。みっともない」なんて自国の食文化を殺そうとするだろうね。
日本の「リベラル」が海外ヴィーガンにおもねって、「精肉業者への中傷」という日本文化におけるタブーを平気で見逃すようにね。
そんなの、多文化主義者でも何でもない。ただの名誉白人。かわんねえな日本人は。
恥の文化自体を反省して、罪の文化で物事を考えられるようにならなきゃ民主主義社会なんて作れない。
恥ずかしいから変えるんじゃないし、恥ずかしいことを変えろなんて言ってたら多文化共生なんて不可能も良いとこ。
Mrs. GREEN APPLEを名誉白人と言いながら、自分らも「フランス人にバカにされたよ」「BBCにバカにされたよ」と名誉白人の立場を気にすることばかり言ってる。
時代とともに恥の文化ってのは徐々に形態を変えてきたんだろうけど、ネットによって急速に変わったものの一つが「恥ずかしい」という概念なのかもしれない
俺はネットで自分の趣味や年収や家族のことを話すのはとてもためらうし、正直恥ずかしい
匿名であっても例えば「俺の親父は子供に暴力を振るうようなクズ」や「年収3000万の父は自慢だった」みたいなことを話すつもりはない
たとえ中流で温和で読書が趣味であっても、それをあえて公言することに意味はないし、恥ずかしいと思っている
けれどどうもネットというのは匿名性が確保されていればそういうことを書いてよくて、というか書くべきという風潮があるらしい
特に増田は家庭内のことを赤裸々に書きつつ、ブコメも詳細を知りたがる人がちらほらいる。なんでそんなことを書くのか、また聞こうとするのか。
もちろん大部分はそんな人ではないのだが、むやみに突っ込みたがる人を見ると「ネットはそういうことを恥ずかしげもなく明かすのがデフォになったのか」と思わずにいられない
彼らは自分たちの生活を切り売りするようなことをして、恥ずかしくないのだろうか
自分には無理だ