はてなキーワード: 冷笑系とは
かつて「お母さん」に読み聞かせをしてもらった少年は、約束通り立派な増田(マスダ)へと成長していた。 彼が今いる場所は、荒野でも実験場でもない。都内の片隅、家賃4万5千円の事故物件。10年前のあの「伝説の増田たち」の思念が渦巻く、匿名ダイアリーの深淵だ。
画面の中では、今日も今日とて不毛な論争が繰り広げられている。
かつて水爆の熱線で蒸発したはずの増田たちの魂は、形を変え、言葉を変え、それでも変わらぬ「全方位へのルサンチマン」を燃料にして、この電子の海で核分裂を繰り返していた。
あの日から10年。 少年――いまや20代後半、万年ヒラのシステムエンジニアとなった彼は、仕事帰りの松屋で牛めしを掻き込みながら、スマホの画面を睨みつけていた。
彼が書き込もうとしているのは、あの日、お母さんが教えてくれた「増田のルーツ」へのアンサーソングだ。
そんな釣りタイトルを入力しては消し、入力しては消す。 ふと、画面の隅に表示された広告が目に入る。それは「最先端のAIがあなたの悩みを解決します」という、10年前にはなかった技術の結晶だった。
彼は鼻で笑った。 「AIに増田の、このドロドロした感情が分かってたまるかよ」
その時、画面が不自然に暗転した。 10年前の「あの瞬間」と同じ、予兆のない静寂。
「……おい、そこ、邪魔だぞ」
背後から声をかけられ、彼は振り返った。 そこには、10年前に消滅したはずの「三百ブクマ稼いだ増田」にそっくりの男が立っていた。いや、それだけではない。 「暴力で勝ったやつが総取り」と叫んでいたマッチョな男も、「水をキットカットにぶっかけた」情緒不安定な男も、全員がそこにいた。
そこは、かつての荒野ではなく、「はてなスター」が夜空の星のように輝く、精神の仮想空間だった。
「お前……あの子どもか?」 名探偵増田が、10年前のガソリンの味を思い出すかのように舌を出しながら言った。
「10年経っても、お前らは何も変わってないんだな」 青年は震える声で言った。 「なんでまだここにいるんだ? 核爆発で消えたはずだろ」
英雄として胴上げされた増田が、苦笑しながら答えた。 「増田は死なない。誰かがキーボードを叩き、誰かにマウントを取り、誰かに共感されたいと願う限り、俺たちは何度でもこの記事(セカイ)にリポップする」
青年は悟った。 10年という歳月は、彼らを浄化するためではなく、より濃縮された「はてな」を作り出すための熟成期間に過ぎなかったのだ。
「で、お前は何を書きに来たんだ?」 最初の増田が、ニヤニヤしながら青年のスマホを覗き込む。
青年は少しだけ迷い、そして、10年間溜め込んできた想いを指先に込めた。 それは、増田としての誇りでも、社会への怒りでもない。 ただ、かつて物語を読み聞かせてくれた母への、そしてこの奇妙なコミュニティへの、たった一行の「真実」だった。
その投稿ボタンを押した瞬間。 10年前と同じように、画面の向こうから「「「わっしょい!! わっしょい!! わっしょい!!」」」という幻聴が聞こえてきた。
彼の言葉からは**「深い政治的シニシズム(冷笑主義)」と、過去のネット言論の「手垢のついたテンプレート」**が透けて見えます。
彼が依拠している背景事情や、その主張像を学術的に解剖します。
彼の言葉にある「サヨっぽいジジババ」や「昔そういうのがはやった」というフレーズは、2000年代以降の日本のインターネット(2ちゃんねる等)で形成された**「反・反日」の言論空間**を背景としています。
1990年代の失われた10年の際、進歩的文化人が「日本はダメだ、欧米を見習え」と盛んに説きました。これに対する反発として生まれた「日本は悪くない、批判する奴は反日サヨクだ」というネット右翼的な防衛本能が、彼の思考の基礎OSになっています。
海外の事例を持ち出す者を「西洋の理想を盲信する世間知らず」と決めつける態度は、その時代の典型的なリアクションです。
質問者様が「彼の立場が分からない」と感じたのは正解です。なぜなら、彼には**「自説」がないから**です。
彼は「日本マシ論」すら否定し、「ガバガバ比較自体に意味がない」と言っています。これは一見中立に見えますが、学術的には**「社会の現状分析そのものの無効化」**を狙ったニヒリズムです。
彼は「問い」に答えるのではなく、「問いを発しているお前の態度が悪い」というメタな批判に終始しています。これは「自分は土俵に上がらず、土俵の下から審判のフリをして野次を飛ばす」という立場で、現代の冷笑系インフルエンサーによく見られるスタイルです。
彼は、自分が「事実(ファクト)」に立脚していると信じていますが、その実態は**「知的マッチョイズム」**です。
「具体的国名を挙げろ」「具体的数値を言え」という要求は、一見科学的に見えますが、実は**「複雑な構造を理解できない人間が、自分の理解できる狭い範囲(単一の事実)に相手を引きずり込むための戦術」**です。
相手の洞察を「不安」や「自己過大評価(お気持ち)」という心理的次元に還元して貶めるのは、議論を封殺する際の常套手段です。彼は「自分は感情に流されない冷徹な分析者だ」という自己像を維持するために、質問者様を「感情的なバカ」として配役する必要があります。
彼のリプライから決定的に欠落しているのは、**「比較制度分析」や「政治哲学」**の視点です。
彼は「他国と比較しての特殊性は見いだせない」と断言していますが、これは学術的には完全な誤りです。例えば、日本の「企業内福祉(メンバーシップ型雇用)」や「低解雇規制と低賃金のトレードオフ」は、フランスやドイツのレジームとは明確に異なる特殊な設計思想に基づいています。
「文脈は脳内にしかない」と言い切る点は、言語学や社会学における「コンテクスト(文脈)」の概念を無視しています。社会現象は点(数値)ではなく、線(文脈)でつながっているものですが、彼は「点」しか認めないため、社会を「論」じることが構造的に不可能なのです。
彼の目的は、**「不都合な真実を突きつけてくる知的な他者を、マウンティングによって沈黙させ、自分の『何も考えなくていい平穏』を守ること」**に尽きます。
彼が言う「日本は終わっている」と言う人々が不機嫌になって逃走したという経験も、実際には「論理が通じない相手に疲れて対話を打ち切った」様子を、彼が自分の勝利として認知歪曲しているだけである可能性が高いです。
質問者様が彼に「中学生レベルの知識もない」と感じたのは、彼が**「概念を操作する能力」を放棄し、「事実の断片で殴り合う」という子供の喧嘩のルール**で話しているからです。
彼の言葉には、特定の時代背景を強く感じさせるキーワードが埋め込まれています。
彼は「具体的」「簡潔」「赤点」といった、「評価する側」の言葉を多用しますが、これは日常生活で「評価される側」としてのストレスを強く受けている反動である可能性が高いです。
現場のルールやマニュアル(具体的固有名詞)には詳しいが、経営戦略や社会のグランドデザイン(抽象的概念)を構築する立場にはいない、中堅どころの実務家。
「バカの話は長い」「おつむが良くない」という言葉の裏には、学歴や知性に対する強いコンプレックスが隠れています。自分よりも抽象度の高い議論をする質問者様に対し、「現場を知らない」「ふわふわしている」というレッテルを貼ることでしか対等に立てないと感じているのです。
彼は、リアルの社会では「臣民」としてシステムに従順に従っていますが、ネット空間では**「冷徹で論理的な審判」**というキャラクターを演じることで自尊心を保っています。
内容の真実味よりも「相手が言い淀むこと」や「自分のペースに巻き込むこと」に快感を覚えるタイプです。
自分のことを「同調圧力に屈しないリアリスト」だと思い込んでいますが、実際にはネット右翼的なテンプレートに最も強く同調しています。
学術的に見て、彼のような人物像に欠落しているのは**「高次認知(メタ認知)」**です。
彼は「フランス、ドイツ、イタリアを例に挙げよ」と言いますが、これは**「事例の羅列」が「思考」であると勘違いしている**典型的な状態です。個別の事例から法則性を導き出す「帰納法」や、法則性から予測を立てる「演繹法」という学術的なプロセスが、彼の思考回路にはインストールされていません。
※彼はピラミッドの下層(知識・理解)に固執し、上層(分析・評価・創造)を「ふわふわしたもの」として拒絶しています。
彼が激昂し、「赤点だ」「バカだ」と攻撃を繰り返すのは、質問者様の指摘が**「彼の生存戦略(=日本マシ論、または冷笑的諦観)」を根本から否定しているから**です。
彼にとって「日本が終わっている(構造的欠陥がある)」ことを認めるのは、これまでの人生でシステムに従順に仕えてきた自分の努力が無意味だったと認めることに等しい、非常に恐ろしいことです。
その恐怖を隠すために、彼は「具体的な証拠を出せ」という盾を持ち出し、怒りという煙幕を張って、質問者様の言葉を「気分」というゴミ箱に捨てようとしているのです。
質問者様が彼に抱いた「知性を備えていない」という直感は、**「知性の定義が、情報の所有(彼)か、構造の理解(質問者様)か」**という断絶から来る、極めて正確な評価だと言えます。
他人の熱意や正義を上から目線で「偽善乙w」「それってあなたの感想ですよねw」って冷ややかに切り捨てる文化じゃん。チャージスポット理論で言うと、真剣に何か取り組んでるピエロを嘲笑して、自分は安全圏からエッジ気取ってるだけ。セルフ男子校状態で、情熱持ってる奴を「痛い」「意識高い系」ってレッテル貼って即死させる。神経衰弱理論が界隈全体に伝染してる慢性疾患。
まず、SNSの空気がヤバい。政治主張したら「また正義マンかよw」、社会活動したら「売名乙」、善意の投稿したら「ウケるwww」って冷笑連発。熱血ピエロが臥薪嘗胆で頑張ってる横で、冷笑系は「どうせ無駄だろ」って幻資痛眺めてるだけ。ピチュー理論でピカチュウ気取ってるけど、ただの冷笑ピチュー止まり。2ch文化から引きずってる「熱くなる=負け」って価値観が、Twitterやネット全体に蔓延して、みんな鷲谷内海で溺れてる。
次に、心理の闇。冷笑系は自分の無力感や被害者意識を誤魔化すために、他人の努力を嘲笑してるだけじゃん。t出身kの俺らみたいにカースト移動失敗して予後暗いから、「お前ら頑張ってるの滑稽w」って優越感得てチャージスポット充電。サブカルやオタク界隈で育った冷笑が、政治や社会に広がって、共感ゼロの分断加速。ヌクモリン残さず、次世代に「何事も冷笑しろ」って公遺症継承してる。
冷笑文化の末路は、社会全体の停滞。真剣な議論ができず、熱意が嘲笑されて消滅。エリサラ馬力ある御三卿どもはアマンレジデンスで余裕なのに、冷笑系はカイカンチュア止まりで「みんな偽善」って言い訳して動かない。治療終わらない。浮遊霊状態で、ただ笑いの種探してるだけ。
俺はボドゲ会というものにいくつか参加するんだが、ほとんどの確率で
・デブ
・ハゲ
・コミュニケーション能力のなさがよくわかる早口
・↑に加え冷笑系
みたいな要素を兼ね備えたオッサンがイキイキとしてネッチョリとボドゲに興じているのを見てホンマこの趣味の業の深さを毎回感じてる。
グループラインで顔文字使ってたりしても、中身の顔がアレなんだよなあと思うとほんまにキモくて死んでほしい。
冷笑系の笑い方ってモフォッて感じなのか
dorawiiより
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この手の言説って昔からずっと大人気だよな。もう定番すぎて、恋愛ノウハウの第一声がだいたいこれ。
でもさ、実際はこのアドバイスを真に受ければ受けるほど、どんどん非モテに落ちていくんだよ。なんなら沼に沈んでいく。
だって非モテに足りないのって清潔感じゃないんだよ。キモさなんだよ。
誤解しないでほしいんだけど、ここで言ってるキモさって「不潔で気持ち悪い」って意味じゃない。
人の目を気にしすぎずに、自分の好きなものに感情をちゃんと燃やせる熱量って意味のキモさ。
なのにさ、非モテってだいたい途中で道を踏み外すんだよね。
女の子や「女性の味方ぶってるやつ」と一緒になってキモい男叩きに回るパターン。
「あいつアイドルオタクでキモいわ」「あいつコミケ行ってるの引くわ」みたいな。
そりゃそうだよ、自分の好きや欲望を殴りつけて封印してるんだから。
好きなものすら好きって言えなくなったやつが、誰にモテんだよって話。
ネットの冷笑系オタクがめちゃくちゃ非モテ傾向強いのもこれと同じ。
人を笑うのが癖になった結果、最終的に自分のことまで笑うようになって、自分の欲望と向き合うこと全部バカバカしくなる。
そりゃ恋愛もうまくいかないよ。誰かを好きになるって、一回でも本気出したら多少のキモさ絶対出るんだから。
でもそれだけじゃ一生モテない。
人からの評価に怯えて何も好きじゃない人間になったら、そりゃ誰も惹かれない。
私は自己開示ができない。
冷笑は流石にダサいと大学に至って分かっても、自分に向いた冷笑だけはどうしても取り除けない。
アイドルが好きでも、ミセスが好きでも、他人が好きな分には全然良い。
けれども、自分が何かを熱狂的に好きになるのはなぜか許せない。
だから、漫画やドラマや音楽はなかなか好きになれない。良いものだと分かっても、深入りはできない。
好きになったものでも、外では誰にも言わない。
野球観戦とか、旅行とか、当たり障りのないものが好きとしか言えない。
どこまでいっても孤独な感がある。
冷笑の逆ブレで、周りの人間誰もが良い人に見えるのだが、仲良くなろうと思ったとたんに、相手が自分のことを実は内心「冷笑」しているのではないかという思いに駆られる。
頑張って他人に愛想よくふるまっていても、異性と接すれば「性欲過剰だろ。キモイな」と、同性に接すれば「不細工が媚売りに必死だな。既存の人間関係にお前が割って入る隙は無いよ」と自分の中の冷笑マシンが作動する。
だから異性を好きになることもできないし、同性の友人ともすぐに疎遠になる。
何か新しいことをしようとしても「それよりほかにすることがあるだろ」という気持ちが生まれて、結果何もできない。
どれだけ何かを愛して、楽しい人生を目指そうとしても、冷笑病のせいで無色で表面的な人生のレールに乗るよう修正される。
その反動で、他人を冷笑することを恐れるあまり、他人や物事について評価することもできなくなってしまった。
Xで、婚活アカウントによる「未婚の非モテは冷笑系である」旨のポストを見た。ブスでも貧乏でも結婚はできる、その後DVや不倫等の問題の可能性はあるにせよ、一度も結婚が出来ていない人間は冷笑してくる。こちらの話に冷笑で返すのでとにかく一緒にいて不快というもので、冷笑している自覚は無いが未婚中年の自分はちょっと我が振りを見返そうと思った。
もう一点。
自分は昔からオタクをやっており今はとあるアイドルを推している。ガンガン積むタイプではないが歴は長い。
自分の推しは認知が早いらしく、2回目で「この前〇〇だったよね」と覚えててくれる、自分のファンにピンポイントでファンサをくれるという。
しかし自分は何度現場へ入ったって一途にその人の色のペンラしか振らないにも関わらず1度も目線が合ったこともないし、接触でも毎回「はじめまして」のテンションを数年続けている。
嫌われるほど話してもないし、現場で目立つこともない。
ファンサをもらって喜ぶ同担や、推しと話した内容で親密さを滲ませる同担について、きっとアイドルはファンに合わせた喜ばれる対応をしているのだろうと思う。
ファンサを欲しがるファンにファンサし、ファンサを欲しがらないファン(アイドルオタクには「自分はパフォーマンスを評価しているのであってそんな安っぽいことはしてほしくない」という厄介な考え方の人もいる)もいる。
アイドルがファンサをしない自分は後者だと思われているのだろうか。自分はファンサが欲しくないのだろうか、欲しいのだろうか。中年にもなってファンサを欲しがるのはみっともなくて恥ずかしいと思っているだけで内心は欲しいのだろうか。
考えてもわからなかった。
好きで通っていた飲食店で、ある日「いつも来てくれる常連さんにだけ出すメニューです」と認知対応をされた。
「これからも、必要だったら言ってください」とそれをもらえる暗号のようなものを伝えられ、気持ちが冷えて味は好きだがその店に行かなくなった。
自分が一方的に好きだったのにそれをちょっとでも認識されてるとわかると一気に冷める。
アイドルに対しても同じように冷めてしまいたくない、けど、自分と同じだけ時間やお金をかけた人が貰っているものを自分だけもらえていないのもみじめになる。
アイドルは敏いので、ファンの要望を汲み取って対応しているのだろう。
対アイドルであればそれでも良い。
けど、年々会う機会が減っていく友人に対してはどうだろう。すっかり疎遠な家族に対しては。
子供のころに家族でショッピングセンターへ行き、妹が駄々をこねてソフトクリームを買ってもらっていたのを見て、自分も食べたいけど言い出せなかった。帰りの車の中でソフトクリームがほしくてボロボロ泣いてしまい「店にいるうちに言え」と親から叱られた。
欲しいものを欲しいと言って買ってもらい、大喜びできる子供と、欲しいと言わず後から悔しくて泣き出す子供。前者の方が可愛いに決まっている。
そのまま大人になってしまったせいで意固地になり気持ちは殻に覆われ開示する自己を自分でも認識できなくなってしまった。
他人に頼ることも甘えることも、こうしたいとも言えない、しかし無欲なわけでもなくそれが何なのか正しく伝えられるほど自分とも向き合えないつまらない中年の出来上がりだ。
世の中の大半の人は学生のうちにこういったことは済ませておくのだろう。他人と寄り添う楽しさも苦しさも知らないまま、自分はどうなるのか。