はてなキーワード: ボロボロとは
子供産むだけで仕事は制限、収入減、時間ゼロ、老後年金も不利。
まさに罰ゲーム。
でもこの罰を押し付けてるのは誰?
独身・子なしの連中ですよ。
あいつら自由に遊びまくって、社会の負担を全部子持ちに丸投げ。
寄生虫すぎる!子育て罰の例? 保育料・教育費・医療費で家計ボロボロ。
キャリアも止まる。
インフラ・病院・学校・年金、全部ただ乗り。子供作らないくせに、将来の労働力や介護は私たちの子供に頼る気満々。
児童手当や保育料無償化に所得制限つけて、高収入の子持ち家庭は支援ゼロ。
ふざけるな!子供3人産んで税金ガッポリ払ってるのに、「収入多いからいらないでしょ」って?
だったら独身・子なしこそ、子なし税・独身税でガッポリ取れよ!
せめて毎月数万円、子持ち家庭に直接振り込め。
金余ってるんだろ?独身・子なしども、目を覚ませ。
ニュージーランドというくには科学的にはジーランディア大陸という大陸のごく一部が海からつきだしたかたちになっているらしい。
大陸なだと言いつつほとんどが大陸だななので大陸だからといって何かどう変わるものでもない。
なぜこんな事を書いたかというと全く何の意味もないのだが、先日コロマンデル地方で大規模な地滑りがあり、数名のキャンプ客が飲み込まれてしまった。
これを受けて首相のラクソンが急遽そこから100キロ以上離れたテムズという街に何故かヘリで到着し、軍隊とこの件についてミーティングをした。
彼は政治家としては全くばっとしないことで有名で、ジャシンダ・アーダーンがボロボロにしたニュージーランドにとどめを刺しに来たのではないかと個人的には勘ぐっているし、やっていること、見た目、そして名前というこの3点セットによってまるで三遊亭の落語家のように見えてくる。問題は全く面白くないところだ。
今回事故が起きたのはマウント・マウンガヌイという山で、土砂崩れがキャンプ場を直撃し、事故につながった。
被害者の救出が遅々として進まないのはクライストチャーチ地震の頃から変わらないお家芸であり、おそらくあと数日で捜索は打ち切られるのではないだろうか。
今回の件で関したことは、ニュージーランド最北のファーノースという地域はコロマンデル以上の被害を毎年足しているのに無視されているという点だ。
この地域は主に農業地帯であり、ワーホリも観光者もいつも南に行ってしまうので観光地としても有名ではないが、マオリ族が死後彼岸に旅立つと言われているケープレインガという場所は有名だ。
しかしここでも死んだ人の散骨をあまりにするせいでマオリ族から苦情が出ている。少なくともマオリ族ではないやからの骨を撒いてもなんにもならないとは思うが、こういう迷惑行為は辞めるべきだ。
このファーノースという地域につながる高速道路は長い間復旧されずに放置されているし、毎年嵐で陸の孤島になっても放置される。首相が参加予定のイベントをスキップしてまでコロマンデルには行くがファーノースにはいかない。
おそらくジャシンダ・アーダーンは行ったのではないだろうか、人々の印象をよくするためなら何でもするからだ。
ジャシンダ・アーダーン以降あまりにもイケていないニュージーランドの選挙がとうとう今年末に行われる。
日本ではハズレしかいない都知事選でできるだけダメージの少ない候補者を選ぶような話を聞くが、それが国レベルで行われると思えばいいだろう。
ニュージーランドは基本的にはレイバーとナショナルの二大政党が議会の大半の議席を獲得するが、どちらも自陣営だけでは与党になれないので泡沫政党ニュージーランドファーストのウィンストンピーターズにどうか私たちを与党にしてくださいと手土産片手にお願いして彼のご機嫌を取った方が与党になるという選挙を繰り返しており民主主義などとうに機能しなくなっている。
ニュージーランドはクライストチャーチ地震の復旧すら終わっていないのにコロマンデルの土砂災害まで重なってしまい、もう彼らの時空では手に負えなくなっているかもしれない。
毎月給料からゴッソリ削られる社会保険料見て、乾いた笑いしか出ねえ。約9万円だぞ。
1ヶ月必死に働いて、血と汗で稼いだ金の1割近くが、即座に天引き。
それとも「もう二度と戻ってこない年金」という名の、世代間強制献金?
手取りボロボロで生活ギリギリなのに、毎月9万近く持ってかれてる現実。
親「いつかはお前の家になるんだからさ~」とか言ってきて、
自分が住まないボロ家・空き家の修繕・建て替えの話振ってくる。
は? 正気か?
俺が住む予定ゼロの物件が、なぜ俺の資産じゃなくて呪いなんだよ。
自分の生活すら火の車なのに、親の老後と不動産の維持費まで背負わされるって何?
どっち選んでも地獄。詰んでる。
現役世代は高齢者の医療・介護・年金の土台として使い潰されるだけ。
もう希望とかねえよ。
たぶん、あの話はどこにも書かないまま一生終えると思っていた。
わざわざオブラートに包む意味もないぐらい、その言葉どおりのことをした。
「いじめてた」とか「いたずらの延長で」とか、そういう言い換えは、逆に猫にも自分にも失礼な気がするからやめておく。
もちろん当時は、そこまで言語化して考えていたわけじゃない。
ただ、今になって振り返ると、あれはどう見ても「殺した」だったとしか言いようがない。
***
暴力を振るうタイプではなかったけれど、いつも口が悪くて、教師に盾突いて、家では親に向かってドアを思い切り閉めて歩く子どもだった。
問題は、そのイライラの行き先を、自分より弱いものに向けることを覚えたことだった。
最初は、ただ、何かを拾った、というだけのことだった。
雨上がりで地面はぬかるんでいて、猫は泥と埃でべたべただった。
片目が少しにごっていて、ああ、たぶん誰も拾わないやつだ、と思った。
家に連れて帰ったわけでもない。
ちゃんと世話をしようと思ったわけでもない。
あの頃の自分に、そんな「責任ある行為」をする能力は、残念ながら備わっていなかった。
尻尾を引っぱって逃げる様子を見て笑ったり、棒を振りまわして脅したり、石を投げたりした。
最初は当たらないように投げていたのに、だんだん「どこまで近くに投げられるか」を試すゲームになっていった。
ある日、石はちゃんと当たった。
足を引きずるようになって、鳴き声が変わって、それでも自分はやめなかった。
なんとなく、止まるタイミングを完全に見失っていた。
それがどんな結末を迎えたのか、細かい描写はここには書かない。
ただひとつ言えるのは、気づいたとき、猫は動かなくなっていて、けっきょく自分は誰にも言わず、そのまま公園を出て家に帰った、ということだけだ。
その後しばらく、夜になるとあの公園のベンチの映像が頭に浮かんだ。
猫の姿そのものより、濡れた木のベンチと、薄暗い街灯の光のほうが、なぜか記憶にこびりついている。
そこから先の道を、あのまま真っ暗なほうへ踏み外していってもおかしくなかったんだろうと思う。
幸運か、不運かはわからないが、自分はその道から外れることができた。
中学に上がってから、担任が怖い人で、殴る代わりにしつこく話を聞いてくるタイプだった。
大学は、たいして目的もなく入って、バイト先で怒られながら仕事を覚えた。
ただ、日々の小さな「やらかし」と「怒られ」と「反省」と、どうでもいい雑談の積み重ねが、自分を少しずつ「普通」に近い場所まで連れ戻してくれたんだと思う。
それでも、猫のことは消えなかった。
何かの拍子に、あの公園の色だけが急にフルHD画質で蘇る感じがある。
時間でぼやけるどころか、「忘れられなかった事実」というタグが付いて、むしろ保存性が上がっていく。
***
30代半ばになって、同棲の話が出た。
相手は、職場で知り合った人で、明るくて、よく笑って、感情の出し方が自分とは正反対だった。
「一緒に住むなら、猫連れて行ってもいい?」と言われたとき、胸の中で何かが硬くなる音がした。
「猫?」
猫が嫌いなわけじゃなかった。
むしろ最近は、道端で見かけると写真を撮るくらいには好きだった。
ただ、そこで連想するのが公園ではなく、マンションの一室になることを、頭がうまく処理できなかった。
白い猫だった。
ふわふわしていて、目が青くて、画面越しでも「この家で一番かわいい生き物です」みたいな顔つきをしていた。
「めちゃくちゃ可愛いじゃん」と口では言った。
それは本心だった。
ぎこちなさが出ていたのかどうか、自分ではまったくわからなかった。
帰り道、電車の窓に映る自分の顔を見ながら、「猫を殺したことがある人間が、猫と一緒に暮らしていいんだろうか」と考えた。
別に、また殺したくなる気がするわけじゃない。
今の自分がそんなことをするとは思えないし、イライラをぶつける対象として猫を選ぶメンタリティでは、少なくとももうない。
それは「飲酒運転を一度でもしたことがある人」とか、「昔、人を殴ったことがる」とか、そういう類の話とは、少し違う気がする。
もちろん猫は何も悪くない。
そして今、自分がこれから「守る側」のポジションに立とうとしている。
そのギャップが、うまく飲み込めない。
***
数日後、正直に話すかどうかで迷った末、かなり薄めた形で打ち明けた。
「子どもの頃、動物をいじめてたことがあってさ」と前置きしてから、
殺した、という単語だけはどうしても口に出せなくて、
相手はしばらく黙っていた。
その沈黙の長さに耐えられなくなって、「いや、今はもう絶対そんなことしないけど」と、いちいち余計な一言を足してしまう。
「……じゃあさ」
「いま、うちの猫を見て、何かしたくなる?」
その質問の仕方が、妙に真っ直ぐで、逃げ場がなかった。
ソファの上で伸びているやつ、キャットタワーから顔だけ出してるやつ、窓辺で丸くなっているやつ。
「ならないよ」
答えは即答だった。
それだけは、自信をもって言えた。
「私もさ、昔、虫とか平気で殺してたし。
今はさすがに猫とか犬に当たる気にはならないけど、
でも“昔の自分”が完全に消えたかって言われたら、そんなことないし」
ただ、「昔の自分が完全に消えたなんてことはない」という言葉だけは、妙に胸に刺さった。
そして今、その大人が、「猫と一緒に暮らすかどうか」を決めようとしている。
***
それからしばらくして、本当に一緒に住むことになった。
引っ越し当日、キャリーケースの中で騒いでいる白い猫を初めて見たとき、
自分の心臓の鼓動が一段階ギアを上げたのがはっきりとわかった。
爪を立てて暴れるその小さな生き物は、自分が昔、公園で追い回した猫とはまるで別の存在だ。
でも、「猫」という種としては完全に連続している。
同じカテゴリの命だ。
ケースの扉が開いて、猫が部屋の中をうろうろし始める。
ソファの下に潜りかけて、途中でやめて、コンセントの匂いを嗅いで、カーテンによじ登ろうとして叱られる。
自分は玄関のところで、靴を片づけるふりをしながら、それをこっそり見ている。
「ほら、なでてあげなよ」と言われて、
ぎこちなく手を伸ばす。
柔らかい毛に指先が触れる。
猫は一瞬こちらを見上げて、「動物的な評価」を下すような目をしたあと、特に何もなかったかのように、また部屋の探索を続けた。
その瞬間、自分の中で何かが、静かに「現在」を上書きした感じがあった。
「ああ、この猫は、俺が昔殺したあの猫じゃない」
「でも、同じ種の、別の一匹として、今ここにいる」
それは許しではないし、償いが済んだという話でもない。
ただ、「過去に猫を殺したことがある人間」が、「今、猫と暮らしている」という事実が、世界のどこかに一つ増えた、というだけだ。
***
こんなことを考えている自分に、果たして猫を飼う資格があるのかはわからない。
それでも毎朝、白い猫が腹の上に乗ってきて、
猫を殺したことがある少年が、大人になってから猫を飼うことに抵抗がない人って、いるのかな。
たぶんずっと、少しだけ怖いままだ。
女性サバイバルリベンジものかと思ったら特殊性癖映画だった29点。
アメリカの田舎の渓谷にシカを撮りに来た写真家の主人公はうっかり凄惨な拷問現場に遭遇、写真を撮ってしまう。保安官事務所に駆け込んで荷物をとりに車に戻ったところ車ごと拷問をしていた男たちに拉致されるも、驚異的な身体能力で脱出。追いかけてくる男たちをバッタバッタとなぎ倒し脱出に成功するも……
というお話。
やりたかったのは最後の特殊性癖開陳パートなんだろうけど、あのパートが生きてくるにはここ最近は鉄板の女性サバイバルリベンジパートがいい出来であることが必須だと思うんだけど、実際には情緒不安定バカ女VS開拓者精神をこじらせたバカ男って感じで、ここがすげー微妙だから最後まで低い体温のまま通り過ぎてしまった感じ。
非常に親近感が持てる顔(京都言葉)の主人公は拉致されて逆さに吊るされるんだけど、そこから空中ブランコよろしく身体を振って脱出するところから爆笑必至なんだけど、そもそもサバイバル写真家の主人公が渓谷の撮影にホットパンツにシャツ1枚で来てるところから意味わからん。あとなんかこいつめっちゃドヤ顔で敵を煽ったかと思うと急にボロボロ泣き崩れたり情緒のふり幅が極端すぎる。こいつ強いの?弱いの?っていう感情が繋がらないので感情移入できない。
対する拷問大好き田舎のおっさん達は「この渓谷は俺たちの祖先が開拓して~ヨソモノは資本主義で搾取しに来る奴らだから拷問して殺してよくて~」みたいな田舎の古き悪しき男性性の表面だけなぞったようなペラッペラのキャラ設定でなんかもうそれだけでウンザリ。なぜか主人公を拉致った後に「殴り合いで決着つけよう」とか言い出すのもよくわからん。
報復パートも基本的には敵がバカだから死ぬ&そうはならんやろすぎる展開の連続で見ていてあんま体温が上がらない。唯一愉快だったのは最初のヤク中を殺す時にヤク中が持ってた銃弾の箱をお手製の釣り竿で焚火に落として暴発させるシーン。このシーン、焚火に落とした後もなぜか主人公が「まだかなまだかな」ってずっと上からのぞき込んでて、いざ暴発したら「うわっ、あぶなっ!」ってなるのがチャーミング(ふわふわ言葉)だった。
そして"相対的に"賢い主人公が追手を撃退し渓谷から脱出成功したとたん、急にIQが下がってまた拉致される展開。
あのさぁ、これ見てる側が「いやそいつ絶対にグルやで」ってなってるところにまんまとハマって拉致されるのって、情動としては「バカなの?」としかならんのよ。せめて「えっ、そういうことだったのか~」ってロジックを用意しろよ。
で急に話が映画の最初に戻るんだけど。この映画は冒頭で包帯にぐるぐる巻きにされた女性に病院で男性保安官?捜査官?が聞き取り調査を行うパートから始まるのね。で、話が戻ってもう一回拉致された主人公がまた敵がバカだったから脱出できましたってところで病院に戻って捜査官が「お前が言ってることホンマか?ヤクやって頭おかしなってるだけちゃう?ほな」って言って病室から出て行こうとすると、包帯ぐるぐる巻き女が「ここからがいいところなのに」って呼び止める。
これがたぶん、この監督?脚本?の本音で実際に「ここから」をやりたいがためだけの映画なんだと思う。
主人公が銃を奪って脱出した!と思ったら、主人公を救出に来ていた友人がおっさんに拉致されていたことが判明し一転窮地に、そして主人公の友人はブタに食われ主人公は牛の胃袋に詰め込まれて身体を溶かされて、おっさんはどっかに行きましたとさ、めでたしめでたし。最後は横たわる牛の腹の縫い後から主人公の目だけが見えているショットで終わる。
いやまさか女性リベンジものの皮をかぶったVORE(Vorarephilia=丸呑みフェチ)映画やとは思わんやん。
まぁ女性リベンジものと見せかけて失敗逆転敗北展開~びっくりした?ねぇねぇ?こんな展開思いつかなかったでしょ?っていうクソ浅はかなちゃぶ台返しなんだろうなって思うけど、そんなもんジャパニーズ・ウス・イ本で死ぬほど見てるんよ。
そして何より、ここを盛り上げたいならそこまでの過程をもっと大事にしないと。もちろんラストに対するあからさますぎるフリはずっとやってたけど、そうじゃなくてこれは美しくて強くて賢い主人公の完全勝利でしょ!からの逆転敗北ってギャップがないと。ずっとバカとバカの争いだから「さいですか」としかならんのよ。
いろんな映画見て思うけどなんか既存ジャンルにギミック入れてずらしたいなら、そもそもその既存ジャンルとしての強度が高くないとダメ。土台が強いからこそタメが効いて高く飛べる。土台がふにゃふにゃだから踏み切りも弱くて遠くまで飛べない。
最近気づいたんだけど、30代半ば超えてまだ結婚してない奴って、何か決定的に人間として足りてない部分があるよな
いや別に、結婚が人生のゴールとか古臭いこと言いたいわけじゃないけどさ
毎日顔合わせる、価値観のすり合わせを延々やる、金の管理を共同でやる
相手の家族と付き合う、病気や親の介護の可能性をリアルに考える
セックスがマンネリ化しても関係を維持する、子供ができたら人生設計が180度変わる
これ全部、未婚のままだと、全く知らないレベルの遠い話でしかないんだよな
こないだ会社の同期(32歳・未婚)と飲んでて、
ってニヤけながら言われてさ、
心の中で「いやお前、それ自由じゃなくて、ただの逃げだろ……」って思っちゃった。
だってそいつ、実家暮らしのこどおじで、彼女と半年も続いたことない、貯金ほぼゼロ、有休全部自分の趣味に消化、なにもかも自分のことばっかりなんだよ
もちろん逆パターンもいるよ
「自分のエグい部分を嫌でも見せられるんだ」
っていう生々しい現実を一回は味わってる
未婚貫いてる人は、その一番キツいパートをまるっとスルーしてるんだよ
だからどうしても、なんか軽くて、子供っぽい、他に足がついてないって印象になっちゃう
たださ、「俺は結婚とか興味ないし、独身のままの方が人生濃いよ」みたいな上から目線で語られると、ただのお子ちゃまの戯言にしか聞こえないんだよな…
お前らはどう思う?
元オスカー女優エリザベスは50歳の誕生日に年齢を理由にテレビのエアロビ番組の主演を降板させられてしまう。帰り道に事故にあいその病院で謎のUSBを渡され、再生すると謎の再生医療「サブスタンス」の広告。悩んだ末に申し込むとサブスタンスキットが届き、最初の注射を打つとエリザベスの背中が割け、中から若いエリザベス、通称スーが爆誕。スーはエリザベスの後釜に座り芸能界を駆け上がっていくが、サブスタンスには制約があり……
というお話。
俺のワイベスト映画のひとつに「レクイエム・フォー・ドリーム」があるんだけどそこで非常に有効的に使われて一躍有名になったヒップホップ・モンタージュを繰り返し使用していて、なんなら若い身体を維持するためにエリザベスの脊髄液を抜きまくるシーンでどんどん注射痕が汚く化膿していく感じも見るからにって感じだったし。ASMR的に音を過剰に表現する技法もそう。それ以外にもギャスパー・ノエやキューブリック的なデカ文字ドーン、音もドーンが繰り返し登場して、とにかく画面を見ていて飽きるってことが少なかった。
あとはサブスタンスを行うと1人が2人に分裂するんだけど、その時に細胞分裂よろしく眼窩の目が二個に増えるんだけどそんなわけあるかいなんだけどめっちゃ不気味でキモくてよかった。
じゃあトリッキーな映像表現だけが楽しい映画なのかっていうとそうじゃなくて、例えば最初、ハリウッドのスターのサインが埋め込まれた道路あるじゃん。あそこにエリザベスの名前が刻まれて大々的なお披露目からみんなその床の上で写真撮ったり敬意を払っているのがどんどん雑に扱われるようになってひび割れて、最終的にデブがハンバーガー落としてケチャップまみれになるところから映画が始まる。これだけで「エリザベスの最盛期から今まで」を表現しているのがカッコいいし、最終的にサブスタンスのせいで身体が爆裂したエリザベスは同じ床の上で血のしみになって、掃除のおばさんに拭きとられて終わる。ケチャップまみれの床→それが自分の残滓→拭き取られて終わりという帰結も美しい。
その栄華の象徴としての床の上で話が始まって、床の上で終わるのが映像的ギミックだけではなくて作品全体を貫いている。エリザベスはオスカーを取った後結局テレビ局のエアロビ番組でケツ振って過ごして、しかし年齢で解雇されて分裂して若返った後同じ場所に戻ってくる。特に分身体のスーは「芸能界」「家」の2か所しか生きていない。。スマホは登場しないし、SNSも出てこない。彼女はずっと「業界」の中で過ごし続け、病み、死ぬ。
屈指の名場面として誰もが挙げるであろうエリザベスが化粧するシーン。数少ない外部である病院で出会った小学校?中学校のクラスメートと連絡先を交換するシーンがあって、分身後、年老いた「エリザベス」として自分の価値が見いだせなくなった彼女が「芸能人」としてではなく「エリザベス」としてデートしようと出かけようとするんだけど、若く完璧な「スー」が頭にちらつて肌を見せるのが怖くなり、化粧も合ってるのかわからなくなり、結局顔をグチャグチャにして家から出られなくなってしまう。
「芸能界、ショウビズ界」の価値観に凝り固まってしまった彼女は結局「そうではない自分」を受け入れられず、理解もできずその外の世界に飛び出す機会を失ってしまう。何度かサブスタンスを辞める選択肢が出てくるが、結局同じ理由で辞められない。
そして怪物になった彼女は自分の全盛期の写真を切り抜き自分の顔に貼り付ける。
彼女は最初から最後まで「自分の名前が刻まれた時、場所の上」から一歩も動けない。
また床のスターを(移民の)男性が埋め込むシーンから映画がスタートし、下卑た男性プロデューサーや男性面接官、そして白人男性スポンサーが支配する芸能界からドロップアウトし、分身してからまたそこに戻るという「男性が用意した世界でしか踊れない」対象としてエリザベスとスーを描いている部分も同様に「まったく同じ場所にずっといる」ということを示しているように思う。
サブスタンスは「物質」「核心」って意味だけど、サブ・スタンスとして芸能界以外の価値観、立場に片足だけでも乗っけておけばこんなことにはならなかったのになぁと思った。友人も一切出てこないしね。
あらゆるシーン、展開が象徴的で2万文字書いても書ききれないくらいなんだけど、個人的に好きだったのは「老いた醜い自分」「若くて美しい自分」を文字通り分割して見せたところ。
作中で繰り替えし「ふたりはひとつ」と告げられる。サブスタンスでは7日ごとに若いほうのスーと年老いたもとのほうのエリザベスを入れ替えて均衡を保つ必要があるんだけど、イケイケのスーはだんだんそのルールを破ってエリザベスの中に残る若さを搾取し始める。そうすると、入れ替わったときにエリザベスはどんどん年老いていく。
これって「若いときに美貌を保とうと無理なダイエットや整形をやった結果、年老いたときに身体がボロボロになるやーつ」のメタファーだよね。それを7日間という短いスパンで交互に見せる手法のドギツさたるや。そして、それに対抗するかのようにエリザベスは過食を行うようになる。自身に対する虐待であると同時に「若いときにやりたいことを我慢させられている自分」に対するアンチテーゼでもある。
つまるところ「ふたりはひとつ」であるものを無理やりふたりに分割した結果、互いが自分自身の人生に復讐し合っているという悲しい構造が浮き彫りになる。
そして最終的にエリザベスはスーを殺害しようとするもスーが自分自身であることを思い出し思いとどまるが、自分を殺害しようとしていたことを知ったスーは激怒しエリザベスを殺害してしまう。ここに「若い自分は自分が来た道」だが、「老いた自分は若い自分との連続性がない(と感じてしまう)」という非対称性の悲しさがある。
そして、自分の未来を自ら殺害してしまったことでスーの未来も閉じてしまう。
それとは別に下品プロデューサーに「50になると終わっちゃうじゃん。何とは言わんけどさ」って言われる冒頭のシーン、あれは明らかに「閉経」のことだと思うんだけど、その結果として彼女は腹……じゃなくて背中を痛めてスーを産むっていうのも示唆的。こういういろんな読み時ができる要素が死ぬほどあってマジで退屈しない。
まぁ最後、統合されてバケモノになってバカみたいに観客に血をまき散らす展開は俺の中であんまピンとこなかった。
外見がバケモノになるところまでは美醜という価値観自体からの完全な脱却としてポジティブに受け入れられたけど、なんかバカみたいな量の血をまき散らす展開は「やりたかったんやろなぁ」以上の感情はなかった。いやどんだけでてくるねんっていうむしろノイズだった。これだったら似たような展開の「SMILE2」のほうが好きだったかなぁ。
ただ血をぶっかける相手が「男性」に限定されず、彼女のフォロワー的なエキストラの女性(なぜか乳丸出しでどんな番組やねんってなったけど)や、彼女のファンの幼い少女やその母親、老女などあらゆる属性を含んでいて復讐対象を男性だけに過度に設定しない部分に真摯さを感じた。(なのになぜかこのスプラッタシーンは男性的視点に対する復讐でスッキリ!みたいなレビューが多くてびっくり)
時代考証どうなってるねんみたいなリアリティ部分に難があると言えなくはないけど、一種の芸能界ルッキズムエイジズム寓話として作られているんだろうしそこはあんま気にならなかったかな。とにかく見たら誰かと内容を話したくなるって意味でいい映画だと思う。
物理的ロジックは整っているが心理的なロジックが今一つ受け入れづらいオカルト×ミステリ映画の佳作。67点。
刑事グレッグの家は不倫バレしたカウンセラーの嫁とそれを知った息子と本人でギスギス。そんな中、町では誘拐事件が発生、現場には十数年前と同じ緑の十得ナイフが残されていた。そしてそれとほぼ同時期にグレッグ家では誰もいないのにテレビが勝手に誘拐事件のニュースを映したり、ドアが開かなくなる、音楽がかかるなど不審な出来事が起こり始め、ついには死者が。いったいこの家で何が起きているというのか。
実はグレッグ家には「フロッギング」という「他人の家にこっそり侵入して住み着く行為」を行う若者2人が潜入しており不審な出来事は全部この2人のうちの1人の犯行だったことがわかる。グレッグ家と若者たちが交差する時、大きな謎が解き明かされたりされなかったりする――
作品としてはざっくり2つのパートに分かれている。あらすじで分けたのがそれで、前半部は「謎の失踪事件とグレッグ家でおきるオカルティックな出来事の数々」そして、後半部で急に視点が変わり「フロッギングでグレッグ家に新んにゅうした若者たちの物語」。そして後半部は前半部での謎が解明される構成になっていて、なるほどそういうことね全部人災だったのねとわかる。
しかしここで実は若者のいたずらだったというだけにとどまらず、「なぜ彼がこのようなことをするのか」が2人組のもう一人の視点から描かれるのがこの映画の面白いところ。前半での不審な事件の謎は明かされるが今度は、次々いたずらを仕掛けるカエル顔の本意がわからないという別のサスペンスが立ち上がる。
そうこうしているうちに若者のいたずらから新たな事件が発生し、その事件を回避するためにとった行動が街で発生している誘拐事件に繋がり……と映画内で起きているすべてのことが明らかにされる。という、サスペンスミステリとして非常に強固なロジックで作成された作品である。
脚本としては超よくできてると思う。
で、まぁアンゴルモアネタバレすると「実は誘拐犯は刑事グレッグで若者の一人のカエル顔は実は十数年前に彼に誘拐されそのまま行方不明になっていた子供だった」ことがわかり、(おそらく)今回のいたずら~その後のことは彼の復讐だったことがわかる。
ここに関しては「だったら全部わかる」とは思えるのだが、その提示が他の謎に比べると弱く感じる。若者の一人ミンディはフロッギングのプロでこの行為を繰り返していることがうかがえ、カエル顔は今回「頼み込んでついてきた」ことが提示される。しかしここでミンディがどれだけ計画的に家を選んでいるかが提示されないので、カエル顔はグレッグの家だと知っていたからついてきたのかどうかの判別が難しい。
またカエル顔が行ういたずらが些細且つなんか回りくどいものが多いので真相がわかってから見ると「幼少期に誘拐されてボロボロにされた復讐わりにえらい悠長だな」と感じてしまう。なんかずっと屋上で煙草吸ってるし。やっとる場合か?
あとはグレッグが誘拐犯だったことにはちゃんと伏線も貼られているのだが、なぜだったのか――どういう動機でどういう目的で――は一切明かされない。もろちん、そういう「純然たる悪」という設定もいいとは思うのだが、ナンデ?が解消されないのは俺的にはマイナス。「誘拐犯」という書割に見えてしまった。
また途中で不倫相手を殺害するエピが入るんだけどこれに関しては何故そうしたのか等が一切不明。ここはぶっちゃけ手を抜いてると思う。
書割で行くとフロッギングのプロのミンディも「事件に巻き込まれるフロッギングのプロ」としての役割しか与えられておらず、カエル顔とグロッグというサイコパスの間で振り回された挙句殺害され、そしてその後、一切顧みられない。因果応報ではあれシンプルかわいそう。
あと、グレッグの妻がシンプル嫌いなタイプの女でこいつ早く死ねと思いながら見てたけど死ななかったのはマイナス(むちゃくちゃな採点)。
まぁそんなこんなである種のパズラー的な本格ミステリとしての強度はあるが、かつて新本格が「トリックに重きを置きすぎていて人間描写が書割にすぎる」と批判されたのと同じような構造を持った作品だなと感じた。あと、前半部をややオカルト表現に振りすぎているのでそっちを期待しすぎていると「え、そんな話だったの?」ってなるかも。
でもまぁ見てて「へぇ~~~!ほぉ~!」となれるようにはなってるし、空気作りもしっかりしているのでミステリ好きには結構オススメ。