はてなキーワード: 揮毫とは
1954年、北海道岩内町生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、1年間銀行員を務め、東京神学大学大学院で修士号取得。日本基督教団富士見町教会副牧師、明治学院牧師を歴任。キリスト教の「社会正義」と「平和主義」を学びながら、東京などで静かな牧会生活を送っていた。
辺野古問題に20年以上前から関心を抱いていた金井さんは、「沖縄のために生きたい」と2006年に単身沖縄移住。日本基督教団佐敷教会(南城市)牧師に就任。同時に沖縄キリスト教学院平和総合研究所コーディネーター(2010〜2021年)も務めた。
抗議活動で出会った地元高齢者から「辺野古の海は戦後、資源豊かで命をつないだ食料源だった」と聞き、「命をつないでくれた海に恩返しがしたい」と胸に刻む。 「沖縄のために生きたい」と決意した移住が、以降の人生を決めた転機として描かれている。
2007年頃から辺野古沖で週3日ペースの海上阻止行動に参加。「イエスは辺野古の現場にいる」(Christian Today 2014年9月報道)と信仰を現場に重ね、非暴力・不服従の精神で活動。
決定的転機は2014年。沖縄キリスト教学院平和研究所コーディネーターの肩書で全国カンパを呼びかけ、わずか1ヶ月で資金を集め、抗議船「不屈」(定員10人)を購入・進水。
金井創牧師はこう決意表明: 「瀬長さんの思いを受け継いで、何があっても弾圧に屈せず、この船で闘っていきたい」 (瀬長亀次郎氏が好んだ「不屈」の揮毫を船名に。ヘリ基地反対協・安次富浩共同代表は「闘いに勝利するための大きな柱になってほしい」と期待を寄せた)。
ここで支援者との関係が明確に語られる:「市民の船」として全国から寄せられたカンパで実現。「募金に応じてくれた人たちへのメッセージ」を船長自ら掲げ、支援者と一体となった「抵抗の象徴」として描かれた。
2014年以降、「不屈」船長として海上監視・抗議を継続。波浪下でも出航し、政府の工事強行に立ち向かう。
辺野古の海が「すっかり変わり果てた」「生き物がたくさんいた楽園のような海が今では護岸に囲まれ、土砂で埋め尽くされている」と嘆きながらも、「これからも海に出る」と決意。 「基地問題は日本全体で考えるべきだ。沖縄だけを犠牲にして済むと思わないでほしい」と全国に訴え続けた。
平和研究所コーディネーターとして抗議を続ける金井さんの手記『沖縄・辺野古の抗議船「不屈」からの便り』を「話題」として好意的に紹介。 2015年以降、京都の教会へ毎月送っていた「沖縄からの便り」を単行本化(2025年には第2巻も出版)。「圧倒的な力を前に絶望しか生まれてこないはずのこの海から、なぜ希望が湧き上がってくるのか」(帯・三上智恵氏)と、現場からの希望を全国に届けたと称賛された。
「弾圧は抵抗を呼び、抵抗は友を呼ぶ」(瀬長氏の言葉)を精神の柱に、非暴力で「海のガンジー」として活動。海上保安庁の強制にも「市民の意志と覚悟」が勝ると信じ、萎縮せず進む不屈の精神を体現。
地元紙や関連報道では、金井さんと支援者の関係は一貫して温かく、相互信頼・連帯の象徴として描かれてきた。
• 全国カンパと「市民の船」:2014年の船購入は「全国の支援者らのカンパ」で実現(琉球新報)。金井さんが平和研究所の肩書で呼びかけたことで、キリスト教ネットワーク・平和団体・一般市民が即座に応じた。進水式では支援者へ直接メッセージを掲げ、「募金に応じてくれた人たち」との絆を強調。
• 地元高齢者との出会い:琉球新報(2022年)で「命をつないだ海に恩返し」の原点として紹介。抗議現場で出会った沖縄の古老たちの言葉が金井さんの原動力となり、「島の人たちの在り方にも胸を打たれる」(手記レビュー)。
• 「不屈カフェ」の人間的交流:船上でフェアトレードコーヒーや手作りケーキを海上保安官・工事作業員にも振る舞う「不屈カフェ」を続け、「立場を超えた交流」(事故後追悼文)。対立者にも優しさを忘れず、信仰に基づく非暴力を実践。
• 全国・宗教ネットワーク:手記は京都教会への「便り」から生まれ、読者(本土支援者)と月イチの絆を築く。ヘリ基地反対協とは「闘いの柱」として連携(琉球新報2014年)。韓国若者とのヨット交流(琉球新報2023年)では「沖縄を超えてアジアの平和を」と語り、国際的支援も呼び込んだ。
報道では「抵抗は友を呼ぶ」精神が繰り返し引用され、金井さんの活動が支援者を増やし、連帯を広げる好循環を生んだと肯定的に語られてきた。事故前まで「ベテラン船長」「献身的な牧師」として、琉球新報・沖縄タイムズは一貫して敬意を込めて報じていた。
金井創船長は、北海道生まれの牧師から「海のガンジー」へ——本土の快適な生活を捨て、沖縄の海に命をかけた。琉球新報をはじめ地元紙は、「何があっても弾圧に屈せず」「命の恩返し」「不屈の精神」という彼の言葉と行動を、10年以上にわたり英雄的・希望的に描き続けた。 支援者との関係も「カンパで生まれた市民の船」「抵抗が友を呼ぶ連帯」として、温かく力強い絆として語られてきた。彼の遺した「便り」は、今も全国の読者に希望を届け続けている。
古代中国の書物である『易経』に「観国之光,利用賓于王(国の光を観る、用て王に賓たるに利し)[注釈 5]」との一節があり、「観光」はこれを略した成句であるというのが定説である[1][5][8][13][34][35]。したがって、明治期に西洋から輸入された多くの概念が和製漢語に当てはめられ理解されていったのに対し、観光という言葉そのものの起源は東洋にあるということになる。
「観光」という用語の使用が確認できる最も古いものは、1855年にオランダから江戸幕府に献上された洋式軍艦「観光丸」である。誰がどのようにしてこの艦名をつけたのか明らかになっていないが、珍しさや誇らしさを表したり「国の威光を海外に示す」という意味が込められていたと考えられる[1][34]。また、明治時代初めの米欧使節団を率いた岩倉具視は、報告書である『米欧回覧実記』冒頭に「観」「光」と揮毫している[注釈 6][37]。岩倉は後に、東京奠都により衰退した京都の経済再生の一環として、洋風迎賓館を建てて外国の賓客をもてなすことを政府に献策している[36][38]。なお、「観」という漢字には「示す」という意味もあり、「外国の要人に対して国の光を誇らかに示す」という意味も込められているとする説もある[1]。
このほかに佐野藩の藩校「観光館」や国産品奨励を目的として設立された「観光社」など固有名詞の中での使用例があるが、用語として広く普及したとは言い難い[注釈 7][34]。
1872年の日本の鉄道開業以降、各地で鉄道のネットワークが広がってゆき、これにより国内旅行が盛んになるが[33][39]、このころは「遊覧」や「漫遊」の語が使われるのが一般的であった[注釈 8][5][34][40]。1886年に東京府師範学校が「長途遠足」を開始し、内国勧業博覧会の開催などとも合わせて修学旅行が促進された[39]。1905年には鉄道を利用して高野山と伊勢へ参詣するパッケージツアーが南新助(日本旅行の創業者)によって始められている[39]。
1893年、渋沢栄一と益田孝の旗振りにより、日本で始めて外客誘致に取り組んだ民間団体である喜賓会(英: Welcome Society)が設立され、設立目的に「旅行の快楽、観光の便利に」が掲げられた[34][40]。喜賓会は1912年にジャパン・ツーリスト・ビューローとなり、日本交通公社の前身となっている[5][40]。
1923年・1924年ごろにはアメリカ移住団の祖国訪問について「母国観光団」と大々的に新聞報道されており、観光の語が現代的な意味として一般に認知されるようになったのはこの頃からともいわれる[1]。
濱口内閣は、元帝国ホテル副支配人で熱海ホテル経営者の岸衛[注釈 9]の働きかけを受け、外貨獲得のための外客誘致事業を目的とした機関の設置を決定した。これが1930年4月24日付け勅令83号によって創設された鉄道省の外局「国際観光局」である[5][1][35][40][41]。名称の候補には「観光局」「国際局」「外客誘致局」などがあったが、当時の鉄道大臣江木翼により決定された[40][42]。なお、英文名はBoard of Tourist Industryとなっており、ツーリズムの語を用いず、国際にあたる表示もなされていない[注釈 10][34]。
「観光」の語は原典を紐解くとアウトバウンドを指すものとも解釈できるが[35]、このように戦前の「観光」を冠する事業はインバウンドを中心としたものであった[注釈 11][5][40]。
国内旅行も包含した今日の意味合いでの「観光」が定着したのは、マスツーリズムが到来した1960年代以降であるとする指摘もある[34]。宮崎バス(現・宮崎交通)が、「名勝」「遊覧」といった表現が享楽性を連想させるとして、戦中戦後に「参宮」「観光」へ名称変更した事例が報告されている[5]。
庶民に普及した当初は観光に行くことそれ自体が贅沢でありステータスであったが、観光が身近な存在になるに連れて「どこに行くのか」「何をするのか」が次第に重視されるようになっていく[23]。
応天門筆打之記(おうてんもんひつだうのき)
平安中期、天下に名高き書道の達人・弘法大師空海は、応天門の扁額に「応天門」の三字を揮毫する大役を任された。しかし、完成間際、天の一声が響くがごとく、彼は「応」の字に点を打ち忘れたことに気付く。
大師は動じず、愛用の筆を天高く放り投げ、「気」で操り、見事一点を撃ち込んだという。この超絶技巧を目の当たりにした宮中の官人たちは驚嘆し、これを競技として昇華。「筆打(ふでうち)」なる遊戯が生まれ、点を正確に狙う技術を競い合った。
時は流れ、戦国時代には弓、槍、果ては鉄砲に応用され、各地で「点撃試合」として親しまれるに至る。さらに明治期、文明開化の波に乗って欧米へ伝わり、形を変えてストラックアウトとして定着したのである。
なお、現在も弘法大師ゆかりの寺院では、密かに「筆打祭」が行われ、選ばれし僧侶たちが筆を投げ、的を射抜く秘儀を受け継いでいるという。
ネタ元 : https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000071635&page=ref_view
”私はまず一番明るい南側の窓に近く並んでいる戸棚に近付いて行ったが、その窓に面した硝子戸の中には、色々な奇妙な書類や、掛軸のようなものが、一々簡単な説明を書いた紙を貼付けられて並んでいた。若林博士の説明によると、そんなものは皆「私の頭も、これ位になおりましたから、どうぞ退院させて下さい」という意味で、入院患者から主任教授宛に提出されたものばかり……という話であった。
――唐詩選五言絶句「竹里館」隷書――(無学文盲の農夫が発病後、曾祖父に当る漢法医の潜在意識を隔世的に再現、揮毫せしもの)
――大英百科全書の数十頁ページを暗記筆記した西洋半紙数十枚――(高文試験に失格せし大学生提出)
――「カチューシャ可愛や別れの辛さ」という同一文句の繰返しばかりで埋めた学生用ノート・ブックの数十冊――(大芸術家を以て任ずる失職活動俳優の自称「創作」)
――竹片で赤煉瓦に彫刻した聖母像――(天主教を信ずる小学校長製作)
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
「座り込み抗議3011日!」って看板なら普通は継続して座り込んでると思うでしょ。別にタラコ野郎に好意的でなくとも。
尋ねて行った時座り込みいなかったら「いねーじゃねーか」ってなるでしょ。
タラコのツッコミは屁理屈ではなくごく素朴な一般的感覚じゃね?
というかそもそもさ、
そこは謝ろう?
そんなとこでみみっちいウソついて何になるんだよ。
仲間内で気勢を上げていくうちにいろんな面で段々盛っていってしまうのは人間としてわかる。
けど外部から突っ込まれた時には正気に返って「誤解を招いた文言を訂正します」でいいじゃん。
そこでそういう真摯な態度を見せれば「ああ、ちゃんと話の通じる、我々と同じ人間が基地反対してるんだ」ってなって興味なかった人もうっすら好感や関心持つ可能性が出るじゃん。
俺が基地反対派の内部にいたらこれが起きた日のうちに急いで内部で相談して新しい文言案決めてまっさらな看板と筆持って行っていって現場にいるひろゆきに案見せて決めてハイって筆渡して頼んで揮毫してもらう。
んで「ひろゆき監修」の看板にしちまえばいいじゃん。文言を監修しただけでも基地反対に賛同加担してるみたいな雰囲気になる。これが賢い錯誤の作り方だろ。
これがピンチはチャンスってことじゃないのか。
「座り込みは継続して座ってなきゃいけないなんて誰が決めたんですかー」て。
こんなん最悪のリアクション。そんな屁理屈言い張ってこの場合に何を守る気なの?
その屁理屈で守れるのは嘘・大袈裟・紛らわしいな看板文言の継続だけだぜ?
そこさえ守り切れば勝てる!っていう決勝点に関してなら
なりふり構わない屁理屈で「きったねー」って思われながら守るのもありだが、こんな看板死ぬほどどうでもいいだろ。
その場でパッと捨てる決定して訂正しちゃえばひろゆきの拡散力でポジティブな発信できたのにさ。
おめーらが内部の屁理屈をどう言い張ったって文言についてはチョンボだろ。
ズルだしウソだし錯誤狙いだろ。
そこを影響力強い奴に画像入りで焦点にされた時点で勝ちはないんだよ。
文言を正当化しようと食い下がれば食い下がるほど文言が焦点化して
「うわあ、こんな小ずるくてバカみたいな理屈で嘘を正当化しようとする人たちなんだ」になるに決まってんだろ。
ひろゆき「あれ?座り込んでないんですけど」
基地反対派「〇時と〇時に座るの!(怒)」
ひろゆき「それ座り込み〇〇〇〇日って言わないと思うんですけど」
観衆「日本語ですらねーのかよ…」
終わりやん。
見てる人間には「話逸らしてんじゃねーよ」という感情しか湧かない。
「敬意」の話なんか始めてキレて返すってのはヤベーよ。
看板の文字ぐらい突っ込みようが無くウソなく書けってだけの話でしょ。
そこを言われてこれだけキレ散らかして恫喝しながら撤回を迫ったりまでして少しも受け入れられないって言うの
相手がひろゆきだからこうやって世間に知られて笑われてるけど組織内部や沖縄内部で懐疑的な意見を受け容れる姿勢が全然なさそうに見えるの俺だけか?個人の感想か?
ぜってー仲間や地元民から「ここはおかしいんじゃないか」程度のこと言われても「敬意がない!」って恫喝して総括して吊るし上げそうじゃん。
こんだけキレまくってやべー集団だと世間に示していっちゃうんだろう。死守作戦するとこでも何でもないとこで総動員してアホじゃねーのか。
タラコは思想とかほぼないから素直に看板直して合理的対応すれば全然矛収めたと思うよ。
逆に「敬意」なんていう内部の論理や定義不明な話はタラコが一番嫌いなやつだから超張り切っちゃうじゃん。
そしてそういうのをアホちゃうかって呆れて無所属な自分との対照で世間に見せていくのはタラコの十八番の一番得意な構図。西村屋!って声掛かるくらいのオハコの構図のやられ役になりにいってどうすんねん。
時は2022年、サムライブルーイレブンは、カタールにおいて、ワールドカップ8強入りをかけた戦いに臨もうとしていた。
カタールへの厳しい道、窮地の日本を救ったのは○○国からの帰化選手にして絶対のエース、オルマ・ベン・増田選手である。彼の活躍がなければ日本は、カタールW杯には決して出場できなかったであろう。
さて、オルマ・ベン・増田は、くどいようだが○○国からの帰化選手であった。そしてW杯直前、○○国の元首である●●氏と2ショットで写真を撮り「私の『大統領』へ。敬具」と揮毫した日本代表のユニフォームをプレゼントしたのである。(なお、『』内は●●氏の肩書が入るので、読み替えてほしい)
ここで問題です。あなたは●●氏=○○国がどのラインだったら許せるか、どのラインだったら決して許すことができないか。はたまた、いかなる出身国であれこの行為自体が容認されざるものか、必ず容認されなければならぬか、答えよ。
なお、世界情勢は闇の力(ご都合主義ともいう)により、2018年7月23日現在と同等とする。
さあどこだ。
日本習字では毎月、お手本と冊子が送られてくる。
お手本は原田観峰、冊子には日本習字の高位段の会員の作品が掲載されていた。
子供ながらに自分はすごく美しい字だと思ったし、きっとすごい人たちなんだろうなぁ~と思っていた。
中学三年生くらいの時、たまたまネットで原田観峰について調べたらとあるサイトでぼろくそにたたかれていた。
内容は「書道の世界に段位を持ち込んで人々の誤解を招いた」というものだった。
私の中で原田観峰のイメージが崩れてしまい、同時に自分が恥ずかしくなった。
もしくはYoutubeの誰かの動画コメントに「下手」「正しくない」「正しい書き方は~」
そもそも、2chは便所の落書きだし、匿名のコメントでは判断の仕様がない。だか私にはこれらの書き込みにはおそらくある程度の説得力があるように思える。
そしてどうやら書道業界では柿沼康二という人物が相当な実力者らしい。
彼は、昭和の三筆の一人である手島右卿に師事し、毎日書道展毎日賞という書道界では栄誉ある賞を20代で受賞。大学生の頃は16時間を臨書に費やしていたという。
私の中で彼は、わかりやすい「書道のすごい人」になり、書家の指標になった。
人間は単純だから、複雑な社会を一つの軸や価値観を通してしか見ることができないという話を聞いたことがある。
なるほど。
例えば漫画を見てみよう。
ある売れている漫画が2chなどで叩かれている光景を目にする。
絵が下手なのに売れているのが理解できない、ストーリーが下手なのに売れているのが理解できない、と。
人間社会は複雑なので、実際には「マーケティング」「絵」「ストーリー」「タイトル」「時代性」「知名度」……そして「好み」非常に多くの事柄がかかわって「売上」という数字をたたき出している。
それなのに一つの項目だけを見て売上を語ることはおろかである。
だが、それでも人は絵のうまさだけで売上を語りたいのだ、2chに書き込みたいのだ。
私が今どういう状況かというと、ちょこっとだけ書家の世界をのぞいてみたい。
漫画家のランキングをつけようにも、何度やっても決まらないだろう。
ただ、一流の漫画家を挙げろと言われれば誰もが納得する名前が挙がることだろう。
だが、私の好奇心がそれを欲している。
ならば下手という指摘はなぜできるのか。
これは断言するが、書道業界を知らない素人にとって書道のすごい人は武田双雲だ。
たとえ武田双雲がプロからみてどれだけ下手で臨書をしなくても、その事実はおそらく変わらないだろう。
柿沼さんはどう思うだろうか。素人に理解されなくてもいいと思うだろうか。少しでも多くの人に本物の書を知ってほしいと思うのだろうか。
このことを悲しむだろうか、残念に思うか。自分がその立場なら残念に思うかもしれない。
でもこの話は書道業界だけの話ではなく、音楽、映画、現代芸術、きっとどの業界にもある。
だから柿沼さんもまた別の業界の素人であってその道のプロから何か思われるかもしれない。
もちろん、彼の情熱を見る限り、芸術分野ならきっと通じ合うものがあると思うが。
私の言いたいことは、素人というのはそういうレベルの人であるということ。
自分の当たり前が通じない、それも毎年何万人もの素人が新しく量産される。
私が長々と何を言いたいというかというと、書道はブラックボックスであるということである。
芸術系の分野ではおそらく、自分の知る限り最もブラックボックスである。
現代芸術では絵のうまさは最も重要な項目ではない。最も重要なのは文脈である、らしい。
その作品がアートの歴史の中でどういう立ち位置にいるのか、どういうコンセプトなのかが重要な位置を占める。
私は書道のことに詳しくはないが、書道の世界の美しさ、素晴らしさ、良さは言葉で説明できないようなものであるのではないかと思う。
もっと言うと王義之の書が最高といわれるが、素人にはわからない。きっと時間をかけて書にふれれば見えてくる世界もあるかもしれないが、素人にその気はない。
私はフォントが好きなので、いろんなフォントをよく眺めている。王義之の書より日本語フォントに美しさを見出す。
もちろん、それはあくまで、私の心の中の世界の話であり、好みである。正しさではない。
書道の正しさでは王義之だろう。それか書道とフォントは全くの別物だから比べることじたい意味がないのかもしれない。
まぁ、書家のいうなんちゃって揮毫も多くの素人が美しいと思うのと同じかもしれない。知識不足で見えない世界のため、下の世界で満足しているだけかもしれない。
話は変わるが、待ちゆく人に好きなフォントを聞くと「MSゴシック」だそう。たぶんデザイナーではありえない。少なくとも自分は好きではない。
美しいとされるフォントは手書きの温かみを再現していたりするので、書道から教えられることは多いかもしれない。
でも私は彼らを馬鹿にしたりはしない。無論、私は一流デザイナーではないし、アーティストではないから柿沼さんと比較はできないが。
つまり素人というのはそういうものである。どの業界もきっと素人にわかってもらえない苦労はある。
だからやさしく教えてあげればいいと思う。
書道界で名をはせている人はなぜ有名なのか?
美しいとされる文字はなぜ美しいとされるのか?
正しさはどこにあるのか?美しさはどこにあるのか?
そもそも沢山の人が訪れる分野ではないかもしれない。ネットで書道の情報を集めるのは(ほかの分野に比べれば)大変だ。
派閥ではなく真に実力で名をのこした書家を知りたくても素人にはわからない。
つまり、ブラックボックスの芸術なので、ネットで書家が叩かれているのが正しいのか正しくないのか、的外れなのか的を射ているのかわからない。
下手といわれても素人目にはすごくうまく見える。
下手なのを説明できないのであれば、うまいのを説明できないのではないだろうか。
私は説明もなくただ、下手だといわれても素人だから納得できない。
追記:
そうか…
悪文ごめんね。思ってることを書き連ねたらこんな文章になってしまった。
冷静になって読み返してみると話が飛びすぎてるし、後半読みづらいのは確かにある。
ごめんね。
でも頭が悪いっていうのはひどいよ。
言いたいことを要約して書くけど、
金澤 翔子(かなざわ しょうこ、1985年6月12日 - )は、東京都目黒区生まれの書家。母も同じく書家の金澤泰子。
母・泰子が高齢出産にあたる42歳で翔子を出産。新生児期に敗血症にかかり、後にダウン症と診断される。
当初はその事実を知った泰子は我が子と共に死のうとも考えたが、夫の熱心な想いと遅咲きながらも少しずつ育っていく子の姿を
見て思いとどまったという。金澤の書道は母の師事によるものから現在の作風に至っている。
講演会や個展、席上揮毫などに金澤が出席する際には必ず泰子が同席している。
271文字の般若心経を練習し、字を見て父親が誉めてくれた。趣味は、カラオケとプール。カラオケはモーニング娘。を歌うことが
好きで、俳優の小池徹平の大ファンでもある。好きな文字は「夢」。
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